真山城(新山城)は尼子氏の重臣で、宍道湖中海の水運を担う松田氏の居城の白鹿城の後背地に位置し白鹿城より高いため、戦略的に重要な砦であったと思われます。
永禄6年(1563)の毛利氏による白鹿城攻城戦では、吉川元春がここを占領、拠点とし白鹿城攻略に当たりますが、白鹿城の抵抗の前に戦線が膠着し、その間に熊野城攻略(熊野鉄砲揃の戦い)を企てるも、こちらも膠着の上、白鹿城攻略に戦略を一本化のためやむなく熊野城包囲を中止撤退。毛利方は石見銀山の炭鉱職人を派遣し、白鹿城の井戸の破壊を企てるなど白鹿城攻略に苦戦しましたが、尼子倫久を主力とする月山富田城からの援軍との主力同士の激戦を制し、白鹿城の兵站を断ち孤立化に成功。白鹿城の降伏開城につながりました。
その後も毛利氏の城でしたが、尼子氏滅亡後の尼子勝久、山中鹿之助による尼子再興戦では、永禄12年(1569)再興軍が見事この城を攻略。この城から月山富田城奪還をうかいましたが、大望叶わず毛利氏に敗れました。そのため、この山には尼子勝久の碑が建てられています。
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