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2015年02月27日 00:30日記全体に公開

大好きなおばあちゃん

突然ですが私の祖母が101歳の天寿を全うされました。
亡くなって一週間が経ち少しばかりですが心の整理が付いたと思い
日記に想いを残そうと、この言葉たちを打っています…

大好きなおばあちゃん…
おばあちゃん101歳の長い人生お疲れ様でした。
いつか別れの日が来る事は分かっていたけれど、
おばあちゃんがいなくなってしまった現実。
覚悟をしていたつもりでしたが
私にとって存在の大きかったおばあちゃんが
もう居ないのだと思うと寂しいです。

おばあちゃんは大正、昭和、平成と激動の時代を生きてきました。
沢山の苦労をしてきたと思いますが、その中で9人の子供を立派に育て
私はおばあちゃんの内孫として赤ちゃんの頃からずっと一緒でした。
両親は共働きで何かとおばあちゃんっこで育ち
小さい頃の記憶はおばあちゃんとの思いでが沢山蘇ります。

子供の頃はジェット機の爆音が聞こえると怖くておばあちゃんにしがみ付き、
音が消えるまでずっとおばあちゃんに守られました。
川遊びでヒルに吸い付かれ大泣きしているとおばあちゃんが押し車を押して
急いで助けに来てくれた事
お腹がすくと美味しいラーメンや草餅を作ってくれたり、
一緒に漬物作りや、いなごの佃煮作り
畑や田んぼに行ったりと毎日飽きる事の無い日々でした。

私が社会人になり家を離れ、結婚出産で里帰りをすると
おばあちゃんは曾孫を嬉しそうに抱っこしてくれ、一緒に子育ての話をしたり
しました。
私も赤ちゃんの頃こんな風に大事にされていたのかな?
と思うと嬉しくもありました。

そんなおばあちゃんも時が過ぎ認知症になると
徐々に家族の顔も名前も分からない状態になりました。
家族も辛い時間が過ぎましたが、
それでも、おばあちゃんは最後まで笑う事を忘れない穏やかで優しい人でした。

戦前戦後と苦労も多く辛い事も多かったと思うのに
いつも弱音も言わず家族の為に優しく逞しいおばあちゃん。
私はおばあちゃんの孫で良かったと思います。
そして私もそんなおばあちゃんになりたい…
いつも穏やかで優しく逞しくありたいです。

今でも子供の頃のように泣けば、おばあちゃんが現れるんじゃないかと
心の隅に残ってる自分がいます。
おばあちゃん長い人生お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
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