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小さな校舎の前には、樹齢うん十年の桜が佇み、太く伸びた枝を何本もの針葉樹に支えられていた。脇には、苔むした二宮金次郎の像が。その像の視線を辿ると、正門へとつづく石段の坂道があった。50メートルほどあるであろうか、門柱へと進んでいくと、足元は補修もされずところどころ朽ち果ててうねってはいるが、トレッキングシューズのおかげで足首をひねることもなく安全に歩くことができた。
「さて、なんと書いてあるかな」と学校名を確認するが、銘板の最下部に、学校の「校」しか残っていなかった。それも無理に剝がしたような痕跡が見て取れた。なぜだろう。
しばし、その門柱から校舎を見通し仰ぎ見ると、当時の童たちの歓声が聞こえそうだった。いや聞こえている。ツクツクボウシのセミの声が。
校舎の前のしだれ桜の葉は、春に向けて紅葉しかけており、来春には立派な花をつけることだろう。ここでふと、自身の残る人生と重ね合わせ、「経年劣化、経年進化、経年・・、」という言葉が、頭をよぎる。
そこから、朝霧が沸く芝石峠へ移動。この場所は、過去の私の日記でも少し触れているが、山ヒルの聖地?だ。例によって足元からひざ下にかけて濡れるほど、シーブリーズをふりかけ、峠道を歩く。峠の最高地点では、植林された杉林が一抱えでは足りないほど太く成長し、神殿のような景色に感動を覚えた。ちょうど朝日の角度もちょうどよく、朝霧は期待できなかったが、光芒ならぬ、光の拡散を収めることができた。これは枝についた朝露が朝陽に輝き、樹々の周辺に多くの光の点がつくものである。
しばらく撮影し、何気なく足元を見回すと、シューズやズボンの袖などに、大小の山ヒルが取りついていた。
今一度シーブリーズをふりかけながら、念のためシューズを脱ぐと、いたいた。インソールにも数匹の。それも特大な奴らが。幸いなことに吸血はなかったが、こうしてしばらく格闘したのだった。
ヒルはがしが一段落したので、再び撮影をしながら再び廃校前と帰ってきた。
そうだ、忘れていた。ヒルの襲来が自分の思考を遮っていた。「経年・・」を・・。
今の気分は、「経年謳歌」だ。
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