昔は金剛山へ登るのにこの千早口駅から千早古道経由千早城址を通り金剛山に向かったのかなあと思っています。
H21.2.14に初めて千早古道を歩いた時、千早小学校の案内板があちこちにあり感慨深く思いました。設置されたのはH19.12ですか1年ちょっと経った頃です。千早小学校もこの古道を守ろうとしていたのでしょうか。
私がこの道を毎年1回程歩いてますが、ほとんど足跡が見当たりません。
去年、太井からの新たな取り付きを見つけて中津原からの千早古道に登る尾根を登ると簡単に行けるのが分かりました。
今まで民家の間と猪除けの柵を通るのが憚れてあまり宣伝しませんでしたが、この道なら行けそうですので歩いて貰いたいと思います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1358258.html
千早口駅から千早古道経由金剛山登山口まで
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1749540.html
太井から千早古道経由金剛山山頂へ
知ってる方(58歳)が、
「小学校に上がった頃、家族で南海のどっかの駅からすごい長い時間歩いて金剛山に行ったことがある。あれはどこの駅やったんやろ」
て話してました。
なんでも、お父様が南海電鉄に勤務されてたから、南海電車に乗る分にはご家族全員無料。それで他の乗り物は使わず、金剛山へ行かれたと。
お聞きしたときは、天見や紀見峠から歩かれたんじゃ?と思ったのですが、「いや、そんな名前の駅じゃない」って。千早口?と聞いたら「そんな気がする」って。
ひょっとして千早古道だったのかな、と思いました。
きっと千早小学校では『私たちの村の歴史』とかの授業で、実際にみんなで歩いたり案内板をつけてたのでしょうね。
千早小学校がなくなって、その古道も忘れられていくというのはとてもさびしいです。
私もまた機会を作って歩きたいとおもいます。
papi-leo さん
その方の歩いたのは案外そうかも知れないですね。
千早古道というの地図で見て気になり行き初めました。
そして千早小学校の道標でしょう。これはますます気になって。
でも中津原経由なら大分遠回りになるので、中津原分岐の尾根をドンドン下って
下の谷川に突き当り(この上の道は金剛山へのバス道)谷が深く渡れない。
結局、途中から太井集落に下り、民家の間、猪除けの柵を乗り越えてバス道にでました。これはあまりお勧めできない。
去年別なルートを見つけてやっと紹介できるようになりました。
千早小学校の看板は平成19年ですから当時6年生は12歳として今は23,24歳で社会人になっているでしょうか。
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