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阿弥陀山山域
阿弥陀山(837m)は、湯来の大森神社側から見ると編み笠のような美しい形をしているが、本峰には深い谷はなく、西に延びる稜線上の阿弥陀山西峰(907m)周辺に谷が発達している。全山ほぼ植林の山で、太田川林業地基幹線林道(伏谷工区)が、南面の八幡原から本峰の中腹を東から巻いて、西稜線沿いに大峯山方面に延びている。登山道は大森から本峰までは明瞭だが、西峰から日入谷方面は笹に覆われ、訪れる人も少ない。南面は麓に砂谷牧場があるように傾斜が緩く、唯一興味を引く八幡川源流の足谷川も、中流に一ヵ所、谷が狭まったところがあるのみで遡行対象とならない。これに対して、北面の水内川には、西から弥平谷、豆栃谷、中倉谷、黒谷と比較的深い支川がある。これらの谷奥には、その昔は集落があり棚田もあったが、概ね昭和40年頃までには離村し、今は石垣が残る。その跡には杉が植林され、谷は暗く倒木で荒れている。弥平谷は、平家の落人が開いたとされる谷だが、白井集落のあった支川には、集落下に落差50mの大滝があって驚かされる。豆栃谷は、集落跡付近は倒木ジャングルとなっているが、谷の狭まる上流部には大滝を含む滝が連続し、枝谷を山上に詰めると、大蛇伝説の残る池の草の蛇の池に出る。中倉谷は遡行対象とならないが、その東側の明市谷は、下部は開けたゴーロの谷だが、中流以後、傾斜を上げていくと滝が連続し、両門の滝が出会う迫力ある二俣を過ぎると、上流部は、この山域には珍しい穏やかな自然林の源頭になる。豆栃谷と明市谷は、阿弥陀山西峰から日入谷への道を下山道として使える。黒谷川は上流部に今も家が残る黒谷集落があって、谷沿いには、かっては生活道もあり、現在も何とか辿れる。この谷は、昭和37年の広島山稜会の会報「峠」に、中流部に3m、15m(黒谷のイオキリ滝)、4mの滝がある以外は傾斜の緩い谷という記録がある。実際に訪ねると、中流部に高いゴルジュがあり、黒々とした岩を割って8m程の曲り滝が落ちていた。
笹ヶ丸山山域
笹ヶ丸山(648m)周辺には、かっては安佐町久地と湯来を結ぶ幾つもの峠道があったが、高山、丹原の集落の離村とともに、現在は高山集落跡から鉾ノ峠を経由して山頂に至る登山道以外は、通る人はほとんどない不遇な山域である。主峰の標高は低いが、その山域は久地と湯来にまたがって集水域も広く、その殆どが笹ヶ丸山、島木山及びククリキ谷山国有林を含む植林地である。笹ヶ丸山の南面には、高山と丹原集落跡を源流とする高山川があり、下流部は宇賀峡として、かっては賑わったようだ。高山川の本流は、宇賀峡の猿淵と唐音(からおと)の滝の周辺のゴルジュが素晴らしく、丹原集落下にも、権現滝とよばれる滝があるが、林道がすぐ横を走っているので、遡行の興趣には欠けてしまう。いくつかある枝谷では、左岸の二段滝の谷が面白く、また悪谷は悪絶のゴルジュが続く。東面には、瀬谷があり、加藤武三「緑の回廊 広島近郊の山と谷」によれば、昔は本峰と東峰(663m)の間の鞍部、水越を経由する笹ヶ丸山への登山道があった。下流部の林道歩きが長いが本流(左俣)の大滝は美しい。北面では、鉾ノ峠に発し、湯来の津伏に流下する椿谷は、源流の広い森の水をあつめた流れが、花崗岩を穿った困難なゴルジュの中に、いくつもの大滝をかけている。こんなところに、こんな美渓がと、思うような谷である。西面では、ドン畑峠、中源峠、鉾ノ峠と続く水内川右岸尾根へ幾つかの谷が延びているが、谷沿いに林道のない矢流の岩ヶ谷が、小渓流ながら、中流部に深いゴルジュを有して面白い。これらの谷の下山道としては、笹ヶ丸山の登山道のほか、かっての峠道や、国有林の管理道が使える。
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