梅雨開けたのに、空は全く安定しない。集中豪雨的な雨が降る状況、少し変だ。出歩けない、山にも行けない。
そんな一日、頭の中で、タ「強豪校・伝統校は、なぜ伝統が継続するのか?」的なことを考えて、頭の中で、いろいろ、考えを回してみました。別に、甲子園の伝統校を意識しなくてもよいのですが、簡単な例として言えるので、まずは、甲子園常連校を意識してみます。
まず、最初の前提は「高校はたった3年」という事実です。3年間で、中学上がりの学生が、常連校に放り込まれて、強くなるのは、不思議に思いませんか?一体、なにが、彼らを強くしているのか?
1)指導教員なのか? ・・・ 転勤あるでしょうに。逆に、名物先生を連れてくると強くなる場合もありますね。
2)高校が所有する練習施設なのか? ・・・ 強いところが、必ずしも設備がいいわけではありません。
3)練習方法なのか? ・・・ 高校の場合は、高校生自体が、練習方法を組み立てることをあまりしないと思うので、指導教員と同じ考えで整理できるかも。
4)もともと、力のある学生だから? ・・・ これが大きいかな? しかし、高校でポシャる場合も多々あるので、解ではない気がします。
5)学生を仕向けるような賞罰? ・・・ 金とか名声とか女? 野球で輝くと、色々「おまけ」がついてくるとは思いますが、どうかな?違う気がする。高校生はもう少しだけ純粋な気もするし。
6)能力があるもの同士の互いの刺激 ・・・ これはあるかな?
7)過去の伝統 ・・・ ここで頑張れば、先輩たちは甲子園に行った、我々にも行けないはずがないという、「あまり根拠のない」思い込み。過去の先輩たちのやり方や生き方に、そうありたいと思う気持ちみたいなもの。一種の尊敬なのか、盗んでやろうとする克己心みたいなものかもしれない。
まず、初期能力がある程度あるのが前提ではありますが、
人間って、7)の根拠のない思い込みが、何かをするのに、突き動かす本体のような感じが思います。
多くの人はたぶん間違っていますし、うちのバカ息子も屁理屈をよく言うようになりましたが、やる気が出ないから、やらないという言い訳は、全くの間違いで、
何かをやるから、「やる気」がでるのが事実。「やる気」が出ると、さらに、発展的、応用的に、広く深く進めようとする。
やると(=この場合、野球を練習)、やる気が出て、また、やる。なぜ、やることができるかは、当初は、「根拠のない」思い込みがあるから。それをさせてしまうのが、伝統校に入った自信ではないかなと思います。
大阪桐蔭、愛工大名電、智弁、星稜などの高校が、常に強いとか、プロ選手を量産するとか、
開成、灘、ラサールが常に、東大入試合格者ランクを占めるとか、
オックスフォード、ケンブリッジ、UCバークレイ、マサチューセッツ工科大等がノーベル賞に値する成果を量産するとかも(研究費の集まり方は別にして)、
同じことかもしれないです。
過去の「目に見えない何か」を感じて、自分もやらねばという気持ちにさせて、何を「する」「やる」ことが、伝統から「もらう」かもしれないです。
言いたいことは伝わったか心配です。こういうのは文章にはなかなか、表現できないので。
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