(はじめに)
前の6−3章にて、谷川連峰とその周辺の地質を4つにグループ分けし、そのうち、
グループ1:「上越帯」地質群(蛇紋岩、変成岩)
グループ2:白亜紀、古第三紀 深成岩類(花崗岩類、閃緑岩など)
の2つのグループについて、説明しました。
それに引き続き、この6−4章では、
グループ3:新第三紀 中新世 地質群(堆積岩、火山岩類、深成岩)
グループ4;新第三紀 鮮新世 深成岩類(主に花崗閃緑岩)
について、説明します。
グループ1:「上越帯」地質群(蛇紋岩、変成岩)
グループ2:白亜紀、古第三紀 深成岩類(花崗岩類、閃緑岩など)
の2つのグループについて、説明しました。
それに引き続き、この6−4章では、
グループ3:新第三紀 中新世 地質群(堆積岩、火山岩類、深成岩)
グループ4;新第三紀 鮮新世 深成岩類(主に花崗閃緑岩)
について、説明します。
1)グループ3:中新世 地質群(堆積岩、火山岩類、深成岩)の分類
新第三紀 中新世(約23Ma〜約5.3Ma)という時代は、日本海拡大/日本列島移動イベント(約20Ma〜約15Ma)が起き、日本列島全体が大きな変動に見舞われた時代です。
特に「東北日本」(糸静線より東、中央構造線より北)は、この大きなイベントの影響が大きく、各地にこの時代の地質が分布しており、逆にそれ以前の地質の分布範囲が非常に狭くなっているほどです。
谷川連峰とその周辺には、この中新世の地質が多数分布しており、その時代におこった出来事がかなり復元されています。
以下、(文献1)と、(文献2)に基づき、谷川連峰とその周辺の、中新世の地史を説明しますが、まずその前に、この中新世の多数の地質群を、主に(文献1)をベースに、8つのサブグループとして、分類、解説しておきます。
特に「東北日本」(糸静線より東、中央構造線より北)は、この大きなイベントの影響が大きく、各地にこの時代の地質が分布しており、逆にそれ以前の地質の分布範囲が非常に狭くなっているほどです。
谷川連峰とその周辺には、この中新世の地質が多数分布しており、その時代におこった出来事がかなり復元されています。
以下、(文献1)と、(文献2)に基づき、谷川連峰とその周辺の、中新世の地史を説明しますが、まずその前に、この中新世の多数の地質群を、主に(文献1)をベースに、8つのサブグループとして、分類、解説しておきます。
・サブグループ 3−1:大倉(おおくら)層
玄武岩(火山岩)、約17.5Ma〜17Maに噴出
火山噴出による溶岩で、緑色に変質しているものが多い。
谷川連峰の稜線の一部にも分布している。
・サブグループ 3−2:粟沢(あわざわ)層
礫岩層、一部に砂岩、泥岩層を含む。
礫の多くは大倉層由来の玄武岩質で、一部は結晶片岩も含む。
最大層厚 約980m、約17−16Maに堆積、
谷川連峰の稜線の一部にも分布している。
・サブグループ 3−3:後閑(ごかん)層
流紋岩質の火山岩類(火砕岩)
形態は、凝灰岩、凝灰角礫岩が中心、最大層厚 2600m、
約16.5-15.5Maに噴出した海底火山由来の地層、
谷川連峰の一部にも分布している。
・サブグループ 3−4:赤谷(あかや)層
深海堆積の泥岩層、黒色〜暗灰色、
ウニの針の化石や、ナンノ化石などを含む
約15.5−14Maに、この領域一帯が沈降して深海となっていた時期に堆積。
谷川連峰の稜線の一部にも分布している。
・サブグループ 3−5:三峰山(みつみねやま)層
安山岩質の火砕流堆積物
谷川連峰自体には分布してないが、その南にある三峰山、大峰山
などに分布している。
形成年代(対応する火山の噴火年代)は、約11Maと約7Ma
の2回あったと推定されている。
・サブグループ 3−6:利根溶結凝結岩層
(とね・ようけつぎょうげつがん・そう)
安山岩質の溶結凝灰岩で、近傍にあったと推定される火山噴火の噴出物。
谷川連峰自体には分布してないが、その南にある三峰山、大峰山
および利根川上流の藤原湖付近などに分布している。
形成年代(対応する火山の噴火年代)は、約5〜6Maと推定されている。
・サブグループ 3−7:デイサイト/流紋岩質深成岩(貫入岩)
谷川連峰やその南側のあちこちに分布している。
谷川連峰の稜線部にも一部、分布している。
貫入時期は、約16-7Ma
・サブグループ 3−8:安山岩質深成岩(貫入岩)
谷川連峰やその南側などに、小岩体としてあちこちに分布
谷川連峰の稜線部にも一部、分布している。
貫入時期は、約16-7Ma
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
玄武岩(火山岩)、約17.5Ma〜17Maに噴出
火山噴出による溶岩で、緑色に変質しているものが多い。
谷川連峰の稜線の一部にも分布している。
・サブグループ 3−2:粟沢(あわざわ)層
礫岩層、一部に砂岩、泥岩層を含む。
礫の多くは大倉層由来の玄武岩質で、一部は結晶片岩も含む。
最大層厚 約980m、約17−16Maに堆積、
谷川連峰の稜線の一部にも分布している。
・サブグループ 3−3:後閑(ごかん)層
流紋岩質の火山岩類(火砕岩)
形態は、凝灰岩、凝灰角礫岩が中心、最大層厚 2600m、
約16.5-15.5Maに噴出した海底火山由来の地層、
谷川連峰の一部にも分布している。
・サブグループ 3−4:赤谷(あかや)層
深海堆積の泥岩層、黒色〜暗灰色、
ウニの針の化石や、ナンノ化石などを含む
約15.5−14Maに、この領域一帯が沈降して深海となっていた時期に堆積。
谷川連峰の稜線の一部にも分布している。
・サブグループ 3−5:三峰山(みつみねやま)層
安山岩質の火砕流堆積物
谷川連峰自体には分布してないが、その南にある三峰山、大峰山
などに分布している。
形成年代(対応する火山の噴火年代)は、約11Maと約7Ma
の2回あったと推定されている。
・サブグループ 3−6:利根溶結凝結岩層
(とね・ようけつぎょうげつがん・そう)
安山岩質の溶結凝灰岩で、近傍にあったと推定される火山噴火の噴出物。
谷川連峰自体には分布してないが、その南にある三峰山、大峰山
および利根川上流の藤原湖付近などに分布している。
形成年代(対応する火山の噴火年代)は、約5〜6Maと推定されている。
・サブグループ 3−7:デイサイト/流紋岩質深成岩(貫入岩)
谷川連峰やその南側のあちこちに分布している。
谷川連峰の稜線部にも一部、分布している。
貫入時期は、約16-7Ma
・サブグループ 3−8:安山岩質深成岩(貫入岩)
谷川連峰やその南側などに、小岩体としてあちこちに分布
谷川連峰の稜線部にも一部、分布している。
貫入時期は、約16-7Ma
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
2)中新世における、谷川連峰および水上地区の地史
(文献1)と(文献2)をもとに、この地域の中新世における地質学的歴史(地史)を説明します。
(1)大倉層(おおくらそう)の形成
まず約17.5Ma〜17Maに、この地域に激しい火山活動が起き、玄武岩の溶岩が広がり
ました(3−1:大倉層)。
この火山の中心は、現在の谷川岳付近と推定されています(文献2)。
この地層は中新世の各地層の最下部なので、現在では分布が限られていますが、
奥利根の藤原湖周辺のほか、谷川連峰では茂倉岳の山頂部などに分布しています
(文献1)。
なお(文献2)によると、一ノ倉岳の山頂部、谷川岳頂上付近に分布している
(変質)玄武岩類も、この大倉層と推定されています。
現存地層の最大層厚は、約300mです(文献1)。
これは、日本海拡大/日本列島移動イベント(約20−15Ma)の最中に起きた
火山活動なので、そのイベントと関連した火山活動ではないかと思います
(私見です)。
(2)粟沢層(あわざわそう)の形成
続いて約17Ma頃からこの一帯は急激な沈降活動が起き、少なくとも一部は海域に
なったと推定されています。この海域には周辺部から膨大な量の礫(石ころ)が、
川を通じて流れ込み、厚い礫岩の層ができました(3−2:粟沢層)。
礫(石ころ)は、大部分が、前述の大倉層由来の変質玄武岩ですが、藤原ダム付近
では、結晶片岩質の礫が多く認められてます。すでに浸食にて失われていますが、
この当時には、この一帯に、谷川岳山頂部にあるものと同じような、
「上越帯」の変成岩体(結晶片岩)が、わりと広い範囲に存在していたことを
伺わせます。(※ 6−3章もご参照ください。)
また粟沢層の上部は砂岩、泥岩が多くなっており、湖沼堆積物と推定されています
(文献1)。
谷川連峰では、谷川岳と万太郎山との間の部分(オジカ沢の頭付近)と、茂倉岳
山頂部にこの礫岩層があります。
(文献3)で「茂倉岳礫岩層」と名付けられたものは、この粟沢層に対応します。
現存層厚は、谷川岳の西の稜線部で、最大980mとかなり分厚い層です(文献1)。
(3)後閑層(ごかんそう)の形成
約16Ma頃には、この海域で再び火山活動が始まりました。性質は主に流紋岩質で、
若干、安山岩質の岩石を含んでいます。
海底で噴火したと推定されるため(文献2)、火砕岩(凝灰岩、凝灰角礫岩)が
中心で、層状構造を持っていることから海底で堆積していったものと思われます。
なお上部層には若干、溶岩も認められています(3−3:後閑層)。
この地層の現在の分布は、JR上越線の通る谷の東側に幅広く分布していますが、
西側にも部分的に分布しており、谷川連峰では、谷川岳と万太郎山との間、
前述の(3−2;粟沢層)より万太郎山側の狭い範囲に分布しています。
この後閑層の最大層厚は、沼田市で、2600mもあり、かなり活発で長期にわたった
火山活動ではないかと思われます。
なお、(文献3)で「仙ノ倉火砕岩層」と名付けられたものは、この後閑層に
対応します。
(4)赤谷層(あかやそう)の形成
約15.5Maには火山活動は衰える一方で、この領域の沈降運動は続き、
約15.5−14Maには、どんどんと海は深くなり、最大水深時には、約2000m
の海域となったと推定されています(文献1)。
ここには周辺部から流れ込んだ泥が溜まって、泥岩層(3−4:赤谷層)が
堆積しました。
谷川連峰では、三国山や、万太郎山の中腹部に分布していますが、谷川連峰に
分布するこの層は、後から貫入してきた深成岩による接触変成作用によりかなり
硬くなっているようです(文献1)。
赤谷層の形成後、海は逆に浅くなって徐々に陸地化したと推定されています。
なお(文献3)で「赤谷頁岩層」と名付けられたものは、この赤谷層に対応します。
(5)三峰山層の形成
約11Maには、この近辺で大規模な火山噴火が起こり、大規模火砕流が発生して、
谷川連峰の南側一帯を覆いました。火砕流堆積物は、溶結凝灰岩となっています
(三峰山層)。
分布は主に、谷川連峰の南側にある、三峰山(1123m)、大峰山(1255m)、
吾妻耶山(あずまややま;1341m)などに分布しています。
しかし火山活動時には、谷川連峰一帯も、この火砕流堆積物に覆われたと推定
されています(文献2)。
なお、この火砕流をもたらした火山の位置は不明です。
なお、次に約7Maにも、同じような大規模火砕流が生じており、その堆積物は
三峰山、大峰山の山頂部に残っていますが、(文献2)では、これは利根溶結凝灰岩と
している一方で、(文献1)では、約11Maの三峰層と同質としています。
(6)利根溶結凝灰岩層の形成
(文献1)と(文献2)では、この地層の形成時代の記載に違いがあります。
(文献1)では、約6−5Maの噴火、(文献2)では、約7Maの噴火とされて
います。
この利根溶結凝灰岩は、谷川連峰自体には現在は分布していませんが、
噴火当時は谷川連峰一帯もこの層に覆われたと推定されています(文献2)。
また、噴火場所は、日光の奥鬼怒地域ではないかと推定されています(文献2)。
このように、新第三紀 中新世の谷川連峰一帯は、火山活動が起こったり、
沈降活動が起きて深い海になったりと、大きな変動が起こったことが、
現在残されている地質からかなり解っています。
これらの大きな地質学的な活動のうち、赤谷層(海底泥岩層)の形成までは、
日本海拡大/日本列島移動イベント(約20−15Ma)との関連が大きいと
思われます(私見です)。
またこの時期の堆積岩類が谷川連峰の約1800m付近の稜線部にまで分布して
いることは、これらの堆積岩が海中で形成されたのち、谷川連峰がかなり大きな
量の隆起活動によって形成されたことを示していると思います(私見です)。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
(1)大倉層(おおくらそう)の形成
まず約17.5Ma〜17Maに、この地域に激しい火山活動が起き、玄武岩の溶岩が広がり
ました(3−1:大倉層)。
この火山の中心は、現在の谷川岳付近と推定されています(文献2)。
この地層は中新世の各地層の最下部なので、現在では分布が限られていますが、
奥利根の藤原湖周辺のほか、谷川連峰では茂倉岳の山頂部などに分布しています
(文献1)。
なお(文献2)によると、一ノ倉岳の山頂部、谷川岳頂上付近に分布している
(変質)玄武岩類も、この大倉層と推定されています。
現存地層の最大層厚は、約300mです(文献1)。
これは、日本海拡大/日本列島移動イベント(約20−15Ma)の最中に起きた
火山活動なので、そのイベントと関連した火山活動ではないかと思います
(私見です)。
(2)粟沢層(あわざわそう)の形成
続いて約17Ma頃からこの一帯は急激な沈降活動が起き、少なくとも一部は海域に
なったと推定されています。この海域には周辺部から膨大な量の礫(石ころ)が、
川を通じて流れ込み、厚い礫岩の層ができました(3−2:粟沢層)。
礫(石ころ)は、大部分が、前述の大倉層由来の変質玄武岩ですが、藤原ダム付近
では、結晶片岩質の礫が多く認められてます。すでに浸食にて失われていますが、
この当時には、この一帯に、谷川岳山頂部にあるものと同じような、
「上越帯」の変成岩体(結晶片岩)が、わりと広い範囲に存在していたことを
伺わせます。(※ 6−3章もご参照ください。)
また粟沢層の上部は砂岩、泥岩が多くなっており、湖沼堆積物と推定されています
(文献1)。
谷川連峰では、谷川岳と万太郎山との間の部分(オジカ沢の頭付近)と、茂倉岳
山頂部にこの礫岩層があります。
(文献3)で「茂倉岳礫岩層」と名付けられたものは、この粟沢層に対応します。
現存層厚は、谷川岳の西の稜線部で、最大980mとかなり分厚い層です(文献1)。
(3)後閑層(ごかんそう)の形成
約16Ma頃には、この海域で再び火山活動が始まりました。性質は主に流紋岩質で、
若干、安山岩質の岩石を含んでいます。
海底で噴火したと推定されるため(文献2)、火砕岩(凝灰岩、凝灰角礫岩)が
中心で、層状構造を持っていることから海底で堆積していったものと思われます。
なお上部層には若干、溶岩も認められています(3−3:後閑層)。
この地層の現在の分布は、JR上越線の通る谷の東側に幅広く分布していますが、
西側にも部分的に分布しており、谷川連峰では、谷川岳と万太郎山との間、
前述の(3−2;粟沢層)より万太郎山側の狭い範囲に分布しています。
この後閑層の最大層厚は、沼田市で、2600mもあり、かなり活発で長期にわたった
火山活動ではないかと思われます。
なお、(文献3)で「仙ノ倉火砕岩層」と名付けられたものは、この後閑層に
対応します。
(4)赤谷層(あかやそう)の形成
約15.5Maには火山活動は衰える一方で、この領域の沈降運動は続き、
約15.5−14Maには、どんどんと海は深くなり、最大水深時には、約2000m
の海域となったと推定されています(文献1)。
ここには周辺部から流れ込んだ泥が溜まって、泥岩層(3−4:赤谷層)が
堆積しました。
谷川連峰では、三国山や、万太郎山の中腹部に分布していますが、谷川連峰に
分布するこの層は、後から貫入してきた深成岩による接触変成作用によりかなり
硬くなっているようです(文献1)。
赤谷層の形成後、海は逆に浅くなって徐々に陸地化したと推定されています。
なお(文献3)で「赤谷頁岩層」と名付けられたものは、この赤谷層に対応します。
(5)三峰山層の形成
約11Maには、この近辺で大規模な火山噴火が起こり、大規模火砕流が発生して、
谷川連峰の南側一帯を覆いました。火砕流堆積物は、溶結凝灰岩となっています
(三峰山層)。
分布は主に、谷川連峰の南側にある、三峰山(1123m)、大峰山(1255m)、
吾妻耶山(あずまややま;1341m)などに分布しています。
しかし火山活動時には、谷川連峰一帯も、この火砕流堆積物に覆われたと推定
されています(文献2)。
なお、この火砕流をもたらした火山の位置は不明です。
なお、次に約7Maにも、同じような大規模火砕流が生じており、その堆積物は
三峰山、大峰山の山頂部に残っていますが、(文献2)では、これは利根溶結凝灰岩と
している一方で、(文献1)では、約11Maの三峰層と同質としています。
(6)利根溶結凝灰岩層の形成
(文献1)と(文献2)では、この地層の形成時代の記載に違いがあります。
(文献1)では、約6−5Maの噴火、(文献2)では、約7Maの噴火とされて
います。
この利根溶結凝灰岩は、谷川連峰自体には現在は分布していませんが、
噴火当時は谷川連峰一帯もこの層に覆われたと推定されています(文献2)。
また、噴火場所は、日光の奥鬼怒地域ではないかと推定されています(文献2)。
このように、新第三紀 中新世の谷川連峰一帯は、火山活動が起こったり、
沈降活動が起きて深い海になったりと、大きな変動が起こったことが、
現在残されている地質からかなり解っています。
これらの大きな地質学的な活動のうち、赤谷層(海底泥岩層)の形成までは、
日本海拡大/日本列島移動イベント(約20−15Ma)との関連が大きいと
思われます(私見です)。
またこの時期の堆積岩類が谷川連峰の約1800m付近の稜線部にまで分布して
いることは、これらの堆積岩が海中で形成されたのち、谷川連峰がかなり大きな
量の隆起活動によって形成されたことを示していると思います(私見です)。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
3)グループ4:鮮新世 深成岩類(主に花崗閃緑岩)
鮮新世(約5.3Ma〜約2.6Ma)の深成岩類は、谷川連峰の山腹を中心にかなり広い範囲に分布しています。
具体的には、谷川連峰の新潟側山腹の大部分、南北主脈の東側の東方岩壁群の下部、湯檜曾川上流部、東方山群(朝日岳、笠ヶ岳、白毛門)の頂上部を除く大部分などです。
また6−2章で説明した、上信越国境付近の佐武流山(さぶりゅうやま)付近も、この地質の分布ゾーンにあたり、ここで説明している谷川岳花崗閃緑岩体の続きではないかと思われます(私見です)。
(文献4)によると、この深成岩体は、ほとんどが花崗閃緑岩で、中心部にわずかに花崗岩が分布しています。各地域での岩相の特徴から、マントルから上昇してきた一つのマグマの塊が、地下で冷却、固化したものと考えられています。
また(文献5)では、この花崗閃緑岩体のK−Ar法での形成年代(冷却・固化年代)が調べられており、約3−4Maの値が得られています。
なお(文献5)では、測定結果をもとに、この花崗閃緑岩体を含む谷川連峰一帯の隆起量を推定しており、鮮新世の約4Maから現在までの隆起量は、約5500mにも及ぶと計算されています。
その他、産総研「シームレス地質図v2」をよく見ると、谷川連峰の北西側、苗場山との間には、同じ鮮新世に貫入した「閃緑岩」が部分的に分布しています。
谷川連峰には、関東北部の山々の中では珍しく、若い火山がありませんが、数Ma前までは、地下深くでマグマが生成していたことがわかる岩体です。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
具体的には、谷川連峰の新潟側山腹の大部分、南北主脈の東側の東方岩壁群の下部、湯檜曾川上流部、東方山群(朝日岳、笠ヶ岳、白毛門)の頂上部を除く大部分などです。
また6−2章で説明した、上信越国境付近の佐武流山(さぶりゅうやま)付近も、この地質の分布ゾーンにあたり、ここで説明している谷川岳花崗閃緑岩体の続きではないかと思われます(私見です)。
(文献4)によると、この深成岩体は、ほとんどが花崗閃緑岩で、中心部にわずかに花崗岩が分布しています。各地域での岩相の特徴から、マントルから上昇してきた一つのマグマの塊が、地下で冷却、固化したものと考えられています。
また(文献5)では、この花崗閃緑岩体のK−Ar法での形成年代(冷却・固化年代)が調べられており、約3−4Maの値が得られています。
なお(文献5)では、測定結果をもとに、この花崗閃緑岩体を含む谷川連峰一帯の隆起量を推定しており、鮮新世の約4Maから現在までの隆起量は、約5500mにも及ぶと計算されています。
その他、産総研「シームレス地質図v2」をよく見ると、谷川連峰の北西側、苗場山との間には、同じ鮮新世に貫入した「閃緑岩」が部分的に分布しています。
谷川連峰には、関東北部の山々の中では珍しく、若い火山がありませんが、数Ma前までは、地下深くでマグマが生成していたことがわかる岩体です。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
(参考文献)
文献1) 高橋、斎藤、梅津
「群馬県北部水上地域に分布する中新統の地質と年代」
地球科学 第45巻 p435-452 (1991)
https://staff.aist.go.jp/msk.takahashi/pdf/1991/Takahashi%20et%20al.%20(1991b).pdf
文献2)
「みなかみ町 ホームページ」のうち、
第3章 地形・地質、第2節 地質 の項
https://www.town.minakami.gunma.jp/minakamibr/nature/pdf/nature03.pdf
文献3)赤松、河内、村松、島津、田村
「谷川連峰周辺の地質(既報)」
地球科学 第21巻 (1967)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/agcjchikyukagaku/21/2/21_KJ00005295234/_pdf/-char/ja
文献4)川野、大平、島津
「北部フォッサマグナ 谷川岳鮮新世深成岩体の岩石学」
地質学雑誌、 第98巻 p497-508 (1992)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/98/6/98_6_497/_pdf/-char/ja
文献5)川野、柴田、内海、太平
「谷川岳鮮新世深成岩体のK−Ar年代」
岩鉱、 第87巻 p221-225 (1992)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ganko1988/87/6/87_6_221/_pdf
「群馬県北部水上地域に分布する中新統の地質と年代」
地球科学 第45巻 p435-452 (1991)
https://staff.aist.go.jp/msk.takahashi/pdf/1991/Takahashi%20et%20al.%20(1991b).pdf
文献2)
「みなかみ町 ホームページ」のうち、
第3章 地形・地質、第2節 地質 の項
https://www.town.minakami.gunma.jp/minakamibr/nature/pdf/nature03.pdf
文献3)赤松、河内、村松、島津、田村
「谷川連峰周辺の地質(既報)」
地球科学 第21巻 (1967)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/agcjchikyukagaku/21/2/21_KJ00005295234/_pdf/-char/ja
文献4)川野、大平、島津
「北部フォッサマグナ 谷川岳鮮新世深成岩体の岩石学」
地質学雑誌、 第98巻 p497-508 (1992)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/98/6/98_6_497/_pdf/-char/ja
文献5)川野、柴田、内海、太平
「谷川岳鮮新世深成岩体のK−Ar年代」
岩鉱、 第87巻 p221-225 (1992)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ganko1988/87/6/87_6_221/_pdf
このリンク先の、6−1章の文末には、第6部「関東北部の山々の地質」の各章へのリンク、及び、序章(本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第6部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第6部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2021年1月18日
△改訂1;文章見直し、修正。6−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月3日
△改訂1;文章見直し、修正。6−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月3日
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