(はじめに)
前の第8−2章では、「空知―エゾ帯」の地質について説明しました。
この第8−3章では、「空知―エゾ帯」の東側にあり、「空知―エゾ帯」と共に、北海道中軸部を構成している、「日高帯」の地質について説明します。
さて、「日高帯」は、(文献1)でも書かれているように、どこまでを「日高帯」とするかという東西の境界問題、さらに、「日高帯」をどういう地質ゾーンとして考えるか?という点で、いまだコンセンサスが得られておらず、なかなか説明も難しい「地帯」です。
ここでは、(文献1)で書かれている地帯構造区分の「日高帯」を基本として説明します。
また、(文献1)における「日高帯」は、前の「空知―エゾ帯」と同様、由来や形成過程が異なると思われる複数の地質体を、便宜上まとめたような「地帯」です。
そこでこの章では説明の都合上、「日高帯」を、以下の4つの「亜帯」に分け、それぞれの「亜帯」毎に説明します。
・「日高帯」を構成する「亜帯」(注1)
a)「日高変成帯」
(従来、「日高変成帯主帯」と呼ばれていた「亜帯」(文献1−a、1−b))
b)「ポロシリオフィオライト帯」
(従来、「日高変成帯西帯」と呼ばれていた「亜帯」(文献1−a、1−c))
c)「中の川層群」
(従来、「日高累層群」と呼ばれていた「地帯」の一部(文献1−d))
d)「日高帯北部」地域
(従来、「日高累層群」と呼ばれていた「地帯」の一部
(文献1−e)、(文献1−f))
(「日高帯中部」地域も、ここに含めて説明します)
注1)この章で分類した「亜帯」は、「亜帯」の名称も含め、必ずしもオーソライズ
された区分、名称ではありません。
この章での説明のために、(文献1)を参考とし、筆者(私)が
便宜上分けたものです。
この第8−3章では、「空知―エゾ帯」の東側にあり、「空知―エゾ帯」と共に、北海道中軸部を構成している、「日高帯」の地質について説明します。
さて、「日高帯」は、(文献1)でも書かれているように、どこまでを「日高帯」とするかという東西の境界問題、さらに、「日高帯」をどういう地質ゾーンとして考えるか?という点で、いまだコンセンサスが得られておらず、なかなか説明も難しい「地帯」です。
ここでは、(文献1)で書かれている地帯構造区分の「日高帯」を基本として説明します。
また、(文献1)における「日高帯」は、前の「空知―エゾ帯」と同様、由来や形成過程が異なると思われる複数の地質体を、便宜上まとめたような「地帯」です。
そこでこの章では説明の都合上、「日高帯」を、以下の4つの「亜帯」に分け、それぞれの「亜帯」毎に説明します。
・「日高帯」を構成する「亜帯」(注1)
a)「日高変成帯」
(従来、「日高変成帯主帯」と呼ばれていた「亜帯」(文献1−a、1−b))
b)「ポロシリオフィオライト帯」
(従来、「日高変成帯西帯」と呼ばれていた「亜帯」(文献1−a、1−c))
c)「中の川層群」
(従来、「日高累層群」と呼ばれていた「地帯」の一部(文献1−d))
d)「日高帯北部」地域
(従来、「日高累層群」と呼ばれていた「地帯」の一部
(文献1−e)、(文献1−f))
(「日高帯中部」地域も、ここに含めて説明します)
注1)この章で分類した「亜帯」は、「亜帯」の名称も含め、必ずしもオーソライズ
された区分、名称ではありません。
この章での説明のために、(文献1)を参考とし、筆者(私)が
便宜上分けたものです。
1)日高変成帯
1−1)「日高変成帯」の名称、範囲について
「日高変成帯」という「地帯」名称は、従来は次節の「ポロシリオフィオライト帯」も含めた「地帯」(もしくは「亜帯」)に付けられていた名称で、日高山脈に沿って帯状に南北に分布する、変成岩類の分布域の総称でした。
(以下この部分を、説明のために「旧・日高変成帯」と書くことにします。なお文献1−a)、1−b)、1−c)では この部分を「“」付きで「”日高変成帯“」と表記しています。)
文献1−a)によると、「旧・日高変成帯」については、1990年代に、日高山脈の稜線よりやや西側に沿って延びる断層(かつ地質境界線)である、「日高主衝上断層」(ひだか・しゅ・しょうじょう・だんそう:”Hidaka Main Thrust”、略称は “HMT”)によって、二つの由来が異なる「亜帯」に分ける考え方ができ、HMTより東側(日高山脈主稜線を含む)を「日高変成帯主帯」と呼び、HMTより西側(日高山脈の西側山腹部の、幅 約1-4kmの細長い地質体部分)を、「日高変成帯西帯」と呼ぶようになりました(文献2)
現在入手可能な成書、各種文献でも、上記の「日高変成帯主帯」、「日高変成帯西帯」という表記は、良く使われています。
が、(文献1)においては、(文献3)、(文献4)などを元に、「日高変成帯西帯」を「ポロシリオフィオライト帯」と表記し、「日高変成帯主帯」を、(狭義の)「日高変成帯」と表記しています。
この章でも、上記の表記法に従います。
(以下この部分を、説明のために「旧・日高変成帯」と書くことにします。なお文献1−a)、1−b)、1−c)では この部分を「“」付きで「”日高変成帯“」と表記しています。)
文献1−a)によると、「旧・日高変成帯」については、1990年代に、日高山脈の稜線よりやや西側に沿って延びる断層(かつ地質境界線)である、「日高主衝上断層」(ひだか・しゅ・しょうじょう・だんそう:”Hidaka Main Thrust”、略称は “HMT”)によって、二つの由来が異なる「亜帯」に分ける考え方ができ、HMTより東側(日高山脈主稜線を含む)を「日高変成帯主帯」と呼び、HMTより西側(日高山脈の西側山腹部の、幅 約1-4kmの細長い地質体部分)を、「日高変成帯西帯」と呼ぶようになりました(文献2)
現在入手可能な成書、各種文献でも、上記の「日高変成帯主帯」、「日高変成帯西帯」という表記は、良く使われています。
が、(文献1)においては、(文献3)、(文献4)などを元に、「日高変成帯西帯」を「ポロシリオフィオライト帯」と表記し、「日高変成帯主帯」を、(狭義の)「日高変成帯」と表記しています。
この章でも、上記の表記法に従います。
1−2)「日高変成帯」を構成する地質とその層序
「日高変成帯」は、日高山脈のうち、南北に延びる主稜線部、その東側(十勝側)山腹・山麓部、および主稜線の西側の一部(HMTまでの範囲)に分布している、高温型変成岩を主体とし、一部に深成岩類を含む「亜帯」です。
「日高変成帯」を構成している地質(岩石類)のうち、深成岩類を除く地質は変成岩類であり、かつ東側から西側に向かうに従い、変成度が増していく傾向が認められています。
また変成岩の分類上は、高温型(高温低圧型、あるいは低P/T型)変成岩に分類されています。
特に「日高変成帯」の中部(カムエク岳、ペテガリ岳、ヤオロマップ岳、神威岳付近)では、東側(十勝側)から西(石狩側)へと順に、低変成度の堆積岩、中変成度である結晶片岩類(主に泥質片岩)や片麻岩、高変成度である角閃岩、グラニュライトが、割ときれいに並んで分布しており、変成岩の詳しい研究も、この日高変成帯中部の岩石を元に進んでいます(文献1−b)。
この分布状況は、産総研「シームレス地質図v2」でも良く確認できます。
なお、「日高変成帯」では高温型変成岩類以外に、深成岩類として、トーナル岩が部分的に分布しています。トーナル岩は、地下深くで珪長質マグマができ、「日高変成帯」中の衝上断層に沿って、そのマグマが貫入してできた岩石だと推定されています。
さらに「日高変成帯」の北部(ピパイロ岳から日勝峠付近)、及び「日高変成帯」の南部(楽古岳〜襟裳岬付近、およびアポイ岳付近)には、苦鉄質深成岩であるハンレイ岩や、超苦鉄質岩(=マントル由来の岩石)であるカンラン岩類(カンラン岩、蛇紋岩)が比較的広範囲に分布している一方、変成岩類の分布が限られています。これらの苦鉄質岩、超苦鉄質岩類と、日高変成岩類との関係は、必ずしも明確にはなっていないようです。
「日高変成帯」中の変成岩の(変成作用を受ける前の)原岩としては、東側の低〜中変成度領域は、泥質、砂質の堆積岩が主で、西側の高変成度領域は、苦鉄質岩が主だと推定されています(文献1−b)
「日高変成帯」を構成している地質(岩石類)のうち、深成岩類を除く地質は変成岩類であり、かつ東側から西側に向かうに従い、変成度が増していく傾向が認められています。
また変成岩の分類上は、高温型(高温低圧型、あるいは低P/T型)変成岩に分類されています。
特に「日高変成帯」の中部(カムエク岳、ペテガリ岳、ヤオロマップ岳、神威岳付近)では、東側(十勝側)から西(石狩側)へと順に、低変成度の堆積岩、中変成度である結晶片岩類(主に泥質片岩)や片麻岩、高変成度である角閃岩、グラニュライトが、割ときれいに並んで分布しており、変成岩の詳しい研究も、この日高変成帯中部の岩石を元に進んでいます(文献1−b)。
この分布状況は、産総研「シームレス地質図v2」でも良く確認できます。
なお、「日高変成帯」では高温型変成岩類以外に、深成岩類として、トーナル岩が部分的に分布しています。トーナル岩は、地下深くで珪長質マグマができ、「日高変成帯」中の衝上断層に沿って、そのマグマが貫入してできた岩石だと推定されています。
さらに「日高変成帯」の北部(ピパイロ岳から日勝峠付近)、及び「日高変成帯」の南部(楽古岳〜襟裳岬付近、およびアポイ岳付近)には、苦鉄質深成岩であるハンレイ岩や、超苦鉄質岩(=マントル由来の岩石)であるカンラン岩類(カンラン岩、蛇紋岩)が比較的広範囲に分布している一方、変成岩類の分布が限られています。これらの苦鉄質岩、超苦鉄質岩類と、日高変成岩類との関係は、必ずしも明確にはなっていないようです。
「日高変成帯」中の変成岩の(変成作用を受ける前の)原岩としては、東側の低〜中変成度領域は、泥質、砂質の堆積岩が主で、西側の高変成度領域は、苦鉄質岩が主だと推定されています(文献1−b)
1−3)「日高変成帯」の形成と露出のメカニズム
この「日高変成帯」を構成する変成岩類は、そのきれいな帯状の分布、東から西側へと累進的に変成度が上がるという特徴、および変成岩の推定変成条件を元に、元々は島弧の地殻を構成していた岩石だったものが、おそらく千島外弧の西進運動により、圧力を受けて、めくれ上がったような状態になっている(=島弧の地下断面が地表に現れている)、と推定されています(文献1―b、文献5−a、文献6 ほか)。
最も変成度の高い、HMTに近い部分(もっとも西側部分)に分布するグラニュライト類は、圧力でいうと約700MPa、深さに換算すると、約20-23kmに相当すると推定されています(文献1−bの、図4.3.1)。
つまり、本来は地表から地下深く(マントルとの境界であるモホ面まで)までを構成している島弧地殻のうち、地表部から深さ約23kmまでの部分の断面が、現在、地表に現れている、ということができ、日本列島の地質の中でも、非常に珍しい地質構造が地表に現れている、と言えます。
なお、その島弧とは、現在の千島弧であると考える学説が多いようです(例えば、(文献5−a),(文献6))。
一方、(文献1−b)では、白亜紀末から古第三紀初頭にかけ、「日高島弧」というものが存在し、その「日高島弧」が横倒しになって、島弧断面を表している、と考察しています。
ただし「日高島弧」とはそもそもどのような状況下で形成され、どのような地史を持つ島弧なのか?という点は、(文献1−b)では明確にされていません。
最も変成度の高い、HMTに近い部分(もっとも西側部分)に分布するグラニュライト類は、圧力でいうと約700MPa、深さに換算すると、約20-23kmに相当すると推定されています(文献1−bの、図4.3.1)。
つまり、本来は地表から地下深く(マントルとの境界であるモホ面まで)までを構成している島弧地殻のうち、地表部から深さ約23kmまでの部分の断面が、現在、地表に現れている、ということができ、日本列島の地質の中でも、非常に珍しい地質構造が地表に現れている、と言えます。
なお、その島弧とは、現在の千島弧であると考える学説が多いようです(例えば、(文献5−a),(文献6))。
一方、(文献1−b)では、白亜紀末から古第三紀初頭にかけ、「日高島弧」というものが存在し、その「日高島弧」が横倒しになって、島弧断面を表している、と考察しています。
ただし「日高島弧」とはそもそもどのような状況下で形成され、どのような地史を持つ島弧なのか?という点は、(文献1−b)では明確にされていません。
2)ポロシリオフィオライト帯
2−1)ポロシリオフィオライト帯の概要
「ポロシリオフィオライト帯」という「亜帯」は、「日高変成帯」の西側(石狩側)に沿って、幅が約1ー4km、長さは南北に約60kmと、紐のような細長い形状で分布している「亜帯」です。
西側の「日高変成帯」との境界は、日高主衝上断層(HMT)という断層で区切られています。また東側は「イドンナップ帯」と、日高西縁衝上断層(略称:HWT、Hidaka West Thrust)という断層で区切られています。
本稿では「ポロシリオフィオライト帯」について、(文献1−c)を元に、説明します。
なおここで、「ポロシリ」という名称は、日高山脈最高峰、かつ百名山の一つでもある「幌尻岳(ぽろしりだけ:2052m)に基づくと思われ、実際、幌尻岳を含む地域は、この「ポロシリオフィオライト帯」に含まれます。
また「オフィオライト(Ophiolite)」とは、玄武岩、ハンレイ岩、超苦鉄質岩類を主な構成要素とする複合岩体が、島弧や大陸中に分布しているものを意味し、海洋地殻(もしくは海洋プレート)の断片だと考えられています。 注2)、注3)
この「ポロシリオフィオライト帯」を構成している岩石類は、後の変成作用により、ほとんどが、変成岩の一種である結晶片岩や角閃岩に変化しています。
産総研「シームレス地質図v2」では、この「亜帯」の構成岩石を、苦鉄質片岩、苦鉄質グラノフェルス、角閃岩、変成ハンレイ岩、変成カンラン岩と記載しています。
この「亜帯」の岩石のほとんどが、変成岩化していますが、化学組成分析などにより、原岩が復元されており、玄武岩、ハンレイ岩、カンラン岩類が原岩と推定されています(文献1−c)、(文献4)。
このことより、この「ポロシリオフィオライト帯」は、海洋地殻(もしくは海洋プレート)がトラップされたのち、変成作用を受けたものと推定されています。
いずれにしろ、西側にある島弧起源とされる「日高変成帯」とは、由来が異なります。
ーーーーーーー
(以下 注釈の項)
注2)「海洋地殻」とは、海洋底を構成する岩石のうち、マントルより上の部分を意味し、
主に、上部が玄武岩類、下部がハンレイ岩(玄武岩の深成岩相に相当)により
構成されています(岩石の化学組成による定義)。
海洋地殻を構成する玄武岩、ハンレイ岩はともに、鉄やマグネシウム含有量が
多いことが特徴であり、岩石分類上は「苦鉄質岩」と呼ばれます
(文献7)、(文献8)、(文献9)。
一方「海洋プレート」とは、「海洋地殻」に加え、マントル上部の一部を含んだ、
剛体的な力学的性質を持つ、板状の部分を意味します(力学的、物性科学的な定義)。
海洋プレートに含まれるマントル上部は、カンラン岩類からなると
推定されています。
カンラン岩類は地殻内や地表では、水分(H2O)と反応して蛇紋岩へと変化する
ことが多く、日本列島の中でも、マントルを構成していたカンラン岩が
そのまま変成せずに地表に現れているのは、北海道のアポイ岳付近
(「幌満カンラン岩体」)と、四国の東赤石岳付近(「東赤石カンラン岩体」)
程度です(文献7、文献8、ほか)。
一方、蛇紋岩は、北アルプスの八方尾根、東北の早池峰山など、
日本列島の各所に分布しています。
カンラン岩類は「苦鉄質岩」よりさらに、鉄やマグネシウム分が多いのが特徴で、
日本語では「超苦鉄質岩類」と呼ばれます。(文献8)、(文献9)。
注3)「オフィオライト」については、日本におけるオフィオライト研究の第一人者、
ともいえる石渡先生が作成した、文献10)に詳しい説明があります。
ここで説明した「ポロシリオフィオライト」の他、日本列島内では、
近畿地方北部にある「夜久野(やくの)オフィオライト」や、
「大江山オフィオライト」が有名です。
西側の「日高変成帯」との境界は、日高主衝上断層(HMT)という断層で区切られています。また東側は「イドンナップ帯」と、日高西縁衝上断層(略称:HWT、Hidaka West Thrust)という断層で区切られています。
本稿では「ポロシリオフィオライト帯」について、(文献1−c)を元に、説明します。
なおここで、「ポロシリ」という名称は、日高山脈最高峰、かつ百名山の一つでもある「幌尻岳(ぽろしりだけ:2052m)に基づくと思われ、実際、幌尻岳を含む地域は、この「ポロシリオフィオライト帯」に含まれます。
また「オフィオライト(Ophiolite)」とは、玄武岩、ハンレイ岩、超苦鉄質岩類を主な構成要素とする複合岩体が、島弧や大陸中に分布しているものを意味し、海洋地殻(もしくは海洋プレート)の断片だと考えられています。 注2)、注3)
この「ポロシリオフィオライト帯」を構成している岩石類は、後の変成作用により、ほとんどが、変成岩の一種である結晶片岩や角閃岩に変化しています。
産総研「シームレス地質図v2」では、この「亜帯」の構成岩石を、苦鉄質片岩、苦鉄質グラノフェルス、角閃岩、変成ハンレイ岩、変成カンラン岩と記載しています。
この「亜帯」の岩石のほとんどが、変成岩化していますが、化学組成分析などにより、原岩が復元されており、玄武岩、ハンレイ岩、カンラン岩類が原岩と推定されています(文献1−c)、(文献4)。
このことより、この「ポロシリオフィオライト帯」は、海洋地殻(もしくは海洋プレート)がトラップされたのち、変成作用を受けたものと推定されています。
いずれにしろ、西側にある島弧起源とされる「日高変成帯」とは、由来が異なります。
ーーーーーーー
(以下 注釈の項)
注2)「海洋地殻」とは、海洋底を構成する岩石のうち、マントルより上の部分を意味し、
主に、上部が玄武岩類、下部がハンレイ岩(玄武岩の深成岩相に相当)により
構成されています(岩石の化学組成による定義)。
海洋地殻を構成する玄武岩、ハンレイ岩はともに、鉄やマグネシウム含有量が
多いことが特徴であり、岩石分類上は「苦鉄質岩」と呼ばれます
(文献7)、(文献8)、(文献9)。
一方「海洋プレート」とは、「海洋地殻」に加え、マントル上部の一部を含んだ、
剛体的な力学的性質を持つ、板状の部分を意味します(力学的、物性科学的な定義)。
海洋プレートに含まれるマントル上部は、カンラン岩類からなると
推定されています。
カンラン岩類は地殻内や地表では、水分(H2O)と反応して蛇紋岩へと変化する
ことが多く、日本列島の中でも、マントルを構成していたカンラン岩が
そのまま変成せずに地表に現れているのは、北海道のアポイ岳付近
(「幌満カンラン岩体」)と、四国の東赤石岳付近(「東赤石カンラン岩体」)
程度です(文献7、文献8、ほか)。
一方、蛇紋岩は、北アルプスの八方尾根、東北の早池峰山など、
日本列島の各所に分布しています。
カンラン岩類は「苦鉄質岩」よりさらに、鉄やマグネシウム分が多いのが特徴で、
日本語では「超苦鉄質岩類」と呼ばれます。(文献8)、(文献9)。
注3)「オフィオライト」については、日本におけるオフィオライト研究の第一人者、
ともいえる石渡先生が作成した、文献10)に詳しい説明があります。
ここで説明した「ポロシリオフィオライト」の他、日本列島内では、
近畿地方北部にある「夜久野(やくの)オフィオライト」や、
「大江山オフィオライト」が有名です。
2−2)「ポロシリオフィオライト帯」の起源、地史について
「ポロシリオフィオライト帯」の起源や地史は、必ずしも明確にはなっていないようです。そもそも「島弧」起源の「地帯」と、「海洋プレート」起源の「地帯」とが隣接していることが、非常に不思議なことに思われます。
文献1−c)、文献4)(いずれも同じ筆者)によると、「ポロシリオフィオライト帯」は、白亜紀中期に形成された海洋プレートがその起源であり、何らかのテクトニックな活動によって、その一部が島弧の一部に取り込まれ、その後、地下深くの高温高圧下の条件下で変成作用を受け、さらにその後、上昇に転じて現在、地表に現れている、と推定されています。
ただし前述のとおり、この「ポロシリオフィオライト帯」の西側にある「日高変成帯」との間は衝上断層(HMT)で、東側にある「イドンナップ帯」との間も衝上断層(HWT)で区切られており、両側の地質体(「亜帯」)との地史的な関係、関連は不明です。
文献1−c)、文献4)(いずれも同じ筆者)によると、「ポロシリオフィオライト帯」は、白亜紀中期に形成された海洋プレートがその起源であり、何らかのテクトニックな活動によって、その一部が島弧の一部に取り込まれ、その後、地下深くの高温高圧下の条件下で変成作用を受け、さらにその後、上昇に転じて現在、地表に現れている、と推定されています。
ただし前述のとおり、この「ポロシリオフィオライト帯」の西側にある「日高変成帯」との間は衝上断層(HMT)で、東側にある「イドンナップ帯」との間も衝上断層(HWT)で区切られており、両側の地質体(「亜帯」)との地史的な関係、関連は不明です。
3)中の川層群
「中の川層群」とは、日高山脈の東側(十勝側)の山麓部に、日高山脈の延びる方向と
同じく、南北に分布する、堆積岩よりなる地層群の名前です。
東西方向の幅が10―20km、南北方向の長さが約60kmの細長い地層群です。
また以前は、4)項の「日高帯北部」地域や「日高帯中部」地域の地層群と共に、
まとめて「日高累層群(ひだかるいそうぐん)」と呼ばれていた地質群です。
「中の川層群」の西側は「日高変成帯」に接しています。東側は十勝平野にある
「広尾断層」という断層で、さらに東側の新第三紀の地質と接しています。
産総研「シームレス地質図v2」においては、日高山脈の十勝側山麓に沿って、
「砂岩、泥岩、砂岩泥岩互層;後期白亜紀−始新世付加体」と表記されている
地質ゾーンが、ここでいう「中の川層群」に相当します。
「中の川層群」は、ここでは(文献1)に基づいて、「日高帯」の一部として説明しますが、
その東側の「地帯」である「常呂帯(ところたい)」に含む、という学説もあるようです。
「中の川層群」については、細かく調査、研究した論文類も少ないようで、(文献1)の中でも、その扱いは2ページ程度とわずかです(文献1−d)。
(文献1−d)によると、「中の川層群」を構成する地質は、主に、砂岩、泥岩、砂泥互層です。(文献1−d)ではこれらをまとめて「タービダイト相」(の地質)と記載しています。
また一部には「メランジュ相」(混在相)を含み、「メランジュ相」域では、玄武岩類、火山性砕屑岩、チャートなどの、海洋プレート起源と思われる岩体が含まれます。
このような地質学的特徴から、一般に「中の川層群」は、付加体性の地質体と推定されていますが、(文献1−d)では、その点は明確に説明されていません。
この「中の川層群」(付加体?)の形成時期(付加年代)は、含まれる放散虫化石より、白亜紀後期(約100〜66Ma)〜古第三紀 暁新世(ぎょうしんせい:66〜56Ma)の年代が推定されています。
「中の川層群」は、西側の「日高変成帯」へと向かい、累進的な弱い変成作用をうけており、このことから元々、「中の川層群」と「日高変成帯」は一体のもので、東側の「中の川層群」が、地殻上部の非変成から弱変成相、西側の「日高変成帯」が、地殻中部〜下部の変成相である、と考えられています。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
同じく、南北に分布する、堆積岩よりなる地層群の名前です。
東西方向の幅が10―20km、南北方向の長さが約60kmの細長い地層群です。
また以前は、4)項の「日高帯北部」地域や「日高帯中部」地域の地層群と共に、
まとめて「日高累層群(ひだかるいそうぐん)」と呼ばれていた地質群です。
「中の川層群」の西側は「日高変成帯」に接しています。東側は十勝平野にある
「広尾断層」という断層で、さらに東側の新第三紀の地質と接しています。
産総研「シームレス地質図v2」においては、日高山脈の十勝側山麓に沿って、
「砂岩、泥岩、砂岩泥岩互層;後期白亜紀−始新世付加体」と表記されている
地質ゾーンが、ここでいう「中の川層群」に相当します。
「中の川層群」は、ここでは(文献1)に基づいて、「日高帯」の一部として説明しますが、
その東側の「地帯」である「常呂帯(ところたい)」に含む、という学説もあるようです。
「中の川層群」については、細かく調査、研究した論文類も少ないようで、(文献1)の中でも、その扱いは2ページ程度とわずかです(文献1−d)。
(文献1−d)によると、「中の川層群」を構成する地質は、主に、砂岩、泥岩、砂泥互層です。(文献1−d)ではこれらをまとめて「タービダイト相」(の地質)と記載しています。
また一部には「メランジュ相」(混在相)を含み、「メランジュ相」域では、玄武岩類、火山性砕屑岩、チャートなどの、海洋プレート起源と思われる岩体が含まれます。
このような地質学的特徴から、一般に「中の川層群」は、付加体性の地質体と推定されていますが、(文献1−d)では、その点は明確に説明されていません。
この「中の川層群」(付加体?)の形成時期(付加年代)は、含まれる放散虫化石より、白亜紀後期(約100〜66Ma)〜古第三紀 暁新世(ぎょうしんせい:66〜56Ma)の年代が推定されています。
「中の川層群」は、西側の「日高変成帯」へと向かい、累進的な弱い変成作用をうけており、このことから元々、「中の川層群」と「日高変成帯」は一体のもので、東側の「中の川層群」が、地殻上部の非変成から弱変成相、西側の「日高変成帯」が、地殻中部〜下部の変成相である、と考えられています。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
4)「日高帯北部」地域など
(文献1)の北海道の「6地帯区分法」に基づくと、「日高帯」は、日高山脈付近だけでなく、その北方延長部として、北海道中央部から東北部(オホーツク海側の沿岸部)も「日高帯」の領域とされています。
この領域には、白亜紀の年代を示す堆積岩ゾーンが大きく2か所あります。
一つは、北海道中部(大雪山系、十勝連峰の東側の山地部分)、もう一つはオホーツク海沿岸部から内陸にかけて(紋別市、滝上、白滝、天塩岳付近)、です。
それ以外に、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、道北の音威子府(おといねっぷ)の東方 約20km付近に、白亜紀の付加体性地質体が孤立して分布しており、また、更に北方の浜頓別(はまとんべつ)付近にも、白亜紀の付加体性地質体が孤立して分布しています。
この第4節では、このうち、北海道中部の地質体(4−1項、「日高帯中部」地域)と、北海道北部の地質体(4−2項、「日高帯北部」地域)について、(文献1−d)および産総研「シームレス地質図v2」に基づき、以下、多少詳しく説明します。
この領域には、白亜紀の年代を示す堆積岩ゾーンが大きく2か所あります。
一つは、北海道中部(大雪山系、十勝連峰の東側の山地部分)、もう一つはオホーツク海沿岸部から内陸にかけて(紋別市、滝上、白滝、天塩岳付近)、です。
それ以外に、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、道北の音威子府(おといねっぷ)の東方 約20km付近に、白亜紀の付加体性地質体が孤立して分布しており、また、更に北方の浜頓別(はまとんべつ)付近にも、白亜紀の付加体性地質体が孤立して分布しています。
この第4節では、このうち、北海道中部の地質体(4−1項、「日高帯中部」地域)と、北海道北部の地質体(4−2項、「日高帯北部」地域)について、(文献1−d)および産総研「シームレス地質図v2」に基づき、以下、多少詳しく説明します。
4−1)「日高帯中部」地域
北海道中部の中生代堆積岩ゾーンは、(文献1−d)では、「上支湧別(かみしゆうべつ)―十勝川上流地域」と呼ばれており、東西に約40km、南北に約70kmのかなり広い範囲に分布しています。ここではこの領域を、「日高帯中部」地域と仮称します。
産総研「シームレス地質図v2」を見ると、十勝平野の北部の丘陵から、十勝川上流域に沿って、ニペソツ岳(2013m)、石狩岳(1932m)、武利岳(ぶりいだけ:1878m)付近へと、北北東−南南西の走向を持つ地質体が分布しており、「混在岩(メランジュ相)、 後期白亜紀―始新世付加体」との説明書きがあります。
この領域が、(文献1−d)で言うところの、「上支湧別(かみしゆうべつ)―十勝川上流地域」(=「日高帯中部」地域)に該当すると思われます。
(文献―d)によると、「日高帯中部」地域における堆積層の厚さは、最大で3400mにも及びます。
また、構成する主な岩石としては、(文献1−d)によると主には砂泥互層で、部分的に泥岩、砂岩、玄武岩類を含みます。まれにチャート、石灰岩の岩塊を含む、とされています。
産総研「シームレス地質図v2」では、「混在岩(=メランジュ相)」との説明書きがあります。
堆積年代は、放散虫化石年代として、白亜紀後期(カンパニアン期;83-72Ma)の値が得られていますが、全領域での詳しい化石年代測定はされていないようで、明確な堆積年代は不明です。
なお玄武岩類は、海洋プレート起源ではなく、現地性の火山活動による噴出物と推定されています。
(文献1−d)では、この「日高帯中部」地域の堆積岩層を、「前弧海盆堆積層」ではないか? としていますが、産総研「シームレス地質図v2」では、「付加体」としており、どちらの見解が正しいか? はっきりしていないようです。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
産総研「シームレス地質図v2」を見ると、十勝平野の北部の丘陵から、十勝川上流域に沿って、ニペソツ岳(2013m)、石狩岳(1932m)、武利岳(ぶりいだけ:1878m)付近へと、北北東−南南西の走向を持つ地質体が分布しており、「混在岩(メランジュ相)、 後期白亜紀―始新世付加体」との説明書きがあります。
この領域が、(文献1−d)で言うところの、「上支湧別(かみしゆうべつ)―十勝川上流地域」(=「日高帯中部」地域)に該当すると思われます。
(文献―d)によると、「日高帯中部」地域における堆積層の厚さは、最大で3400mにも及びます。
また、構成する主な岩石としては、(文献1−d)によると主には砂泥互層で、部分的に泥岩、砂岩、玄武岩類を含みます。まれにチャート、石灰岩の岩塊を含む、とされています。
産総研「シームレス地質図v2」では、「混在岩(=メランジュ相)」との説明書きがあります。
堆積年代は、放散虫化石年代として、白亜紀後期(カンパニアン期;83-72Ma)の値が得られていますが、全領域での詳しい化石年代測定はされていないようで、明確な堆積年代は不明です。
なお玄武岩類は、海洋プレート起源ではなく、現地性の火山活動による噴出物と推定されています。
(文献1−d)では、この「日高帯中部」地域の堆積岩層を、「前弧海盆堆積層」ではないか? としていますが、産総研「シームレス地質図v2」では、「付加体」としており、どちらの見解が正しいか? はっきりしていないようです。
※ ”Ma”は、百万年前を意味する単位
4−2)「日高帯北部」地域
北海道のオホーツク海沿岸部から、内陸部の北見山地の中部から南部にかけても、「日高帯中部」地域と同様の、主に中生代堆積岩からなる地層群が、南北に約40km、東西にも約40kmの範囲で分布しています。
この領域は、(文献1−d)では、「日高帯北部」と呼ばれています。ここでもその呼称を使用します。
産総研「シームレス地質図v2」を見ると、旭川から遠軽(えんがる)へと続くJR石北本線のラインより北側(=北見峠より北側)の、いわゆる「北見山地」に、泥岩、砂泥互層、メランジュ相地質体(形成時代はいずれも白亜紀後期〜古第三紀初期)が分布しており、これが、(文献1−d)でいう「日高帯北部」地域に該当すると思われます。
(文献1−d)によると、「日高帯北部」地域を構成する主な岩石は、前述の北海道中部のものと類似し、砂岩、泥岩、砂泥互層、礫岩、玄武岩質火山岩類です。
「日高帯北部」の地質の形成時期は、(文献1−d)によると、放散虫化石年代として、前期白亜紀〜古第三紀 始新世まで及んでいます。
(文献1−d)では、「日高帯北部」領域は、結局のところ、どういう堆積環境で堆積した地質なのか? (=すなわち、付加体性の地質体なのか? 前弧海盆堆積層のような非付加体性の地質体なのか?) 明確にされていません。
一方、産総研「シームレス地質図v2」の地質解説では、この「日高帯北部」地域のうち、白亜紀〜古第三紀にかけての堆積岩類(泥岩、砂泥互層、混在岩(メランジュ相))を、「後期白亜紀-始新世 付加体」とし、付加体性の地質体であると明記しています。
また、(文献1−d)によると、「日高帯北部」領域のうち、紋別(もんべつ)―湧別(ゆうべつ)の間を境界とし、湧別側の堆積岩類よりなる地質群(湧別層群:ゆうべつそうぐん)は、「日高帯」ではなく、東隣りの「常呂帯(ところたい)」に属する、という考え方も述べられており、「日高帯」、「常呂帯」という「地帯」の定義や、テクトニックな位置づけにも関係し、コンセンサスが得られていないようです。
そもそも、狭義の「日高帯」は元々、日高山脈に分布する変成岩類(日高変成帯)を意味していたのではないか?と思われますが、日高山脈から数百kmも離れたこの地域、かつ変成岩ではなく堆積岩分布域を、同じ「地帯」として良いのか?という疑問もわきます
(この段落は私見です)。
また、日高山脈の東部(十勝側)に分布する堆積岩層である「中の川層群」(本章 第3節)との関連も、明確ではありません。
なお、「日高帯中部」地域にある主な山は、石狩岳(標高:1932m)ぐらいですが、隣接する地域には、第四紀火山であるニペソツ山(2013m)、ウペペサンケ山(1848m)などがあります。
また、「日高帯北部」地域にある主な山は、北見山地に属する、北見富士(標高:1306m)、天塩岳(1558m)、ウエンシリ岳(1142m)などです。
この領域は、(文献1−d)では、「日高帯北部」と呼ばれています。ここでもその呼称を使用します。
産総研「シームレス地質図v2」を見ると、旭川から遠軽(えんがる)へと続くJR石北本線のラインより北側(=北見峠より北側)の、いわゆる「北見山地」に、泥岩、砂泥互層、メランジュ相地質体(形成時代はいずれも白亜紀後期〜古第三紀初期)が分布しており、これが、(文献1−d)でいう「日高帯北部」地域に該当すると思われます。
(文献1−d)によると、「日高帯北部」地域を構成する主な岩石は、前述の北海道中部のものと類似し、砂岩、泥岩、砂泥互層、礫岩、玄武岩質火山岩類です。
「日高帯北部」の地質の形成時期は、(文献1−d)によると、放散虫化石年代として、前期白亜紀〜古第三紀 始新世まで及んでいます。
(文献1−d)では、「日高帯北部」領域は、結局のところ、どういう堆積環境で堆積した地質なのか? (=すなわち、付加体性の地質体なのか? 前弧海盆堆積層のような非付加体性の地質体なのか?) 明確にされていません。
一方、産総研「シームレス地質図v2」の地質解説では、この「日高帯北部」地域のうち、白亜紀〜古第三紀にかけての堆積岩類(泥岩、砂泥互層、混在岩(メランジュ相))を、「後期白亜紀-始新世 付加体」とし、付加体性の地質体であると明記しています。
また、(文献1−d)によると、「日高帯北部」領域のうち、紋別(もんべつ)―湧別(ゆうべつ)の間を境界とし、湧別側の堆積岩類よりなる地質群(湧別層群:ゆうべつそうぐん)は、「日高帯」ではなく、東隣りの「常呂帯(ところたい)」に属する、という考え方も述べられており、「日高帯」、「常呂帯」という「地帯」の定義や、テクトニックな位置づけにも関係し、コンセンサスが得られていないようです。
そもそも、狭義の「日高帯」は元々、日高山脈に分布する変成岩類(日高変成帯)を意味していたのではないか?と思われますが、日高山脈から数百kmも離れたこの地域、かつ変成岩ではなく堆積岩分布域を、同じ「地帯」として良いのか?という疑問もわきます
(この段落は私見です)。
また、日高山脈の東部(十勝側)に分布する堆積岩層である「中の川層群」(本章 第3節)との関連も、明確ではありません。
なお、「日高帯中部」地域にある主な山は、石狩岳(標高:1932m)ぐらいですが、隣接する地域には、第四紀火山であるニペソツ山(2013m)、ウペペサンケ山(1848m)などがあります。
また、「日高帯北部」地域にある主な山は、北見山地に属する、北見富士(標高:1306m)、天塩岳(1558m)、ウエンシリ岳(1142m)などです。
(参考文献)
文献1)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第1巻 北海道地方」 朝倉書店 刊 (2010)
文献1−a)
文献1)のうち、第4部「日高衝突帯(日高山脈)の地質と岩石」
4―1章 「概説」の項
文献1―b)
文献1)のうち、第4部「日高衝突帯(日高山脈)の地質と岩石」
4−3章 「日高変成帯」の項
及び 図4.3.1「日高変成帯の模式柱状図」
図4.3.2「日高山脈の東西模式断面図」
文献1−c)
文献1)のうち、第4部「日高衝突帯(日高山脈)の地質と岩石」
4−2章 「ポロシリオフィオライト帯」の項
及び 図4.2.2「ポロシリオフィオライトの原岩層序」
文献1−d)
文献1)のうち、第2部「中生代〜古第三紀収束域の地質体」
2−2−4節 「日高帯の付加体」の項のうち、以下の各項
b)項 「大樹(たいき)―広尾(ひろお)地域」の項
c)項 「上支湧別(かみしゆうべつ)―十勝川上流地域」の項
d)項 「中部〜南部 北上山地地域」の項
文献1−e)
文献1)のうち、第2部「中生代〜古第三紀収束域の地質体」
2−2−4節 「日高帯の付加体」の項のうち、
d)項 「中部〜南部北見山地地域」の項
文献1−f)
文献1)のうち、第4部「日高衝突帯(日高山脈)の地質と岩石」
4−4章「日高帯北部の深成岩類」の項
文献2)小松、在田、宮下、前田、本吉
「日高変成帯西帯と主帯の境界」
日本地質学会 第86年会 講演要旨、p289 (1979)
(※ 本論文は、インターネット上に論文本体はアップされていないもよう)
文献3)Miyasita,S and Yoshida,A
“Geology and petrology of the Shimokawa ophiolite (Hokkaido Japan)
Prec. 29th IGC Ophiolite Symposium , part D , pub., Netherland,
p163-182,(1994)
(※ 本論文は、インターネット上に論文本体はアップされていないもよう)
文献4)宮下、足立、田中、中川、木村
「ポロシリオフィオライトの生成場:微量成分組成からの検討」
地質学雑誌、第113巻、p212-221、(2007)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/113/5/113_5_212/_pdf
文献5)小畦(※)、野上、小野、平川 編
「日本の地形 第2巻 北海道」東京大学出版会 刊 (2003)
文献5−a)文献5のうち、
1−3―(2)節「北海道の地質発達史概要」の項
及び、図1.3.5「日高衝突帯及び前縁褶曲・衝上断層帯の地質と地下構造」
※注;「畦」の字は、本来は旧字体
文献6)伊藤
「日高衝突帯−前縁褶曲・衝上断層帯の地殻構造」
石油技術協会誌 第65巻 p103-109 (2000)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/japt1933/65/1/65_1_103/_pdf
文献7) 西本 著
「観察を楽しむ 特徴がわかる 岩石図鑑」ナツメ社 刊 (2020)
文献8) チームG 編
「薄片でよくわかる岩石図鑑」 誠文堂新光社刊 (2014)
文献9)榎並 著、(大谷、長谷川、花輪 編集)
「現代地球科学入門シリーズ 第16巻 岩石学」共立出版 刊 (2013)
文献10)
金沢大学 石渡研究室のホームページのうち、「オフィオライトのページ」の項
http://earth.s.kanazawa-u.ac.jp/ishiwata/ophiol_J.htm
2021年7月 閲覧
「日本地方地質誌 第1巻 北海道地方」 朝倉書店 刊 (2010)
文献1−a)
文献1)のうち、第4部「日高衝突帯(日高山脈)の地質と岩石」
4―1章 「概説」の項
文献1―b)
文献1)のうち、第4部「日高衝突帯(日高山脈)の地質と岩石」
4−3章 「日高変成帯」の項
及び 図4.3.1「日高変成帯の模式柱状図」
図4.3.2「日高山脈の東西模式断面図」
文献1−c)
文献1)のうち、第4部「日高衝突帯(日高山脈)の地質と岩石」
4−2章 「ポロシリオフィオライト帯」の項
及び 図4.2.2「ポロシリオフィオライトの原岩層序」
文献1−d)
文献1)のうち、第2部「中生代〜古第三紀収束域の地質体」
2−2−4節 「日高帯の付加体」の項のうち、以下の各項
b)項 「大樹(たいき)―広尾(ひろお)地域」の項
c)項 「上支湧別(かみしゆうべつ)―十勝川上流地域」の項
d)項 「中部〜南部 北上山地地域」の項
文献1−e)
文献1)のうち、第2部「中生代〜古第三紀収束域の地質体」
2−2−4節 「日高帯の付加体」の項のうち、
d)項 「中部〜南部北見山地地域」の項
文献1−f)
文献1)のうち、第4部「日高衝突帯(日高山脈)の地質と岩石」
4−4章「日高帯北部の深成岩類」の項
文献2)小松、在田、宮下、前田、本吉
「日高変成帯西帯と主帯の境界」
日本地質学会 第86年会 講演要旨、p289 (1979)
(※ 本論文は、インターネット上に論文本体はアップされていないもよう)
文献3)Miyasita,S and Yoshida,A
“Geology and petrology of the Shimokawa ophiolite (Hokkaido Japan)
Prec. 29th IGC Ophiolite Symposium , part D , pub., Netherland,
p163-182,(1994)
(※ 本論文は、インターネット上に論文本体はアップされていないもよう)
文献4)宮下、足立、田中、中川、木村
「ポロシリオフィオライトの生成場:微量成分組成からの検討」
地質学雑誌、第113巻、p212-221、(2007)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/113/5/113_5_212/_pdf
文献5)小畦(※)、野上、小野、平川 編
「日本の地形 第2巻 北海道」東京大学出版会 刊 (2003)
文献5−a)文献5のうち、
1−3―(2)節「北海道の地質発達史概要」の項
及び、図1.3.5「日高衝突帯及び前縁褶曲・衝上断層帯の地質と地下構造」
※注;「畦」の字は、本来は旧字体
文献6)伊藤
「日高衝突帯−前縁褶曲・衝上断層帯の地殻構造」
石油技術協会誌 第65巻 p103-109 (2000)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/japt1933/65/1/65_1_103/_pdf
文献7) 西本 著
「観察を楽しむ 特徴がわかる 岩石図鑑」ナツメ社 刊 (2020)
文献8) チームG 編
「薄片でよくわかる岩石図鑑」 誠文堂新光社刊 (2014)
文献9)榎並 著、(大谷、長谷川、花輪 編集)
「現代地球科学入門シリーズ 第16巻 岩石学」共立出版 刊 (2013)
文献10)
金沢大学 石渡研究室のホームページのうち、「オフィオライトのページ」の項
http://earth.s.kanazawa-u.ac.jp/ishiwata/ophiol_J.htm
2021年7月 閲覧
この8−1章の最後には、第8部 「北海道の山々の地質」の各章へのリンクを付けています。
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【書記事項】
初版リリース;2021年7月17日
△ 改訂1;字句修正、書記事項追記など(2021年12月25日)
△最新改訂年月日;2021年12月25日
△ 改訂1;字句修正、書記事項追記など(2021年12月25日)
△最新改訂年月日;2021年12月25日
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