関東
旧中野刑務所正門(きゅうなかのけいむしょせいもん)
最終更新:なっしー
基本情報
| 場所 | 北緯35度42分52秒, 東経139度39分43秒 |
|---|
1970年代までこの場所に存在した中野刑務所の遺構。中野区の有形文化財になっている。
山の解説 - [出典:Wikipedia]
豊多摩刑務所(とよたまけいむしょ)は、大正・昭和を通じて東京府豊多摩郡野方村(現:中野区新井3丁目)に存在した刑務所。豊多摩監獄や中野刑務所(なかのけいむしょ)と呼ばれた時代もある。特に1925年(大正14年)の治安維持法制定以後は思想犯が多数収監された。
1933年(昭和8年)9月時点では、278人の左翼運動者が収容されている。
1941年(昭和16年)には治安維持法が改正され、刑期終了後も非転向者の拘禁を可能とする予防拘禁制度が発足。豊多摩刑務所内には拘禁所が設けられ、刑期終了後に拘禁され続ける者もいた。
思想犯の全ては1945年(昭和20年)10月の連合国軍最高司令官総司令部の命令により釈放されている。当時、府中刑務所に拘禁されていた共産党員の志賀義雄は、豊多摩刑務所には「蝮」と呼ばれる監視部長がいたことを語っている。
1946年(昭和21年)3月22日、連合国軍最高司令官総司令部が接収し、連合国軍人軍属等の犯罪者の拘禁所となった。外塀の上には木製の回廊や見張所が作られるなど警戒態勢が強化される一方、各舎房にはスチームが備えられるなど待遇面は改善された。刑場も設けられ、接収が解除される前までに黒人22人、白人2人が絞首刑となった。
四万坪に及ぶ跡地は現在、平和の森公園および東京都下水道局中野水再生センターとなっている。研修所敷地内に監獄の表門が保存されており、2021年(令和3年)に旧豊多摩監獄表門として中野区有形文化財となった。
付近の山
この場所を通る登山ルート
この場所を通る登山ルートはまだ登録されていません。
旧中野刑務所正門の山行記録へ






Loading...