(はじめに)
先の第2部では、「中生代」の「アルプス地域」注1)の地史やテクトニクスを説明してきました。続くこの第3部では、「新生代」注2)における「アルプス地域」に関する説明をします。
「新生代」の「アルプス地域」は、いよいよ「アルプス造山運動」が起こった時代で、この連載のハイライトとなるべき部分ですが、実際には、「造山運動」の詳しい説明は、かなり困難です。
というのは、「中生代」では、「アルプス地域」の大部分が海面下にあって、堆積性の地質体が形成された時代だったので、それらの地質体の形成と、それに基づいて復元された地史、古地理、テクトニクスについて説明が比較的容易でした。
一方、新生代の「アルプス地域」は、「アルプス造山運動」が起こった時代なので、地域の大部分が陸化して隆起し、浸食作用を受けていった時代です。
逆に地質体の形成としては、山麓部に浸食による堆積物が形成されただけで、地史の復元のための情報としては充分とは言えません。
「アルプス造山運動」のプロセスとしては、単なる隆起だけではなく、スラスト断層の形成とそれによる「ナップパイル構造」の形成が重要ですが、それを直接示す証拠が十分ではありません。
更には、浸食によって、過去に形成された地質体が大幅に失われていて、これもまた地史の復元に困難をもたらしています。
この連載の元ネタである(文献1)でも、新生代における「アルプス造山運動」の説明には苦労されており、色んな角度から説明がなされていますが、正直いってスッキリと解った気がしません。
ということで最初に言い訳めいたことをクドクドと述べましたが、この第3部では、(文献1)の説明を元として、色んな角度から、「アルプス造山運動」の実態を説明したいと思います。
「新生代」の「アルプス地域」は、いよいよ「アルプス造山運動」が起こった時代で、この連載のハイライトとなるべき部分ですが、実際には、「造山運動」の詳しい説明は、かなり困難です。
というのは、「中生代」では、「アルプス地域」の大部分が海面下にあって、堆積性の地質体が形成された時代だったので、それらの地質体の形成と、それに基づいて復元された地史、古地理、テクトニクスについて説明が比較的容易でした。
一方、新生代の「アルプス地域」は、「アルプス造山運動」が起こった時代なので、地域の大部分が陸化して隆起し、浸食作用を受けていった時代です。
逆に地質体の形成としては、山麓部に浸食による堆積物が形成されただけで、地史の復元のための情報としては充分とは言えません。
「アルプス造山運動」のプロセスとしては、単なる隆起だけではなく、スラスト断層の形成とそれによる「ナップパイル構造」の形成が重要ですが、それを直接示す証拠が十分ではありません。
更には、浸食によって、過去に形成された地質体が大幅に失われていて、これもまた地史の復元に困難をもたらしています。
この連載の元ネタである(文献1)でも、新生代における「アルプス造山運動」の説明には苦労されており、色んな角度から説明がなされていますが、正直いってスッキリと解った気がしません。
ということで最初に言い訳めいたことをクドクドと述べましたが、この第3部では、(文献1)の説明を元として、色んな角度から、「アルプス造山運動」の実態を説明したいと思います。
3−1章 古第三紀における「アルプス造山運動」
第3部では、(文献1)に記載の古地理図に基づき、新生代の「アルプス造山運動」を説明します。
まずこの3−1章では、新生代のうち「古第三紀」における「アルプス造山運動」の状況について、(文献1)の第4部「新生代のアルプス地域」(the Alpine Domain in the Cenozoic)(文献1−1)記載の、「古第三紀」(66〜23Ma)の3つの古地理図を元に説明します
まずこの3−1章では、新生代のうち「古第三紀」における「アルプス造山運動」の状況について、(文献1)の第4部「新生代のアルプス地域」(the Alpine Domain in the Cenozoic)(文献1−1)記載の、「古第三紀」(66〜23Ma)の3つの古地理図を元に説明します
3−1章―(1)節 「暁新世」末ころ(55Ma)の「アルプス地域」
図1に、古第三紀のうち、「暁新世」末ころ(55Ma)における、「アルプス地域」の古地理図を示します。これは、(文献1−1)の図4−12を引用したものです。
新生代の「アルプス地域」の古地理の復元は、堆積より浸食の効果が大きいことから、困難性がありますが、この図は、主に、海域に堆積した堆積物を元にして描かれたものです。
中生代には「ヨーロッパ大陸ブロック」と「アフリカ大陸ブロック」との間にあった、海洋性地殻をもつ「ペニン海」(Penninic Ocean)、特にその大部分を占め、海洋性地殻を持つ「ピエモンテ海」(Piemont Ocean)と呼ばれる領域は、「白亜紀」の間、「アフリカ大陸ブロック」の下へと沈み込んでいき、その領域は縮小の一途でした。その「ペニン海」(「ピエモンテ海」)が消失してしまうと、いよいよ両大陸ブロックの衝突となりますが、衝突の開始がいつ頃か?は、あまり明確には解っていないようです。
ただ(文献1−1)によると、現在の「アルプス山脈」の北麓の一部では、「暁新世」にはすでに、隆起した山地部から供給されたとみられる、礫を含む破砕性堆積物(海洋域に堆積)が認められています。
また、後述の「暁新世」末ころ(55Ma)の古地理図(図1)の状況から見ても、「暁新世」には既に、大陸ブロックどうしの衝突が始まり、一部では「アルプス山脈」の隆起、陸化も始まっていた、と推測されます。
続く「始新世」(55〜34Ma)になると、いよいよ両大陸ブロックの衝突が本格化し、図1に示すように、広範囲な隆起により陸化した場所ができ、その一部は山地の状態にまでなっていた、と推定されています。図1は、55Maにおける古地理図で、地質時代で言うと「暁新世」末ころの時代にあたります。
この時代における、「ヨーロッパ大陸ブロック」に対する、「アドリア大陸ブロック」の運動のセンスは、図1の下のほうの赤色の矢印で示されるように、北向きだったと推定されています。なお衝突の相対速度は不明です。
※ 以下、図1に基づいて、地域ごとに説明します。
a)「中部アルプス」
まず、図の中央部に大きな陸域がありますが、これは現世の「中部アルプス」(Central Alps)に相当し、ある程度の標高を持つ山地(茶色部分は、図の凡例では、“hilly“ と表記) となっていたと推定されています。
b)「東部アルプス」
「中部アルプス」の東側に続く陸域は、現世の「東部アルプス」(Eastern Alps)に相当します。根拠ははっきりしませんが、この図によると、「中部アルプス」よりも標高が高い山地となっていたと推定されています(図の凡例では、“high mountains”と表記)。
c)「西部アルプス」
「中部アルプス」の南西側では、一部がくびれたような陸域が伸びていますが、このあたりは、現世の「西部アルプス」(Western Alps)から、コルシカ島(Corsica)あたりに相当する地域です。ここは低地とされており(図で緑色のゾーンは、図の凡例では、“lowland”と表記)、まだ隆起はあまりなかった、と推定されています。
またここには、南北走向の左横ずれ断層が推定されています(図1では紫色の線)。これは、「ヨーロッパ大陸ブロック」と「アドリア大陸ブロック」との衝突に対応する相対運動を反映した横ずれ断層として描かれています。この断層をプレート境界と解釈すれば「トランスフォーム断層」だとも言えますが、(文献1−1)では、その点は詳しい説明はありません。
d)「モラッセ盆地」
前記の、隆起して山地化していた「アルプス山脈」地域の北側には、東北―南西に軸を持つ細長い海域が存在していて、そのさらに北の「ヨーロッパ大陸ブロック」の本体と、「アルプス山脈」との間を分けていました。以下、この連載で使用してきた名称に合わせ「モラッセ盆地」(the Molasse basin)と呼びます(文献2)。
一般的には、このような山脈に隣接して形成された盆地状の低地帯は、「フォアランド盆地」(forland basin)や「前地盆地」(ぜんちぼんち)と呼ばれます(文献3)。
この「モラッセ盆地」は、新第三紀「中新世」の始めころまで、長い間存在した海域で、その起源は中生代に存在した、不活発なリフトゾーンとしての「ヴァリストラフ」(Valais trough)だと推定されています。
この「モラッセ盆地」にはこの時代、数か所の、やや深めの海盆があったと推定され、「ヨーロッパアルプス」(主に中部アルプス)から浸食によって供給された、フリッシュ性(flysch)堆積物(主に、砂、泥で、海底乱泥流による堆積物;(文献4))が堆積した場所です。
また「モラッセ盆地」と「中部アルプス」との間にはスラスト断層が描かれていますが、大陸ブロックどうしの衝突による南北方向の圧縮力により、「モラッセ盆地」の上へと南側の「アルプス山脈」側が、のし上がるような運動が起きていた、と推定されています。このような活動は、後の時代まで継続し、「アルプス地域」の「ナップパイル構造」注3)を作る原動力となりました。
e)「ポー盆地」とその周辺
「中部アルプス」の南側にも海域がありますが、これは、現世の「ロンバルディア平野」の元となった「ポー盆地」(Po Basin)です。この間の境界部は、後の「ペリ・アドリアティック断層系」(peri-Adriatic Fault system)の元となる断層(おそらく「横ずれ断層系」)が、形成され始めていました。それ以外に、南下がりのスラスト断層も推定されており、「中部アルプス」側が、南の「ポー盆地」側へとのし上がるセンスの活動が起こっていました。
f)「ヨーロッパ大陸ブロック」本土部
図の左上に目を向けると、緑色のゾーンがありますが、ここは「ヨーロッパ大陸ブロック」の、いわば本土部分で、現世でのドイツ南部からフランス中部にあたる地域です。ここは全体的には低地であったと推定されていますが、南東側に位置する「モラッセ盆地」の縁に沿って、バルジ状の緩い隆起が起こったと推定されています(図1では”Bulge“と表示されており、隆起を示す赤い●印で示した)。
その地質学的な根拠としては、白亜紀の石灰岩層が浸食を受けてカルスト地形化していることや、場所によっては白亜紀の堆積物層が浸食で失しなわれており、下位のジュラ紀層と新生代層との間に不整合があることが挙げられます。
(文献1−1)のテクトニクス的な解説によると、この時代(55Ma)の「アルプス地域」では、両大陸ブロックの衝突により全域が隆起した訳ではなく、南から北へのラインに沿って説明すると、「ポー盆地」は沈降域、「アルプス山脈」地域は隆起域、その北の「モラッセ盆地」は沈降域、更にその北側の「ヨーロッパ大陸ブロック」本土部は隆起域と、南北方向で見ると、波打つような地殻変動として、広域的に「造山運動」が進行していた、と言えます。
これは、「ヨーロッパ大陸ブロック」の地殻部分が比較的に変形しやすい性質(延性的性質)を持っていたためであろう、と説明されています。
なお、この節の時点(55Ma)でも、それ以降の時代でも、(文献1)の本文、古地理図には、「ヨーロッパ大陸ブロック」と「アドリア大陸ブロック」との、「地質学的な境界」(「縫合帯」や「スーチャーゾーン(suture zone)」(文献5))と呼ばれる場所)が、どこにあったのかは明確に書かれておらず、不明です。また「力学的な境界」も不明です。
ヒマラヤ山脈のような衝突型造山帯における、プレート間の「力学的な境界」は通常、大規模な断層であることが多いので(文献9)、それから考えると、図1では、「西部アルプス」を横切る横ずれ断層から「中部アルプス」の北側にあるスラスト断層を通るラインではないか、と思われます。(この段落は私見です)。
なお、(文献7)では、「ペリ・アドリアティック断層系」(peri-Adriatic Fault system)が、「ヨーロッパ大陸ブロック」と「アドリア大陸ブロック」との“境界” のような記述があります。 詳しくは書かれていませんが、「力学的境界」の意味あいとして記載しているようです。
新生代の「アルプス地域」の古地理の復元は、堆積より浸食の効果が大きいことから、困難性がありますが、この図は、主に、海域に堆積した堆積物を元にして描かれたものです。
中生代には「ヨーロッパ大陸ブロック」と「アフリカ大陸ブロック」との間にあった、海洋性地殻をもつ「ペニン海」(Penninic Ocean)、特にその大部分を占め、海洋性地殻を持つ「ピエモンテ海」(Piemont Ocean)と呼ばれる領域は、「白亜紀」の間、「アフリカ大陸ブロック」の下へと沈み込んでいき、その領域は縮小の一途でした。その「ペニン海」(「ピエモンテ海」)が消失してしまうと、いよいよ両大陸ブロックの衝突となりますが、衝突の開始がいつ頃か?は、あまり明確には解っていないようです。
ただ(文献1−1)によると、現在の「アルプス山脈」の北麓の一部では、「暁新世」にはすでに、隆起した山地部から供給されたとみられる、礫を含む破砕性堆積物(海洋域に堆積)が認められています。
また、後述の「暁新世」末ころ(55Ma)の古地理図(図1)の状況から見ても、「暁新世」には既に、大陸ブロックどうしの衝突が始まり、一部では「アルプス山脈」の隆起、陸化も始まっていた、と推測されます。
続く「始新世」(55〜34Ma)になると、いよいよ両大陸ブロックの衝突が本格化し、図1に示すように、広範囲な隆起により陸化した場所ができ、その一部は山地の状態にまでなっていた、と推定されています。図1は、55Maにおける古地理図で、地質時代で言うと「暁新世」末ころの時代にあたります。
この時代における、「ヨーロッパ大陸ブロック」に対する、「アドリア大陸ブロック」の運動のセンスは、図1の下のほうの赤色の矢印で示されるように、北向きだったと推定されています。なお衝突の相対速度は不明です。
※ 以下、図1に基づいて、地域ごとに説明します。
a)「中部アルプス」
まず、図の中央部に大きな陸域がありますが、これは現世の「中部アルプス」(Central Alps)に相当し、ある程度の標高を持つ山地(茶色部分は、図の凡例では、“hilly“ と表記) となっていたと推定されています。
b)「東部アルプス」
「中部アルプス」の東側に続く陸域は、現世の「東部アルプス」(Eastern Alps)に相当します。根拠ははっきりしませんが、この図によると、「中部アルプス」よりも標高が高い山地となっていたと推定されています(図の凡例では、“high mountains”と表記)。
c)「西部アルプス」
「中部アルプス」の南西側では、一部がくびれたような陸域が伸びていますが、このあたりは、現世の「西部アルプス」(Western Alps)から、コルシカ島(Corsica)あたりに相当する地域です。ここは低地とされており(図で緑色のゾーンは、図の凡例では、“lowland”と表記)、まだ隆起はあまりなかった、と推定されています。
またここには、南北走向の左横ずれ断層が推定されています(図1では紫色の線)。これは、「ヨーロッパ大陸ブロック」と「アドリア大陸ブロック」との衝突に対応する相対運動を反映した横ずれ断層として描かれています。この断層をプレート境界と解釈すれば「トランスフォーム断層」だとも言えますが、(文献1−1)では、その点は詳しい説明はありません。
d)「モラッセ盆地」
前記の、隆起して山地化していた「アルプス山脈」地域の北側には、東北―南西に軸を持つ細長い海域が存在していて、そのさらに北の「ヨーロッパ大陸ブロック」の本体と、「アルプス山脈」との間を分けていました。以下、この連載で使用してきた名称に合わせ「モラッセ盆地」(the Molasse basin)と呼びます(文献2)。
一般的には、このような山脈に隣接して形成された盆地状の低地帯は、「フォアランド盆地」(forland basin)や「前地盆地」(ぜんちぼんち)と呼ばれます(文献3)。
この「モラッセ盆地」は、新第三紀「中新世」の始めころまで、長い間存在した海域で、その起源は中生代に存在した、不活発なリフトゾーンとしての「ヴァリストラフ」(Valais trough)だと推定されています。
この「モラッセ盆地」にはこの時代、数か所の、やや深めの海盆があったと推定され、「ヨーロッパアルプス」(主に中部アルプス)から浸食によって供給された、フリッシュ性(flysch)堆積物(主に、砂、泥で、海底乱泥流による堆積物;(文献4))が堆積した場所です。
また「モラッセ盆地」と「中部アルプス」との間にはスラスト断層が描かれていますが、大陸ブロックどうしの衝突による南北方向の圧縮力により、「モラッセ盆地」の上へと南側の「アルプス山脈」側が、のし上がるような運動が起きていた、と推定されています。このような活動は、後の時代まで継続し、「アルプス地域」の「ナップパイル構造」注3)を作る原動力となりました。
e)「ポー盆地」とその周辺
「中部アルプス」の南側にも海域がありますが、これは、現世の「ロンバルディア平野」の元となった「ポー盆地」(Po Basin)です。この間の境界部は、後の「ペリ・アドリアティック断層系」(peri-Adriatic Fault system)の元となる断層(おそらく「横ずれ断層系」)が、形成され始めていました。それ以外に、南下がりのスラスト断層も推定されており、「中部アルプス」側が、南の「ポー盆地」側へとのし上がるセンスの活動が起こっていました。
f)「ヨーロッパ大陸ブロック」本土部
図の左上に目を向けると、緑色のゾーンがありますが、ここは「ヨーロッパ大陸ブロック」の、いわば本土部分で、現世でのドイツ南部からフランス中部にあたる地域です。ここは全体的には低地であったと推定されていますが、南東側に位置する「モラッセ盆地」の縁に沿って、バルジ状の緩い隆起が起こったと推定されています(図1では”Bulge“と表示されており、隆起を示す赤い●印で示した)。
その地質学的な根拠としては、白亜紀の石灰岩層が浸食を受けてカルスト地形化していることや、場所によっては白亜紀の堆積物層が浸食で失しなわれており、下位のジュラ紀層と新生代層との間に不整合があることが挙げられます。
(文献1−1)のテクトニクス的な解説によると、この時代(55Ma)の「アルプス地域」では、両大陸ブロックの衝突により全域が隆起した訳ではなく、南から北へのラインに沿って説明すると、「ポー盆地」は沈降域、「アルプス山脈」地域は隆起域、その北の「モラッセ盆地」は沈降域、更にその北側の「ヨーロッパ大陸ブロック」本土部は隆起域と、南北方向で見ると、波打つような地殻変動として、広域的に「造山運動」が進行していた、と言えます。
これは、「ヨーロッパ大陸ブロック」の地殻部分が比較的に変形しやすい性質(延性的性質)を持っていたためであろう、と説明されています。
なお、この節の時点(55Ma)でも、それ以降の時代でも、(文献1)の本文、古地理図には、「ヨーロッパ大陸ブロック」と「アドリア大陸ブロック」との、「地質学的な境界」(「縫合帯」や「スーチャーゾーン(suture zone)」(文献5))と呼ばれる場所)が、どこにあったのかは明確に書かれておらず、不明です。また「力学的な境界」も不明です。
ヒマラヤ山脈のような衝突型造山帯における、プレート間の「力学的な境界」は通常、大規模な断層であることが多いので(文献9)、それから考えると、図1では、「西部アルプス」を横切る横ずれ断層から「中部アルプス」の北側にあるスラスト断層を通るラインではないか、と思われます。(この段落は私見です)。
なお、(文献7)では、「ペリ・アドリアティック断層系」(peri-Adriatic Fault system)が、「ヨーロッパ大陸ブロック」と「アドリア大陸ブロック」との“境界” のような記述があります。 詳しくは書かれていませんが、「力学的境界」の意味あいとして記載しているようです。
3−1章―(2)節 「始新世」末ころ(35Ma)の「アルプス地域」
図2に、「始新世」末ころ(35Ma)の、「アルプス地域」の古地理図を示します。これは、(文献1−1)の、図4−13を引用したものです。
※ この節でも、地域ごとに解説します。
a)「中部アルプス」
まず図2を見ると、中央部に「中部アルプス」(Central Alps)があります。標高はかなり高くなり、高山域(high mountains)となっていたと推定されています。
「中部アルプス」の北側には、スラスト断層群が描かれています。これは隆起に加え、地質体がスラスト断層によって北側へと移動し始めたことを示唆しています。
ところで「アルプス山脈」における地質構造の特徴として、スラスト断層群によって、地質体がナップ(nappe)(文献6)、つまりシート状の岩体(「スラストシート」;thrust sheet とも呼ばれる)となって北側へと移動し、さらにそれらのスラストシート群が、まるで座布団を積み重ねたような、「ナップパイル構造」(nappe pile structure)注3)になっていることが挙げられます。この図では、このスラスト断層群の活動が、この時代には始まっていたことを示唆しています。
図2では、各地域に分布していた地質体がどうかは表示されておらず、この図では不明ですが、(文献1−1)の説明によると、「中部アルプス」から「東部アルプス」にかけては、前記のスラスト断層群の活動により、元々は「ペニン系地質グループ」があった場所の上に、「オーストロアルパイン地質グループ」がのし上がって、その上を覆っていた、と推定しています。また、「西部アルプス」では、「ペニン系地質グループ」の上に、「サウスアルパイン地質グループ」がのし上がって、その上を覆っていた、と推定しています。
但し、「サウスアルパイン系地質グループ」は現世では、「ペリ・アドリアティック断層系」よりも南に留まっているような分布を示しており、このようなナップの移動があったかどうか疑問です(この段落は私見です)
また、「中部アルプス」のうち隆起量が大きい場所は中央部よりやや南側にあったことが推定されています (図2のオレンジ色の●印の地域)。これは後述の、「中部アルプス」南部のスラスト断層群の活動の影響が大きいと推定されています。
このほか、「中部アルプス」の西側から北側で、一時的な火山活動が推定されています(図2の赤い▲印)。これは、この時代の堆積物中に、火山由来の円礫などが含まれることや、火成岩の岩脈が認められることからの推定です。
「アルプス造山運動」の長い期間のなかで、火山活動はほとんど起きておらず、この火山活動が、どういうメカニズムで生じたのかは不明です。
「中部アルプス」の南側では、「ペリ・アドリアティック断層系」(peri-Adriatic Fault system)(文献7)の活動が本格化し、「東部アルプス」の南縁部までの長大な断層系へと成長しています(図2の、紫色のライン)。
この断層系は、右横ずれ断層の活動センスをもち、現世に近い時代まで、長期間活動しました。この断層系は「サウスアルパイン地質ゾーン」を、他の地質ゾーンと分ける、重要な地質境界線でもあります。(文献7)、(文献8)のように、プレート境界とする見方もあります。
右横ずれ断層としての活動がどういうメカニズムで長期間生じたのかは、(文献1)には明確に説明されていませんが、「ヨーロッパ大陸ブロック」に対する「アドリア大陸ブロック」の相対的な運動方向の変化(「正面衝突」が、「斜め衝突」となった)ことが、この断層系の活動の原動力である、と考えられます(私見を含みます)。
その根拠としては、図1の時代(55Ma)では、「アドリア大陸ブロック」の運動方向は、北向きだったのが、この図2の時代(35Ma)までの間に、運動方向の変化が起こり、北西向きへと変化したと推定されています(図2では、原図に従い、その変化を、2つの矢印で示した)。
そのせいで、ベクトル成分のうち西向き成分の影響で、右横ずれ断層として動いているのではないか、と考えられるわけです(この段落も私見を含みます)。
また、「ペリ・アドリアティック断層系」近傍(北側)付近では、南下がりのスラスト断層群も形成されました。これらの断層群の活動が、「中部アルプス」南部の大きな隆起量の一因とも推定されています。
b)「東部アルプス」
「中部アルプス」の東側は「東部アルプス」(Eastern Alps)に連続しています。ここは、図2の時代(55Ma)と同じく、標高が高いゾーン(図2の凡例では、high mountainsと表記)となっていたと推定されています。
c)「西部アルプス」
「西部アルプス」(Western Alps)については、(文献1−1)でもほとんど解説がなくて、よく解りませんが、図2では、「中部アルプス」の南西部に細長く続く、山地レベル(hilly)の高さをもつ地域として描かれています。
ところで、55Maにおける古地理図(図1)では、「西部アルプス」付近に南北走向の右横ずれ断層が描かれていましたが、この図2(35Maの時代)では、もう無くなっています。
これは前述の「ペリ・アドリアティック断層系」の活動に関して説明したとおり、「ヨーロッパ大陸ブロック」に対する「アドリア大陸ブロック」の運動方向が、北向きから北西向きへと変化したことにより、その変化に対応する変位を、「西部アルプス」にあった南北走向の横ずれ断層(プレート境界と考えれば「トランスフォーム断層」とも言える)で消化する必要がなくなった。そのかわりに、東西走向の「ペリ・アドリアティック断層系」(右横ずれ断層)の活動で消化するように変化したものと考えられます(この段落は私見を含みます)。
d)「モラッセ盆地」
さて、前節の、55Maころの古地理図(図1)と同じく、この時代(35Ma)も、隆起した「アルプス山脈」の北側から西側にかけて、細長い海域(モラッセ盆地)が存在していました。
この海域には、隆起した「アルプス山脈」から浸食によって運ばれてきた破砕性堆積物(この時代はフリッシュ性(=タービダイト性 ; turbidite)堆積物で、主に砂、泥;(文献3))が、この時代にも継続して堆積していました。このうち北側の海域は、現世でのスイスの「モラッセ盆地」(the Molasse basin)にあたり、ここには「アルプス山脈」由来の破砕性堆積物(モラッセ性堆積物やフリッシュ性堆積物)が、厚く堆積しています。
図2からは、北側の海域よりも、西側の海域で、幅が広く深さもある海域となっていたと推定されます。南北走向の西側海域は、その北側に描かれている、「ヨーロッパ大陸ブロック」本土部にある地溝帯へと続いており、この西側の海域も地溝帯的な性格を持っていたのかも知れません(私見を含みます)。
e)「ヨーロッパ大陸ブロック」本土部
前述の海域の北側が「ヨーロッパ大陸ブロック」の本土部です。この時代、この領域は図の左上の緑色のゾーンで示されています。
この辺りは衝突帯としての「アルプス山脈」からやや離れていますが、衝突の間接的な影響がこの辺りまで及び、この時代(35Ma)には、以下のような地殻変動が生じていました。
まず、ここには南北走向の西側の海域から続くように、正断層によってできた地溝帯(あるいは「リフトゾーン」)が描かれています。この地域は、現世のフランス中部の「ブレーゼ地溝帯」(the Bresse graben)に相当します。さらにその先は、横ずれ断層的なセンスをもつ遷移ゾーンを通じて、更に北側の地溝帯へと続いています。この地溝帯は、現世のライン川中流域にあたる「ライン地溝帯」(the Rhine graben)に相当します。つまり、これらの地溝帯は、35Ma頃に起源を持つと推定されているわけです。
これらの「ヨーロッパ大陸ブロック」本土部の地溝帯の存在は、図でも示されているように、広域的な東西方向の伸張場になっていたことを示唆しています。一方で地溝帯の両側は、地溝帯での沈降とは逆にバルジ状に隆起する場(図2のオレンジ色の●印部分)となっていたと推定されています。
なお、この「ライン地溝帯」の両岸は、現世における、ドイツのシュバルツヴァルト(Schwartzwald)丘陵と、フランスのボージュ(Vosges)丘陵に相当します。
※ この節でも、地域ごとに解説します。
a)「中部アルプス」
まず図2を見ると、中央部に「中部アルプス」(Central Alps)があります。標高はかなり高くなり、高山域(high mountains)となっていたと推定されています。
「中部アルプス」の北側には、スラスト断層群が描かれています。これは隆起に加え、地質体がスラスト断層によって北側へと移動し始めたことを示唆しています。
ところで「アルプス山脈」における地質構造の特徴として、スラスト断層群によって、地質体がナップ(nappe)(文献6)、つまりシート状の岩体(「スラストシート」;thrust sheet とも呼ばれる)となって北側へと移動し、さらにそれらのスラストシート群が、まるで座布団を積み重ねたような、「ナップパイル構造」(nappe pile structure)注3)になっていることが挙げられます。この図では、このスラスト断層群の活動が、この時代には始まっていたことを示唆しています。
図2では、各地域に分布していた地質体がどうかは表示されておらず、この図では不明ですが、(文献1−1)の説明によると、「中部アルプス」から「東部アルプス」にかけては、前記のスラスト断層群の活動により、元々は「ペニン系地質グループ」があった場所の上に、「オーストロアルパイン地質グループ」がのし上がって、その上を覆っていた、と推定しています。また、「西部アルプス」では、「ペニン系地質グループ」の上に、「サウスアルパイン地質グループ」がのし上がって、その上を覆っていた、と推定しています。
但し、「サウスアルパイン系地質グループ」は現世では、「ペリ・アドリアティック断層系」よりも南に留まっているような分布を示しており、このようなナップの移動があったかどうか疑問です(この段落は私見です)
また、「中部アルプス」のうち隆起量が大きい場所は中央部よりやや南側にあったことが推定されています (図2のオレンジ色の●印の地域)。これは後述の、「中部アルプス」南部のスラスト断層群の活動の影響が大きいと推定されています。
このほか、「中部アルプス」の西側から北側で、一時的な火山活動が推定されています(図2の赤い▲印)。これは、この時代の堆積物中に、火山由来の円礫などが含まれることや、火成岩の岩脈が認められることからの推定です。
「アルプス造山運動」の長い期間のなかで、火山活動はほとんど起きておらず、この火山活動が、どういうメカニズムで生じたのかは不明です。
「中部アルプス」の南側では、「ペリ・アドリアティック断層系」(peri-Adriatic Fault system)(文献7)の活動が本格化し、「東部アルプス」の南縁部までの長大な断層系へと成長しています(図2の、紫色のライン)。
この断層系は、右横ずれ断層の活動センスをもち、現世に近い時代まで、長期間活動しました。この断層系は「サウスアルパイン地質ゾーン」を、他の地質ゾーンと分ける、重要な地質境界線でもあります。(文献7)、(文献8)のように、プレート境界とする見方もあります。
右横ずれ断層としての活動がどういうメカニズムで長期間生じたのかは、(文献1)には明確に説明されていませんが、「ヨーロッパ大陸ブロック」に対する「アドリア大陸ブロック」の相対的な運動方向の変化(「正面衝突」が、「斜め衝突」となった)ことが、この断層系の活動の原動力である、と考えられます(私見を含みます)。
その根拠としては、図1の時代(55Ma)では、「アドリア大陸ブロック」の運動方向は、北向きだったのが、この図2の時代(35Ma)までの間に、運動方向の変化が起こり、北西向きへと変化したと推定されています(図2では、原図に従い、その変化を、2つの矢印で示した)。
そのせいで、ベクトル成分のうち西向き成分の影響で、右横ずれ断層として動いているのではないか、と考えられるわけです(この段落も私見を含みます)。
また、「ペリ・アドリアティック断層系」近傍(北側)付近では、南下がりのスラスト断層群も形成されました。これらの断層群の活動が、「中部アルプス」南部の大きな隆起量の一因とも推定されています。
b)「東部アルプス」
「中部アルプス」の東側は「東部アルプス」(Eastern Alps)に連続しています。ここは、図2の時代(55Ma)と同じく、標高が高いゾーン(図2の凡例では、high mountainsと表記)となっていたと推定されています。
c)「西部アルプス」
「西部アルプス」(Western Alps)については、(文献1−1)でもほとんど解説がなくて、よく解りませんが、図2では、「中部アルプス」の南西部に細長く続く、山地レベル(hilly)の高さをもつ地域として描かれています。
ところで、55Maにおける古地理図(図1)では、「西部アルプス」付近に南北走向の右横ずれ断層が描かれていましたが、この図2(35Maの時代)では、もう無くなっています。
これは前述の「ペリ・アドリアティック断層系」の活動に関して説明したとおり、「ヨーロッパ大陸ブロック」に対する「アドリア大陸ブロック」の運動方向が、北向きから北西向きへと変化したことにより、その変化に対応する変位を、「西部アルプス」にあった南北走向の横ずれ断層(プレート境界と考えれば「トランスフォーム断層」とも言える)で消化する必要がなくなった。そのかわりに、東西走向の「ペリ・アドリアティック断層系」(右横ずれ断層)の活動で消化するように変化したものと考えられます(この段落は私見を含みます)。
d)「モラッセ盆地」
さて、前節の、55Maころの古地理図(図1)と同じく、この時代(35Ma)も、隆起した「アルプス山脈」の北側から西側にかけて、細長い海域(モラッセ盆地)が存在していました。
この海域には、隆起した「アルプス山脈」から浸食によって運ばれてきた破砕性堆積物(この時代はフリッシュ性(=タービダイト性 ; turbidite)堆積物で、主に砂、泥;(文献3))が、この時代にも継続して堆積していました。このうち北側の海域は、現世でのスイスの「モラッセ盆地」(the Molasse basin)にあたり、ここには「アルプス山脈」由来の破砕性堆積物(モラッセ性堆積物やフリッシュ性堆積物)が、厚く堆積しています。
図2からは、北側の海域よりも、西側の海域で、幅が広く深さもある海域となっていたと推定されます。南北走向の西側海域は、その北側に描かれている、「ヨーロッパ大陸ブロック」本土部にある地溝帯へと続いており、この西側の海域も地溝帯的な性格を持っていたのかも知れません(私見を含みます)。
e)「ヨーロッパ大陸ブロック」本土部
前述の海域の北側が「ヨーロッパ大陸ブロック」の本土部です。この時代、この領域は図の左上の緑色のゾーンで示されています。
この辺りは衝突帯としての「アルプス山脈」からやや離れていますが、衝突の間接的な影響がこの辺りまで及び、この時代(35Ma)には、以下のような地殻変動が生じていました。
まず、ここには南北走向の西側の海域から続くように、正断層によってできた地溝帯(あるいは「リフトゾーン」)が描かれています。この地域は、現世のフランス中部の「ブレーゼ地溝帯」(the Bresse graben)に相当します。さらにその先は、横ずれ断層的なセンスをもつ遷移ゾーンを通じて、更に北側の地溝帯へと続いています。この地溝帯は、現世のライン川中流域にあたる「ライン地溝帯」(the Rhine graben)に相当します。つまり、これらの地溝帯は、35Ma頃に起源を持つと推定されているわけです。
これらの「ヨーロッパ大陸ブロック」本土部の地溝帯の存在は、図でも示されているように、広域的な東西方向の伸張場になっていたことを示唆しています。一方で地溝帯の両側は、地溝帯での沈降とは逆にバルジ状に隆起する場(図2のオレンジ色の●印部分)となっていたと推定されています。
なお、この「ライン地溝帯」の両岸は、現世における、ドイツのシュバルツヴァルト(Schwartzwald)丘陵と、フランスのボージュ(Vosges)丘陵に相当します。
3−1章−(3)節 「漸新世」後期ころ(25Ma)の「アルプス地域」
図3に、古第三紀「漸新世」後期ころ(25Ma)の、「アルプス地域」の古地理図を示します。これは、(文献1−1)の、図4−12を引用したものです。
※ この節でも、地域ごとに解説します。
a) 「中部アルプス」
図3では、「中部アルプス」、「東部アルプス」、「西部アルプス」の表記がないので、やや解りにくいですが、まず中央部に「中部アルプス」(Central Alps)があります。標高的には、図の凡例によると高山域(high mountains)となっており、35Maの時代(図2)と同じく、標高が高い状態を継続していました。また隆起を示すマーク(図3のオレンジ色の●印)があるので、場所によっては、隆起は継続していたと考えられます。
一方、図2の時代(35Ma)で描かれていた多数のスラスト断層群は少なくなったように描かれています。しかし後の項で説明しますが、ナップの移動、ナップパイル構造の形成はこの時代も進行中だったと推定されています。
また、35Ma頃の時代に、「中部アルプス」の北側、西側で起きていた火山活動は、この時代には終息していたようです。
「中部アルプス」の南側から「東部アルプス」の南側にかけては、「ペリ・アドリアティック断層系」(peri-Adriatic Fault system)が右横ずれ断層としてはっきり描かれており(図3の紫色のライン)、図2の時代から継続して、横ずれ断層としての活動が継続していたことが解ります。
図3のうち、赤い太い矢印は、「アドリア大陸ブロック」の移動方向を示していますが、北西方向のベクトルを持ち、図2の時代(35Ma時代)と同様、この斜め衝突の影響を、この断層系の変位が消化されていると思われます。
また、別の項で改めて述べる予定ですが、35〜25Maの時代には、「ペリ・アドリアティック断層系」に沿ってマグマの上昇があり、一部で貫入岩体や岩脈が形成されました。但し火山活動にまでは至っていません。図3では一ヵ所に、貫入岩体(図3では黒い〇印で示した)が描かれています。
b)「東部アルプス」
「東部アルプス」(Eastern Alps)は、この図では、「中部アルプス」の東側に連続しているので、解りにくいですが、「中部アルプス」に近い側は、図の凡例によると高山域(high mountains)で、それより東、ウイーン(Vienna)の近辺までは、山地(hilly)として描かれています。部分的に隆起は継続していたようです。
c)「西部アルプス」
「西部アルプス」(Western Alps)は、図2(35Ma)の時代よりは隆起し、広範囲に山地レベル(hilly)まで隆起していたようです。
図3では小さく書いてあり解りにくいですが、現世の「西部アルプス」の主要な地塊(山塊)である、「アルゲンチーラ地塊」(Argentera)、「ペルビュー地塊」(Pelvoux)、「ベルドンヌ地塊」(Belldonne)が、この「西部アルプス」ゾーンに定置していることが、図3には示されています。
d)「モラッセ盆地」
「アルプス山脈」の北側、西側には、図2の時代(35Ma)では海域でしたが、この時代(25Ma)では、「アルプス山脈」から供給される大量の破砕性堆積物(主に礫、砂)によって埋め立てられ陸地化していきました。全体には西側から東側へと順に、浅海域から陸域へと変化していった、と推定されています。図3では、「アルプス山脈」の北側山麓に、山麓部に多数の扇状地ができていたことが図示されています(図3では扇型のマークで示されている)。
これらの扇状地は、最初は浅海域に堆積し、後には陸上での堆積となりました。
「ヨーロッパアルプス」から供給されてきた破砕性堆積物は、それまでは海底扇状地堆積性の、「フリッシュ(flysch)」(文献4)と呼ばれる砂、泥を主体とした堆積物でしたが、陸地化した後は、「モラッセ(molasse)」(文献2)と呼ばれる、礫、砂を主体とした堆積物へと、堆積相が変化します。
なお「フリッシュ」や「モラッセ」と呼ばれる堆積物がどのようなものかは、添付の図4,図5の写真をご参照ください。これらはウイキペディア英語版からの引用です。
注5)にも解説したので、ご参照ください。
一方、西側の海域は、まだ正断層による地溝状の海域となっていましたが、だいぶ幅も狭くなってきている様子が見て取れます。また北側の海域との接続部も狭くなり、ちょうど現在のジュネーブ(Geneva)付近で接続しているだけとなっています。
e) 「ポー盆地」
「アルプス山脈」の南側には図1(55Ma)の時代から継続して、現世の「ロンバルディア平野」となる「ポー盆地」(Po-Basin)が海域としてありましたが、この時代になると、こちら側へも「アルプス山脈」由来の破砕性堆積物が堆積しています。図3では長く伸びた扇型のマークで、海底扇状地の堆積ゾーンが示されています。
f)「ヨーロッパ大陸ブロック」本土部
図の左上部分が、「ヨーロッパ大陸ブロック」の本土部分です。モラッセ盆地を挟んだ対岸部分に隆起を示すオレンジ色の●印がありますが、ここは後の「ジュラ山脈」になった場所です。
g)この時代のテクトニクス
「モラッセ盆地」の堆積中心の位置の変化の研究によると、「始新世」から「漸新世」の間のうち、約1000万年の期間の間に、「モラッセ盆地」の堆積盆の中心軸は、約50km、北側へと移動したと推定されています。これは、「ヨーロッパ大陸ブロック」と「アドリア大陸ブロック」の間の衝突、収束に伴うものです。これを単純両大陸ブロックの収束速度(convergence rate)とみなすと、約5mm/年、という値が得られます。注4)
h)「ナップパイル構造」の形成
「アルプス山脈」の地質構造を特徴づける、いくつかの地質体がスラスト断層によって切られて、ナップ(nappe)として移動し、かつそれらの地質体が折り重なって、座布団を重ねたような「ナップパイル構造」注3)を形成していますが、その形成プロセスの詳細は、十分には解明されていません。
(文献1−1)の説明によると、「中部アルプス」では、この図3の時代(25Ma)にも、ナップ群の移動と、「ナップパイル構造」の形成が進行中だったと推定しています。
※ この節でも、地域ごとに解説します。
a) 「中部アルプス」
図3では、「中部アルプス」、「東部アルプス」、「西部アルプス」の表記がないので、やや解りにくいですが、まず中央部に「中部アルプス」(Central Alps)があります。標高的には、図の凡例によると高山域(high mountains)となっており、35Maの時代(図2)と同じく、標高が高い状態を継続していました。また隆起を示すマーク(図3のオレンジ色の●印)があるので、場所によっては、隆起は継続していたと考えられます。
一方、図2の時代(35Ma)で描かれていた多数のスラスト断層群は少なくなったように描かれています。しかし後の項で説明しますが、ナップの移動、ナップパイル構造の形成はこの時代も進行中だったと推定されています。
また、35Ma頃の時代に、「中部アルプス」の北側、西側で起きていた火山活動は、この時代には終息していたようです。
「中部アルプス」の南側から「東部アルプス」の南側にかけては、「ペリ・アドリアティック断層系」(peri-Adriatic Fault system)が右横ずれ断層としてはっきり描かれており(図3の紫色のライン)、図2の時代から継続して、横ずれ断層としての活動が継続していたことが解ります。
図3のうち、赤い太い矢印は、「アドリア大陸ブロック」の移動方向を示していますが、北西方向のベクトルを持ち、図2の時代(35Ma時代)と同様、この斜め衝突の影響を、この断層系の変位が消化されていると思われます。
また、別の項で改めて述べる予定ですが、35〜25Maの時代には、「ペリ・アドリアティック断層系」に沿ってマグマの上昇があり、一部で貫入岩体や岩脈が形成されました。但し火山活動にまでは至っていません。図3では一ヵ所に、貫入岩体(図3では黒い〇印で示した)が描かれています。
b)「東部アルプス」
「東部アルプス」(Eastern Alps)は、この図では、「中部アルプス」の東側に連続しているので、解りにくいですが、「中部アルプス」に近い側は、図の凡例によると高山域(high mountains)で、それより東、ウイーン(Vienna)の近辺までは、山地(hilly)として描かれています。部分的に隆起は継続していたようです。
c)「西部アルプス」
「西部アルプス」(Western Alps)は、図2(35Ma)の時代よりは隆起し、広範囲に山地レベル(hilly)まで隆起していたようです。
図3では小さく書いてあり解りにくいですが、現世の「西部アルプス」の主要な地塊(山塊)である、「アルゲンチーラ地塊」(Argentera)、「ペルビュー地塊」(Pelvoux)、「ベルドンヌ地塊」(Belldonne)が、この「西部アルプス」ゾーンに定置していることが、図3には示されています。
d)「モラッセ盆地」
「アルプス山脈」の北側、西側には、図2の時代(35Ma)では海域でしたが、この時代(25Ma)では、「アルプス山脈」から供給される大量の破砕性堆積物(主に礫、砂)によって埋め立てられ陸地化していきました。全体には西側から東側へと順に、浅海域から陸域へと変化していった、と推定されています。図3では、「アルプス山脈」の北側山麓に、山麓部に多数の扇状地ができていたことが図示されています(図3では扇型のマークで示されている)。
これらの扇状地は、最初は浅海域に堆積し、後には陸上での堆積となりました。
「ヨーロッパアルプス」から供給されてきた破砕性堆積物は、それまでは海底扇状地堆積性の、「フリッシュ(flysch)」(文献4)と呼ばれる砂、泥を主体とした堆積物でしたが、陸地化した後は、「モラッセ(molasse)」(文献2)と呼ばれる、礫、砂を主体とした堆積物へと、堆積相が変化します。
なお「フリッシュ」や「モラッセ」と呼ばれる堆積物がどのようなものかは、添付の図4,図5の写真をご参照ください。これらはウイキペディア英語版からの引用です。
注5)にも解説したので、ご参照ください。
一方、西側の海域は、まだ正断層による地溝状の海域となっていましたが、だいぶ幅も狭くなってきている様子が見て取れます。また北側の海域との接続部も狭くなり、ちょうど現在のジュネーブ(Geneva)付近で接続しているだけとなっています。
e) 「ポー盆地」
「アルプス山脈」の南側には図1(55Ma)の時代から継続して、現世の「ロンバルディア平野」となる「ポー盆地」(Po-Basin)が海域としてありましたが、この時代になると、こちら側へも「アルプス山脈」由来の破砕性堆積物が堆積しています。図3では長く伸びた扇型のマークで、海底扇状地の堆積ゾーンが示されています。
f)「ヨーロッパ大陸ブロック」本土部
図の左上部分が、「ヨーロッパ大陸ブロック」の本土部分です。モラッセ盆地を挟んだ対岸部分に隆起を示すオレンジ色の●印がありますが、ここは後の「ジュラ山脈」になった場所です。
g)この時代のテクトニクス
「モラッセ盆地」の堆積中心の位置の変化の研究によると、「始新世」から「漸新世」の間のうち、約1000万年の期間の間に、「モラッセ盆地」の堆積盆の中心軸は、約50km、北側へと移動したと推定されています。これは、「ヨーロッパ大陸ブロック」と「アドリア大陸ブロック」の間の衝突、収束に伴うものです。これを単純両大陸ブロックの収束速度(convergence rate)とみなすと、約5mm/年、という値が得られます。注4)
h)「ナップパイル構造」の形成
「アルプス山脈」の地質構造を特徴づける、いくつかの地質体がスラスト断層によって切られて、ナップ(nappe)として移動し、かつそれらの地質体が折り重なって、座布団を重ねたような「ナップパイル構造」注3)を形成していますが、その形成プロセスの詳細は、十分には解明されていません。
(文献1−1)の説明によると、「中部アルプス」では、この図3の時代(25Ma)にも、ナップ群の移動と、「ナップパイル構造」の形成が進行中だったと推定しています。
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【注釈の項】
注1) 「アルプス地域」という用語について:
前の各章でも解説しましたので簡単に説明しておきます。「ヨーロッパアルプス」の地史を語る際、各地質時代において、現世の「ヨーロッパアルプス」を構成している地質体が形成された広域的な地域を、説明のために、「アルプス地域」と定義し、用いることとしています。(文献1)での、(”Alpine domain”)にほぼ対応する用語です。
注2) 「新生代」について
「新生代」(Cenozoic)は、3つの「紀」(period)に分けられます。そのうち「古第三紀」は、「暁新世」(ぎょうしんせい;66Ma〜55Ma)、「始新世」(ししんせい;55〜34Ma)、「漸新世」(ぜんしんせい;34〜23Ma)の3つの「世」(epoch)に分けられます。
なお、その次の「新第三紀」は、「中新世」(ちゅうしんせい;23〜5.3Ma)、「鮮新世」(せんしんせい;5.3〜2.6Ma)の2つに分けられます。
最後の「紀」は、現世(「完新世」)を含む、「第四紀」(5.3Ma〜現在)です。
注3) 「ナップパイル構造」という用語について
「ナップパイル構造」(nappe pile)という用語は、実は「地学事典」などには載っておらず、明確な定義がない用語です。
この連載では、「ナップ」群(nappes)からなる地質グループが、更に重なり合った大規模構造を、説明のために、「ナップパイル構造」と呼んでいます。
具体的には、「中部アルプス」、「東部アルプス」は、構造的下位から順に、「ペニン系地質グループ」、「ヘルベチカ系地質グループ」、「オーストロアルパイン系地質グループ」の順に重なり合っており、そのような状態を意味する用語として使っています。
なお(文献1)や、その他のプレートテクトニクス関連の論文では、(nappe pile)という用語は、しばしば使われています。
注4) 両大陸ブロック間の収束速度について
(文献1−1)の本文では、「古第三紀」における平均収束速度は、約5mm/年、と記載されていますが、プレート間の衝突であるため、単純に、「ヨーロッパ大陸ブロック」を基準としての「アドリア大陸ブロック」の移動速度、というわけではないと思われます。
注5) 「フリッシュ」(flysch)、「モラッセ」(molasse)という堆積物について
(文献1)や、その他の造山運動に関連した文献では、「フリッシュ」(flysch)、「モラッセ」(molasse)という堆積物の名称が良く出てきます。これらの堆積物の意味するものは少し複雑な経緯があるので、(文献2)、(文献4)、(文献10)などを参考にして、解説します。
元々、「フリッシュ」や「モラッセ」という用語は、アルプスの地質学研究の早い段階(18〜19世紀)に、地域限定の堆積物名称として使用され始めたようです。
まず「フリッシュ」(flysch)という用語は、19世紀初頭に、スイスのジンメンタール(Simmmental)地域での、砂岩、シェール(泥岩由来の弱い変成岩)を主とした地層を示す用語として使われ始めたようです。その後、「モラッセ」(molasse)との混同などもありながら、山地周辺にある「砂泥互層」を意味する用語となり、その後、20世紀後半に、プレートテクトニクスが地質学に浸透したのちは、造山運動に関連して、深海乱泥流によって形成された「砂泥互層」を意味する用語として、使用範囲が拡大しています。
地質学用語としては、深海乱泥流堆積物を意味する、「タービダイト」(turbidite)とほぼ同義といえますが、造山運動に関連している、という限定が入ります。
次に「モラッセ」(molasse)という用語ですが、語源はフランス語であり、検索すると「糖蜜」(とうみつ)という、甘いシロップを意味する料理用語が出てきてしまいます。元々は、ラテン語の(mollis)という、「柔らかい(もの)」を意味する一般名詞(形容詞)が語源のようです。18世紀後半に、スイスの地質学者、ド・ソシュール(”H.B. de Saussure”;モンブランの初登頂でも知られる)が、使用し始めた、と言われています。その後、「柔らかい砂岩」を意味する地質学用語として使われ、「フリッシュ」という用語との違いが不明瞭となった時代があります。
20世紀後半、プレートテクトニクスが一般的になってからは、「モラッセ」は、山地周辺で、山地の浸食によって、山麓の扇状地や浅海域へと供給された、礫を多く含む破砕性堆積物を示す用語として使用されるようになり、使用範囲も拡大しました。
「フリッシュ」と「モラッセ」は現在では、造山運動に関連する用語として、セットで使われることが多いようです。
注6) ”Ma”は、百万年前を意味する単位です。
前の各章でも解説しましたので簡単に説明しておきます。「ヨーロッパアルプス」の地史を語る際、各地質時代において、現世の「ヨーロッパアルプス」を構成している地質体が形成された広域的な地域を、説明のために、「アルプス地域」と定義し、用いることとしています。(文献1)での、(”Alpine domain”)にほぼ対応する用語です。
注2) 「新生代」について
「新生代」(Cenozoic)は、3つの「紀」(period)に分けられます。そのうち「古第三紀」は、「暁新世」(ぎょうしんせい;66Ma〜55Ma)、「始新世」(ししんせい;55〜34Ma)、「漸新世」(ぜんしんせい;34〜23Ma)の3つの「世」(epoch)に分けられます。
なお、その次の「新第三紀」は、「中新世」(ちゅうしんせい;23〜5.3Ma)、「鮮新世」(せんしんせい;5.3〜2.6Ma)の2つに分けられます。
最後の「紀」は、現世(「完新世」)を含む、「第四紀」(5.3Ma〜現在)です。
注3) 「ナップパイル構造」という用語について
「ナップパイル構造」(nappe pile)という用語は、実は「地学事典」などには載っておらず、明確な定義がない用語です。
この連載では、「ナップ」群(nappes)からなる地質グループが、更に重なり合った大規模構造を、説明のために、「ナップパイル構造」と呼んでいます。
具体的には、「中部アルプス」、「東部アルプス」は、構造的下位から順に、「ペニン系地質グループ」、「ヘルベチカ系地質グループ」、「オーストロアルパイン系地質グループ」の順に重なり合っており、そのような状態を意味する用語として使っています。
なお(文献1)や、その他のプレートテクトニクス関連の論文では、(nappe pile)という用語は、しばしば使われています。
注4) 両大陸ブロック間の収束速度について
(文献1−1)の本文では、「古第三紀」における平均収束速度は、約5mm/年、と記載されていますが、プレート間の衝突であるため、単純に、「ヨーロッパ大陸ブロック」を基準としての「アドリア大陸ブロック」の移動速度、というわけではないと思われます。
注5) 「フリッシュ」(flysch)、「モラッセ」(molasse)という堆積物について
(文献1)や、その他の造山運動に関連した文献では、「フリッシュ」(flysch)、「モラッセ」(molasse)という堆積物の名称が良く出てきます。これらの堆積物の意味するものは少し複雑な経緯があるので、(文献2)、(文献4)、(文献10)などを参考にして、解説します。
元々、「フリッシュ」や「モラッセ」という用語は、アルプスの地質学研究の早い段階(18〜19世紀)に、地域限定の堆積物名称として使用され始めたようです。
まず「フリッシュ」(flysch)という用語は、19世紀初頭に、スイスのジンメンタール(Simmmental)地域での、砂岩、シェール(泥岩由来の弱い変成岩)を主とした地層を示す用語として使われ始めたようです。その後、「モラッセ」(molasse)との混同などもありながら、山地周辺にある「砂泥互層」を意味する用語となり、その後、20世紀後半に、プレートテクトニクスが地質学に浸透したのちは、造山運動に関連して、深海乱泥流によって形成された「砂泥互層」を意味する用語として、使用範囲が拡大しています。
地質学用語としては、深海乱泥流堆積物を意味する、「タービダイト」(turbidite)とほぼ同義といえますが、造山運動に関連している、という限定が入ります。
次に「モラッセ」(molasse)という用語ですが、語源はフランス語であり、検索すると「糖蜜」(とうみつ)という、甘いシロップを意味する料理用語が出てきてしまいます。元々は、ラテン語の(mollis)という、「柔らかい(もの)」を意味する一般名詞(形容詞)が語源のようです。18世紀後半に、スイスの地質学者、ド・ソシュール(”H.B. de Saussure”;モンブランの初登頂でも知られる)が、使用し始めた、と言われています。その後、「柔らかい砂岩」を意味する地質学用語として使われ、「フリッシュ」という用語との違いが不明瞭となった時代があります。
20世紀後半、プレートテクトニクスが一般的になってからは、「モラッセ」は、山地周辺で、山地の浸食によって、山麓の扇状地や浅海域へと供給された、礫を多く含む破砕性堆積物を示す用語として使用されるようになり、使用範囲も拡大しました。
「フリッシュ」と「モラッセ」は現在では、造山運動に関連する用語として、セットで使われることが多いようです。
注6) ”Ma”は、百万年前を意味する単位です。
(参考文献)
(文献1) O. A. Pfiffer 著 “Geology of the Alps”, 2nd edition
(文献1−1) (文献1)の、第4部「新生代のアルプス地域」
(”the Alpine Domain in the Cenozoic”)の各文章、
及び、以下の古地理図
・図4−12 「始新世」前期(55Ma)の「アルプス地域」の古地理図
(”paleo-graphical map of the future Alpine realm in the early Eocene(55Ma)”)
・図4−13 「始新世」/「漸新世」境界ころ(35Ma)の「アルプス地域」の古地理図
(”paleo-graphical map of the future Alpine realm at
The transition from the Eocene to the Oligocene(35Ma)”)
・図4−14 「漸新世」後期(25Ma)の「アルプス地域」の古地理図
(”paleo-graphical map of the future Alpine realm in the late Oligocene(25Ma)“)
(文献1−2) (文献1)のうち、第6部(Tectonic evolution of the Alps)の項
(文献2) ウイキペディア英語版の、「モラッセ」(Molasse)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Molasse
(2025年7月 閲覧)
(文献3) ウイキペディア英語版の、「フォアランド盆地」(foreland basin)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Foreland_basin
(2025年7月 閲覧)
(文献4) ウイキペディア英語版の、「フリッシュ」(Frysch)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Flysch
(2025年7月 閲覧)
(文献5) ウイキペディア英語版の、「スーチャー」(Suture (geology))の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Suture_(geology)
(2025年7月 閲覧)
(文献6) ウイキペディア英語版の、「ナップ」(nappe)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Nappe
(2025年7月 閲覧)
(文献7) ウイキペディア英語版の、「ペリアドリアティック縫合帯」
(Periadoriatic Seam)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Periadriatic_Seam
(2025年7月 閲覧)
(文献8) ウイキペディア英語版の、(Geology of the Alps)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Geology_of_the_Alps
(2025年7月 閲覧)
(文献9) 酒井 「ヒマラヤ山脈形成史」 東京大学出版会 刊 (2022)
特に、このうち 第1章、第2章、第15章
(文献10) 地質団体研究会 編 「新編 地学事典」 平凡社 刊(1996)のうち、
「前地」、「モラッセ」、「フリッシュ」、「縫合帯」、の各項
(文献1−1) (文献1)の、第4部「新生代のアルプス地域」
(”the Alpine Domain in the Cenozoic”)の各文章、
及び、以下の古地理図
・図4−12 「始新世」前期(55Ma)の「アルプス地域」の古地理図
(”paleo-graphical map of the future Alpine realm in the early Eocene(55Ma)”)
・図4−13 「始新世」/「漸新世」境界ころ(35Ma)の「アルプス地域」の古地理図
(”paleo-graphical map of the future Alpine realm at
The transition from the Eocene to the Oligocene(35Ma)”)
・図4−14 「漸新世」後期(25Ma)の「アルプス地域」の古地理図
(”paleo-graphical map of the future Alpine realm in the late Oligocene(25Ma)“)
(文献1−2) (文献1)のうち、第6部(Tectonic evolution of the Alps)の項
(文献2) ウイキペディア英語版の、「モラッセ」(Molasse)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Molasse
(2025年7月 閲覧)
(文献3) ウイキペディア英語版の、「フォアランド盆地」(foreland basin)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Foreland_basin
(2025年7月 閲覧)
(文献4) ウイキペディア英語版の、「フリッシュ」(Frysch)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Flysch
(2025年7月 閲覧)
(文献5) ウイキペディア英語版の、「スーチャー」(Suture (geology))の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Suture_(geology)
(2025年7月 閲覧)
(文献6) ウイキペディア英語版の、「ナップ」(nappe)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Nappe
(2025年7月 閲覧)
(文献7) ウイキペディア英語版の、「ペリアドリアティック縫合帯」
(Periadoriatic Seam)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Periadriatic_Seam
(2025年7月 閲覧)
(文献8) ウイキペディア英語版の、(Geology of the Alps)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Geology_of_the_Alps
(2025年7月 閲覧)
(文献9) 酒井 「ヒマラヤ山脈形成史」 東京大学出版会 刊 (2022)
特に、このうち 第1章、第2章、第15章
(文献10) 地質団体研究会 編 「新編 地学事典」 平凡社 刊(1996)のうち、
「前地」、「モラッセ」、「フリッシュ」、「縫合帯」、の各項
【書記事項】
初版リリース;2025年7月24日
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