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川俣関所址(かわまたせきしょあと)

最終更新:Tutuganasi
基本情報
場所 北緯36度11分22秒, 東経139度30分32秒
カシミール3D

山の解説 - [出典:Wikipedia]

新郷川俣関所(しんごうかわまたせきしょ)は、武蔵国と下野国の間の利根川堤防上にあった関所である。利根川を越して日光へ通じる日光脇往還にある。現在の埼玉県側が羽生市上新郷、群馬県側が邑楽郡明和村に相当する。新郷川俣関所廃止後、跡地は、利根川改修により河底に位置する。「川俣関所碑」及び新郷川俣関所関連の古文書である「川俣関所関係古文書及び関係用具」は埼玉県の文化財に指定されている。
新郷川俣関所は、江戸時代に武蔵国埼玉郡上新郷村と下野国邑楽郡川俣の間の利根川堤防上にあった関所である。現在の埼玉県側が羽生市上新郷、群馬県側が邑楽郡明和村に相当する。中山道熊谷から、忍、川俣にて利根川を渡り、館林、足利、日光への道筋にあり、利根川を越して日光へ通じる日光脇往還(別称、日光裏街道)、利根川筋では江戸から36里で毎月6回の定期便があった。別称には、川俣関所・別所関がある。
関所の管理は慶長15年(1610年)大河内金兵衛、寛永19年(1642年)に忍藩主阿部忠秋となった。文政6年(1823年)松平忠堯となり、明治2年(1868年)に廃関となった。関番士は四人であり、今橋元左衛門、大藤太郎右衛門・佐藤兵衛・石川勘左衛門の四家であった。忍藩には船奉行など役人が定められており、一方代官伊奈氏の管轄に川役がいた。
新郷川俣関所は、利根川筋の渡し場を拠点とした関所の一つで、元和2年(1616年)、徳川家康の死後に、関東河川の定船場(松戸・市川・川俣・房川渡他、16ヶ所)に定め掟書がだされた。利根川筋の定船場を拠点とした関所には、房川渡中田関所、金町松戸関所、小岩市川関所がありこれらは江戸幕府により管理されていたが、新郷川俣関所は忍藩主により管理されていた。
新郷川俣関所の検閲は、他の関所同様に入鉄炮出女の検閲の他、水上往来の監視が行われていた。
現在、関所は明治2年に廃止された。関所跡地は、利根川改修に伴い河床となっている。新郷川俣関所関連の文化財には、「川俣関跡」が記念物(旧跡)として昭和36年9月1日に、「川俣関所関係古文書及び関係用具」一括は有形文化財(古文書)として昭和33年(1958年)3月20日に埼玉県指定文化財となった。

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