ニュースによると案内板は亀山市天神の中村公民館に設置されたということでヤフーの地図で調べて向かった。細い路地が入り組んだところだったが、すぐにわかった。写真を撮ってしばらく合掌して帰途についた。
案内板によると設置場所かから200m東のレンガ橋の北で事件は起きたらしいが、道らしい道もなく確認できなかった。
「背中におんぶされた幼子の首がありませんでした。愛児を失くした母親の慟哭がいつまでも続きました。」と最初に書いてありました。いつまでも忘れないことがせめてものご供養かと思いました。
「八月は 六日九日 十五日」
以下「伊勢新聞」より
亀山列車銃撃事件から74年 無念さ伝える説明板設置 三重
【亀山】三重県亀山市の市民団体「戦争遺跡に平和を学ぶ亀山の会」(服部厚子代表)は2日、亀山市天神二丁目の中村公民館で、「亀山列車銃撃事件」を後世に伝える説明板の除幕式を行い、同会関係者や地元住民、当時の銃撃を目撃した人ら計50人が参列した。
同公民館敷地に設置した説明板は縦約2メートル、横1・2メートル。市民ら約200人の募金を活用した。「一瞬にして命や生活を奪われた人々が、無念さや戦争の非人間性を伝え、人々が平和について考え続けるきっかけになることを願っている」と記している。
同事件は、終戦直前の8月2日昼すぎに発生、民間人を乗せた亀山駅発鳥羽行きの列車が、同市天神町の鈴鹿川鉄橋を渡り終えた時、米軍機(P51)2機の機銃攻撃を受け40数人の国民が死亡した。
当時中学生で自宅から銃撃を目撃した中根弘毅さん(88)は「首のない赤ちゃんを背負った女性が、自宅に助けを求めて駆け込んできた」といい、「薬きょうが家の屋根にバラバラと落ちてきたことを覚えている」と説明板の横で語った。
服部代表は「事件から74年目のきょう、多くの人の協力で説明板ができたことに感謝します」と礼を述べた。亀山の若手僧侶の会「サンガ」による追弔法要もあった。
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