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自分が行ったばかりの山だと、「すれ違った方だろうか?」「あの辺りで、道を間違えたのだろうか?」と思うし、友人が行っている山のニュースだと、年齢や在住を確認して、「ああ、友人では無かった」と安堵するのが習慣になった。
山を続けている以上、怪我は付き物だし、最悪の場合もっと大変なことも起きることは覚悟している。けれどやはり、起きて欲しく無い。
10年ほど前、表銀座から槍ヶ岳へ行く途中、その日はヒュッテ西岳に泊まりで、山小屋が見えて安心したのか、何も落ちるような要素も無い尾根で滑落した。自分の悲鳴で落ちたことに気が付き、やけに時間が長く感じた。自分は死ぬんだなとその時思ったが、本当に不思議なことに、私が落ちた3メートル程下に木が1本斜めに生えていて、その枝にリュックが引っかかって助かった。その周辺には、他に木は生えていなかった。落ちた場所が少しでもずれていたら、真っ逆さまに真下まで落ちていただろう。
翌日槍ヶ岳には、登頂出来た。落ちた恐怖心がどんどん大きくなったのは、ずっと後からだ。それ以来、滑りやすいところはとても怖い。落ちないと分かっているようなところでも。痩せ尾根も怖い。何かに助けられた命だと思いつつも、私は未だにトラウマを克服出来ないでいる。でも山は続けたい。相反する気持ちで、いつも山に登っている。
昨日も友人たちが行っている山で、滑落死のニュースが入って来た。大丈夫だろうか?亡くなったのが友人たちでは無いと分かっても、心配だった。登頂写真が届き、良かったとホッとする。楽しかった、ただいま!と言う連絡が来ると、安心する。
私の家族も、こんな気持ちで私を待っているのだろうか?「おかえりなさい」と言えることも、「おかえりなさい」と言って貰えることも、とても幸せなことだ。
山頂に立つことが、最大の目的では無い。安全に家に帰ることが、登山の最大の目的。次の山も、「ただいま」と元気に帰るんだ。
はじめまして
書いてらっしゃる通りと思います
怪我もせずに無事に家路に着くことが目的
ヒロコロさんの体験が他の人の安全登山に活かされていくんじゃないでしょうか
自分の経験上なんのことない場所でコケたりします
先日読んだガイドさんの本にあった、「登山を冒険にしてはいけない」。凄く納得です。
自分が絶対帰って来れるコースを計画しろと言う意味だと、私は思いました。
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