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この10年ほどは、会うこともなく年賀状の交換だけだった。
毎年必ず来ていた年賀状が今年は届かなかった。再チェックしてみても届いていない。今流行の「年賀状じまい」は考えられにくかった。気になったので携帯に電話をかけた。2回かけたが折り返し連絡がなく、2月20日「元気にしている?」とショートメッセージをしたが返事がなかった。
3月10日にメッセージが入っていた。
「この携帯は使えなくなります」・・・
「生前は懇意にしていただきありがとうございました」、
目を疑った。
奥様からだった。
昨秋、61歳の誕生日に在宅勤務中に自宅で脳出血で倒れていて帰らぬ人に。その数時間前までふだんと変わりなく過ごしていたようで、奥様は4か月経った現在も現実として受け入れられなく、喪中ハガキも出せなかったとのこと。(私自身もF君の死を受け入れられないし、ウソであってほしいという気持ちだ)
携帯解約直前にメッセージに気づいて返信をくれたようだ。
この年齢になると、目立って同級生の訃報が増えてきた。
この前、元気だったのに、とか、美と若さと健康が売りのあの人が・・・
自分自身も決して、いつまでも時間があるのではない、ということを実感させられる。
一昨年の秋に東海道五十三次一気通貫を実行したのも、そういったことに起因した部分が大きい。
F君とも「また六甲山歩こうね〜」という話をしていたのに・・・
約束や計画は前倒ししても、先送りしてはいけないとつくづく思う今日此頃。
合掌
倒れて即入院、ICU→リハビリ、全部経験しています。
【結論】
・高血圧を放置するな!
・即死していても不思議ではない。
・私の事例はかなり特殊。
事例検証のため、実名以外はすべて記載。
(脳の場合、症状はバラバラです)
その刺激はどこかに効く
https://doranosuke2007mk2.blog.fc2.com/
※トップページから時系列で辿れます。
コメントありがとうございます。
大病を患われたのですね。
リハビリを頑張られ病前の体力以上とは・・・
私も血圧高めですが、
薬を毎日なかなか飲めてなくて・・・
最近は血圧も計ってないし・・・
でも、血圧侮ってはいけませんね。
友人の死を通して、もう少し健康に気を使った生活をするように心がけたいと思いました。
happyさんも、ご自愛専一になさってください。
(追伸)
昨日、余呉高原でスキーしてきました〜
柳ケ瀬トンネル良かったです〜
昨日は賤ヶ岳の上でノンビリコーヒー飲んで、余呉湖を見てました。流石に病後、スキーは試してません。昔はショートスキーを操っていましたが、多分、反応速度的にムリかと思います。スローなジョギングが左足を含めた体の限界と悟ってます(閑話休題)。
さて、今でこそ病前の体力を超えてはいますが、それは病前が太り過ぎだったからです。93kg→70kgとなり、ようやくBMIの標準値、上限ギリギリ付近です。
ICUに居た時は、自力で出来たことは呼吸だけでした。
・左足はふともとから下が無感覚無痛
・モノは2重に見える
・主治医の名前が覚えられない(高次脳機能障害)
・食事はスプーンがうまく動かせない(両手の運動障害)
ベットから起き上がることなど出来るわけもなく、意識がまともだったから、寝たきりの生活は『このまま死ぬまで朽ちるしかない』という恐怖でした。
ここでは目的違いなので多くは語りません。体に何かの刺激を与えることで、脳の機能を失った部分が代替されることはあるようです。私の場合は足の裏からであり、最終的には左足をコントロールできています。ただし完璧ではないので、どうしても左足は弱い(=山の下りが弱い、遅い)です。当然後遺症は他にも残っています。
高血圧で脳出血は想像以上に過酷です。
一人でもその愚を無くしていただければ幸いです。
平行棒の中、左足の接地感がない。
それでは転倒の恐怖が勝り右足も動かせません。
あんな経験を一人でもされないことを切に思います。
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