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「ただ、このひめ君、京へ率(ゐ)てたてまつるべきことを思へ。わが身の孝をば、な思ひそ」となむ、言いおきける。
[筑紫]から、舟で[大阪]まで、
この文庫の文字、わずか二十行ほどで来てしまいました。
紫式部先生、海路は苦手なのかもしれません。
玉鬘〈行く先も 見えぬ波路に 舟出して 風にまかする 身こそ浮きたれ〉
筑紫のシーンからすぐに畿内のシーンに移りました。
いろいろあって、源氏の六條院に住むことになりました。
〔年の暮に、御しつらひあるべきこと、人々の装束など・・・・
「いと、多かりける物どもかな。かたがた、羨みなくこそ物すべかりけれ、この重ねども」〕
(どなたにも恨みっこないように分けてお上げなさい)
源氏は、紫の上と一緒に、六條院のそれぞれの女房達に贈る正月の衣装を選びます。
まず[紫の上]に、[玉鬘]には、[明石のひめ君]には、[花散里]には、[末摘花]には、[空蝉の尼君]には・・・と。
いつのまにか[末摘花]は二条院に住んでいました。
(宣言は延長されて翌二十日、歴史にのこる日々をおくりつ)居彷人
【写真】は今朝のモンシロチョウ。
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