HOME >
mt-samさんのHP >
日記
管理される登山。。。
「そして困ったことに管理されるのは、実は楽な事でもある。管理された領域から外に飛び出せば混沌とした世界が広がっており、自由を得られるが、しかし本当の自由というのはすべてを自力で判断、処理しなければならないので、実はかなり苦しくて、しんどい状態だともいえる。少なくとも楽な事ではないし、快適な状態とはいいがたい。失敗も多い。多分現代人はこのしんどい自由を放棄したがっている。〜グーグル、スマホ、GPSという物言わぬ情報通信インフラが柔らかく我々の周辺環境を包み込むだけである。管理される我々の方としても、ピコピコと検索ワードを打ち込み、あたかも主体的な行動を起こしているように動作しつつ管理されているから、管理されている実感がほとんどない。〜かなり心地よい管理環境が整っているといえる。だから登山の世界でもネットで検索して記録が出てくるルートばかり人が集まり、外れる可能性があるルートにはほとんど誰も行かなくなった。〜アルパインクライミングの世界でさえそうなのだから、こうした現象は日本全国津々浦々、端の端まで蔓延しているに違いない。〜この社会はどっぷりと管理に浸っている。」(『新・冒険論』角幡健介著あとがき)
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:700人
それはともかく、内容を読んで共感至極、と同時に最近そういうのやってないなぁと。
今年は去年出来なかったヤツ、やりたいなぁ。
じめじめしたところ、我々でも行けそうならお付き合いしたいです。
この流れは多分とっくに蔓延してますね!
なんぼうやってもムダだわ(^^;)
情報過多、しかも手元でなんの苦労も無く他人の情報が手に入る。
画像付きで。
沢も百名山感覚なのかな。
若いヤツが、ガイドに載ってる沢を制覇したいと言ってたのを思い出します。
沢の経験を積むためのトレーニングという位置付けならまだわかるけど、それが目標とは…天井見上げて深くため息ついたもんです。
未知の沢がほぼ無くなり冒険的要素が激減した今、世にトレランが流行ってるように、沢に求めるものも変わってきたのでしょう。
興味の対象は山よりも自分のフィジカル、パフォーマンスへの自己満足に変わってきたようにも思います。
願わくば個人的にはせめて、他人のコピー登山はやめて、山や大いなるものへの畏敬の念を忘れず、自然と一体化することの素敵さや、どんなにしょぼくても何から何まで自分の力量で作り上げたこその冒険の達成感や充実感の価値を知って欲しいです。
地形図を見て冷や汗や脂汗をかいて妄想し、現地では、あの曲がり角の先には何があるのだろう?この滝はどうやって超えようか?その上はどうなってるの?
こんな気持ちを無くしたら、もう沢屋では無いと思う。
若い世代にこういうの期待しても仕方ないかも。
不安と畏れのない山はただの観光です。
悲しいかな衰えた自分にはそれが精一杯でもある。
せめてケツを堂々と出せる誰も居ない山を自由に歩くのがせいぜい。
豊富(過ぎる)な情報とGPSや装備の進化でハードルと難易度は下がり安全度は増したけど、コピー登山にもカンニング登山にも答え合わせ登山にも価値と魅力を感じません。
自己顕示欲や承認欲求を満たしたり、情報提供によって知名度や収益をアップさせたりと事情は複雑なのかもしれませんが、詳細な情報の「公開」にもあまり好感を持っていません。
良質な不安と好奇心と冒険心というある意味登山の神髄とも言える部分が失われないことを強く願います。
創造(想像)と良質な不安なくして満足な登山無し。
山は自分の判断を楽しむ遊びでもあると思うから。
妄想したルートに挑戦しまだ見ぬ景色の中に立つために日頃からトレーニングや学習を重ね、経験を積み、時には下界の生活を犠牲にしてまでも行きたいという情熱。
先がどうなるか見えない、分からないルートで、不安や怯えと闘いながらルートを切り開いて無事にそれが完遂出来た時の満足感や充実感。
動物や鳥や魚や虫たちには到底かなわないけど、必要最低限の装備と情報で、自身の五感六感と能力をフル活用して山と一体化できたら良いな。
近未来登山
https://www.yamareco.com/modules/diary/25769-detail-157215
今どきのネット社会ではSNSや動画での情報公開とそれを受けたコピー登山の是非などが取り沙汰されますが、以前からネットではないですが「遡行図の是非」など似たような話はありました。
2000年の8月号〜11月号あたりの岳人の記事も興味深いです。
最初は8月号で服部文祥氏による「遡行図はいるのか。。沢登りにおけるフリークライミングの思想」という問いかけがなされ、その後、11月号で服部隆氏による応答として「自然との渾然一体こそが沢登りの核心である」という書簡が掲載されました。
(わたしは当時服部隆氏の応答記事を拝読して心中拍手喝采!)
これを受けて服部文祥氏からは「オンサイトとは初登攀ごっこである」という返信が記載されていました。
服部文祥氏からは10月号誌上で「沢登りは発展途上なのか」という問いかけもあり成瀬陽一氏に展望を聞いておられます。
この後、服部文祥氏の活動は「表面上は」ガラリと変化されたように感じます。
思うところあり、敢えて「表面上は」という表現を使いました(^^;)
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する