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「漫画なんか見てないで勉強しなさい」とか、
私は両親共働きで家にいませんでしたので言われたことありませんが、
そんな感じの位置だったのではないかと思います。
最近は文化として一定の位置を確保しているように思えますが、
どうでしょう。
まだ一部の人らからは”おたくの文化”的な位置づけかもしれませんけれど。
一方で文字だらけの本は、もう完全に文化人のアイテムに
位置付けられているようには思います。
小説にしても、言文一致で出始めの時代は、こんなくだらないものを
読んでいるんじゃないと怒られていた話などは、よくその小説の中で
目にします。
何でも出始めの頃は”ダメなもの”という一定の見方が無くならないのかなと
思っています。
話しは脱線しますが、最近では電子機器、特にゲーム機やスマホでのYouTubeの
視聴などに、それが当てはまるのではないかと思っています。
学会で発表される学術論文でも、
電子機器の使用は前頭葉の活動低下をもたらすとか示唆するものもあったりして、
私などは、「またか」とバカバカしく眺めているものです。
(種明かしを推定すれば、何かに”夢中”になった後は、それ以外の課題を与えても
そりゃあ集中することは出来ないだろうよ、と思うのですよね。
それを前頭葉の・・・とか言っちゃうレベルの発表はほんとどうか・・・
と思うのですが。剰余変数をもっと考えてよと言いたいです。)
話しは脱線しましたが、私の子供の頃の漫画やアニメは、まあ勉強以外のもの
というだったと思います。
私はけして勉強ばかりしていた優等生ではありませんでしたので、
両親が不在なのを良いことに、そんな漫画やアニメばかりを見ていました。
読んだ漫画や見たアニメは、それはもうほんと結構な数だと思います。
そんな中でも衝撃を受けた作品(もう現在では作品と言われますよね)があります。
これはその作品が優れている、と言いたいわけではなく、私の発達過程で
ドンピシャと一段上の過程に導いてくれただけ、ではあると思いますが。
漫画部門では、
1.高橋留美子作「うる星やつら」
2.あだち充作「タッチ」
ですね。
うる星やつらを初めて読んだのは、小学5年生の夏休みです。
繰り広げられる大人の世界(今となっては高校生のやる子供の世界なのですが)に
大きな衝撃を受けました。
こんな世界があるんだと子供心に思ったものです。
タッチを読んだのは、まだかっちゃんが生きている頃なので3巻くらいだと
思うのですが、手元にないので正確じゃないかもしれません。
時期はいつだったのか?小学生だったような気もしてますが、ちょっと忘れました。
「え、かっちゃん死んじゃったの???」
と言うのは、もうほんと衝撃でした。
小説部門では、
1. 北杜夫作「ぼくのおじさん」
2.夏目漱石作「こころ」
です。
ぼくのおじさんは、小学校6年生の夏の読書感想文課題図書の1つでした。
購入して読みましたが、嵌りましたね。
それまで漫画、アニメの世界の住人だった自分が、
活字の世界に足を踏み入れた瞬間でした。
もうそれ以来、カレーを作るときは玉ねぎを炒めまくってます。
(そんな、おじさんのエピソードが出てきます。)
それ以来、部屋の置物であった文学全集が私の視界に入るようになりました。
最初に手に取ったのが、夏目漱石の「こころ」。
場面こそ出ませんが、”先生”の自殺を示唆する展開、
とこちらは場面も出てきますが”K”の自殺する展開に心揺さぶられました。
話しは脱線して終わりますが、
昔は”新潮文庫の100冊”とか言うキャンペーンが夏にはあった物ですよね。
100冊読んだらどうなるんだろう、みたいなキャッチフレーズありました。
まあやってみましたけど、別にどうもならないんですけどね。
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