遥かな時代の事も、当時に描かれた絵があると、こんなんだったんだと想像できます
。
で、予約した『(広重・英泉)木曾街道六拾九次』を図書館から受け取ってきました。
1837(天保8)年に伊勢屋利兵衛によって発売された、中山道の69宿場。
日本橋から熊谷、軽井沢に、塩尻、中津川、関ヶ原を越えて、大津まで。
このコースを大阪から逆に、実家(埼玉)に行くとき何度か通った道でした。
たいがい夜でしたけど。
埼玉の[大宮宿]の絵には、富士山が大きく描かれています。
(この絵は広重ではなく、連作の英泉の作)
子供の頃、冬の晴れた日には遠望できました。
今は、どうでしょうか?
最後の[大津宿]は、先日[逢坂の関]を訪ねた時に歩いた坂道だろうと思います。
🖌歌川広重の[東海道五十三次]は1833年
🖌葛飾北斎の[富岳三十六景]は1831〜4年
✒越後魚沼の雪国生活を描いた鈴木牧之・京山人百樹の[北越雪譜]は1837年(天保8)でした。
〈明治になる30年ほど前ですね〉
(中山道広重美術館・・いつか)
solosolokunさん、こんにちは。
コロナじゃなければ、南信州の山旅に行く予定で、木曽路もどこか歩きたいと思っていました。
関越高速で埼玉県走っているとき富士山よく見えます。
こんばんは usakosettoさん
今年は、[コロナ]で、皆予定をやめたり、変更したり、になってしまいましたね。
埼玉から、今でも[富士山]が見えますか。
広重の[大宮宿]の絵を見て、正直「富士山かよ!何で?」と思ってしまいました。
ほかに何も無かったのか、
「ここからも富士が見えるぞ」と言いたかったのか。
昔、実家を出て、大田区のアパートに住みはじめてしばらくして、大家のおばさんが「今日は、[まごめ]に行ってくる」と言うんです。
私は、てっきり長野の馬籠宿へ行くものだと思っていました。
実際は近くの馬込という所でした。
東京の地名なんてまったく知りませんでしたから。
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