大学に入った夏、父が突然、北岳に一緒に行こうと言った。遅い反抗期を迎えていた私は渋々承知した。
父は私に真っ黄色の雨具を買ってくれた。高かったらしい。お弁当も作ってくれて、あずさかかいじの中で食べた。
甲府駅で、父の同僚で山に詳しい男性と合流し、タクシーに乗って広河原に行った。雪渓を上った。
歩くことは辛くなかった。でも、朝、薄暗い小屋でコンタクトがうまく入らなくて無くしてしまい、父に八つ当たりした。父は北岳のバッチを買ってくれた。
北岳頂上はガスっていてつまらなかった。父と歩くのがいやで、下りは一人で広河原まで飛ばした。
それが、父との最初で最後の山登りだった。
私は実家を出て、国を出た。帰国しても一緒に住むことはなかった。考え方が全く合わない父とは会えばけんかするばかりだった。
今年の夏、父は一ヶ月入院した。家に戻っても近所の公園まで散歩するのがやっとだ。
薄情な娘は、独りで北岳へ向かった。その山頂で、広河原への道で、父との日々を思い出していた。
父は家族のためと思ったら何でも一生懸命やってくれた。時には、役に立たなかったり、常識外れだと私たちをあきれさせることもあったが、それが父だった。
もっと一緒に山に行けばよかった。もっと優しく接すればよかった。
父がいない世界を考えただけで心細くなった。
泣きそうになって立ち止まり、振り返って北岳を見た。
「まだ間に合う。帰ったらパパと山の話をしよう。」
そう思った。