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[地震]の日記は削除しました🙇
読んで下さった方、拍手を下さった方ありがとうございました。
あらためて
被災された方々にお見舞いもうしあげます。
今日は休暇日です。
📕(平治物語)を進めます。
📖《源氏沙汰への事》
〔主上も六波羅へ行幸なる。
人目をしのばせ給はむ御為に、女房の御姿にならせ給ひ、御車にめされければ、中宮もめされけり。〕
*[行幸]=天皇の外出、[御幸]は上皇、法皇など。
〔二条院の御在位のはじめつかた、十七歳にならせ給ふ、かさねたる御衣に御かづらはめされたり、中宮もわたらせたまふ。
・・・東人がいかでか見知まゐらすべき、・・事故なくとほしまゐらせけり。〕
二条天皇17歳、御衣に添え髪を付けて女房姿に扮して、警固していた義朝の郎党の東国人に気づかれようもなく、何事もなく、平家の拠点六波羅に入ります。
後白河院は、寝所に声色を似せた[康頼]に咳払いをしきりにさせておいて、〔仁和寺殿へお入りに〕と脱出させています。
〔信頼卿夢にも是を知り給はず〕
やがて事態を知るところとなり、主だった武士達の名前をあげ
〔兵(つはもの)二百人、已下の軍兵二千余騎ぞ記されける。〕
そして
〔・・・左馬頭義朝、生年卅七、練色の魚綾の直垂に、楯無しとて黒糸威の鎧に、獅子の丸の裾金物をぞ打ちたりける。
鍬形うつたる甲の緒をしめ、忿物作(いかものづくり)の太刀をはき、黒つ羽の矢負、節巻の弓持て、黒鴾毛(くろつきげ)なる馬に黒鞍置かせ、日花門(じつくわ)に引立さす。〕
*[楯無]=源氏相伝の鎧の名。
甲斐の武田家に楯無という鎧が相伝しており、塩山市の菅田天神社に現存するという。と(語釈)に。
と、軍記物の特有の語りで、何人かの[いでたち]が書かれています。
【写真】2/20服部緑地公園で
夕べの地震
(速報に揺れもわずかに感じつつ「津波警戒」画面にずっと)居彷人
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