またまた問題提起の書き込みで申し訳ありません。
長文ですが、最後に問題提起した理由も書いてあるので、できれば最後までお読みください。
自分自身混乱しているので、ちょっと皆さまのご意見も聞いてみたくなりました。
御嶽山で亡くなられた方について以下のまとめがFacebookにシェアされてきたので、それについて反論しました。
http://matome.naver.jp/odai/2141294966760088901?utm_content=bufferda8e0&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer&page=1
先ずまとめの要約すると韓国の地下鉄事故で逃げなかった人同様に御嶽山では呑気に写真を撮っていて逃げ遅れた人がいて、これは正常性バイアスが原因なので注意するようにという内容です。
これに対して私は以下の反論をしました。
『セウォル号以降正常性バイアス論が流行っていますが、御嶽山どころか山にも登っていない人が今回の件にも当てはめて論じるのは今一納得できません。
現実問題として逃げようが無いんです。
3000mで走り回れると思いますか?
登ってみればわかります。
屋根のあるところに逃げたくても山頂の社務所には鍵がかかっていて入れなかったと聞いています。
庇の下にも入れなかった方は憤石の直撃を受けて亡くなられました。・・・・長文なので以下割愛』
するとそれに対して、バイアスについて注意喚起しているのに山に登っていない者がシェアしたり、いいねを押してはいけないのかと怒られてしまいました。
シェアした人が友達の友達で直接知らない方だったのに、『山にも登っていない人が』というセンテンスを使ってしまったうえ、強い文脈だったことは反省しきりなのですが、一応そのレスとして以下のコメント(ほぼ全文)を投稿しました。
『シェアしていただいたことを責めているようにとられてしまったとすれば、お詫びいたします。
少々言葉足らずでしたね。
申し訳ありません。
私のコメントはこのまとめを作った人に向けられています。
このまとめを作った人はたぶん心理学や山岳や火山の専門家ではないですよね。
正常性バイアスというのは日常性バイアスとも呼ばれるようですが、はてなダイヤリーからの引用をすると、外界の強烈すぎる刺激に対して、理知的動物がそれを心理で 抑制して、慌てないようにしてしまうこと・・だそうです。
山の場合もともと非日常ですし、今回は部屋の中にいたわけではなく目の前で噴火が起きているのですから正常性バイアスにはあたらないと思います。
実際このまとめ以外で専門家が無くなられた方の正常性バイアスについて論じている書き込みを見たことがありません。
このまとめは結局被災者にも心理的な瑕疵があったという内容に解釈できます。
知らない人が読んだら皆そう思うでしょう。
Facebookでシェアされる以上、被災者を擁護する意見も受け入れていただきたいというのが私の願いです。
むしろここで論じなければならないのは日本人特有の道徳観だと思います。
社務所のドアを蹴破っていればもっとたくさんの人が助かっていたはずです。
でも日本人の道徳観は神社の神聖な建造物を破壊することを許さなかった、そこを論じるべきで、登山者の瑕疵を云々することではないと思います。
ネットの情報は多少間違っていても拡散してしまうので、私みたいな者の意見も不快でも受けいれていただければ幸いです。
状況をある程度想像できるものとしては、この記事が独り歩きしてしまうのは、あまりにも亡くなられた方が不憫です。』
とレスしました。
すると、シェアした方から、このまとめ記事を読んで、今回の被災者に心理的な瑕疵があったという印象を私は受けませんでしたと再反論されてしまいました。
ネットでのコミュニケーションは本当に難しいです。
実際のところどうなんでしょうか。
本当にこのまとめ記事は被災者の心理的瑕疵を主張していないのでしょうか?
まとめを読んでの率直なご意見頂戴できれば幸いです。
私自身はこのまとめ記事を果たして一人歩きさせて良いのか、大いに疑問を感じています。
追記:
何故私がこのまとめ記事を問題視しているか念のため解説した方が良いかもしれません。Naverまとめはアクセス数に応じてインセンティブが付く仕組みになっています。無理やり複数の無関係なショッキングな記事を繋ぎ合わせてよりショッキングなまとめ記事を作り、FacebookやTwitterで拡散させることで小遣い稼ぎをするという実態が裏にあるからです。
私はこのまとめ記事に悪意があると感じています。
ヤマレコにたくさん書き込みするのとはわけが違うんです。
このまとめ記事がそれにあたるか否かは皆さんご自身の感覚にお任せします。
この日記によって皆さまのアクセスが加算されるのは本意ではありませんが、ネットの世界ではこうした偽善的なことが当たり前なのです。
長文、最後まで読んでいただき有難うございました。
こんばんは、えのしまんさん。
私の受けた印象についてお答えします。
>本当にこのまとめ記事は被災者の心理的瑕疵を主張していないのでしょうか?
心理的瑕疵を主張しているような印象を受けます。ただし被災者を貶める意図があるようには思えません。「判断ミス=心理的瑕疵があった可能性が高いが、人は理性的な動物であるため無理からぬこと。しかし理性的であることが常に美徳とは限らないので時と場合によっては拙速を尊ぶことも必要。お互い注意しましょう」と受け取りました。本当に判断ミスなのかどうかはわかりません。写真を撮っていたことと命を落とされたことの間に因果関係があるのかどうか。
正常性バイアスと言う言葉は初耳でした。自分に置き換えてみるとそれに似たバイアスがあるように思えます。落ち着いていることが正しい行動方法で、危険を回避できる確率を上げる方法であると思い込んでいたかも知れません。拙速が必ず正しいとは言えないでしょうが、巧遅を好む傾向の強い私にとって拙速も選択肢の一つとなりうることを意識させてくれるきっかけになりました。読んで良かったと思います。
インセンティブの件については何とも…。被災者の方を貶める内容であれば私も気分が悪いですが、この記事からはそうした悪意は感じられませんでした。
muscatさん率直なご意見ありがとうございます。
私自身Naverまとめに関しては人のフンドシで相撲をとるという先入観というかバイアスがかかっているのかもしれません。
私が正常性バイアスというキーワードを初めて目にしたのはセウォル号沈没の際の心理分析に関するニュースでした。
その際にはなるほどっと思ったものですが、その後韓国の地下鉄事故などで頻繁にこの言葉が解説されるようになり、ある意味専門家の流行り言葉みたいになっていました。
そうした専門家の流行り言葉を素人が受け売りして敢えて流行りのキーワードを御嶽山に無理やり繋いで20万アクセス近くを稼ぐという穿った見方しかできなくなっています。
私がひねくれているのでしょうか?
アクセス数から見て影響力がたいへん大きいいうえ、Twitterを見ても肯定的な意見ばかりだったので敢えて苦言を呈したのですが、私の感覚がおかしいのか不安になってきました。
少し冷静になって考えてみたいです。
日記を興味深く拝読しました。ご提示の「NAVARまとめ」も一読しました。
で、私なりの意見を書かせて頂きます。
enoshimanさんは「本当にこのまとめ記事は被災者の心理的瑕疵を主張していないのでしょうか?」と書かれていますが、まず「瑕疵」という言葉が気になります。
「瑕疵」とは、とあることが常識的にあるべき状態ではなく「ミス」によって異常な(普通でない、常識的でない)状態になるということだと思います。
しかし「まとめ」の文章の中には
「私たちの心は、予期せぬ異常や危険に対してある程度、鈍感にできている。日常生活で何か変わったことが起きるたびに、いちいちビクビク反応していたら、心が疲弊してしまうからだ」
とありますね。
つまり「正常性バイアス」とは、その名の通り「正常な」心理的動きであるといっているんじゃないでしょうか。それは「瑕疵(ミス)」ではないですね。
ただ最後に
「正常バイアスを打ち破ったうえで落ち着いて判断し行動する人が最終的には生き残る」
「いざというときに正常性バイアスを打ち破り、「危険だ」と直感できるような訓練をしておくことが大切」
といっています。
「正常」つまり普通の人が普通に陥る心理を打破するには「訓練」が必要だということは「訓練を積んだ後の状態の方がむしろ異常(普通じゃない)」だとも言えます。
しかし度重なる大災害から身を守るには「普通じゃない」くらいな用意周到さや冷静さが必要だよ、と言っていると私は解釈しました。
いかがでしょうか。
pasocomさんコメントありがとうございます。
正常性バイアスという心理的現象があるという事実はその通りで、知らなければへえそうなんだあ、ってとても納得できることだと思います。
私自身初めてこの言葉に接した時はなるほど注意しなきゃって思いました。
正常性バイアスに関するそれぞれの記事は有識者が書いたものなので、読めば納得できるものです。
問題はこのまとめ自体、殆ど投稿者の言葉で語られていないところです。
「正常バイアスを打ち破ったうえで落ち着いて判断し行動する人が最終的には生き残る」
「いざというときに正常性バイアスを打ち破り、「危険だ」と直感できるような訓練をしておくことが大切」
この辺も東日本大震災などを例にとった記事の引用です。
この投稿者自身が意図的に操作しているのは、正常性バイアスという誰もがへえって思う言葉と御嶽山の被災者を結び付けているところだけなんです。
つまり実際に投稿者の言葉で語られているのはタイトル部分と検視医の言葉への補足だけになります。
出所のわからないYahooニュースの引用を例にとり写真を撮っていなければ助かったという方向へ無理矢理誘導しているのです。
それは写真を撮るという行為に被災者の瑕疵を見出そうと意図しているのではないでしょうか?
写真を撮らなければ生き残れたか?現実はそんな甘いものではなかったと思います。
もし正常性バイアスに対して注意喚起をしたいのであれば、わざわざ御嶽山を結びつける必要は本来無いはずなのです。
セウォル号や地下鉄の追突事故だけの引用で充分説明はつきます。
あえて御嶽山を関連付けることでセンセーショナルを演出し、アクセス数を稼ぐというところが実にあざといと感じられるのです。
特に多数派同調バイアスを持ち出している部分、今回の場合他人の行動に同調している暇はなかったはずなのです。
一方で写真を撮らなければ助かったかもしれないという医師の言葉を引用し、もう一方で多数派同調バイアスという写真撮影とは異なる心理を連結している部分に論理破たんがあると思いませんか?
多数派同調バイアスは周りが逃げないから大丈夫という心理かと思いますが、それどころではなかったはずです。
正常性バイアスという現象があるということを知っておくことは有意義なことだと思いますが、誰も主張していなかった御嶽山を結び付けてお金を稼ぐという行為そのものが不快に感じられるのです。
読者にそうは思わせない巧みなロジックがあるからこそ、この記事は悪質だと思いました。
核心部分の医師の引用文の出所は毎日新聞でした。
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20141010/Mainichi_20141010k0000m040138000c.html
この記事を読むと10人近くの検視医に対して4名の記者が聞き取りをした内容になっています。
ある医師は「たとえヘルメットをかぶっていても助からなかったと思う」と言い、ある医師は「足場の悪い山肌を必死で逃げようとしたと推測される」と言っています。
その中の一人が「写真を撮らず早く逃げていてくれれば」と残念がったということで、それぞれの医師の主観的な意見としてそれ自体は至極納得のできるものです。
主観的な意見ですから医師によって見解が異なっていることに注目してください。
ここだけ見れば必死に逃げていた様子が伺え、決して正常性バイアスがかかっている状態にあったとは解釈できません。
ただこの記事には問題があります。
複数の医師のコメントを複数の記者が取材してそれを1本の記事に集約しているので誤解を招きやすいのです。
「この医師が検視した犠牲者のほぼ半数が噴火の写真を撮影していた。携帯電話を手に持ったまま亡くなっていた人もいた。噴火4分後の27日午前11時56分に撮影した記録が残るカメラもあった。噴火直後は自分たちが巻き込まれるとは思っていなかった可能性がある。」と書かれています。
検視医は携帯電話を手に持ったまま亡くなったことはわかっても、犠牲者のほぼ半数が噴火の写真を撮影していたことや噴火4分後の記録が残っていたことは検視の範疇を超えていて本来知る由もないはずです。
あたかも医師が語ったように読めますが、医師は単に「写真を撮らず早く逃げていてくれれば」と残念がっただけだと思われます。
つまり半数が撮影していた情報や4分後の記録というのは記者が取材して後付した情報であると考えられます。
医師の落胆の言葉と、この部分だけ切り取られるとあたかも医師の見解として正常性バイアスが働いていたかのように読めるから不思議です。
逆を言えば殆どの医師は必至で逃げていたと証言しているわけです。
この記事がきっかけで実際に2ちゃんねるあたりには写真を撮っていて逃げ遅れたのはどうよ的な被災者にも瑕疵があったと解釈する人が現実問題として大勢いるわけです。
記事の書き方ひとつで批判的な意見が生まれるのがマスメディアの怖いところで、さらに個人が恣意的な情報を付加してネットに拡散するという悪循環が起きているのだと思います。
enoshimanさん、こんばんは。
naverまとめも拝見しての感じたところをお伝えいたします。
私はこのまとめの内容が被災者の心理的瑕疵を主張しているように感じましたが、そこに違和感を覚えました。
被災者の方の中に今回のような噴火の現場に遭遇された経験を持つ方は誰一人といらっしゃらなかった筈です。突然吹き上がった噴煙を目の当たりにして、それが火山の噴火なのだと認知できても、経験がない場面での正しい状況判断がすぐにできるのか疑問です。
噴煙が上がっただけでは、その直後自分の身に迫る危険(噴石、熱)を予測できたとしても、避難にどの程度の緊急性を要するのかまでは判断が難しいのではないでしょうか。
その点で、今回の被害は我々登山者全員の認識不足を露呈してしまったようにも感じますが、心理的瑕疵(欠点)とは少し違うのではないかと思います。
医師の方たちのご意見はもっともで、写真を撮る暇があればとか、もう少し早く逃げていれば・・・と言うのもうなずけるのですが、正常性バイアスとは正しい状況認識があっての心理的働きであって、セオール号や地下鉄での事故と今回の噴火とは違うのではないでしょうか。
neverまとめを書いた方の意図は判りませんが、このまとめ記事を読んだ一般の方に誤解が広がるような気がしてなりません。
ないとばあどさんこんばんは。
自分も噴火はおろか大崩落とか目の前の雪崩に直面したことはないので、本当にそれが発生した時にどう対処して良いかわからないと思います。
身近に起き得る雪崩の場合、勿論ビーコントレーニングしたり穴掘りしたりはしていますが、自分だけが生き残れば良いのではなく、仮に生き埋めになってしまった人がいた場合に迅速に救助に向かえるのか、その場面に遭遇してネガティブな気持ちに打ち勝つことができるのかシミュレーションしても正直どうなるかわからないというのが本音です。
訓練してもそんな状況ですから、今回の場合おっしゃるように戸惑いに近いものなのでしょうね。
いずれにしても正常性バイアスとはちょっと違うと思うんです。
このまとめに限らず写真をとっていたことへの批判的意見は、前に挙げた毎日の記事が発端で結構あるようですね。
新聞社の記事は普通は信じてしまうものですが、朝日新聞の件でもわかるように実際は誤報も多いし記者の主観も相当に入っていることは忘れてはいけないと思います。
まとめについては正常性バイアスがあることを啓蒙することに別に反対するわけではなくて、御嶽山と結びつけていることが恣意的に感じられてとても嫌な気分になるんです。
考えさせられますね〜
記事の中の
>医師の「写真を撮らず早く逃げていてくれれば」と残念がる
が、■噴火の様子を撮影して亡くなった人も多数いた
になるんですかね・・?
噴火の様子を撮影されてた方でも助かった方はいたし、撮影してなくても助からなかった方もいたわけで・・
>撮影してる暇があるなら逃げればいいのに…と思うかもしれないが、当事者にしか分からない心理になっている
と書いているのに正常性バイアスとしてるのはやはりおかしい。。
八丁ダルミにいた方は逃げ場がなく、それでも必死で逃げたんだと思います。
[撮影してる暇]という言葉に瑕疵・悪意というより、作者の無責任さを感じます。
後々に、撮影してたから多くの人が亡くなったんだって・・なんて言い継がれることにもなりかねないですよね。
そして最後の
>日頃から災害時にはどう対応すべきかを考え、異常が発生した場合には楽観視せず、冷静に行動することが大切
とか訓練が必要とか・・・
もっともなことです。ま引用ですからね。
災害から学ぶことの意味を伝えるのに、御獄の正常性バイアスの話はどうなのかな〜と思うのでした。
私もITに携わってた頃はネットの記事は色々読んでましたが、今では全く見なくなりました。TVも殆ど見ないし・・
情報についてけなくなってきてますが、こういった憤慨させられる情報にも気づけない現状。。ま、知らぬが仏ってこともありますね。
で、小遣い稼ぎって アフィリエイト的なしくみになってるんですか? あ、バナー広告?
以前、私のおバカな話なんですが
息子がまだ1歳ぐらいの時に、海に遊びに行って、砂浜に敷いたレジャーシートで息子がお昼寝してしまったんです。そしてだんだんと潮が満ちてきて・・ギリギリのところで波が引いてセーフ〜 なんて思ってたら、次の波でざっばーんと呑まれてしまいました。
息子も私もびっしょびしょ
シートの上に置いておいたミルクやら荷物は引き潮に持ってかれ、おばあちゃんが必死で取りにいったということがありました。
正常性バイアスの意味を知って、この事を思いだしました。 正常に保とうとするんじゃなく、単に危機意識がなかっただけ??
最近Facebookで感動的な話しのシェアが回ってきてもシェアするなってのが、僕らの常識になってきていますよね。
まだまだ一般の方にはその辺が何故いけないのかわからないのだと思います。
感動的な話しで釣って広告料を稼いだり、拡散させるだけさせて記事を入れ替えたりという詐欺的商法が当たり前のように蔓延していることをIT業界にでもいないとなかなか認知できないのだと思います。
こうしたものってアクセス数を稼ぐためには手段を選びませんから、実話を謳って実は作り話しだったり、物凄くためになりそうなコンテンツで実は落とし穴があったりして、一般の人達は良かれと思ってシェアするとそうした商法の片棒を知らず知らず担いでいるということになります。
こういうのってなかなか気付かないんですね。
まあ巧みなコンテンツ構成力はある意味見習うべきところはあるのですが。
そこのところの認識が有るか無いかで、為になるからいいじゃん、感動するからいいじゃんという人と、いやこれは裏で儲けているやつがいるから避けた方が良いと思う人と真っ二つに評価が分かれてしまうんですね。
そこには価値観の違いに近いものが生じてしまうので、これは良くないコンテンツだなんて言うと、エッあんた何言うてん?ってなっちゃう一面も正直あるんだと思います。
特にまとめサイトってどうも気にくわないです。
2ちゃんねるのまとめサイトですら問題になっているのに、まとめで人のフンドシ堂々とかりまくってそれにインセンティブつけるようなサイトははっきり言って害悪だと思います。
実際ふんどし借りまくったら病気がうつりますぜ。(あ〜お下品・・失礼しました。)
ところで息子さんがどんぶらこって流れて行かないで良かったですね
むーん
まとめ記事。。。
どこどこ山の登山情報まとめ!
とかあったら見てもいいかなー
それならイイネする
そーゆーのだったらいいんですけどね。
例えばテックビンディングのまとめとか、山スキールートのまとめとか。
マニアックすぎて見る人めっちゃ少なそう。
正常性バイアスと御嶽山の件を結び付けていることには違和感を覚えます。御嶽山の事故と切り離した時に正常性バイアスという話自体の言いたいことはわかりますが・・。
セウォル号に乗船していた人たちと御嶽山に登っていた人たちのその場所に行く気構えはまったく違いますね。
船に乗る人たちは、単なる移動手段か、観光客といったところで、船に乗ることに対するリスクなどほとんど考えていないだろうし、大きな自然界の中に身を委ねている感覚はなく、人間が支配する便利な構造社会の中で不足の事態が起きても何等か対処できるであろうと思うのが自然ですよね。
一方登山する人たちは、リスクマネージメントに差があるものの山に登る以上は考えうるリスクを想定して山に登っているはずです。山に登っていれば特に天候は想定外になる事は普通にある事ですし、登るほど自然の大きさ、人間の小ささを感じ、大きな自然の中に抱かれている感覚を覚えるかと思います。
ただ、おっしゃる通り、そうは言っても自分が噴火の遭遇する事を想定することは無理だったと思いますし適切な判断、対処も難しかったでしょう。
瑕疵とかそういう次元の問題ではないと感じます。
論点が合っているはわかりませんが、感じたところ以上です
kuutarouさんコメントありがとうございます。
私の書き込みが回りくどかったこともあって、被災者に瑕疵があったか否かに焦点があたってしまいましたが、今回の御嶽山の被災者の方々の行動パターンは正常性バイアスとは明らかに無関係だと思います。
正常性バイアスそのものは我々のなかにも潜在的に存在していることは至極納得できる話なのですが、それと御嶽山を結び付けていることでアクセス数を稼ぎ利益を上げている者がいるということを知ってほしかったのです。
被災者に瑕疵があったかなかったかはとりあえず置いておいて、ネットにおける記事は信じて良いものと悪いものの見分けが付き辛いということを認識して欲しかったのです。
Facebookでシェアされる感動的な話しとか、為になる話とかは皆良かれと思ってシェアしているわけですが、実は創作話だったり釣りだったりするケースが多く、知らず知らずのうちに善意が詐欺の片棒担ぎになっていることがあります。
まだアクセス数稼ぎのうちは良いのですが、多くのシェアが集まった段階で、突然記事を怪しいECサイトに差し替えたりといったことが公然と行われています。
シェアしている本人は良いことを共有したという満足感があるので余計始末が悪いのです。
このことを指摘すると何が悪いんだってことで険悪な雰囲気になってしまうこともあります。
あとはマスメディアの報道も100%信じると現実を見誤ることがあることは常に意識しておかねばならないことだと思います。
なかなかひねくれた論調になってしまうのですが、無条件に信じて扇動されることもまた問題だと思うのです。
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