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https://sanblo.com/koubeikkenya/
『神戸市北区の一軒家いらないか?』という、神戸市の都市伝説があります。神戸市北区の一軒家いらないか?ただ三つ条件があって「1必ず受け取る、2三日以上家を空けない、3死ぬまで住んでくれる、この3点守れる方なら土地ごと渡します。」という文章が2ch掲示板に書き込まれました。その後掲示板のやり取りで明らかになった詳細は、家は20年前にリフォームされてあるけど、祖父母から頼まれてて、裏庭の林に井戸があるんだが、その井戸は一応ウチの祖父母のものだから触らないで欲しい(一応柵がある)。とにかく死ぬまで住めて、旅行とかしない人ならすぐにでも渡せるから、本当に条件満たせる人だけ名乗り出てもらえれば助かります。場所はあまり書くとばれるので、神戸市北区の谷上から奥まったところです。この内容に基づき、掲示板では盛り上がっていきます。
この掲示板の話題に基づき、何人か神戸市北区に借家を探しにいったり、この話の真偽を確かめることをテーマとしてテレビでも取り上げられたりしたことがあります。この話は創作であることがわかっていますが、この創作の舞台となった伝承を持つ山はあります。おそらく、稚児ヶ墓山・花折山であろうと思います。ヤマレコにも山行記録がありました。
https://www.yamareco.com/modules/yamainfo/ptinfo.php?ptid=5631
この山の伝承である稚児ヶ墓山物語を、以下に紹介します。
今ではこの物語を知っているカタリベの数は少なくなったが、この土地(兵庫県神戸市北区山田町坂本)に
住んでる以上は知らなくてはならない。
稚児ヶ墓山・花折山(ちごがはかやま・はなおれやま)。
稚児ヶ墓山、花折山は攝津と播磨の国境にまたがる丹生連山の一角を成し、秀吉の明要寺焼討ちにまつわる悲しい話が残っている。丹生山にかつて明要寺という大伽藍(※だいがらん・大きな寺院)があった。天正6年(1578)、織田信長は播磨地方平定の命令を羽柴秀吉に出した。だが明要寺は信長に反旗を翻した三木の別所氏に味方してしまい、三木城への食料補給ルートになっていたことを秀吉軍が発見。羽柴秀吉と別所氏の間に戦が起こり、秀吉は弟秀長と大軍を率いて三木城を包囲し、自然と籠城戦となってしまった。この時、明要寺は焼討ちにあい、武装した僧侶たちの多くは逃げ場を失い深い谷へと落ちて死んでいった。
都市伝説はともかく、上記に紹介した山は一度登ってみたいと思います。興味を持った方がいたら、ハイキング先として検討してみるのはどうでしょうか?
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