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今回は、KENさんと関係のある絵画についてです。
ここに載せる以外に、下記のホームページの「山以外の趣味」に掲載しています。
gakukoh(岳香)趣味のホームページアドレス(上臈岩情報含む):
https://gakuko.jimdofree.com
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<一枚の絵>
長く人生をいきてくると、何かを楽しむ心、人生を豊かに生きるには、心の満足が一番と思う。
人の心(脳)の中に、満足という無形の財産?が貯まって思い出としていつもいい気分にしてくれる。
楽しみは素晴らし財産とは理解するも、同じものをみても楽しみを感じる人、場合もあれば、そうでない人、場合もある。誰もが同じではない。
一つ言えることは、同じものを見ても楽しいと感じる方が人生を満足して過ごせるということだ。
全く逆の場合では、何に出会っても何も感じない、もっと悪いと不満を感じるのは、人生を満足に過ごせる機会を狭めてしまうということになる。
長く人生を生きてきた人の顔を見ると、どのように生きて来たかが分かる。
例えば、政治家さんの顔はやはり政治家さんと思われる顔だ。
楽しみは色々。人の心次第。
私たち庶民が一番対象にし易い趣味の世界でも、スポーツ、音楽、工芸、手芸、盆栽、庭作り、野菜作り、旅行、古墳巡りなどなど、楽しみの趣味は何でもあり。
何に楽しみを見出すかは、人の価値観(好み)の差異がある。
しかも、楽しさを感じる人の心は、そのものの大きさ(絶定値)を感じることができなくて、変化分(微分値)を感じる特徴がある。
即ち、分かり易い例では、100万円を二人の人が貰ったとして、1億円の資産家である人は、それほど嬉しくない。ところが、10万円しかない人が貰うと、これは嬉しいこととなる。前者は、100万円は、1億円と比べると100分の1であり、後者は、10万円と比べると、10倍、その変化分が後者の方が遥かに大きいのである。
しかも、嬉しい、嬉しくないの度合は、当人にっとって、感じているその場では、大小がなく、いつも100%か0%のように、最大化か最小(感じない)のいずれかである。
これは、カッとなって犯罪を起こした例をテレビでよく目にするが、他人には割に合わないと思うことではあるが、当人には最大に感じた結果であり、人心の特徴だと思われる。
このことは、同じものを見ても、受け止める人の感じ方で嬉しさや満足感が違うということに繋がっている。
人の価値観の差異と人の感性を考慮すると、何を選んでも人の心次第で喜びは得られるものである。自分の手が届くものを対象にすればよいと思う。
私の部屋の周りには、手が届く範囲に、楽譜とハーモニカ、オカリナ、ギターがおいてある。机の前の上には、見あげる位置に絵画があり、仕事合間にpcからふと目をあげると、あどけない少女が私を見下ろしている。
子供というだけで誰でも、屈託ない心を和ませるあどけなさがある。
額の中の少女は、世の中の混沌とは無関係な表情で座っている。
1昨年になろうか、画商を通じ画家Fさんの絵を購入した。
画家は、山友のお嬢さんという巡り合わせだった。
人の世界、どこで繋がるか分からない。色々楽しみを頂く伝手になった。
元々、絵が好きだった。家族や甥の中にも絵が上手なものもいて、興味があった。
50年以上前には、「一枚の絵」という絵画誌を毎月購入して楽しんでいた。
その中では、佐間田敏夫さんという画家の風景画が気に入っていた。
そんな絵画への思い出、思い返すことは、これも楽しいことだ。
そして今、机上に見上げる画家Fさんの絵画は、まさに私にとって、「一枚の絵」なのである。
少女が微笑んでいる!
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