(御苦痛もなく、お亡くなりになりました。)
桐壷帝が崩御され、藤壺(桐壷帝の中宮)は、三條の宮へ移ります。
三條の宮で
〔御前の五葉の、雪にしをれて、下葉枯れたるを見給ひて、
兵部卿の宮(藤壺の兄/紫の父)〈陰ひろみ 頼みし松や 枯れにけん 下葉散り行く 年の暮かな〉
源氏〈さえわたる 池の鏡の さやけきに 見なれし影を 見ぬぞ悲しき〉
王命婦(藤壺の女房)〈年暮れて 岩井の水も 氷とぢ 見し人かげの あせも行くかな〉〕
(桐壷帝が亡くなり、皆離れて行くさまを、三人がそれぞれ)
紫式部は源氏物語の中に、藤壺の(王命婦)のように、夕顔の(右近)とか紫の上の(少納言)とか、取り巻きの女性を役割豊かに描いている気がします。
源氏には惟光や良清と男性を。
(みずからがお仕えしてた目線から役割豊か女房や乳母や)居彷人
紫式部は、藤原道長の娘で一条天皇の中宮彰子に仕えていました。
【写真】3色のカエデ(錦織公園で)
☔雨のち雨の一日でした。
🙏訂正しました。(冒頭の文を見落としていました)20:47
solosolokunさんこんばんは。少し遅れたコメントですみません。
日曜日に福岡県久留米市にある植木と歴史の里「山苞(やまづと)の道」というところを訪れてきた時の話です。
「美しい日本の歩きたくなる道」というキャッチフレーズがついていて、耳納(みのう)連山の麓に広がる風光明媚なところです。
「山苞(やまづと)」とは聞きなれない名前だなあと前回訪れた時から思っていましたが、今回その意味が分かりました。
現地で手にしたパンフを改めて読んでいたところ、山苞とは
「源氏物語の賢木の巻にある一筋で”山苞に持たせ給へりし紅葉”に出てくる。 山からの贈り物、山里のお土産という意味があります。」
と書いてありました。
solosolokunさんの日記に賢木の章が出ていた事を思い出し、余計なことと思いつつふと書き込んでみました。
こんばんは MISBさん
さっそく[賢木]開けてみました。
確かに
〔山づとに、もたせ給へりし紅葉、御まへのに御覧じくらぶれば、ことに染めましける露の心も、見過ごしがたう・・・〕
とありました。
谷崎潤一郎訳には
(山からお土産に持ってお帰りになりました紅葉を、お庭にあるのとお比べになりますと、ことに色濃く染まっていますので、こう丹精をしてくれた露の情けが見過ごしがたくもありますし・・)と。
何気なく読んでしまいましたが、[山苞]にはそんな意味があったんですね。
[賢木]を思うとき、〈山からの贈り物〉[山苞]を印象づけて下さったコメントを思い出すことは間違いないと思います。
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