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日記

カテゴリー「徒然」の日記リスト 全体に公開

2024年 02月 27日 12:48徒然

予想外

角幡唯介氏の「新・冒険論」を読んだ。その中に、ネット社会の普及でアルピニズムの世界でも、結果のわかっている有名ルートに登山者が集中しているということが書かれていた。結果が予想でき、ハズレがない山行は効率的だが観光旅行と変わらないのではないかとも。成瀬陽一氏の「俺は沢ヤだ」にも同様のことが書いてあった
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2023年 09月 03日 23:30徒然

「福島の汚染水は非常に危険」をクリックしないでください!

ヤマレコの山行記録や日記のページに「福島の汚染水は非常に危険」や似た類の広告ニュースが挟まれますが、クリックすると、フィッシング詐欺のページに飛んでマイクロソフトエッジが、制御不能になりパニックになりますので、クリックしないでください。これも中国からのサイバー攻撃?ヤマレコさんも削除をお願いします。
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2023年 04月 07日 22:51徒然

広島市西部の谷(湯来冠山山域)

湯来冠山は1000mを超える高さを持ち、西中国山地の一部となっているが、地味な山である。山域の多くがうす暗い杉・ヒノキの植林帯で、ブナなどの明るい自然林は冠山頂北側に少し残るのみである。昔は谷奥にまで集落があったが、現在は失われている。冠山を巡る谷としては、南側に、日入谷(ひのいたに)集落からの登山
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2023年 03月 24日 16:37徒然

広島市西部の谷(概要図)

広島市西部の谷の概要図を示す。ここで、広島市西部とは、佐伯区、湯来町及び安佐南区と安佐北区の一部を指している。概要図で見ると、北側から加計断層(筒賀川)、湯の山断層(水内川)、鷹巣山断層(吉山川)、八幡川断層(八幡川)の四つの断層にそって山脈と川があることが良くわかる。湯の山断層では、天上山や湯来冠
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2023年 03月 23日 15:52徒然

広島市西部の谷(岩渕山山域)

岩渕山(733m)は、天上山の前衛峰であり、石ヶ谷峡からの登山道は岩登りの難ルートである。南面の湯の山温泉がある湯の山渓谷は、奇岩の絶壁の景勝で知られ、古くは広島藩のお抱え絵師であった岡岷山(おか びんざん)の「都志見往来日記・同諸勝図」にも書かれており、現在は動植物相も含め県自然環境保全地域に指定
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2023年 03月 23日 14:30徒然

広島市西部の谷(天上山山域)

天上山(973m)は、広島市佐伯区湯来と安芸大田町筒賀の境に位置する奥深い山で、麓からは頂上を見ることができないが、秀麗な姿を持ち深い谷も多い。概ね北側は杉の植林であり、南側はミズナラ・アカマツや伐跡林となっており、山腹を天上山林道が巻いている。天上山をめぐる谷としては、南の水内川の各支流、東の念仏
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2023年 03月 19日 23:30徒然

広島市西部の谷(東郷山山域)

東郷山(977m)の頂上北側には四本杉やブナなどの巨木の森が残る大きな山である。南側は古い笹ノ東郷山の名前の通り、笹藪が酷い。東郷山の渓谷は大きく4つあるが、東側を除いて、林道と登山道がアプローチと下山路に使える。南側の伏谷川では、芸備諸村瀑布図に描かれた白井の滝が有名であるが、本流以外は沢登りの対
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2023年 03月 19日 10:25徒然

広島市西部の谷(極楽寺山山域)

極楽寺山(693m)は頂上に真言宗の古刹極楽寺があり、古くより周辺の各村からの参拝道がある。広島市の五日市と廿日市市の境に北から南に延びるかなりの大きさの山で、西面の蛇の池側は公園として整備され、後畑からは車道も通じている。山頂付近はモミの原生林が残るが、山麓の多くは杉の植林地であり、概ね谷は暗い。
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2023年 03月 19日 09:15徒然

広島市西部の谷(向山山域)

西風新都のすぐ西に位置する向山(666m)は、石内地区では高山と呼ばれ、ピラミダルな山容が特徴である。頂上付近には大原の展望や固目ヶ岳などの岩場があり、西尾根は仏峠を経由し窓ヶ山へとつながっている。また、源氏大休みの壇などの言い伝えも残されている。その山容から谷の発達は少なく、比較的大きな谷は、東側
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2023年 03月 19日 00:32徒然

広島市西部の谷(窓ヶ山山域)

窓ヶ山(712m)は西峰、東峰の岩山からなり、中央鞍部が切れ込んだキレットとなっている。その雄姿は電車が八幡川橋梁を通ると遠く望まれ、登行意欲を掻き立てる。頂上付近の花崗岩の岩場は、岩登りのゲレンデとして知られているが、谷としては、キレットに突き上げる堂ケ原川の水晶谷が、魚切からの東峰登山道から大滝
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2023年 03月 18日 00:08徒然

広島市西部の谷(序)

広島市西部の山々は、標高は1000mに満たない山がほとんどである。西中国山地の東のへりに位置するが、山のスケールは大きくなく、手軽に楽しめるため多くの人を迎えている。だが、その谷となるとどうであろうか?人気のハイキングコースのすぐ脇にありながら、西中国山地の陰に隠れて沢登りの対象ともならず、訪れる人
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2022年 12月 31日 15:59徒然

里山の異空間2

里山は、人が入らなくなると不気味になる。旧道ぞいは新築の家も立っているが、左手は陽のあたらない崖だ。使われなくなった貯水池への階段は封鎖され苔むしている。この扉は何を閉ざしているのか。昔は、この上で、五右衛門風呂の焚き付け用のコクマ(松の落ち葉)を集める道を登って、ツツジの花見をしたものだったが。階
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2022年 08月 31日 21:12徒然

沢登りの堕落?

30年ほど前、ゴルジュを攻める方法として水泳が積極的に導入され、また未知を求める沢登りの行き詰まりを打破するため川の中流部を見直せ、という動きもあった。それらが、昨今のキャニオニングやシャワークライムといった、淵への飛込みや、滝の滑り降りといったムーブメントと結びついていったのだろうか?何か違和感を
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2022年 06月 10日 23:46徒然

中島みゆき 石よ樹よ水よ

石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ 僕と生きてくれ (「命の別名」より) たまたま、この歌を聴く機会があった。石に樹に水に囲まれ、谷にひとりいる時、自分は何を思うだろう。無明の生、救いの自然、なにか共振する歌だ。
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2022年 04月 10日 10:31徒然

広島をめぐる山とダニ

先日、下山後に靴下を替えていたら、好ましくないヤツがくっついていた。大きさ5mmほど、調べたら、タカサゴキララマダニに似ている。漢字では、高砂綺羅々真蜱。どこがキララなのか、すごい名前をお持ちである。イノシシやツキノワグマと関連が深いらしい。藪漕ぎや獣道を行くことが多いので、なるべく出
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2022年 01月 03日 21:24徒然

里山の異空間

里山は手入れされなくなると、人の痕跡があるぶん薄気味が悪くなる。先日、正月の松を取りに、子供のころ良く遊んだ裏山に入ったのだが、(小松は日当たりの良い場所に生える)、まったく記憶にない景色に少し怖くなった。山道を少しだけ上がったところに墓があり、その奥が竹林になっているのだが、そこは薄暗く円形劇場の
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2021年 12月 10日 10:29徒然

内なる未知の山

先日久しぶりに大内尚樹の本「山へ 原始の香り求めて」を読んだ。この本自体が20年前の本なのだが、その頃でさえ、日本に秘境の山を求めることは、一種自虐的な道化的行為であったことが綴られる。山へ向かうことが自己否定の衝動であることや、その結果の離婚による家庭崩壊の苦しさなどが、秘境の山旅の間につづられて
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2021年 10月 25日 21:15徒然

現実逃避か自己回復か

社会や家庭の中では、一定の決まり事と役割を逃れられず、何事も自分の思った通りではない。仏様のように悟ることができない自分は、押しつぶされないように山へ逃げる。良く言えば、自己回復に出かける。山での行動は自分の自由であり、結果は自己の責任である。自分の描いた一本の美しいラインで山を登りたい。それが、た
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2021年 09月 20日 21:27徒然

登山とスポーツ

昔、勤労者山岳会(労山)で活動していたころ、労山の目的はスポーツとしての登山を勤労者の権利として目指すことであった。そのための第一は会員の拡大であって、自分の登山のほかに県連の活動等の雑用に追われた。それは、さておき、登山はスポーツであろうか?自分も尊敬する県連の先輩を山で亡くしているが、スポーツな
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2021年 08月 31日 21:12徒然

陽のあたらない所

マイナーな地名を検索していて、「広島 陽のあたらない所」という自転車紀(奇)行のブログを見つけた。作者の中国痴呆建設局さんは、もうお亡くなりになられているのだが、知られていない、あるいは、知ろうとしない場所についての、作者の目のつけどころと、ちょっと屈折した感じが気に入っている。自分も最近、1/2.
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2021年 08月 22日 14:26徒然

谷間の星

人生の先が見えてきて、これから親の介護なども降りかかり、さて残りをどうすると迷うとき、これまでの人生で趣味、仕事、家庭のどれもが中途半端だったと思ってしまう。輝かしい山行や仕事の履歴もなく、かといって、よき家庭人にもなれなかった。そんなとき、支えてくれるのは昔し新聞で読んだ作家の立松和平氏の人生相談
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2021年 07月 22日 13:33徒然

沢を登る心

沢登りでは、谷を曲がる毎に予想しない情景があらわれて、緊張する滝登りやひたひたと歩くナメなど、動と静が交互に繰り返される。それにつれ、心も外に向かい、内に向かい、いつしか無になっていく。樹々の間を流れていく水の存在も大きい。すべての命の源である水と常にあること。タルコフスキーの映画のあふれる水の描写
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