山登りを少しやって、人が行かないところや、記録の無い場所に価値を感じるようになってきた。けれど、山行計画には必ずなんらかの情報を利用する。地理院地図、傾斜量図、地質図、植生図、過去の記録、写真、Google Earth(衛星写真)……。私は計画を立てるのに、かなりの部分を地形図や登山大系、Google Earthに頼っている。過去の記録についても、山岳会の会報や、山岳雑誌のバックナンバー、国会図書館などを参照している。未知や未踏を求める精神と相反するような行為と感じていながらも、辞められない。
まったく自分が知らない分野であるが、吉田勝次の洞窟探検をみると、登山はかなり情報に侵されていると感じる。未踏の洞窟には地図も無いし、衛星写真も無い。純粋な未知がある。
登山では先鋭的なアルパインクライミングにおいても平出和也・中島健郎らもドローンを利用している。動画として記録に残すためもあるが、登攀ラインの確認などもしているだろう。
角幡唯介が日高で行った「地図無し登山」は、到達優先を捨て、裸の山をみる試みだった。これはたとえ二番煎じでも、当事者にとって価値のある漂白の旅ができる。情報に侵されていない山が楽しめる。私は、日高に行ったこともないのに北大山岳部の素晴らしい記録の数々で、日高の地図は結構見てしまっているので、もしやるなら増毛だろうか……。ただ、そんないつかのために地図を見ないのは性格的に無理そうだ。
現状、私は計画を立てるのに情報は利用せざるを得ない。ただ、自分が山を歩いて、実際に自分の目で見た景色からインスピレーションを得て、計画を立てるのも、また登山の魅力であることは間違い無い。山行計画を立てる上で一番純粋な動機であるし、なによりこの活動がよいのは、次の山が、前の山と繋がることにある。そんなことを考えながら今日も地形図を見ている。
現代では空白部分なんてほぼ無いので、冒険というより「今ある記録より凄いこと」のほうにシフトしているように思います。
厳冬期単独無酸素とか、〇〇ワンディ記録とか
、より困難さを追求する傾向にありますよね。
いずれにしても、先人が残した記録を「みる」「みない」の差は、安全を確保して登るフリークライミングと、あえてロープを使わないフリーソロなどと似た行為で、どこまでも自己満足の世界になると思います。
僕も登山前には必ず情報を探して挑みます。
若い頃は山ってチャレンジで行くものだと信じていましたが、この歳になってそれは運ゲーになりかねないと思い始め、今ではしっかり事前準備して予測を立てて、計画と実際の行動に差異が出ないようにすることに達成感を感じるケースが多くなってます。
冒険要素は薄れてしまうけれど、いくら先人の記録を見たところですべてが分かる訳じゃないので、自分の目で初めて見る場所には感動できるし、見ると行くとではハッキリ違いがあると思います。
中澤さんの山は、いつも素晴らしいオリジナリティがあり、こんな時代でもそんなアプローチ方法があるんだ、と感嘆しています。
今後もご安全に素晴らしい記録を作ってください。楽しみにしていますよ(*^^*)
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