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Yamareco

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2018年09月27日 20:11未分類全体に公開

1977年4月…初めての穂高岳😱

登山手帳の記述メモをここに転記する。
写真左:手帳に挟んであった記述メモ4枚7ページ
  中:北穂沢を詰める途中から見た前穂高
  右:涸沢岳のコルにて休憩中の私(左側)Y氏(右側)

メモの冒頭には、この時の気圧配置と前線がメモされている。
ー気象通報を聞き、書き起こした略図ー
天気が荒れて停滞中に、このメモを書いて居た。
このメモの存在は忘れて居て、発見して、驚き、懐かしかった。

(以下原文のまま)

雨の為に立ち往生。
山小屋(穂高岳山荘)の図書室なる所に7〜8人。
本を見ながら時間をもてあそぶ(10:00)

穂高岳始末記
4/29:
7時31分 アルプス21号にて、八王子より17分遅れで出発。
松本にて27分遅れで到着。
駅前で昼食、食糧の不足分を買い込む。
松本より、電車・バスを利用して上高地入りするより、タクシーの方が安いとの事で、5人でタクシーを利用しようとしたが、4人しか集まらず、各自1700円で上高地までゆく。

相互タクシーの(上高地)営業所でお茶を戴き、今日の目的地の徳沢に向かう。
徳沢まで1時間強で到着したが、途中から雪が降り出し、天気が怪しげになる。
徳沢に着いた時は雪はあがったが、テントを張り終わると同時に又雪が降り出した。
初日より嫌な予感だった。

4/30:
7時20分、徳沢発 天気、非常に良し。
横尾到着 8時10分
屏風岩にクライマー(1パーティー)を見る。
Y氏の知り合いと偶然会う。
伊勢崎山岳会のメンバーで、12月に吊り尾根より涸沢側へ滑落した同会員の捜索に出るところだった。

横尾からは雪があり、進むにつれて名前の分からぬ岩山が見えて来た。
それほど急でもない樹林帯を登り、木々が無くなる頃になると涸沢カールに近づいた事を知る。雪崩跡(デブリ)の横を抜け涸沢の登りにかかる頃からY氏が疲れを訴える。
穂高が周囲を囲みはじめ、涸沢ヒュッテのテント場に近くなるとY氏はガクガクの様子。
テント場に着き、Y氏にココアを作ってもらう間に、雨男のY君と私でテントの為の除雪を始める。
どうにかテントを張り、ゆっくりと涸沢の午後を楽しむ。
Y氏はシュラーフを持参しなかった為に涸沢ヒュッテに素泊まり、食事は私たちのテントでして小屋に行った。

5/1:
朝5時に朝食をするとY氏に伝える。
4時40分頃より、雨男のY君と食事の用意をする。
5時5分にY氏がテントに現れた時は、私たちは食事の真っ最中。
テントを撤収、涸沢出発6時30分
北穂沢の雪壁を直登する。
登るに従って傾斜は急になる。
休みなしで(北穂高岳)頂上まで行けると思ったが、あまりの急勾配に苦戦。
途中で何回も休むことになった。
と言っても、平らな所は無く、休むたびにピッケルで雪壁を削り、そこに腰を落ち着かせた。
この頃はもう、前穂高北尾根が目の前にその全貌を現し始めて居た。

雪壁を登り詰めると、北穂高直下20m付近のコルに出る。
滝谷を登降するクライマーのベースキャンプ地の様だ。
テントは2張、どうにか雪の上に張ってあった。
ここに荷をデポし、北穂高に上がる。
槍が見えた。
キレットが見えた。
北穂頂上は狭く、雪が綺麗にドームの様に乗っている。
頂上から前穂高をバックに3人で一枚づつ記念写真を撮る。

これから、メインの涸沢岳に向かわなくてはならない。
荷のデポ地まで戻る(11時0分)
穂高縦走に向かう人は少ない様だ。
涸沢岳へ延びる稜線の北穂沢側の雪壁を一歩一歩、慎重にトラバースする。
滝谷側からは強風が吹きつけ寒い。
涸沢側の陽だまりはポカポカと気持ちよい。
稜線を忠実に詰めて行くと岩綾は痩せてナイフリッジになる。
鋸の刃の様で一般ルートでは無い様だ。
後から来た5〜6人のパーティーは私たちの直下の滝谷側をトラバースしている。
アイスバーンの嫌らしいトラバースだ。
ノーザイルでスリップすれば、鳥も通わぬ滝谷へ真っ逆さまという感じ。
その下部には、クライマーが数人、小さなピークの上に乗ってザイルを延ばしている。

雪のリッジを過ぎると、岩の登りになる。
浮石が非常に多い。
涸沢槍と称する登りの様だ。
滝谷側のゴツゴツとした岩の見える高度感のある登り。
「悪場注意」のカンバンが雪に埋もれて、その上部だけがほんの少し見えて居た。
登り切ると、雪の詰まった小さな広場に出た。
涸沢槍の頂上だ。
クライマーが休んでいる。
涸沢側から直登して来たのだと思う。

核心部はあと少し終わろうとしている。
鎖場が現れ、そこを登り切ると平坦なザレ場に出る。
やっと緊張から解放され涸沢岳の頂上でチョコレートを3人で分けて食べる。
今日の宿泊地、穂高岳山荘は、すぐ下に見えた。

山荘の前でココアを作る。
水が無く、雪のブロックを小屋の人から無料でいただいて来て、水から作り始めた。
涸沢のテント場は、もう昨日より多く、涸沢カールに向かう人々が、まるで砂糖の中を歩くアリの様に一列になって進むのが見えた。
今日は小屋泊まりとする。
荷をまとめて指定された部屋にまとめる。

明日の奥穂高、吊り尾根、前穂高は、どうも行けそうに無い感じがした。
夕方から風が強くなり、ビュービューと音を立てて、この半分雪に埋もれた小屋の屋根をかすめてゆく。
21時頃からパチパチとミゾレの様な物が飛んでくるのを感じた。
(小屋に泊まってよかった…)
なかなか寝つかれず、それでも、そのうち朝が来て居た。

5/2:
風は相変わらず強く、外は白一色の世界だ。
雲の中にいるのだと思った。
このままカンズメになるか、涸沢まで下るか、複雑な気持ちが私の胸の中を行き来する。
不安なら動かぬ方が良いと思った。
一日、何の目的もなく、小屋の中で時間を潰す。
白一色の時間が流れて行く。(16時12分・記)
 
 
 
 
 
 
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