今日は亡き母の誕生日。
生きていれば・・・えーとえーと、いくつだ?(ォィ
たぶん、59歳かな。(曖昧)
死んでまだ1年ちょっとだというのにこの体たらく。
お母さん、こんな娘でゴメン(´□`。)
母親の死についは、ここには書きつくせないくらいいろんな思いがあるのですが、
ここはヤマレコなので山についての話を。
母は、長野県の南信地域出身なのですが、
母の両親(つまり私の祖父母)はまだ健在でそこに暮らしています。
祖母は、自分の娘が病魔に侵されていると知り、携帯電話を購入しました。
それまでは「携帯は難しく使えないわ」とまったく持とうとしていなかったのですが、
離れて暮らしているため頻繁に見舞いに行くことも叶わず、
せめてメールをしたいという思いが祖母に携帯電話を持たせました。
実際には自分でメールを打つことはできず、
メールを送りたい時は孫に頼んで代打(というのかな?)してもらっていたようなのですが、
けっこう頻繁にメールのやりとりをしていようで、私も母からそのメールを見せてもらいました。
そのメールの中に、仙丈ヶ岳を撮った写メがいくつかありました。
母の地元からは南アルプスの仙丈ヶ岳がよく見えるのですが、祖母のメールには、
「今日はお天気がよくて、仙丈が綺麗に見えました」などと書かれています。
それまでまったく知らなかったのですが、仙丈ヶ岳はその地域のシンボル的な存在のようです。
そして、母にとっては懐かしい故郷を象徴する存在だったと思います。
携帯の待ち受け画像にしてましたからね。
考えてみれば、結婚から26年。
農家に嫁いだため、同じ県内に住んでいてもなかなか実家に帰ることもできず、
亡くなるまでの何年かは年に一度も帰らない年が続いていました。
母が故郷の話をすることはほとんどありませんでしたが、帰りたくなかったわけはないのです。
祖母もそれが分かっていて、少しでも故郷の風景を見せてあげたいと思ったからこそ、
仙丈ヶ岳の写真を撮って送ってきたのだと思います。
この一件を経て、私の中で仙丈ヶ岳は母の山になりました。
当時は山に登ろうとかまったく考えてはいなかったけれど、山に興味を持つようになり、
今ではいつか仙丈ヶ岳に登ろうと思っています。
たぶん、私の記憶に間違いがなければ、ヤマレコの私のトップ画像はたぶん仙丈。
ちょっと自信ないのだけど・・・誰か判る方、判定をお願いします。(笑)
お母さん、今度お墓参り行くからね〜!
こんにちは お母さんずいぶん若く亡くされましたね。
「仙丈ヶ岳」南アの女王ですね。非常に優雅な山で
いずれは登ってみたい山です。夏なら登りやすいので
ぜひ登ってみてください。
暖かい話ありがとうございます
自分も山に興味をもつ前はあまり気にして山を見たり
しなかったけど、今は一日一回は山を見ますね
何気にそれが生活のリズムになって行くんですね。
近い将来ぜひ、仙丈ヶ岳に登ってください。
そして、お母さんの故郷を心の中のお母さんと
いっしよに見てください
感動しちゃいました
>miccyanさん
仙丈ヶ岳は南アの女王と呼ばれているのですね?それは初めて聞きました
山に興味がなく、「仙丈」という名前だけは覚えていたのですが、
ヤマレコを見るようになり、多くの方が登っている山なのだと知りました。
もう少し低山で力をつけて、いつか登ってみようと思います!
>Tomtom21さん
コメントありがとうございます(*^▽^*)
誕生日ということで、少し感傷的になり、こんな日記を書いてしまいました。
感動だなんて、なんだかこそばゆいです。
母が仙丈ヶ岳に登ったことがあるかどうかは知らないのですが、
20年以上眺めて暮らした山ですし、いつか登りたいですねぇ。
それから、毎日山を眺めるっていいですよね。
今は山の見えないところに住んでいるので、時々無性に山を見たくなります。
来年にはもう少し山の近くに引っ越すので、今から楽しみです♪
子が親を想い、また親が子を想う。
私も色んな我慢をして暮らしているかなー。
人様には見せませんけれど。
umecheeseさんも、これから色んな我慢をして行かなければならないと思います。
そんな時は山に登りながら泣きなさい。少しは心も晴れるでしょう。
私は母を亡くして2年になります。
母はいつも、
「死んだら千の風になって、みんなの側に来て、守ってやるからね〜。」と言っていました。
だから、私が一人で山に行くと、母の風が吹いてきて、母が青空から下りて来ます。
そして、私は風に吹かれて、母にいろいろな話をしてきます。
(思い込みですがね・・・。)
ウメさんの日記を読んで、私と同じようだと思いました。
若くして亡くなったお母様の分まで、ウメさんは幸せに行きなくてはなりませんよ。
それが一番の供養ですからね。(^^)
ウメさん、おはようございます。
日記を見逃していてミッチャンに教えてもらいました。
(ミッチャンに感謝です
読ませて頂き、文面からは悲壮感は伝わってこないので、離れて暮らしていたとは思いますが、自分のなかでしっかり送ってあげられたのかなと推察しました。(当初は辛かっただろうと思います)
私も25歳の時に母親を亡くしました。56歳でした。
当時愛知県で仕事をしておりましたので、なかなか会いにも行けず、アパートにも電話が引けず夜中に亡くなったので死に目にも会えませんでした。従兄弟が早朝に迎えに来てくれて知った次第です。
とっても親不孝なもんですから、せめて大分弱ってきた親父にはセッセと顔を出してあげようと思うのですがなかなかです。
プロフの写真。千丈ですか、隣の尖った山が甲斐駒。ちょっと遠目なので分かり難いですが、伊那、箕輪のあたりからだとそんな感じですよね(お母さんが見ていた千丈です)。駒ヶ根まで足を伸ばしてもらうと大きく裾野を広げた千丈が東に、西には中央アルプス宝剣岳が見え、私はそこで育ちました。
千丈是非行って下さい。その気になれば日帰り出来ます。
私も昨年行ってきました(日帰りです)。頂上にお母さんの好きだった花でも供えてあげて下さい。
追伸
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-45021.html
昨年の私の千丈の記録です。日帰りには一番楽なコースと思われます。参考までに。
>citrusさん
ここ数年は辛いことがたくさんあって、鬱々と過ごした日もあり、お酒の量が増えたりしていました。
もっと早く山を知っていれば、山の力で癒されたのかなとも思います。
誰でも何かかしらの我慢をしているんですよね。
人には見せず、一人で泣く・・・
私はもっと強くならなくちゃな〜と思います。
ありがとうございます。
>setiseti01さん
setiseti01さんもお母様を亡くされたんですね。
きっと、お母様の言葉のとおり、いつも近くで見守っていてくれていると思います。もちろん、思い込みなどではなく。
私も、心の中に母との思い出や母の言葉を大事に仕舞っていて、なんだか生きていた頃よりも母を近くに感じるような気もします。
そうですよね、私が幸せに生きることが一番の供養なんですね。
母が安心して見ていられるような人生を歩みいたいなと思います(●^▽^●)
>hiro210219さん
仙丈(千丈と書くのでしょうか・・・?)の記録ありがとうございます。
日帰りでも行けるのですね!
途中までバスのようですので、母の実家に泊まらせてもらおうかな・・・?(*^皿^*)
もう少し体力をつけて山に慣れたら、ぜひ行こうと思います!
プロフィールの写真は母の実家のすぐ近くから撮ったものです。
たぶん、初めて祖母に仙丈ヶ岳を教えてもらった時に撮ったような気がします。
駒ヶ根の方に行くともっと違う見え方をするのですね。
駒ヶ根には母の実家に行った時に何度か足を運んだことがあります。駒ベルとか・・・?懐かしいです。
hiro210219さんもお母様が亡くなられた時は25歳だったのですね。私も同じく、でした。
日記にはなるべく暗い気持ちは書かないようにと思い、母と仙丈の思い出だけを抽出して書いてみました。
でも、母の死に関しては後悔もたくさんありますし、まだまだ消化しきれていないような気がします。
私は父と母を相次いで亡くしたのですが、父は事故だったので死に目には会えませんでした。
病死だった母ですら死を受け入れるのは辛かったですが、死に目に会えないと死んだという実感が湧かないのですよね。
hiro210219さんもお父様にはぜひたくさん会いに行ってあげてください。
もっとたくさん実家に帰って父や母に会ってあげればよかったというのが、私の一番の後悔ですから!
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