「風」ほど喜びや哀しみ、詩にも詠まれる言葉は思い当たらん。。
「春」「順」「花」「薫」「緑」「青」「金」がつく時季はエエの👍
「冬」「逆」「寒」「北」「台」「大」「暴」がつく時季は厳しいの・・・
「神」に『元寇』を思ふか 『特攻』を思ふか..
「東風」「南風」「疾風」。。善くも悪くも..
尾根に上がった瞬間、「涼風」に感じるか 「強風」に感じるか.. により山の印象は変わるよの。。
わしん家には こんな「字」がある 【写真1】
先々々代の住職さんが書いてくれたそうじゃ。
「 吹 風 清 」
昔は左←右じゃけえ、「清い風が吹く」
チョッとだけ意味を感じる51歳。
詣でるコトが少のうなった五月飾りを年下の嫁は毎年欠かさず飾っとる。
ふと 兜の下を見ると、嫁の「想い」を感じた。。【写真2】
詠懐詩 阮籍(えいかいし げんせき)の漢詩ですね。
4段落目の「清風 我が襟を吹く」からを書いたんですね。
ちょっと長くなるけど。
その漢詩は、
夜中不能寐
起坐弾鳴琴
薄帷鑒明月
清風吹我襟
孤鴻號外野
翔鳥鳴北林
徘徊将何見
憂思独傷心
夜中 寐(い)ぬる能はず
起坐して鳴琴を弾ず
薄帷に明月鑒(て)り
清風 我が襟を吹く
孤鴻 外野に號(さけ)び
朔鳥 北林に鳴く
徘徊して将に何をか見る
憂思して独り心を傷ましむ?
現代語訳
夜中寝ることができず、起き上がって座り、琴を弾いてみた。
薄い帳を明月の光が照らし、清らかな風が私の襟に吹き付ける。
野外で鴻(おおとり)が叫び、北の林で雁が鳴いている。
外を出歩いたからといって見るべきものはない。憂鬱な物思いに沈み、独り心を痛めるのだった。
だよ。
阮籍は「竹林の七賢」の代表格人物だったんですね〜
後漢に移るチョッと前:魏晋の政権交代期に世を捨て、竹林で清談にふけった者たちとありました。戦(いくさ)まみれで現実から離れたかった時代だったのでしょうか。
現代もコ●ナや プー●ンや 自然災害やら色々「災い」はありますが、「生きる」か「死ぬ」かの「ハザマ」度は比べモノにならないでしょうね..
そのような厳しい時代に感じた「吹 風 清」に重みを感じます。。
まあ、そんなコトを気にせず、自らの意思で山に登れる現代は「幸せ」だな〜
そういえば、海が好きだった石原慎太郎さん。。骨も海に還られてましたね(合掌)
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