(はじめに)
前の2−3章、2−4章ではそれぞれ、中生代のうち、「トリアス紀」、「ジュラ紀」における、「アルプス地域」注1)のテクトニクスと地質体について説明しました。
この2−5章では、「ジュラ紀」に続く時代である「白亜紀」における、「アルプス地域」のテクトニクスと地質体について、(文献1)をベースに説明します。
「白亜紀」は、約145Ma〜約65Maの、約8000万年も続く長い時代です。「ジュラ紀」とともに、恐竜時代でもあります(恐竜などは、「白亜紀」末の小天体衝突イベントにより絶滅したことは有名ですね)
「白亜紀」は、「世」(epoch)レベルでは、「前期」(early)と「後期」(late)の2つに区分され、「期」(stage)レベルでは、12に区分されています(文献2)。
(「白亜紀」におけるグローバルな状況、古地理などは、(文献2)もご参照ください)
「ジュラ紀」と共に「白亜紀」は、現世の「ヨーロッパアルプス」を形成している地質体(主に堆積岩)の多くが形成された時代です。続く新生代の「アルプス造山運動」を始めるための準備段階といった位置付け、とも言えましょう。一方でテクトニクス的には、「ジュラ紀」と比べると色々な変化が生じた時代でもあります。
まず第(1)節では、白亜紀における「アルプス地域」とその周辺の広域的なテクトニクス、および古地理図に基づいた説明を行います。
続く第(2)節〜第(4)節では、それぞれの「地質区」ごとに、テクトニクス的状況、及び形成された地質体を説明します。
この2−5章では、「ジュラ紀」に続く時代である「白亜紀」における、「アルプス地域」のテクトニクスと地質体について、(文献1)をベースに説明します。
「白亜紀」は、約145Ma〜約65Maの、約8000万年も続く長い時代です。「ジュラ紀」とともに、恐竜時代でもあります(恐竜などは、「白亜紀」末の小天体衝突イベントにより絶滅したことは有名ですね)
「白亜紀」は、「世」(epoch)レベルでは、「前期」(early)と「後期」(late)の2つに区分され、「期」(stage)レベルでは、12に区分されています(文献2)。
(「白亜紀」におけるグローバルな状況、古地理などは、(文献2)もご参照ください)
「ジュラ紀」と共に「白亜紀」は、現世の「ヨーロッパアルプス」を形成している地質体(主に堆積岩)の多くが形成された時代です。続く新生代の「アルプス造山運動」を始めるための準備段階といった位置付け、とも言えましょう。一方でテクトニクス的には、「ジュラ紀」と比べると色々な変化が生じた時代でもあります。
まず第(1)節では、白亜紀における「アルプス地域」とその周辺の広域的なテクトニクス、および古地理図に基づいた説明を行います。
続く第(2)節〜第(4)節では、それぞれの「地質区」ごとに、テクトニクス的状況、及び形成された地質体を説明します。
2−5章 第(1)節 「白亜紀」における「アルプス地域」のテクトニクス概要と古地理
先にも述べたように「白亜紀」は、「前期」(約145〜100Ma)と「後期」(約100〜66Ma)の2つの時代に大別されますが、(文献1)によると、「白亜紀」の「前期」と「後期」では、「アルプス地域」とその周辺のテクトニクス的状況が少し変化します。
そこでこの第(1)節では、「白亜紀」における「アルプス地域」のテクトニクス概要と古地理について、「前期」((1)―A項)と「後期」((1)―B項)に分け、(文献1−1)、(文献1−2)をベースに説明します。
そこでこの第(1)節では、「白亜紀」における「アルプス地域」のテクトニクス概要と古地理について、「前期」((1)―A項)と「後期」((1)―B項)に分け、(文献1−1)、(文献1−2)をベースに説明します。
(1)−A項) 「白亜紀」前期のテクトニクスと古地理
図1に、「白亜紀」前期のうち「アプチアン期」(Aptian;125Ma)における、「アルプス地域」の古地理図を示します。これは(文献1―2)の図3−28からの引用です。
この時代、大まかな古地理や「地質区」(注2)の構成は、「ジュラ紀」とあまり変わっていません。
北側に「ヨーロッパ大陸ブロック」があり、その南側マージン部が、「ヘルベチカ系地質区」(Helvetic realm)と「ドーフィネ系地質区」(Dauphinois realm)です。南側には「アドリア大陸ブロック」(文献3)があり、その北側マージン部が、「オーストロアルパイン系地質区」(Austro-alpine realm)と「サウスアルパイン系地質区」(South-alpine realm)です。注2)
その間が「ペニン系地質区」(Penninic realm)(文献4)です。「ペニン系地質区」は、「ピエモンテ海地質区」(Piemont realm)、「ヴァリストラフ地質区」(Vallis trough realm)、「ブリアンソン・ライズ地質区」(Brianson rise realm)という、3つの「亜区」に分けられます。このように、「地質区」の区分や名称については、「ジュラ紀」と同様です(この連載の「2−4章」もご参照ください)。
「ジュラ紀」の古地理図と異なるのは、南側の「アドリア大陸ブロック」のうち「オーストロアルパイン系地質区」と、「ピエモンテ海」との境界部に、海洋プレート沈み込み帯(subduction zone)が描かれていることです。
「ジュラ紀」までは、この領域は「受動的大陸縁」(passive continental margin)であり、両者はプレート的にはつながっていましたが、「白亜紀」のある時期に、沈み込み型のプレート境界が生まれたことになります。
沈み込みは、北側の「ピエモンテ海」(海洋性地殻からなる)が、南側の「アドリア大陸ブロック」(大陸性地殻からなる)の下へと、南下がりのセンスで沈み込んでいたと推定されています。
この沈み込みは、海洋性地殻をもつ「ピエモンテ海」が全て、「アドリア大陸ブロック」の下へと沈み込んで消失してしまう、「新生代」のはじめ頃まで続きました。
沈み込みの様子は、添付の図3(模式図)もご参照ください。
なお、この海洋プレート沈み込みが始まった時期については諸説あるようです。
図1では、「白亜紀」前期である、125Ma(アプチアン期)で、既に沈み込み帯が始まっているように描かれていますが、一方で(文献1−2)の本文では、「白亜紀」後期の94〜90Ma頃(チューロニアン期;Turonian)に始まった、とも書かれています。
また、この沈み込み帯の形成メカニズムに関して、(文献1ー2)では、「ヨーロッパ大陸ブロック」に対して、「アフリカ大陸ブロック」が「ジュラ紀」から「白亜紀」初頭にかけて、相対的には東方向へと横ずれ的に移動していたものが、「白亜紀」の中頃に、相対的移動方向が北向きへと変化し、それによって、「アフリカ大陸ブロック」の一部であった「アドリア大陸ブロック」と「ピエモンテ海」との間に圧縮応力がかかり、沈み込み帯の形成が促された、と説明されています。
一方(文献5)では、最初はまず「ヨーロッパ大陸ブロック」の縁に沈み込み帯が形成されその後、「アドリア大陸ブロック」の縁にも沈み込み帯が形成されて「ピエモンテ海」が南下がりで沈み込んだ、という複雑な仮説も説明されており、このあたり、まだ良く解っていない点が多いようです。
ところで図1(125Ma)では、「ピエモンテ海」、「ヴァリストラフ」、共にリフトゾーンが描かれていますが、両地質区におけるリフティング活動(=海洋性地殻を生産)がいつまで続いていたかは、(文献1−1)、(文献1−2)の本文では明確に書かれておらず、定かではありません。この問題は、第(3)節で改めて取り上げます。
なお、「ペニン海」の縁に海洋プレート沈み込み帯が存在したことは、現世の「ヨーロッパアルプス」のあちこちに、沈み込み帯によって地下深くに運ばれ、高度な変成作用を受けた変成岩が分布していることも、証拠の一つとなっています。この沈み込み帯での変成作用、変成岩については、後の連載(第4部)で詳細説明をする予定です。
この時代、大まかな古地理や「地質区」(注2)の構成は、「ジュラ紀」とあまり変わっていません。
北側に「ヨーロッパ大陸ブロック」があり、その南側マージン部が、「ヘルベチカ系地質区」(Helvetic realm)と「ドーフィネ系地質区」(Dauphinois realm)です。南側には「アドリア大陸ブロック」(文献3)があり、その北側マージン部が、「オーストロアルパイン系地質区」(Austro-alpine realm)と「サウスアルパイン系地質区」(South-alpine realm)です。注2)
その間が「ペニン系地質区」(Penninic realm)(文献4)です。「ペニン系地質区」は、「ピエモンテ海地質区」(Piemont realm)、「ヴァリストラフ地質区」(Vallis trough realm)、「ブリアンソン・ライズ地質区」(Brianson rise realm)という、3つの「亜区」に分けられます。このように、「地質区」の区分や名称については、「ジュラ紀」と同様です(この連載の「2−4章」もご参照ください)。
「ジュラ紀」の古地理図と異なるのは、南側の「アドリア大陸ブロック」のうち「オーストロアルパイン系地質区」と、「ピエモンテ海」との境界部に、海洋プレート沈み込み帯(subduction zone)が描かれていることです。
「ジュラ紀」までは、この領域は「受動的大陸縁」(passive continental margin)であり、両者はプレート的にはつながっていましたが、「白亜紀」のある時期に、沈み込み型のプレート境界が生まれたことになります。
沈み込みは、北側の「ピエモンテ海」(海洋性地殻からなる)が、南側の「アドリア大陸ブロック」(大陸性地殻からなる)の下へと、南下がりのセンスで沈み込んでいたと推定されています。
この沈み込みは、海洋性地殻をもつ「ピエモンテ海」が全て、「アドリア大陸ブロック」の下へと沈み込んで消失してしまう、「新生代」のはじめ頃まで続きました。
沈み込みの様子は、添付の図3(模式図)もご参照ください。
なお、この海洋プレート沈み込みが始まった時期については諸説あるようです。
図1では、「白亜紀」前期である、125Ma(アプチアン期)で、既に沈み込み帯が始まっているように描かれていますが、一方で(文献1−2)の本文では、「白亜紀」後期の94〜90Ma頃(チューロニアン期;Turonian)に始まった、とも書かれています。
また、この沈み込み帯の形成メカニズムに関して、(文献1ー2)では、「ヨーロッパ大陸ブロック」に対して、「アフリカ大陸ブロック」が「ジュラ紀」から「白亜紀」初頭にかけて、相対的には東方向へと横ずれ的に移動していたものが、「白亜紀」の中頃に、相対的移動方向が北向きへと変化し、それによって、「アフリカ大陸ブロック」の一部であった「アドリア大陸ブロック」と「ピエモンテ海」との間に圧縮応力がかかり、沈み込み帯の形成が促された、と説明されています。
一方(文献5)では、最初はまず「ヨーロッパ大陸ブロック」の縁に沈み込み帯が形成されその後、「アドリア大陸ブロック」の縁にも沈み込み帯が形成されて「ピエモンテ海」が南下がりで沈み込んだ、という複雑な仮説も説明されており、このあたり、まだ良く解っていない点が多いようです。
ところで図1(125Ma)では、「ピエモンテ海」、「ヴァリストラフ」、共にリフトゾーンが描かれていますが、両地質区におけるリフティング活動(=海洋性地殻を生産)がいつまで続いていたかは、(文献1−1)、(文献1−2)の本文では明確に書かれておらず、定かではありません。この問題は、第(3)節で改めて取り上げます。
なお、「ペニン海」の縁に海洋プレート沈み込み帯が存在したことは、現世の「ヨーロッパアルプス」のあちこちに、沈み込み帯によって地下深くに運ばれ、高度な変成作用を受けた変成岩が分布していることも、証拠の一つとなっています。この沈み込み帯での変成作用、変成岩については、後の連載(第4部)で詳細説明をする予定です。
(1)−B項) 「白亜紀」後期の「アルプス地域」のテクトニクスと古地理
図2に、「白亜紀」後期のうち「チューロニアン期」(Turonian;90Ma)における、「アルプス地域」の古地理図を示します。これは(文献1―3)の図4−11からの引用です。
この時代、大まかな古地理と「地質区」区分は、「白亜紀」前期の古地理図;図1(125Ma)と、さほど変わりません。
違いとしては、「ピエモンテ海」と「ヴァリストラフ」に存在していたリフトゾーンが描かれてなく、リフトゾーンでの海洋プレート生産が終わってしまったことがわかります。ただし、これらのリフトゾーンでのリフティング活動の停止時期は、はっきりしてないようです。この件は第(3)節で改めて取り上げます。
一方、「前期」の「アプチアン期」(125Ma)の古地理図(図1)には既に描かれていた、「アドリア大陸ブロック」と「ピエモンテ海」と間の海洋プレート沈み込み帯は、引き続き描かれており、「ピエモンテ海」の「アドリア大陸ブロック」の下への沈み込みは継続していること、そしてそのテクトニック的なプロセスによって「ペニン系地質区」(特に「ピエモンテ海」)が徐々に狭まって行っていることが解ります。
これは、「ヨーロッパ大陸ブロック」と「アドリア大陸ブロック」とが徐々に接近しており、将来の衝突イベント(=「アルプス造山運動」)を予測させるものです。
「ピエモンテ海」の沈み込みの様子は、添付の図3(模式図)もご参照ください。
また、図1(「白亜紀」前期;125Ma)、図2(「白亜紀」後期;90Ma)において、オレンジ色で示される「アドリア大陸ブロック」のマージン部では、沈み込みによる圧縮力に伴って部分的な隆起が生じました。
この「白亜紀」における「アドリア大陸ブロック」マージン部の隆起は、「白亜紀(アルプス)造山運動」(Cretaceous orogeny) 注3)などと呼ばれているもので、いわば、新生代における「アルプス造山運動」本番の前兆現象とも言えます。この件は、第(4)節で改めて取り上げます。
なお、この時代のもう一つの大きなテクトニクス的な変動として重要なのは、(図2には描かれていませんが)「アドリア大陸ブロック」のマージン部のうち、「オーストロアルパイン系地質区」と「サウスアルパイン系地質区」との間に横ずれ断層が形成され、その後、「オーストロアルパイン系地質区」の地質体が北側へと移動しはじめたことが挙げられます。その様子は、添付の図4(模式図)もご参照ください。
これは、現世において、「オーストロアルパイン系地質グループ」(=「オーストロアルパイン地質区」で形成された地質体)が、元々は北側にあったはずの「ペニン系地質グループ」、「ヘルベチカ系地質グループ」の構造的上位に、ナップとして位置していることと対応しています。
この件は、第(4)節で改めて取り上げます。
この時代、大まかな古地理と「地質区」区分は、「白亜紀」前期の古地理図;図1(125Ma)と、さほど変わりません。
違いとしては、「ピエモンテ海」と「ヴァリストラフ」に存在していたリフトゾーンが描かれてなく、リフトゾーンでの海洋プレート生産が終わってしまったことがわかります。ただし、これらのリフトゾーンでのリフティング活動の停止時期は、はっきりしてないようです。この件は第(3)節で改めて取り上げます。
一方、「前期」の「アプチアン期」(125Ma)の古地理図(図1)には既に描かれていた、「アドリア大陸ブロック」と「ピエモンテ海」と間の海洋プレート沈み込み帯は、引き続き描かれており、「ピエモンテ海」の「アドリア大陸ブロック」の下への沈み込みは継続していること、そしてそのテクトニック的なプロセスによって「ペニン系地質区」(特に「ピエモンテ海」)が徐々に狭まって行っていることが解ります。
これは、「ヨーロッパ大陸ブロック」と「アドリア大陸ブロック」とが徐々に接近しており、将来の衝突イベント(=「アルプス造山運動」)を予測させるものです。
「ピエモンテ海」の沈み込みの様子は、添付の図3(模式図)もご参照ください。
また、図1(「白亜紀」前期;125Ma)、図2(「白亜紀」後期;90Ma)において、オレンジ色で示される「アドリア大陸ブロック」のマージン部では、沈み込みによる圧縮力に伴って部分的な隆起が生じました。
この「白亜紀」における「アドリア大陸ブロック」マージン部の隆起は、「白亜紀(アルプス)造山運動」(Cretaceous orogeny) 注3)などと呼ばれているもので、いわば、新生代における「アルプス造山運動」本番の前兆現象とも言えます。この件は、第(4)節で改めて取り上げます。
なお、この時代のもう一つの大きなテクトニクス的な変動として重要なのは、(図2には描かれていませんが)「アドリア大陸ブロック」のマージン部のうち、「オーストロアルパイン系地質区」と「サウスアルパイン系地質区」との間に横ずれ断層が形成され、その後、「オーストロアルパイン系地質区」の地質体が北側へと移動しはじめたことが挙げられます。その様子は、添付の図4(模式図)もご参照ください。
これは、現世において、「オーストロアルパイン系地質グループ」(=「オーストロアルパイン地質区」で形成された地質体)が、元々は北側にあったはずの「ペニン系地質グループ」、「ヘルベチカ系地質グループ」の構造的上位に、ナップとして位置していることと対応しています。
この件は、第(4)節で改めて取り上げます。
2−5章―第(2)節 「白亜紀」における、「ヘルベチカ系地質区」、「ドーフィネ系地質区」の地質体とテクトニクス
この第(2)節以降では、「白亜紀」における、各地質区で形成された地質体と、地質区ごとのテクトニクスを、主に(文献1−1)、(文献1−2)を元に説明します。
この第(2)節ではまず、「ヨーロッパ大陸ブロック」のマージン部である「ヘルベチカ系地質区」(Helvetic realm)、「ドーフィネ系地質区」(Dauphinois realm)について説明します。
2−4章―第(2)節(「ジュラ紀」の「ヨーロッパ大陸ブロック」マージン部)、の続きになります。
「白亜紀」の「ヘルベチカ系地質区」、「ドーフィネ系地質区」とも、テクトニクス的には、「ジュラ紀」と大きくは変らず、「ヨーロッパ大陸ブロック」のマージン部でした。全体的には、「ペニン海」の拡大に伴い、伸張場となっていた時期が多いと考えられています。また「ペニン系地質区」(ペニン海)に近い南東側ほど水深は深く、逆に北西側ほど浅くなっていたと推定されています。堆積物の厚みも、南東側ほど厚くなる傾向が認められます。
「ヘルベチカ系地質区」では、「白亜紀」前期に主に石灰岩類が、「ドーフィネ系地質区」では「白亜紀」の前期には主に泥質岩、後期には主に石灰岩類が堆積していました。石灰岩類は沿岸性(浅海性)(neritic)の、泥質岩は遠洋性(pelagic)の堆積環境を示すと考えられています。
なお、(文献1−1)によると、「ヘルベチカ系地質区」においては、「白亜紀」後期から古第三紀「暁新世」(ぎょうしんせい)にかけて、堆積物層の欠落期間(ハイエイタス;hiatus)があります。更には、以前に海洋域で堆積した石灰岩が浸食作用をうけたカルスト化地形(karstification)の痕跡が、一部で認められています。これらのことから、「ヘルベチカ系地質区」は「白亜紀」後期には広範囲に隆起して陸地化していたことが推定されています。
一方、「ドーフィネ系地質区」では、時代が進むにつれて水深が浅くなった傾向はありますが、堆積物層の大規模な欠落期間(ハイエイタス)は確認されておらず、「白亜紀」末まで継続して浅海状態であり、石灰岩、泥質岩といった堆積物が堆積しています。
この第(2)節ではまず、「ヨーロッパ大陸ブロック」のマージン部である「ヘルベチカ系地質区」(Helvetic realm)、「ドーフィネ系地質区」(Dauphinois realm)について説明します。
2−4章―第(2)節(「ジュラ紀」の「ヨーロッパ大陸ブロック」マージン部)、の続きになります。
「白亜紀」の「ヘルベチカ系地質区」、「ドーフィネ系地質区」とも、テクトニクス的には、「ジュラ紀」と大きくは変らず、「ヨーロッパ大陸ブロック」のマージン部でした。全体的には、「ペニン海」の拡大に伴い、伸張場となっていた時期が多いと考えられています。また「ペニン系地質区」(ペニン海)に近い南東側ほど水深は深く、逆に北西側ほど浅くなっていたと推定されています。堆積物の厚みも、南東側ほど厚くなる傾向が認められます。
「ヘルベチカ系地質区」では、「白亜紀」前期に主に石灰岩類が、「ドーフィネ系地質区」では「白亜紀」の前期には主に泥質岩、後期には主に石灰岩類が堆積していました。石灰岩類は沿岸性(浅海性)(neritic)の、泥質岩は遠洋性(pelagic)の堆積環境を示すと考えられています。
なお、(文献1−1)によると、「ヘルベチカ系地質区」においては、「白亜紀」後期から古第三紀「暁新世」(ぎょうしんせい)にかけて、堆積物層の欠落期間(ハイエイタス;hiatus)があります。更には、以前に海洋域で堆積した石灰岩が浸食作用をうけたカルスト化地形(karstification)の痕跡が、一部で認められています。これらのことから、「ヘルベチカ系地質区」は「白亜紀」後期には広範囲に隆起して陸地化していたことが推定されています。
一方、「ドーフィネ系地質区」では、時代が進むにつれて水深が浅くなった傾向はありますが、堆積物層の大規模な欠落期間(ハイエイタス)は確認されておらず、「白亜紀」末まで継続して浅海状態であり、石灰岩、泥質岩といった堆積物が堆積しています。
2−5章―(3)節 「白亜紀」における「ペニン系地質区」の地質体とテクトニクス
2−4章―(3)節(「ジュラ紀」の「ペニン系地質区」)でも説明しましたが、「ペニン系地質区」(Penninic realm)という領域は、「ジュラ紀」になってから、リフトゾーンの活動によってできた「地質区」です。
また細かくは、「ヴァリストラフ地質区」(不完全なリフトゾーン)、「ブリアンソン・ライズ地質区」(リフトゾーンに挟まれた大陸性地殻を持つ半島状のゾーン)、「ピエモンテ海地質区」(リフトゾーンの活動が活発で、海洋地殻が形成されたゾーン)の、計3つの「亜区」に分類される、やや複雑な「地質区」です。
以下、(文献1−1)、(文献1−2)を元に、「ペニン系地質区」を構成する上記3つの「亜区」毎に、「白亜紀」に形成された地質体と、テクトニクス的状況についてまとめます。
2−4章―(3)節 (「ジュラ紀」の「ペニン系地質区」)の続きになります。
また細かくは、「ヴァリストラフ地質区」(不完全なリフトゾーン)、「ブリアンソン・ライズ地質区」(リフトゾーンに挟まれた大陸性地殻を持つ半島状のゾーン)、「ピエモンテ海地質区」(リフトゾーンの活動が活発で、海洋地殻が形成されたゾーン)の、計3つの「亜区」に分類される、やや複雑な「地質区」です。
以下、(文献1−1)、(文献1−2)を元に、「ペニン系地質区」を構成する上記3つの「亜区」毎に、「白亜紀」に形成された地質体と、テクトニクス的状況についてまとめます。
2−4章―(3)節 (「ジュラ紀」の「ペニン系地質区」)の続きになります。
(3)―A項;「白亜紀」の「ピエモンテ海地質区」
「ピエモンテ海地質区」( Piemont realm)は、中央部に、トランスフォーム断層を交えたリフトゾーンを持ち、そこから生産される海洋性プレートからなる深海性の「地質区」です。
このリフトゾーンの起源は「ジュラ紀」前期と推定され、「白亜紀」も活動していて、海底の大部分が、海洋地殻上部を形成する玄武岩質の火山岩類からなり、その上に数種類の堆積物が堆積しました。
「ピエモンテ海」におけるリフティング活動がいつまで続いていたかは、(文献1)にも明確に書いてありません。図2を見ると、少なくとも「白亜紀」後期(90Ma)には、リフティング活動が終息していたと思われます。一方で(文献5)では、「白亜紀」初頭には早くもリフティング活動が終息したという推測をしています。
さて「白亜紀」前期の「ピエモンテ海地質区」に形成された地質体は、(文献1−1)の地質柱状図(fig.3-5)によると、リフティング活動由来の地質体としては、玄武岩質の火山性破砕物(hyaloclastics)があります。また堆積岩としては、石灰岩類、泥質岩(後の時代に変成作用を受けてシェール等になっている)があります。全体に堆積物が多く、リフティング活動が不活発になったことを示唆しているようです。また「ジュラ紀」には見られたチャートがほとんど見られなくなったようです。これは水深が浅くなったためかも知れません(この段落は私見を含みます)。
「白亜紀」後期になると、「ピエモンテ海地質区」の堆積物の岩相は変化し、砂岩、礫岩といった、陸地から供給された破砕性堆積物が、あちこちに形成された堆積盆に堆積しています。その様子は添付の図2もご参照ください。
また、玄武岩質の火山性砕屑物も見られなくなり、リフティング活動が完全に終わっていたことを示唆しています。なお(文献1―1)では、これらの陸源性堆積物を、海底扇状地での堆積物を意味する「フリッシュ性堆積物」(flysch)とも呼んでいます。この破砕性堆積物の供給源は、南の「アドリア大陸ブロック」側の北辺域である「オーストロアルパイン系地質区」と推定されています。
添付の図2((文献1―3)のfig.4-11;90Ma)にも示されていますが、「オーストロアルパイン系地質区」のうち、「ピエモンテ海」に面した一部が隆起して、そこから浸食により破砕性堆積物が「ピエモンテ海」側へと流されてきたものと考えられています。第(1)節でも触れた「白亜紀アルプス造山運動」注3)の影響と言えます。
なお、現世での「ピエモンテ海地質区」に対応する場所では、海洋プレートの断片であるオフィオライト(ophiolite)岩体が、何か所か確認されています。(文献1−1)によると、「中部アルプス」の「コンバン・ゾーン」(Combine zone)のうち「ツァテ・ナップ」(Tsate nappe)、「ツエルマット・ザースフェー・ゾーン」(Zermatt-Fee zone)、「アントローナ・ゾーン」(Antrona zone)、および「西部アルプス」の「ランツォ・ゾーン」(Lanzo zone)が主な分布域です(注5)。
なおこれらの地質体は、前述の海洋プレート沈み込み帯での地下深部への沈み込みに伴い、「白亜紀」から「新生代」にかけ、高度な変成作用を受けています(文献1−6)。この沈み込みに伴う変成作用と変成岩については、第4部にて改めて取り上げる予定です。
このリフトゾーンの起源は「ジュラ紀」前期と推定され、「白亜紀」も活動していて、海底の大部分が、海洋地殻上部を形成する玄武岩質の火山岩類からなり、その上に数種類の堆積物が堆積しました。
「ピエモンテ海」におけるリフティング活動がいつまで続いていたかは、(文献1)にも明確に書いてありません。図2を見ると、少なくとも「白亜紀」後期(90Ma)には、リフティング活動が終息していたと思われます。一方で(文献5)では、「白亜紀」初頭には早くもリフティング活動が終息したという推測をしています。
さて「白亜紀」前期の「ピエモンテ海地質区」に形成された地質体は、(文献1−1)の地質柱状図(fig.3-5)によると、リフティング活動由来の地質体としては、玄武岩質の火山性破砕物(hyaloclastics)があります。また堆積岩としては、石灰岩類、泥質岩(後の時代に変成作用を受けてシェール等になっている)があります。全体に堆積物が多く、リフティング活動が不活発になったことを示唆しているようです。また「ジュラ紀」には見られたチャートがほとんど見られなくなったようです。これは水深が浅くなったためかも知れません(この段落は私見を含みます)。
「白亜紀」後期になると、「ピエモンテ海地質区」の堆積物の岩相は変化し、砂岩、礫岩といった、陸地から供給された破砕性堆積物が、あちこちに形成された堆積盆に堆積しています。その様子は添付の図2もご参照ください。
また、玄武岩質の火山性砕屑物も見られなくなり、リフティング活動が完全に終わっていたことを示唆しています。なお(文献1―1)では、これらの陸源性堆積物を、海底扇状地での堆積物を意味する「フリッシュ性堆積物」(flysch)とも呼んでいます。この破砕性堆積物の供給源は、南の「アドリア大陸ブロック」側の北辺域である「オーストロアルパイン系地質区」と推定されています。
添付の図2((文献1―3)のfig.4-11;90Ma)にも示されていますが、「オーストロアルパイン系地質区」のうち、「ピエモンテ海」に面した一部が隆起して、そこから浸食により破砕性堆積物が「ピエモンテ海」側へと流されてきたものと考えられています。第(1)節でも触れた「白亜紀アルプス造山運動」注3)の影響と言えます。
なお、現世での「ピエモンテ海地質区」に対応する場所では、海洋プレートの断片であるオフィオライト(ophiolite)岩体が、何か所か確認されています。(文献1−1)によると、「中部アルプス」の「コンバン・ゾーン」(Combine zone)のうち「ツァテ・ナップ」(Tsate nappe)、「ツエルマット・ザースフェー・ゾーン」(Zermatt-Fee zone)、「アントローナ・ゾーン」(Antrona zone)、および「西部アルプス」の「ランツォ・ゾーン」(Lanzo zone)が主な分布域です(注5)。
なおこれらの地質体は、前述の海洋プレート沈み込み帯での地下深部への沈み込みに伴い、「白亜紀」から「新生代」にかけ、高度な変成作用を受けています(文献1−6)。この沈み込みに伴う変成作用と変成岩については、第4部にて改めて取り上げる予定です。
(3)―B)項;「白亜紀」の「ヴァリストラフ地質区」
「ヴァリストラフ地質区」(Vallis trough realm)も、「ピエモンテ海」と同様にリフトゾーンにより形成された地質区ですが、「ピエモンテ海」と比べると元々、リフティング活動がさほど活発ではなく、谷状の地形を形成していたと推定されています。
「白亜紀」前期の「ヴァリストラフ」は、リフティング活動を示す玄武岩などはほとんどなく、石灰岩類、泥質岩といった堆積物が堆積しました。
「白亜紀」後期になると、「ヴァリストラフ」は堆積物により埋め立てられて浅くなったようで、浅海性の石灰岩類が堆積しています。
また「白亜紀」後期から「古第三紀」初頭にかけては、北側の「ヘルベチカ系地質区」が隆起して陸化し、そこから供給された陸源性の礫、砂(フリッシュ性堆積物)が「ヴァリストラフ」を埋め立てるように供給されました。堆積環境は海底扇状地と推定されています。
「白亜紀」前期の「ヴァリストラフ」は、リフティング活動を示す玄武岩などはほとんどなく、石灰岩類、泥質岩といった堆積物が堆積しました。
「白亜紀」後期になると、「ヴァリストラフ」は堆積物により埋め立てられて浅くなったようで、浅海性の石灰岩類が堆積しています。
また「白亜紀」後期から「古第三紀」初頭にかけては、北側の「ヘルベチカ系地質区」が隆起して陸化し、そこから供給された陸源性の礫、砂(フリッシュ性堆積物)が「ヴァリストラフ」を埋め立てるように供給されました。堆積環境は海底扇状地と推定されています。
(3)―C項;「白亜紀」の「ブリアンソン・ライズ地質区」
「ブリアンソン・ライズ地質区」(Brianson rise realm)は、北の「ヴァリストラフ」と南の「ピエモンテ海」に挟まれた東西に細長い半島状の地質区で、基盤は大陸性地殻からなります。
この「地質区」は、「ジュラ紀」には浅海性の石灰岩が堆積したり、陸化したりでしたが、「白亜紀」になると、ほとんどの時期、陸化していたと推定され、堆積物が少ないのが特徴です。確認されている堆積物は、一部の地域に、浅海性の石灰岩があります。
なお「白亜紀」後期から「古第三紀」にかけては、供給源は不明ですが、陸源性の礫が堆積しています。
この「地質区」は、「ジュラ紀」には浅海性の石灰岩が堆積したり、陸化したりでしたが、「白亜紀」になると、ほとんどの時期、陸化していたと推定され、堆積物が少ないのが特徴です。確認されている堆積物は、一部の地域に、浅海性の石灰岩があります。
なお「白亜紀」後期から「古第三紀」にかけては、供給源は不明ですが、陸源性の礫が堆積しています。
2−5章―第(4)項 「白亜紀」における、「オーストロアルパイン系地質区」、「サウスアルパイン系地質区」の地質体とテクトニクス
「オーストロアルパイン地質区」(Austro-alpine realm)と、「サウスアルパイン地質区」( South-alpine realm)は共に、「白亜紀」には、「ジュラ紀」から継続して「アドリア大陸ブロック」北側のマージン部(continental margin)となっていました。
ただし「白亜紀」では、両者のテクトニクス的状況、形成された地質体には差異があり、この章の第(1)項でも説明した色々なテクトニクス的な変動が、特に「オーストロアルパイン系地質区」にて生じました。
以下、それぞれの地質区ごとに説明します。
ただし「白亜紀」では、両者のテクトニクス的状況、形成された地質体には差異があり、この章の第(1)項でも説明した色々なテクトニクス的な変動が、特に「オーストロアルパイン系地質区」にて生じました。
以下、それぞれの地質区ごとに説明します。
(4)―A項;「白亜紀」の「オーストロアルパイン系地質区」
「白亜紀」における「オーストロアルパイン系地質区」のテクトニクスですが、かなり複雑で、かつ(文献1)の中でも章によって記載内容に少し整合性がありません。とりあえず箇条書きにてまとめてみます。
なお一部は、第(1)節、第(3)節での説明とやや重複しますが、ご了承ください。
・「白亜紀」の「オーストロアルパイン系地質区」では以下3つのテクトニクス的な変化が生じました。
1) この「地質区」における、1つ目のテクトニクス的変化としては、「白亜紀」前期に、図1に示すように、「ピエモンテ海」との境界部に海洋プレート沈み込み帯が形成され、「ピエモンテ海」の海洋性プレートが、「アドリア大陸ブロック」の北端部である「オーストロアルパイン系地質区」の下へと沈み込むようになったことです。この件は、第(1)節、第(3−A)節でも述べたので、そちらもご参照ください。
また添付の図1,図2,図3もご参照ください。
2) 2つ目の変化としては、第(1)節でも述べましたが、上記の沈み込み帯の形成と関連し、「オーストロアルパイン系地質区」の一部が隆起し山地が形成されたと推定されています。このイベントは、「白亜紀アルプス造山運動」(the Cretaceous orogeny)注3) などと呼ばれています。
形成された山地は既に浸食によって失われているため、どの程度の規模の山地だったかは不明です。
残された証拠としては、浸食によって形成された砂、礫などの破砕物が河川によって運ばれ、山麓の平地(陸上)、および海洋域(ペニン海)に堆積したことです。これらの堆積物のうち、現世の「東部アルプス」のうち、「北部石灰岩アルプス」(the Northern calcareous Alps) 注4)のものは詳しい研究がなされており、(文献1−2)で説明されています。
また、この「地質区」では、海洋性堆積物層の欠落(ハイエイタス;hiatus)が認められる場所もあり、これも隆起により山地が形成された証拠の一つといえます。一方で、この「地質区」の一部は浅海域だったようで、泥質岩や石灰岩などが堆積しています。
3) 3つ目の変化としては、(1)節でも述べたように、「白亜紀」後期には、「サウスアルパイン地質区」との間に横ずれ断層が生じて、この地質区だけが、北へと移動したと推定されています。これについては、(文献1−5)に説明があり、(文献1−5)に模式図(schematic block diagram)が描かれています。図4として添付していますのでご参照ください。
それによると、「白亜紀」末の約70Ma頃には、「サウスアルパイン系地質区」と「オーストロアルパイン系地質区」との間に横ずれ断層が形成され、「オーストロアルパイン系地質グループ」が、ナップ群を形成しつつ、「ヨーロッパ大陸ブロック」側へと前進し始めた、と説明されています。
現世の地質構造から見ると、「オーストロアルパイン系地質グループ」は、ある時期に、「ヨーロッパ大陸ブロック」側へと移動したことは明らかです。(文献1−5)では、「少なくとも70Maには移動が開始されていた」としていますが、その明確な時期やメカニズムについては、不明確な点が多いようです。
なお一部は、第(1)節、第(3)節での説明とやや重複しますが、ご了承ください。
・「白亜紀」の「オーストロアルパイン系地質区」では以下3つのテクトニクス的な変化が生じました。
1) この「地質区」における、1つ目のテクトニクス的変化としては、「白亜紀」前期に、図1に示すように、「ピエモンテ海」との境界部に海洋プレート沈み込み帯が形成され、「ピエモンテ海」の海洋性プレートが、「アドリア大陸ブロック」の北端部である「オーストロアルパイン系地質区」の下へと沈み込むようになったことです。この件は、第(1)節、第(3−A)節でも述べたので、そちらもご参照ください。
また添付の図1,図2,図3もご参照ください。
2) 2つ目の変化としては、第(1)節でも述べましたが、上記の沈み込み帯の形成と関連し、「オーストロアルパイン系地質区」の一部が隆起し山地が形成されたと推定されています。このイベントは、「白亜紀アルプス造山運動」(the Cretaceous orogeny)注3) などと呼ばれています。
形成された山地は既に浸食によって失われているため、どの程度の規模の山地だったかは不明です。
残された証拠としては、浸食によって形成された砂、礫などの破砕物が河川によって運ばれ、山麓の平地(陸上)、および海洋域(ペニン海)に堆積したことです。これらの堆積物のうち、現世の「東部アルプス」のうち、「北部石灰岩アルプス」(the Northern calcareous Alps) 注4)のものは詳しい研究がなされており、(文献1−2)で説明されています。
また、この「地質区」では、海洋性堆積物層の欠落(ハイエイタス;hiatus)が認められる場所もあり、これも隆起により山地が形成された証拠の一つといえます。一方で、この「地質区」の一部は浅海域だったようで、泥質岩や石灰岩などが堆積しています。
3) 3つ目の変化としては、(1)節でも述べたように、「白亜紀」後期には、「サウスアルパイン地質区」との間に横ずれ断層が生じて、この地質区だけが、北へと移動したと推定されています。これについては、(文献1−5)に説明があり、(文献1−5)に模式図(schematic block diagram)が描かれています。図4として添付していますのでご参照ください。
それによると、「白亜紀」末の約70Ma頃には、「サウスアルパイン系地質区」と「オーストロアルパイン系地質区」との間に横ずれ断層が形成され、「オーストロアルパイン系地質グループ」が、ナップ群を形成しつつ、「ヨーロッパ大陸ブロック」側へと前進し始めた、と説明されています。
現世の地質構造から見ると、「オーストロアルパイン系地質グループ」は、ある時期に、「ヨーロッパ大陸ブロック」側へと移動したことは明らかです。(文献1−5)では、「少なくとも70Maには移動が開始されていた」としていますが、その明確な時期やメカニズムについては、不明確な点が多いようです。
(4)―B項;「白亜紀」の「サウスアルパイン系地質区」の状況
「白亜紀」における「サウスアルパイン系地質区」(South-alpine realm)は、(文献1−2)では、図1,図2で示されるように、「オーストロアルパイン地質区」の南西側に位置していたと推定されています。
なお図1,図2では「ピエモンテ海」との間に、部分的な海洋プレート沈み込み帯が形成されていたように描かれていますが、(文献1−1)本文では、受動的大陸縁辺域(passive continental margin)のままだった、と書かれており、はっきりしていません。
(文献1−1)によると、むしろ、ゆっくりとした沈降により、「白亜紀」を通じ、海洋域であったと推定されています。そこでは、遠洋性の泥質岩が堆積しました。
また前述のとおり、「白亜紀」後期のある時期に、隣接していた「オーストロアルパイン地質区」との間に横ずれ断層が形成され、その後は、「オーストロアルパイン地質区」との地理的な位置、テクトニクス的な挙動などが異なるようになりました。添付の図4もご参照ください。
なお図1,図2では「ピエモンテ海」との間に、部分的な海洋プレート沈み込み帯が形成されていたように描かれていますが、(文献1−1)本文では、受動的大陸縁辺域(passive continental margin)のままだった、と書かれており、はっきりしていません。
(文献1−1)によると、むしろ、ゆっくりとした沈降により、「白亜紀」を通じ、海洋域であったと推定されています。そこでは、遠洋性の泥質岩が堆積しました。
また前述のとおり、「白亜紀」後期のある時期に、隣接していた「オーストロアルパイン地質区」との間に横ずれ断層が形成され、その後は、「オーストロアルパイン地質区」との地理的な位置、テクトニクス的な挙動などが異なるようになりました。添付の図4もご参照ください。
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【注釈の項】
注1) 「アルプス地域」という用語について
これまでの各章でも説明していますので簡単に説明しておきます。各地質時代において、「現世」の「ヨーロッパアルプス」を構成している地質体が形成された広域的な地域を、説明のためにこの連載では、「アルプス地域」と定義し、用いることとしています。(文献1)における(“Alpine domain”)に対応する用語です。
注2) 「地質区」という用語について
この用語もこれまでの各章で説明していますので、簡単に説明しておきます。
現世における「ヨーロッパアルプス」を構成している地質体は、大きく5つの「地質グループ」に分けられます。
それらの「地質グループ」が形成されたのは、地質時代の各時代における、ある限定された場所が推定されます。(文献1)ではそれら、「地質グループ」が形成された「場所」のことを、“realm” という用語で説明しています。この連載では、“realm” に対する訳語として、「地質区」という用語を使うこととしました。
注3) 「北部石灰岩アルプス」について
「北部石灰岩アルプス」(the Northern calcareous Alps)という山脈は、オーストリアのチロル地方にある、約3000mの標高を持つ東西方向に延びる山脈です。「オーストロアルパイン地質区」の模式地として、詳しく地質が調べられているようで、(文献1)にもしばしば、その山脈の地質の説明があります。なお英語では、(the Northern Limestone Alps )とも呼ばれているようです。(文献8)もご参照ください。
注4) 「白亜紀アルプス造山運動」について
(文献1−4)では、(“the Cretaceous orogeny”);「白亜紀の(アルプス地域の)造山運動」と呼んでいますが、(文献1)の他の章では、(” the Eo-Alpine Orogeny“);「古・アルプス造山運動」と呼んでいる場合もあります。(文献9)では(”the Eo-Alpine phase“)と呼んでいます。いずれにしろ、新生代の本格的な「アルプス造山運動」の前、「白亜紀」にも何らかの造山運動があったという推定はなされていますが、そのテクトニクス、メカニズムについては不明な点が多いようです。
注5) 「ピエモンテ海地質区」由来の「オフィオライト」の分布地域について
(文献1−1)ではゾーン名称のみで場所が不明なので、(文献6)等を元に調べました。やや冗長ですが、解説しておきます(筆者用のメモみたいなものです)。
5−1)「コンバン・ゾーン」(Combin zone)のうち、「ツァテ・ナップ」(Tsate nappe);
「ヴァリスアルプス」のうち最西部に「グラン・コンバン」(Grand Combin;4314m)という高峰がある。その北側、ローヌ谷までの間に、「ツァテ・ナップ」地質体が点在している。「ツァテ・ナップ」自体は堆積岩、変成岩を含む複数の地質体の集合体となっており、その一部に、「オフィオライト」が含まれる(文献6)。
5−2)「ツエルマット・ザースフェー・ゾーン」(Zermatt-Saas Fee zone);
ヴァリスアルプスの有名な観光拠点、「ツエルマット」(Zermatt)と「ザースフェー」(Saas Fee)にかけて東西に伸びるゾーン。
「ツエルマット・ザースフェー・ゾーン」は「ペニン系地質グループ」の代表的な地質ゾーンで、変成岩、変成した堆積岩などいろいろ含むが、そのなかに、マントルカンラン岩由来の蛇紋岩(serpentinite)、海洋下部地殻由来の(変成)斑レイ岩(meta-gabbro)、海洋上部地殻由来の(変成)玄武岩(meta-basalt)が分布しており、まとめて「オフィオライト」(ophiolite)岩体を形成している(文献6)。
5−3)「アントローナ・ゾーン」(Antrona zone)
ヴァリスアルプスのうち、スイスとイタリアとの国境稜線にそびえる、「モンテローザ」(Monte Rosa;4634m)のイタリア側に、「アントローナ渓谷」(Valle Antrona)という場所があり、「アントローナ・ゾーン」はその辺りと思われる。
5−4)「ランツォ・ゾーン」(Lanzo zone)
「西部アルプス」のうちイタリア北西部、トリノ(Torino)の近くの山麓部。
文献によっては、「セージア・ランツォ・ゾーン」(Sesia-Lanzo zone)や、「セージア・ゾーン」(Sesia zone)と呼ぶ。片麻岩、結晶片岩などの変成岩類が多い複雑なゾーンで、その一部に「オフィオライト」が含まれる(文献6)、(文献7)。
注6) “Ma”は、百万年前を意味する単位です。
これまでの各章でも説明していますので簡単に説明しておきます。各地質時代において、「現世」の「ヨーロッパアルプス」を構成している地質体が形成された広域的な地域を、説明のためにこの連載では、「アルプス地域」と定義し、用いることとしています。(文献1)における(“Alpine domain”)に対応する用語です。
注2) 「地質区」という用語について
この用語もこれまでの各章で説明していますので、簡単に説明しておきます。
現世における「ヨーロッパアルプス」を構成している地質体は、大きく5つの「地質グループ」に分けられます。
それらの「地質グループ」が形成されたのは、地質時代の各時代における、ある限定された場所が推定されます。(文献1)ではそれら、「地質グループ」が形成された「場所」のことを、“realm” という用語で説明しています。この連載では、“realm” に対する訳語として、「地質区」という用語を使うこととしました。
注3) 「北部石灰岩アルプス」について
「北部石灰岩アルプス」(the Northern calcareous Alps)という山脈は、オーストリアのチロル地方にある、約3000mの標高を持つ東西方向に延びる山脈です。「オーストロアルパイン地質区」の模式地として、詳しく地質が調べられているようで、(文献1)にもしばしば、その山脈の地質の説明があります。なお英語では、(the Northern Limestone Alps )とも呼ばれているようです。(文献8)もご参照ください。
注4) 「白亜紀アルプス造山運動」について
(文献1−4)では、(“the Cretaceous orogeny”);「白亜紀の(アルプス地域の)造山運動」と呼んでいますが、(文献1)の他の章では、(” the Eo-Alpine Orogeny“);「古・アルプス造山運動」と呼んでいる場合もあります。(文献9)では(”the Eo-Alpine phase“)と呼んでいます。いずれにしろ、新生代の本格的な「アルプス造山運動」の前、「白亜紀」にも何らかの造山運動があったという推定はなされていますが、そのテクトニクス、メカニズムについては不明な点が多いようです。
注5) 「ピエモンテ海地質区」由来の「オフィオライト」の分布地域について
(文献1−1)ではゾーン名称のみで場所が不明なので、(文献6)等を元に調べました。やや冗長ですが、解説しておきます(筆者用のメモみたいなものです)。
5−1)「コンバン・ゾーン」(Combin zone)のうち、「ツァテ・ナップ」(Tsate nappe);
「ヴァリスアルプス」のうち最西部に「グラン・コンバン」(Grand Combin;4314m)という高峰がある。その北側、ローヌ谷までの間に、「ツァテ・ナップ」地質体が点在している。「ツァテ・ナップ」自体は堆積岩、変成岩を含む複数の地質体の集合体となっており、その一部に、「オフィオライト」が含まれる(文献6)。
5−2)「ツエルマット・ザースフェー・ゾーン」(Zermatt-Saas Fee zone);
ヴァリスアルプスの有名な観光拠点、「ツエルマット」(Zermatt)と「ザースフェー」(Saas Fee)にかけて東西に伸びるゾーン。
「ツエルマット・ザースフェー・ゾーン」は「ペニン系地質グループ」の代表的な地質ゾーンで、変成岩、変成した堆積岩などいろいろ含むが、そのなかに、マントルカンラン岩由来の蛇紋岩(serpentinite)、海洋下部地殻由来の(変成)斑レイ岩(meta-gabbro)、海洋上部地殻由来の(変成)玄武岩(meta-basalt)が分布しており、まとめて「オフィオライト」(ophiolite)岩体を形成している(文献6)。
5−3)「アントローナ・ゾーン」(Antrona zone)
ヴァリスアルプスのうち、スイスとイタリアとの国境稜線にそびえる、「モンテローザ」(Monte Rosa;4634m)のイタリア側に、「アントローナ渓谷」(Valle Antrona)という場所があり、「アントローナ・ゾーン」はその辺りと思われる。
5−4)「ランツォ・ゾーン」(Lanzo zone)
「西部アルプス」のうちイタリア北西部、トリノ(Torino)の近くの山麓部。
文献によっては、「セージア・ランツォ・ゾーン」(Sesia-Lanzo zone)や、「セージア・ゾーン」(Sesia zone)と呼ぶ。片麻岩、結晶片岩などの変成岩類が多い複雑なゾーンで、その一部に「オフィオライト」が含まれる(文献6)、(文献7)。
注6) “Ma”は、百万年前を意味する単位です。
(参考文献)
(文献1) O. A. Pfiffer 著 “Geology of the Alps”, second edition (2014);
(文献1−1) (文献1)の、第3―1章 「中生代の(アルプス地域の)地質」
(“the Mesozoic rock suites”)のうち、
「白亜紀」に関する記載部分、および各地質区の模式的地質柱状図
(文献1―2) (文献1)の、第3−2章 「(中生代のアルプス地域における)
テクトニクス的進化」(“Plate tectonic evolution”)のうち、
「白亜紀」に関する記載部分
(”Cretaceous; opening and closing of oceanic arms”)の項、および
図3-27 「白亜紀」前期(125Ma)における広域的古地理図
図3-28 「白亜紀」前期(125a)における「アルプス地域」の古地理図
(文献1―3) (文献1)の、第4部「「新生代」のアルプス地域」
(“the Alpine domain in the Cenozoic”)の項、及び
図4-11 「白亜紀」後期(90Ma)における「アルプス地域」の古地理図
(文献1−4) (文献1)のうち、第6−1章「アルプス地域における変成作用、
および 変成岩」(”the Alpine Metamorphism“)、
(文献1−5) (文献1)のうち、第6―2章「白亜紀の造山運動」
(“the Cretaceous orogeny”)の項
図6-9「白亜紀」後期における「アドリア大陸ブロック」マージン部
(「東部アルプス」)の模式図
(“Schematic block diagram of the eastern Alps in the late Cretaceous”)
(文献1−6) (文献1)のうち、第6−3章「新生代の造山運動」
(“the Cenozoic orogeny”)の項
図6-17(A) 中生代末から新生代の「アルプス地域」の推定地質断面図
のうち、65Maにおける推定地質断面図(概念図)
(文献2) ウイキペディア英語版の、「白亜紀」(“Cretaceous”)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Cretaceous
(2025年7月 閲覧)
(文献3) ウイキペディア英語版の、「アドリアプレート」(”Adriatic Plate”)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Adriatic_plat
(2025年7月 閲覧)
(文献4) ウイキペディア英語版の、「ピエモンテ・リグーリア海」
(”Piemont-Liguria Ocean”)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Piemont-Liguria_Ocean
(2025年7月 閲覧)
(文献5) Eline Le Breton, etal.,
“Kinematics and extent of the Piemont-Liguria Basin
- implications for subduction processes in the Alps” ,
Solid Earth誌, vol. 12, p885?913、 ( 2021)
https://se.copernicus.org/articles/12/885/2021/
(このサイトより、この論文の全文が無料で閲覧できる)
(文献6) スイスのオンライン 地質辞典(strati CH lithostratigraphic of Switerland)
https://www.strati.ch/en
(このサイトは、スイスの各地質体に関する説明が無料で読める、英語版)
(文献7) 「ランツォ・ゾーン」の地質構造に関する論文の一部
https://www.researchgate.net/figure/a-Lanzo-Civrari-Ophiolite-Northern-Italian-Alps-modified-after-Boudier-1978-and_fig5_334853384
(文献8) ウイキペディア英語版の、「北部石灰岩アルプス」
(”Northern Limestone Alps”)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Northern_Limestone_Alps
(2025年7月 閲覧)
(文献9) ウイキペディア英語版の、(“Geology of the Alps”)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Geology_of_the_Alps
(2025年7月 閲覧)
(文献1−1) (文献1)の、第3―1章 「中生代の(アルプス地域の)地質」
(“the Mesozoic rock suites”)のうち、
「白亜紀」に関する記載部分、および各地質区の模式的地質柱状図
(文献1―2) (文献1)の、第3−2章 「(中生代のアルプス地域における)
テクトニクス的進化」(“Plate tectonic evolution”)のうち、
「白亜紀」に関する記載部分
(”Cretaceous; opening and closing of oceanic arms”)の項、および
図3-27 「白亜紀」前期(125Ma)における広域的古地理図
図3-28 「白亜紀」前期(125a)における「アルプス地域」の古地理図
(文献1―3) (文献1)の、第4部「「新生代」のアルプス地域」
(“the Alpine domain in the Cenozoic”)の項、及び
図4-11 「白亜紀」後期(90Ma)における「アルプス地域」の古地理図
(文献1−4) (文献1)のうち、第6−1章「アルプス地域における変成作用、
および 変成岩」(”the Alpine Metamorphism“)、
(文献1−5) (文献1)のうち、第6―2章「白亜紀の造山運動」
(“the Cretaceous orogeny”)の項
図6-9「白亜紀」後期における「アドリア大陸ブロック」マージン部
(「東部アルプス」)の模式図
(“Schematic block diagram of the eastern Alps in the late Cretaceous”)
(文献1−6) (文献1)のうち、第6−3章「新生代の造山運動」
(“the Cenozoic orogeny”)の項
図6-17(A) 中生代末から新生代の「アルプス地域」の推定地質断面図
のうち、65Maにおける推定地質断面図(概念図)
(文献2) ウイキペディア英語版の、「白亜紀」(“Cretaceous”)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Cretaceous
(2025年7月 閲覧)
(文献3) ウイキペディア英語版の、「アドリアプレート」(”Adriatic Plate”)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Adriatic_plat
(2025年7月 閲覧)
(文献4) ウイキペディア英語版の、「ピエモンテ・リグーリア海」
(”Piemont-Liguria Ocean”)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Piemont-Liguria_Ocean
(2025年7月 閲覧)
(文献5) Eline Le Breton, etal.,
“Kinematics and extent of the Piemont-Liguria Basin
- implications for subduction processes in the Alps” ,
Solid Earth誌, vol. 12, p885?913、 ( 2021)
https://se.copernicus.org/articles/12/885/2021/
(このサイトより、この論文の全文が無料で閲覧できる)
(文献6) スイスのオンライン 地質辞典(strati CH lithostratigraphic of Switerland)
https://www.strati.ch/en
(このサイトは、スイスの各地質体に関する説明が無料で読める、英語版)
(文献7) 「ランツォ・ゾーン」の地質構造に関する論文の一部
https://www.researchgate.net/figure/a-Lanzo-Civrari-Ophiolite-Northern-Italian-Alps-modified-after-Boudier-1978-and_fig5_334853384
(文献8) ウイキペディア英語版の、「北部石灰岩アルプス」
(”Northern Limestone Alps”)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Northern_Limestone_Alps
(2025年7月 閲覧)
(文献9) ウイキペディア英語版の、(“Geology of the Alps”)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Geology_of_the_Alps
(2025年7月 閲覧)
【書記事項】
初版リリース;2025年7月21日
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