この日の朝は悲惨だった。
切符を握りホテルから駅までを10分強で走ったが改札を通る直前で電車は発車。
雪が降る中走ったので全身汗ダラダラ。
普段まったく運動しないし、昨日歩き回って筋肉痛で足はガタガタ。
キンキンの朝の空気に喉はヒューヒューガラガラ。
鼻水なんて垂らしたままだ。
風邪を引く予感しかない。
何が起きたのかというと、起きなかったのだ。
そう。寝坊した。
ホテルの朝食会場は6時半からオープン。その前に起きて荷造りしなくてはいけないので、1時間前に起きるつもりだったのだ。
スマホのアラームをかけ忘れて、尚且つ備え付けの目覚まし時計も不発。ふと起きてスマホの時刻を見て目が覚めた。その6時半を過ぎてる。南無三。
急いで荷造りし、美味しい匂い漂うホテルを朝食も取らずに飛び出した。この時点で電車の発車時刻まで10分強。
私は走った。メロスのようには走れないが本当に頑張った。
雪が降るなんて聞いてない!今日は晴れの予報だったじゃないか!溶けきらずに残った凍る雪に足を取られる。早々に息が上がる。
立ち止まってはいけないと歩きながら幹線道路沿いを歩く。気持ち的には全力疾走してるが足が動かない。
車通りは多いのに人っこひとりいない幹線道路の広い歩道。
各店舗の駐車場は広くて、何故か置き去りにされている車。
暗い雪空と黒い路面。
ああ、これを何度も見た。地元青森と同じ光景だ。車では大したことない距離が歩きとなるとなかなか遠く、日陰や防風になるような建物もないため夏は暑く冬は寒い。あちらに残して来た母と飼い猫を思う。
田舎の幹線道路なんてどこも同じものだろうに。ついつい現実逃避してしまうが、無常にもそれはやって来る。
どこからかカンカンと鳴り響く踏切の音。
時計を見る。発車まであと3分。
切符を握りしめて再び走った。
まあ前述の通り間に合わなかったのだが。
文字通り這う這うの体で駅に辿り着いたが走り去る電車を見送ることとなった。
タクシーを呼ぶか、切符を買い直すか。
改札機のない改札を戻り、スマホ片手にウロウロ。
ベンチはあったが一度でも座ってしまったら立ち上がれないのは目に見えていた。
隣駅から特急電車に乗れば、予定していた身延行きの電車に乗れるらしい。
垂らしたままだった鼻をかみ、悪者を追い出す。幸い甲府駅までの特急の切符を買うことが出来た。
まあいいだろう背に腹はかえられぬ。旅にハプニングはつきもの。
全身汗でダラダラ。ウインタースポーツ用の肌着が功を奏したのか汗冷えは免れたが結果論だ。喉が渇いて凍える空気にヒューヒューコホコホ。まるで風邪を引いているようだ。
これはいかんとホテルで荷造りしている間に作った白湯を飲む。白湯ではなかった。熱湯だった。
一難去ってまた一難。昨日の飲み残した水がなければ口の中を火傷していたことだろう。
東京行きの特急電車に乗り換えると意外と広い車内。その名も特急あずさ号。
座席上のランプは空き状況を示しているらしい。車内販売と機能的なトイレ。まるで新幹線みたいだと思ったが、山梨を経由して長野へいたる中央線には新幹線がない。まさに新幹線の代わり。世間知らずが顔に出ているが新幹線と違い大きな車窓はとても魅力的だった。
トンネルを抜けると景色は一変する。
暗かった雪空は晴れ渡り光り輝く。八ヶ岳連峰と反対側にはアルプスの峰々。
ああなんて素晴らしい光景か。座席は快適でそれらをじっくり見ることが出来るなんて。寝坊してよかったかもしれない。
うん。引越しするなら長野か、100歩譲って山梨にしよう。
すっかり窓に張り付いていたが甲府駅に到着。
しかしここに来てまた一難。
まったく気づいてなかったが、乗る予定の電車の発車時刻まで1時間以上ある。特急に乗らなかったとしてもやはり1時間の待ち時間になる。
しかしピンチはチャンスだ。武田神社へ行こう。
光城山を登ったら、帰り際にでも寄ろうと思っていたが今。行って戻って来るだけの時間はある。今日の予定になかったが武田神社を参拝して来よう。片道30分だが、早歩きすればワンチャンお土産を買う時間さえある。
この時に初めて知ったが乗車券さえあれば、途中下車しても追加料金はかからないらしい。
身延駅にはSuicaなどの自動改札機がないためわざわざ購入した切符。これは幸運のお守りなのかもしれない。
そういえば昨日の田沢駅も改札機はなく、車内の運賃箱に切符を入れていた。
何はともあれ善は急ぐべき。
再びコインロッカーにザックを封印し、トートバッグを肩にかけ武田神社へ向かった。
素晴らしく行楽日和の晴天と匂い立つ梅の木。日陰に雪が少々あったが溶けるのも時間の問題だろう。ここはすっかり春だ。
緩い上り坂をウォーキングする時の呼吸でぐんぐん進む。
小春の陽気にインナーが合わないのでダウンを脱いだ。
何故だかこの時に喜びを感じる。ああ、日の光りを浴びるのがたまらなく嬉しいのだ。前世は植物だったのかもしれない。
馬鹿な事思いつつ神社へ到着。10時を回ったところだが案外人が少ない。すんなり参拝だけしてお土産を買う。今度こそ父の土産だ。あちこち見てまわりたいがまた今度。
行きは気づかなかったが武田神社からはアルプス山脈が見える。しかも駅からはほぼ一直線上に槍ヶ岳が見えるのだ。なんという幸運。めっちゃ感動した。やはり幸運の切符なのだろうか。
だが時間がない。また来ようと心に決め甲府駅へ向かう。(後でまた知ったがあれは槍ではなく甲斐駒ヶ岳だった。)
幸運の切符片手に静岡行き特急ふじかわ号に乗車。
片側に富士山の頭、反対側に南アルプス山脈。これもまた車窓からの景色がいい。だんだん雲が湧いてきて峰々の頂上に緩くかかる。輝く青空を背にそこだけ雲を着るのもまた風情がある。
昨日の日記書きつつ、気づけばあっという間に身延駅到着。ありがとう、幸運の切符。君とはここでお別れだ。
改札機がないのでわざわざ切符を回収する駅員に切符を渡し小さな駅舎を出る。
目的地が同じだろう他の客達とともに身延山行きのバスへ。なんとバスではSuicaが使えた。
バスに揺られ10数分。すぐに身延山バス停に到着した。バスを降りて中町通りを少し歩くとこれはまた立派な久遠寺三門の登場。
見上げるほどに大きく重厚感と迫力ある面構えに思わずたじろぐ。何がそうさせるというのか、なにやらプレッシャーを感じる。
門をくぐると大きな石を転がして削っただけのような石畳みの参道。いや違うのか。長い時間が経ち畳みの角が取れてしまい石へ戻っているのか。うっかりよろけたらそのまま転んでしまう。
参道を進むとあの有名な287段の菩提梯(ぼだいてい)が待ち構えていた。第一印象はスキージャンプの滑走路。あるいはダム湖の放水場所。
父を連れてこの階段は無理ゲー。
ふと目を逸らすと場違いなほどに鮮やかな赤い欄干がある。女坂の入り口だ。少し離れたところには男坂。パンフレットによると男坂には急な曲がりがいくつかあり、女坂は比較的緩い坂道だそうだ。
でもまあせっかくなので石階段を行く。1つあたりの段差が私の膝下くらいまである(50~60センチくらい?)ので手すりに捕まりながら登る。
えっちらおっちら。ヒーヒーハーハー。
途中振り返って階段下を覗いてみる。ひぇぇ。足を踏み外そうものなら落下して行きそうな傾斜だ。はっきり言って崖だ。
なんとか時間をかけて登りきるとすぐ右手にベンチが。これが欲しかったんだよ~とすぐに腰掛け一息つく。今朝火傷しかけた白湯もいい感じに飲める温度だ。
この階段。「梯(ハシゴ)」という字を書く通り崖に作られたんじゃないかと思う。てっぺんから下を覗いてもやはり崖だ。ここを登りきると悟りを開けるらしいが、今の私は疲れ切って放心するのみ。
息が整えば余裕も出る。目の前には近年になってから復元したという五重塔。そして階段の正面には本堂。こんなに大きな本堂は初めてみた。一度に1,500人収容できるらしい。避難所にはもってこいだ。
近づいてよく見てもやはりでかい。カメラに全体を収めるのも中々大変だ。三門といい階段といい本堂から続くお堂もやたらでかい。そのうえ境内そのものが広い。
木を切り、根っこや岩をどかし、山を削って平らにならしたんだ。相当な時間と労力だっただろう。そしてどれだけのお金がかかったのか。思わず邪推してしまう。
本堂の中は無料で見学できるようなので入ってみた。天井には大きな黒龍。日本では珍しい五指の龍で玉を持っていないが怒っている龍だった。大切な玉を失くしたのだろうか。
撮影禁止だったので自分の記憶だけが頼りなのだが、説明書によると玉を失くしたわけではなく悟りを開きそれがなくても自分自身がその玉になったんだとかなんとか。いやはや、おぼろげである。
また、別に怒っているわけでも邪を寄せ付けないためにおっかない顔をしているわけでもないらしい。見る人によっては怒り顔、あるいは優しく微笑む顔にもなるそうだ。その時その人の心情が龍に写されるらしい。
なるほどと思い舐めるように見上げ歩き回る。見方を変えると確かに表情を変える。怒り顔、微笑み、悲しげに。今はちょっと戸惑っているようにも感じる。なかなかに可愛らしい龍だ。ああ、ほら。また笑っている。
愛嬌のある黒龍に満足したので本命の身延山山頂へ向かう。
日が陰り出し明るいのにカメラ映りが悪い。そろそろ幸運の切符の効力が切れるのだろう。
ロープウェイの中からチョロリと富士の頭がのぞいていたが、山頂に着く頃にはすっかり雲の中。少々寂しいが仕方なし。3つの展望台を覗くと雲行きの怪しいこと。もういくばかで雨か雪が来るのだろう。
急ぎ奥之院思親閣へ。日蓮聖人がご両親や師匠へ思い馳せたというが今の私にも共感することがある。治らないと言われた病気持ちの父と高血圧の母。筆不精の兄と弟。そしてやたら態度のでかい飼い猫。思うことはたくさんあったはずだが、またもやサクッと参拝して昼食にあり着く。
今日の昼食はロープウェイに併設されている食堂のゆば丼。実は今日の目的がこれだった。1番人気はゆばカレーだったそうだが、そちらはまた今度。ポン酢を回しかけて美味しくいただいた。
ロープウェイの発車時間まで余裕があったので名物の苦死切りたんごをデザートにいただく。1つ食べてから写真を撮ろうと思いパシャリ。食べてから思いいたるあたり、私はとうぶんSNS女子になれないのだろう。
腹も膨れたことだしさて帰ろう、と思うがまたあの階段を行くのは気が重い。甘露門を抜け比較的緩やかだと言う女坂を行く。
なんか、どっかで見た山道だった。舗装されておらず石がコロコロ。道幅は広いがいかんせん傾斜がある。慌てて靴紐を結び直してから思い出す。あれは秩父の三峯神社の表参道に続く林道じゃなかっただろうか。なんか、うん。似てる気がする。幅の広い山道を作ろうと思うとこんな感じなのだろうか。
あとからパンフレットを見て知ったが、遠回りではあるがエレベーターを降りて駐車場から三門前まで西谷という寺町を抜けて戻って来れるそうだ。うんうん、次はそっちを絶対に行こう。
あっという間に三門の前。再び立ちすくむ。なんとなくこの門が怖いのだ。大きくて威圧感がある。落ちてきたらどうしようかと思いながらそそくさとくぐり抜ける。抜けてしまえばこっちのもんだ。
バス停まで戻ったが時間が少しある。ので、バスで通過しただけの総門まで行ってみる。バス停からわずか10分。旅人はこの門を通り、すぐ横の茶屋で身支度をしてから参拝したそうな。雨がポツリポツリと踊る今は人の気配もない。寒々しい縁側が寂しげだった。
やがて到着したバスに乗り込み駅へ戻る。
駅の券売機では東京までは買えない様子だったので窓口で東京までの切符を購入。再び特急ふじかわ号の世話になり、車窓のアルプスも背負うものは青空から陽に照らされる曇り空へ。
旅の終わりを感じるが、まだ行くところがある。
朝から走ったりウォーキングしたり崖の階段登ったり。ほとんど電車移動とはいえ中々ハードな1日だった。
甲府駅で途中下車して、汗を流しに湯村温泉へ向かうバスへ乗り込む。行く先は奥湯村温泉「紅椿の湯」。天気が良ければ2階の食堂から富士山を展望できるらしいが今はもう夕刻。雲行きも怪しい。展望は諦めて湯を楽しむ。寒いので露天風呂は暑めだったが何故かぬる湯もある。ぬる湯の露天風呂は初めてだが入る順番を間違えると風邪をひきそうだ。
さて、今晩の夕食はラーメン焼きもつセットとカキフライ。セットメニューに白米もついてボリューム満点だ!量の多さにちょっと後悔したが酒の力を借りてすべて食べ切った。この旅の間にどれほど太っただろうか。ヒヤリとするものを感じるが、まあ健康診断は終えたばかり。まだ1年あるさ。
温泉を出ると流石に雨模様。バスを待つ傍ら日記を綴る。
そういえばこの旅はきっかけにすぎないのだった。
去る2月3日。私は高尾山の追儺式を見学した。節分祭でケーブルカーが朝6時から運行すると知り、ならば山頂からの日の出と上手くいけば朝日に照らされる紅富士も見れるかもしれないと意気揚々と高尾山へやって来た。
そして思惑通り日の出と紅富士を見れてホクホクのご満悦。ついでに追儺式とやらも見ようと薬王院へ戻った。
式が始まり説教がたれる。普段なら真面目に聞くことなどないのだが、この日は何故か真面目に聞いていた。お経を唱えながら願い事をしなさいと言うので願い事をする。
その時に思ったのだ。
私は何故、自分のことを真っ先に願い家族や世の中のことを二の次、三の次にと後回しに願うのだろうと。
私に何が出来るだろうか。
新年から先行き悪いこの国に。病気を抱える父母に。
泣きながら思う。私に何が出来るのか。
輝く青空に思う。天に座す神々は何もしてくれない。神とはそこにあるものだ。
己の足元を見て思う。日が当たる場所は暖かいが影の内側は寒い。
幼稚で愚かな私にも出来ることとはなんだ。
昔から人々は神や仏などに祈り願い縋った。
信心深くもない私に誰を頼れというのか。
私に何が出来ようというのか。
好きなミュージカルがある。そのなかでは影のさす未来へ行こうと歌う。影は自分の影だ。光り差す方へ行くから自分の影が差すのだと。
この行く先に影が差すのは、その場所こそが光り照らされる場所だから。影が追って来るんじゃない。光りを背負うから影もまた共に行くのだと。
私が持つ物はこの身ひとつだけ。歩くことのみ。
昨年はたくさん山へ行った。特にここ高尾山はよく世話になった。今年ももっとたくさん、他の山々へ登りたい。私に出来るのはこの手足で山へ行くことだけだ。
私には何も出来ないが、山へ行き旅の話しをすることは出来る。
決意が決まれば涙も止まった。
追儺式の最中にボロボロ泣く私はさぞ不気味な変質者だったことだろう。うっかり私を見てしまった人には悪いことをしてしまった。
見せ所の豆まきで「福は内」の掛け声にひとつ思い出す。この国の八百万の神に悪しき神はいない。荒れる神はいてもそれには理由があって荒れている。福の神はきっと野暮用で席を外していたのだろう。
光城山は本当にただの偶然。
雪がなくて運が良ければアルプスをのぞめるから。それだけの理由で選んだ。
その後に起こった心境の変化。
あの追儺式で私は何かに取り憑かれたんじゃないかとも思う。
だから雪が降って残雪があるとわかっててもホテルをキャンセルしなかった。アイゼンだけでも買おうと画策して、購入を諦めても未念たらたらで登山口まで歩いた。
コインロッカーからザックとお土産を回収し、東京行きの電車に乗り込み思う。
春を迎えるためにこの雨は降るのだ。この雨はまさに慈雨。私が生まれた朝も雨が降っていた。きっとこの旅立ちに空が祝ってくれていたのだ。昨日も、今日もずっと。
何やらトラブルがあったようだが電車も動き出す。
次はどこへ行こうか。行きたいところはたくさんある。
きっとこの春は忙しくなるだろう。
ついでにこのちょっと気恥ずかしい取り憑かれた話しもここに埋めておこう。うっかり読んでしまったあなたには同情するが、また会おう。
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