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七尾城山(ななおじょうやま)

最終更新:g-okabe
基本情報
標高 380m
場所 北緯37度00分41秒, 東経136度59分32秒
カシミール3D
 日本五大山城の一つ「七尾城址」のある『七尾の城山』です。戦国の世、能登畠山氏の居城でした。難攻不落を誇っていましたが、上杉謙信に落されてしまいました。歴史を動かした「本能寺の変」のあと、織田軍の前田利家らにより奪い返されましたが、新たに、七尾(所口)に「小丸山城」が造られた事により、「七尾城」は廃城になりました。城跡のある城山には現在も、地形を巧みに利用した曲輪(城郭)跡が残されています。

※1:島根県益田市七尾町に、同名の七尾城がありました。石見「七尾城」城趾です。

※2:よく似た名前で、七尾山(ななおやま、標高691m)が、滋賀県にあります。伊吹山の4.5kmほど西に位置する山です。
山頂 城山展望台
トイレ 本丸北駐車場そば(車道沿いの)トイレ、展望台遊歩道口の駐車場にあるトイレ、展望台広場のトイレ
展望ポイント 本丸址、安寧寺跡手前のベンチ、城山展望台

山の解説 - [出典:Wikipedia]

七尾城(ななおじょう)は、能登国鹿島郡七尾(現・石川県七尾市古城町)にあった日本の城。室町時代から戦国時代にかけての山城跡で、国の史跡に指定されている。能登畠山氏によって拡張され、最終的には南北2.5キロメートル、東西1キロメートルにも及ぶ巨大な城となった。
七尾湾が一望できる、石動山系北端の標高300mほどの尾根上(通称「城山」)にあり、その尾根から枝分かれする行く筋もの大小の尾根にも無数の砦を配置した大規模な山城である。「七尾」という名は「七つの尾根」(松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾)から由来されるという。別名として「松尾城」あるいは「末尾城」と記した資料も残る。これは城が七つの尾根のうち松尾に築かれたためである。いずれも尾根づたいに配された曲輪を連想させる。
尾根に連なる畠山氏とその重臣の遊佐氏、長氏の屋敷を中心とする曲輪群に加えて、斜面にはその家臣の屋敷が、麓には城下町があり、城下町は惣構えや砦で守られていた。城郭考古学者の千田嘉博は、七尾城下町遺跡の規模と保存状況の良さは越前朝倉氏の一乗谷遺跡(福井県)に匹敵すると評価している

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