(はじめに)
前の3−1章では、新生代の「アルプス造山運動」のうち、「古第三紀」(約66Ma〜23Ma)における、「アルプス造山運動」の様子を説明しました。
この3−2章では、前章に続き、「新第三紀」注1)(約23Ma〜2.6Ma)における「アルプス造山運動」の状況について、(文献1)のうち、第6部(Tectonic evolution of the Alps)の項(文献1−2)と、第7部(The latest steps in the evolution of the Alps)の項(文献1−3)に記載されている、4つの古地理図を元に説明します。
この3−2章では、前章に続き、「新第三紀」注1)(約23Ma〜2.6Ma)における「アルプス造山運動」の状況について、(文献1)のうち、第6部(Tectonic evolution of the Alps)の項(文献1−2)と、第7部(The latest steps in the evolution of the Alps)の項(文献1−3)に記載されている、4つの古地理図を元に説明します。
3−2章―(1)節 「中新世」初頭(22Ma)の「アルプス地域」
図1に、新第三紀「中新世」の初頭ころ(22Ma)の、「アルプス地域」の古地理図を示します。これは、(文献1−2)の、図6−20を引用したものです。
なお参照用として、前の投稿でも示した、古第三紀「漸新世」(ぜんしんせい)末ころ(25Ma)における「アルプス地域」の古地理図も、図2に示します。
図1を図2と比べると、わずか300万年の期間しか経過してないので、一見して、ほとんど同じような古地理ですが、全体的にみると、高山域(図の凡例では、“high mountains”と表記、薄いベージュ色)が広がっています。(文献1−2)でも、「「アルプス地域」の隆起量は、「漸新世」末から急に大きくなった」との記載があります。
また「アドリア大陸ブロック」の進行方向は、図の中央下に書かれている赤い矢印のとおり、継続して北西方向へと動いていて、「衝突」は続いていました。
※ 以下、地域ごとに説明します。
a)「中部アルプス」
全域で、高山域(high mountains;薄いベージュ色部分)となっており、隆起を示すマーク(図ではオレンジ色の●印で表示)で示されるように、隆起は全域で継続していたと推定されています。
図1では場所が分かりにくいですが、「中部アルプス」のほぼ中央部は特に隆起量が多かったと推定されており、「レポンティン・ドーム」(the Lepontine dome)(文献2)と呼ばれています 注2)。(文献1)ではその位置が図示されていないので明確ではありませんが、(文献2)によると、スイスのうち南東部の、「ヴァリス州」東部、「グラウビュンデン州」、およびその南側のイタリア領の場所あたりのようです。この現世での「レポンティン・アルプス」(文献3)は、標高が3000〜3500m程度で、「アルプス山脈」の中では標高が高いとは言えませんが、(文献2)の説明によると、最上位にあるべき「オーストロアルパイン系地質グループ」の地質体が失われて、その構造的下位にある「ペニン系地質グループ」が顔を出している場所、つまり地質学的にいう「地窓(じまど)」(fenster(独)/tectonic window(英))となっていることから、隆起量が特に大きかった場所とされているようです。
一方、「中部アルプス」の南端部でも大きな隆起が起こったと推定されています。
また「中部アルプス」と北の「モラッセ盆地」との間には、スラスト断層群(図では▲印の歯が付いた黒線で表示)が描かれており、ナップ群の北への移動を示唆しています。
「中部アルプス」の南側には、東西に走る紫色のラインで示す「ペリ・アドリアティック断層系」(prri-Adriatic fault system)(文献6)が描かれています。東西走向の右横ずれ断層としてまだ活動していたと推定されています。
b)「東部アルプス」
(文献1−2)には詳しい説明がありませんが、図1を見ると、「東部アルプス」のうち、「タウエルン地域」(Tauern)(文献4)などで大きな隆起が生じていたと推定されています。
なおこの「タウエルン地域」は、基盤岩体を含めた大きな隆起量と、それに対応した大きな浸食量により、元々、中生代の分厚い堆積物層があった部分の多くが浸食によって失われ、基盤岩体が中生代堆積物層の間から顔をだしたような、いわゆる「地窓」(フェンスター)と呼ばれる地質構造となっている場所です。前述の「レポンティン・ドーム」と同じような構造をもつ場所です。
c) 「西部アルプス」
図1では、「西部アルプス」にも隆起を示すマーク(図ではオレンジ色の●印)がたくさんあり、全体に高山域(high mountains )と表記(薄いベージュ色)され、かなり隆起して高山となっていたことが解ります。
d) 「モラッセ盆地」
図の北側の白い部分が「モラッセ盆地」で、この時代はほぼ全域で陸地化していたと推定されています。水色のラインと太い矢印は、盆地内を流れていた河川の古流路で、この時代には、全体に西側から東側へと流れていたと推定されています。
また、前の時代と同様、この盆地の南側にある隆起した「ヨーロッパアルプス」から供給される破砕性堆積物が、盆地の縁に大きな扇状地を形成していることも図示されています。
なお参照用として、前の投稿でも示した、古第三紀「漸新世」(ぜんしんせい)末ころ(25Ma)における「アルプス地域」の古地理図も、図2に示します。
図1を図2と比べると、わずか300万年の期間しか経過してないので、一見して、ほとんど同じような古地理ですが、全体的にみると、高山域(図の凡例では、“high mountains”と表記、薄いベージュ色)が広がっています。(文献1−2)でも、「「アルプス地域」の隆起量は、「漸新世」末から急に大きくなった」との記載があります。
また「アドリア大陸ブロック」の進行方向は、図の中央下に書かれている赤い矢印のとおり、継続して北西方向へと動いていて、「衝突」は続いていました。
※ 以下、地域ごとに説明します。
a)「中部アルプス」
全域で、高山域(high mountains;薄いベージュ色部分)となっており、隆起を示すマーク(図ではオレンジ色の●印で表示)で示されるように、隆起は全域で継続していたと推定されています。
図1では場所が分かりにくいですが、「中部アルプス」のほぼ中央部は特に隆起量が多かったと推定されており、「レポンティン・ドーム」(the Lepontine dome)(文献2)と呼ばれています 注2)。(文献1)ではその位置が図示されていないので明確ではありませんが、(文献2)によると、スイスのうち南東部の、「ヴァリス州」東部、「グラウビュンデン州」、およびその南側のイタリア領の場所あたりのようです。この現世での「レポンティン・アルプス」(文献3)は、標高が3000〜3500m程度で、「アルプス山脈」の中では標高が高いとは言えませんが、(文献2)の説明によると、最上位にあるべき「オーストロアルパイン系地質グループ」の地質体が失われて、その構造的下位にある「ペニン系地質グループ」が顔を出している場所、つまり地質学的にいう「地窓(じまど)」(fenster(独)/tectonic window(英))となっていることから、隆起量が特に大きかった場所とされているようです。
一方、「中部アルプス」の南端部でも大きな隆起が起こったと推定されています。
また「中部アルプス」と北の「モラッセ盆地」との間には、スラスト断層群(図では▲印の歯が付いた黒線で表示)が描かれており、ナップ群の北への移動を示唆しています。
「中部アルプス」の南側には、東西に走る紫色のラインで示す「ペリ・アドリアティック断層系」(prri-Adriatic fault system)(文献6)が描かれています。東西走向の右横ずれ断層としてまだ活動していたと推定されています。
b)「東部アルプス」
(文献1−2)には詳しい説明がありませんが、図1を見ると、「東部アルプス」のうち、「タウエルン地域」(Tauern)(文献4)などで大きな隆起が生じていたと推定されています。
なおこの「タウエルン地域」は、基盤岩体を含めた大きな隆起量と、それに対応した大きな浸食量により、元々、中生代の分厚い堆積物層があった部分の多くが浸食によって失われ、基盤岩体が中生代堆積物層の間から顔をだしたような、いわゆる「地窓」(フェンスター)と呼ばれる地質構造となっている場所です。前述の「レポンティン・ドーム」と同じような構造をもつ場所です。
c) 「西部アルプス」
図1では、「西部アルプス」にも隆起を示すマーク(図ではオレンジ色の●印)がたくさんあり、全体に高山域(high mountains )と表記(薄いベージュ色)され、かなり隆起して高山となっていたことが解ります。
d) 「モラッセ盆地」
図の北側の白い部分が「モラッセ盆地」で、この時代はほぼ全域で陸地化していたと推定されています。水色のラインと太い矢印は、盆地内を流れていた河川の古流路で、この時代には、全体に西側から東側へと流れていたと推定されています。
また、前の時代と同様、この盆地の南側にある隆起した「ヨーロッパアルプス」から供給される破砕性堆積物が、盆地の縁に大きな扇状地を形成していることも図示されています。
3−2章―(2)節 「中新世」中期(15Ma)の「アルプス地域」
図3に、新第三紀「中新世」中期(15Ma)における、「アルプス地域」の古地理図を示します。これは、(文献1−2)の、図6−21を引用したものです。
図の中央下に書かれている赤い矢印のとおり、この時代も「アドリア大陸ブロック」は北西方向へと動いていて、「衝突」は続いていました。
図1の時代(22Ma)から、約700万年の時間が経過していますが、「アルプス地域」では、変化している場所と、大きな変化がない場所とがあります。
※ この節でも、以下 地域ごとに説明します。
a)「中部アルプス」
図の中央部が「中部アルプス」です。相変わらず高山域(high mountains;薄いベージュ色部分)と表示されています。が、先の時代にはあった、隆起を示すオレンジ色の●印は少なくなり、隆起速度自体は低下したようです。
「中部アルプス」の北側には、スラスト断層群(▲印のついた黒色のライン)が描かれていて、まだナップ群の移動が続いていたことが示唆されます。
一方、「中部アルプス」の南側の、「ペリ・アドリアティック断層系」(紫色のライン)は、この時代になると、横ずれ断層としての活動は低下してしまったように描かれています。
また、「中部アルプス」の内部には、短めの正断層(図では、歯のついた青色のライン)や逆断層(▲印のついた黒色のライン)が描かれており、複雑に変形していたことを示唆しています。
b)「東部アルプス」
「東部アルプス」の中心はこの時代、タウエルン地域(Tauern)で、隆起を示すオレンジ色の●印が表示されています。また「東部アルプス」は内部およびその周辺部に多数の断層(逆断層(▲印のついた黒色のライン)、正断層(歯のついた青色のライン)、横ずれ断層(紫色のライン))が描かれており、断層に画されて、いくつかのブロックに分断されつつあったようです。
「東部アルプス」の最も東側は、前の時代(22Ma)には陸域でしたが、この図の時代(15Ma)には、沈降を示す紫色の●印があるとともに、浅い海(スチリアン海盆; Styrian basin)となっていました。
なお、この図では東向きの小さい黒い矢印が描かれていますが、「東部アルプス」の最東部は、東向きの伸張場となっていて、その為に引き伸ばされて沈降が起こった、ということのようです。なお、「西部アルプス」のほうでも西向きの伸張場となっていたようで、この時代、「アルプス山脈」全体が、南北方向では圧縮応力場で、東西方向には伸張場、というテクトニック的な状態だった、と考えられます。
「東部アルプス」のうち、「ペリ・アドリアティック断層系」の南側、陸地と海域との境界部あたりは、隆起を示すオレンジ色の●印が描かれており、他のブロックとは違った変動をしていたようです。この場所は現世の「ドロミティ地域」(Dolomiti)に相当します。
c)「西部アルプス」
「西部アルプス」は、「中部アルプス」とは違い、この時代(15Ma)でも隆起傾向は継続していたようで、隆起を示すオレンジ色の●印がいくつも描かれています。隆起マークのあるあたりには「ベルドンヌ地塊」(Belldonne)、「ペルビュー地塊」(Pelvoux)などが図示されており、これらの地塊が高山的な山塊となっていったことを示唆しています。
d)「モラッセ盆地」
「ヨーロッパアルプス」北側の「モラッセ盆地」は、前の時代(22Ma)と同様に、破砕性堆積物(主に、モラッセ性堆積物;礫、砂)によって埋め立てられた陸域です。水色のラインで描かれた古流路は、前の時代(22Ma)では西から東へと流れていましたが、この時代(15Ma)には盆地西部が沈降していったと推定され(紫色の●印)、そのために流れが逆となり、東から西への流れと変化しました。
図の中央下に書かれている赤い矢印のとおり、この時代も「アドリア大陸ブロック」は北西方向へと動いていて、「衝突」は続いていました。
図1の時代(22Ma)から、約700万年の時間が経過していますが、「アルプス地域」では、変化している場所と、大きな変化がない場所とがあります。
※ この節でも、以下 地域ごとに説明します。
a)「中部アルプス」
図の中央部が「中部アルプス」です。相変わらず高山域(high mountains;薄いベージュ色部分)と表示されています。が、先の時代にはあった、隆起を示すオレンジ色の●印は少なくなり、隆起速度自体は低下したようです。
「中部アルプス」の北側には、スラスト断層群(▲印のついた黒色のライン)が描かれていて、まだナップ群の移動が続いていたことが示唆されます。
一方、「中部アルプス」の南側の、「ペリ・アドリアティック断層系」(紫色のライン)は、この時代になると、横ずれ断層としての活動は低下してしまったように描かれています。
また、「中部アルプス」の内部には、短めの正断層(図では、歯のついた青色のライン)や逆断層(▲印のついた黒色のライン)が描かれており、複雑に変形していたことを示唆しています。
b)「東部アルプス」
「東部アルプス」の中心はこの時代、タウエルン地域(Tauern)で、隆起を示すオレンジ色の●印が表示されています。また「東部アルプス」は内部およびその周辺部に多数の断層(逆断層(▲印のついた黒色のライン)、正断層(歯のついた青色のライン)、横ずれ断層(紫色のライン))が描かれており、断層に画されて、いくつかのブロックに分断されつつあったようです。
「東部アルプス」の最も東側は、前の時代(22Ma)には陸域でしたが、この図の時代(15Ma)には、沈降を示す紫色の●印があるとともに、浅い海(スチリアン海盆; Styrian basin)となっていました。
なお、この図では東向きの小さい黒い矢印が描かれていますが、「東部アルプス」の最東部は、東向きの伸張場となっていて、その為に引き伸ばされて沈降が起こった、ということのようです。なお、「西部アルプス」のほうでも西向きの伸張場となっていたようで、この時代、「アルプス山脈」全体が、南北方向では圧縮応力場で、東西方向には伸張場、というテクトニック的な状態だった、と考えられます。
「東部アルプス」のうち、「ペリ・アドリアティック断層系」の南側、陸地と海域との境界部あたりは、隆起を示すオレンジ色の●印が描かれており、他のブロックとは違った変動をしていたようです。この場所は現世の「ドロミティ地域」(Dolomiti)に相当します。
c)「西部アルプス」
「西部アルプス」は、「中部アルプス」とは違い、この時代(15Ma)でも隆起傾向は継続していたようで、隆起を示すオレンジ色の●印がいくつも描かれています。隆起マークのあるあたりには「ベルドンヌ地塊」(Belldonne)、「ペルビュー地塊」(Pelvoux)などが図示されており、これらの地塊が高山的な山塊となっていったことを示唆しています。
d)「モラッセ盆地」
「ヨーロッパアルプス」北側の「モラッセ盆地」は、前の時代(22Ma)と同様に、破砕性堆積物(主に、モラッセ性堆積物;礫、砂)によって埋め立てられた陸域です。水色のラインで描かれた古流路は、前の時代(22Ma)では西から東へと流れていましたが、この時代(15Ma)には盆地西部が沈降していったと推定され(紫色の●印)、そのために流れが逆となり、東から西への流れと変化しました。
3−2章―(3)節 「中新世」末(6Ma)の「アルプス地域」
図4に、新第三紀「中新世」末(6Ma)の「アルプス地域」の古地理図を示します。これは、(文献1―3)の、図7−1を引用したものです。
図の中央下に書かれている赤い矢印のとおり、この時代も「アドリア大陸ブロック」は北西方向へと動いていて、「衝突」は続いていました。
※ この節でも、地域ごとに解説します。
a)「中部アルプス」
「中部アルプス」のうち、北側の一部、「アール地塊」(Aar massif)、「ゴッタルト地塊」(Gothard massif)付近ではまだ隆起傾向を示すオレンジ色の●印があります。が、むしろ、浸食により、高山域(high mountains;薄いベージュ色)が減り、山地レベル(hilly)へと標高が低下した場所(濃いベージュ色)が増えてきています。なお、数多い水色のラインは、山地から山麓へと流れる河川の、推定される古流路です。
b)「東部アルプス」
「東部アルプス」は、前の時代(15Ma)と同じく、多数の逆断層(▲印のついた黒色のライン)、正断層(歯のついた青色ライン)、横ずれ断層(紫色のライン)によってブロック化が進行しています。このうち中核部であるタウエルン地域(Tauern)と、「ペリ・アドリアティック断層系」の南側の「ドロミティ地域」のみ、まだ隆起が続いていた、と推定されています。
「中部アルプス」から「東部アルプス」の南縁域に、ほぼ東西走向に走る「ペリ・アドリアティック断層系」(紫色のライン)は、この時代、セグメント化が進行するとともに、活動域と不活動域とが混在するようになりました。「中部アルプス」と「東部アルプス」の境界付近では、東北―南西走向の新しい横ずれ断層(紫色のライン)によって切られています。横ずれ断層としての活動が続いていたのは、その新しい断層よりも東側の「東部アルプス」の南側のみです。
c)「西部アルプス」
「西部アルプス」では隆起傾向を示すオレンジ色の●印が、「モンブラン地塊」(Mont Blanc)やその西側、「ベルドンヌ地塊」(Belledonne)、「ペルビュー地塊」(Pelvoux)に描かれており、現世の地形に対応したように局所的な隆起が継続していたようです。
d)「モラッセ盆地」と「ジュラ山脈」
「アルプス山脈」の北側に描かれている「モラッセ盆地」には、この時代になると「アルプス山脈」側との境目で、大規模な扇状地は描かれておらず、山地側からの河川によって徐々に浸食が進行していったものと思われます。水色のラインで示す、モラッセ盆地内を流れる河川の古流路は、再び、西側から東側へと方向が変化したと推定されています。
「モラッセ盆地」の北西側の陸域(land;緑色のゾーン)に、隆起を示すオレンジ色の●印があり、その北側にはスラスト断層(▲印のついた黒色のライン)が描かれています。
ここは現世の「ジュラ山脈」(the Jura mountains)(文献5)に相当し、この時代から隆起傾向が明確になって来たと考えられています。
なお、この古地理図の時代(6Ma)は、「中新世」のうち、「メッシニアン期」(Messinian)と呼ばれる時代で、地中海と大西洋とを繋げているジブラルタル海峡が一時的に閉鎖され、地中海全体が干上がってしまった大事変、「メッシニアン塩分危機」(文献8)と呼ばれるできごとが起こった時代でもあります。そのためだと思いますが、「アルプス山脈」の南側を含め全域で、海洋域を意味する水色のゾーンではなく、陸域を示す白色に描かれています。
図の中央下に書かれている赤い矢印のとおり、この時代も「アドリア大陸ブロック」は北西方向へと動いていて、「衝突」は続いていました。
※ この節でも、地域ごとに解説します。
a)「中部アルプス」
「中部アルプス」のうち、北側の一部、「アール地塊」(Aar massif)、「ゴッタルト地塊」(Gothard massif)付近ではまだ隆起傾向を示すオレンジ色の●印があります。が、むしろ、浸食により、高山域(high mountains;薄いベージュ色)が減り、山地レベル(hilly)へと標高が低下した場所(濃いベージュ色)が増えてきています。なお、数多い水色のラインは、山地から山麓へと流れる河川の、推定される古流路です。
b)「東部アルプス」
「東部アルプス」は、前の時代(15Ma)と同じく、多数の逆断層(▲印のついた黒色のライン)、正断層(歯のついた青色ライン)、横ずれ断層(紫色のライン)によってブロック化が進行しています。このうち中核部であるタウエルン地域(Tauern)と、「ペリ・アドリアティック断層系」の南側の「ドロミティ地域」のみ、まだ隆起が続いていた、と推定されています。
「中部アルプス」から「東部アルプス」の南縁域に、ほぼ東西走向に走る「ペリ・アドリアティック断層系」(紫色のライン)は、この時代、セグメント化が進行するとともに、活動域と不活動域とが混在するようになりました。「中部アルプス」と「東部アルプス」の境界付近では、東北―南西走向の新しい横ずれ断層(紫色のライン)によって切られています。横ずれ断層としての活動が続いていたのは、その新しい断層よりも東側の「東部アルプス」の南側のみです。
c)「西部アルプス」
「西部アルプス」では隆起傾向を示すオレンジ色の●印が、「モンブラン地塊」(Mont Blanc)やその西側、「ベルドンヌ地塊」(Belledonne)、「ペルビュー地塊」(Pelvoux)に描かれており、現世の地形に対応したように局所的な隆起が継続していたようです。
d)「モラッセ盆地」と「ジュラ山脈」
「アルプス山脈」の北側に描かれている「モラッセ盆地」には、この時代になると「アルプス山脈」側との境目で、大規模な扇状地は描かれておらず、山地側からの河川によって徐々に浸食が進行していったものと思われます。水色のラインで示す、モラッセ盆地内を流れる河川の古流路は、再び、西側から東側へと方向が変化したと推定されています。
「モラッセ盆地」の北西側の陸域(land;緑色のゾーン)に、隆起を示すオレンジ色の●印があり、その北側にはスラスト断層(▲印のついた黒色のライン)が描かれています。
ここは現世の「ジュラ山脈」(the Jura mountains)(文献5)に相当し、この時代から隆起傾向が明確になって来たと考えられています。
なお、この古地理図の時代(6Ma)は、「中新世」のうち、「メッシニアン期」(Messinian)と呼ばれる時代で、地中海と大西洋とを繋げているジブラルタル海峡が一時的に閉鎖され、地中海全体が干上がってしまった大事変、「メッシニアン塩分危機」(文献8)と呼ばれるできごとが起こった時代でもあります。そのためだと思いますが、「アルプス山脈」の南側を含め全域で、海洋域を意味する水色のゾーンではなく、陸域を示す白色に描かれています。
3−2章―(4)節 「鮮新世」(3Ma)の「アルプス地域」
図5に、新第三紀「鮮新世」(3Ma)の「アルプス地域」の古地理図を示します。これは、(文献1―3)の、図7−3を引用したものです。なおこれまでの古地理図とは縮尺が少し違い、よりズームアップした感じの図になっています。
図の中央下に書かれている赤い矢印のとおり、この時代も「アドリア大陸ブロック」は北西方向へと動いていて、「衝突」は続いていました。
また、この時代の古地理、地形は、ほぼ現世のそれと類似しています。
※ この節では、「アルプス地域」全体について、簡単に解説します。
「ヨーロッパアルプス」は、ほぼ現世の状態となっており、「中部アルプス」を中心に、「東部アルプス」、「西部アルプス」と連続して高山域(図の薄いベージュ色)となっています。一方でその山麓部は浸食によって標高が低下して、水色の線で示される河川の流路に沿うように、低めの山地(濃いベージュ色)として示されています。なお「モラッセ盆地」内を流れる古い河川の一部は、「ライン川」、「ドナウ川」のもととなった河川です。
「ヨーロッパアルプス」のうち隆起傾向を示すオレンジ色の●印がある場所はは、「中部アルプス」のうち北側の地域(Aar massif など)、「東部アルプス」のうち、「タウエルン地域」(Tauern)、「ドロミティ地域」(Dolomiti)など、「西部アルプス」のうち,「モンブラン地塊」(Mont Blanc)付近、「ベルドンヌ地塊」(Belledonne)、「ペルビュー地塊」(Pelvoux)などの位置に表示されています。
また、スラスト断層(▲印が付いた黒いライン)が「中部アルプス」の北辺部、「東部アルプス」の北辺部、「西部アルプス」の北西側の一部に、まだ描かれており、まだ「アルプス山脈」全体が「アドリア大陸ブロック」の押しの力により、北から北西方向へとスラスト断層を伴って移動傾向にあることを示唆しています。
ところで「モラッセ盆地」を隔てた北西側に山地(濃いベージュ部分)があり、隆起傾向を示す、オレンジ色の●印があります。ここは「ジュラ山脈」に相当する地域です。「ジュラ山脈」は、「アルプス造山運動」の間接的な影響で、図4の時代(約6Ma)から隆起して山脈となった、「アルプス地域」では、比較的若い山脈です(文献5)
なお「ジュラ山脈」はその名の通り、「ジュラ紀」の地質体(海成堆積物層)が広範囲に分布している山地です。
(文献1)によると、元々は続く「白亜紀」にも堆積物層が形成されたと推定されていますが、その部分は隆起に伴う浸食によって失われて、現世では「ジュラ紀」層が地表に現れています。
なお、この図は、現世での地形ともほぼ一致しており、テクトニクス的にも、現世でのテクトニクスと同じだと思われる図です。
図の中央下に書かれている赤い矢印のとおり、この時代も「アドリア大陸ブロック」は北西方向へと動いていて、「衝突」は続いていました。
また、この時代の古地理、地形は、ほぼ現世のそれと類似しています。
※ この節では、「アルプス地域」全体について、簡単に解説します。
「ヨーロッパアルプス」は、ほぼ現世の状態となっており、「中部アルプス」を中心に、「東部アルプス」、「西部アルプス」と連続して高山域(図の薄いベージュ色)となっています。一方でその山麓部は浸食によって標高が低下して、水色の線で示される河川の流路に沿うように、低めの山地(濃いベージュ色)として示されています。なお「モラッセ盆地」内を流れる古い河川の一部は、「ライン川」、「ドナウ川」のもととなった河川です。
「ヨーロッパアルプス」のうち隆起傾向を示すオレンジ色の●印がある場所はは、「中部アルプス」のうち北側の地域(Aar massif など)、「東部アルプス」のうち、「タウエルン地域」(Tauern)、「ドロミティ地域」(Dolomiti)など、「西部アルプス」のうち,「モンブラン地塊」(Mont Blanc)付近、「ベルドンヌ地塊」(Belledonne)、「ペルビュー地塊」(Pelvoux)などの位置に表示されています。
また、スラスト断層(▲印が付いた黒いライン)が「中部アルプス」の北辺部、「東部アルプス」の北辺部、「西部アルプス」の北西側の一部に、まだ描かれており、まだ「アルプス山脈」全体が「アドリア大陸ブロック」の押しの力により、北から北西方向へとスラスト断層を伴って移動傾向にあることを示唆しています。
ところで「モラッセ盆地」を隔てた北西側に山地(濃いベージュ部分)があり、隆起傾向を示す、オレンジ色の●印があります。ここは「ジュラ山脈」に相当する地域です。「ジュラ山脈」は、「アルプス造山運動」の間接的な影響で、図4の時代(約6Ma)から隆起して山脈となった、「アルプス地域」では、比較的若い山脈です(文献5)
なお「ジュラ山脈」はその名の通り、「ジュラ紀」の地質体(海成堆積物層)が広範囲に分布している山地です。
(文献1)によると、元々は続く「白亜紀」にも堆積物層が形成されたと推定されていますが、その部分は隆起に伴う浸食によって失われて、現世では「ジュラ紀」層が地表に現れています。
なお、この図は、現世での地形ともほぼ一致しており、テクトニクス的にも、現世でのテクトニクスと同じだと思われる図です。
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【注釈の項】
注1) 「新第三紀」について
「新第三紀」(Neogene)は、「新生代」(”Cenozoic“)のうち、「古第三紀」(“Paleogene” ;約66Ma〜23Ma)に続く地質時代で、約23〜2.6Maの間の時代です。
「新第三紀」は細かくは、2つの「世」(epoch)に分けられており、「中新世」(ちゅうしんせい; “Miocene” ;約23〜5.3Ma)と、「鮮新世」(せんしんせい;“Pliocene” ;約5.3〜2.6Ma)です。なお「新第三紀」に続くのは、「第四紀」(”Quaternary”)で、 約258万年前(約2.6Ma)から現世(完新世;”Holocene”)まで、です。
注2) 「レポンティン・ドーム」((the Lepontine dome)について
「レポンティン・ドーム」は、(文献1)ででてきますが、場所は図示されておらず、解りにくい地域です。
(文献2)によると、「レポンティン・ドーム」とは、スイスのうち南東部の、「ヴァリス州」東部、「グラウビュンデン州」、およびその南側のイタリア領の場所あたりのようです。
また山地名称としては「レポンティン・アルプス」(the Lepontine Alps)とも呼ぶようで、(文献3)によると、標高が3000〜3500m程度の山地です。
注3) 「スチリアン盆地」(Styrian Basin)について
(文献1)にも図示されてなく、この盆地の場所が分かりにくいですが、「オーストリア」南東部の、グラーツ(Graz)の町を含む盆地を、地質学的には「スチリアン盆地」(Styrian Basin)と呼ぶようです。この地域はオーストリアの現在の行政区分では、「シュタイアーマルク州」(Steiermarks )にあたります。
(※(Steiermarks )の、ドイツ語での形容詞形が、(Styrian)らしい)
注4) “Ma“は、百万年前を意味する単位です
「新第三紀」(Neogene)は、「新生代」(”Cenozoic“)のうち、「古第三紀」(“Paleogene” ;約66Ma〜23Ma)に続く地質時代で、約23〜2.6Maの間の時代です。
「新第三紀」は細かくは、2つの「世」(epoch)に分けられており、「中新世」(ちゅうしんせい; “Miocene” ;約23〜5.3Ma)と、「鮮新世」(せんしんせい;“Pliocene” ;約5.3〜2.6Ma)です。なお「新第三紀」に続くのは、「第四紀」(”Quaternary”)で、 約258万年前(約2.6Ma)から現世(完新世;”Holocene”)まで、です。
注2) 「レポンティン・ドーム」((the Lepontine dome)について
「レポンティン・ドーム」は、(文献1)ででてきますが、場所は図示されておらず、解りにくい地域です。
(文献2)によると、「レポンティン・ドーム」とは、スイスのうち南東部の、「ヴァリス州」東部、「グラウビュンデン州」、およびその南側のイタリア領の場所あたりのようです。
また山地名称としては「レポンティン・アルプス」(the Lepontine Alps)とも呼ぶようで、(文献3)によると、標高が3000〜3500m程度の山地です。
注3) 「スチリアン盆地」(Styrian Basin)について
(文献1)にも図示されてなく、この盆地の場所が分かりにくいですが、「オーストリア」南東部の、グラーツ(Graz)の町を含む盆地を、地質学的には「スチリアン盆地」(Styrian Basin)と呼ぶようです。この地域はオーストリアの現在の行政区分では、「シュタイアーマルク州」(Steiermarks )にあたります。
(※(Steiermarks )の、ドイツ語での形容詞形が、(Styrian)らしい)
注4) “Ma“は、百万年前を意味する単位です
【参考文献】
(文献1) O. A. Pfiffer 著 “Geology of the Alps”, 2nd edition ,Wiley Blckbell社刊,
(2014); (原著はドイツ語版で、2014年にドイツの出版社刊)
(文献1−1) (文献1)の、第4部「新生代のアルプス地域」
(”the Alpine Domain in the Cenozoic”)の各文章
(文献1−2) (文献1)のうち、第6部(Tectonic evolution of the Alps)の項
および、以下の各、古地理図
・図6−20 「漸新世」末ころ(22Ma)の、「アルプス地域」の古地理図
(”paleo-graphical map of the Alps toward the end of Oligocene(22Ma)”)
・図6−21 「中新世」中期(15Ma)の、「アルプス地域」の古地理図
(”palao-graphical map of the Alps in the middle Miocene(15Ma)”)
(文献1−3) (文献1)のうち、第7部(the Latest steps in the evolution
of the Alps)の項、及び、以下の古地理図
・図7−1 「中新世」末(6Ma)の、「アルプス地域」の古地理図
(”paleo-graphical map of the Alps toward
the end of the Miocene(Messinian;6Ma)”)
・図7−3 「鮮新世」(3Ma)の、「アルプス地域」の古地理図
(”paleo-graphical map of the Alps in the Pliocene(3Ma)”)
(文献2) ウイキペディア英語版の、「レポンティン・ドーム」(Lepontine dome)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Lepontin_dome
(2025年7月 閲覧)
(文献3) ウイキペディア英語版の、「レポンティン・アルプス」(Lepontine alps)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Lepontine_Alps
(2025年7月 閲覧)
(文献4) ウイキペディア ドイツ語版の、「タウエルン・フェンスター」
(Tauernfenster)の項
https://de.wikipedia.org/wiki/Tauernfenster
(2025年7月 閲覧)
(文献5) ウイキペディア英語版の、「ジュラ山脈」(Jura mountains)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Jura_Mountains
(2025年7月 閲覧)
(文献6) ウイキペディア英語版の、「ペリ・アドリアティック断層系」
(Periadoriatic Seam)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Periadriatic_Seam
(2025年7月 閲覧)
(文献7) ウイキペディア英語版の、(Geology of the Alps)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Geology_of_the_Alps
(2025年7月 閲覧)
(文献8) ウイキペディア英語版の、「メッシニアン塩分危機」
(Messinian salinity crisis)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Messinian_salinity_crisis
(2025年5月 閲覧)
(文献9) 地質団体研究会 編 「新編 地学事典」 平凡社 刊(1996)のうち
「モラッセ」、「フリッシュ」、「フェンスター」などの各項
(2014); (原著はドイツ語版で、2014年にドイツの出版社刊)
(文献1−1) (文献1)の、第4部「新生代のアルプス地域」
(”the Alpine Domain in the Cenozoic”)の各文章
(文献1−2) (文献1)のうち、第6部(Tectonic evolution of the Alps)の項
および、以下の各、古地理図
・図6−20 「漸新世」末ころ(22Ma)の、「アルプス地域」の古地理図
(”paleo-graphical map of the Alps toward the end of Oligocene(22Ma)”)
・図6−21 「中新世」中期(15Ma)の、「アルプス地域」の古地理図
(”palao-graphical map of the Alps in the middle Miocene(15Ma)”)
(文献1−3) (文献1)のうち、第7部(the Latest steps in the evolution
of the Alps)の項、及び、以下の古地理図
・図7−1 「中新世」末(6Ma)の、「アルプス地域」の古地理図
(”paleo-graphical map of the Alps toward
the end of the Miocene(Messinian;6Ma)”)
・図7−3 「鮮新世」(3Ma)の、「アルプス地域」の古地理図
(”paleo-graphical map of the Alps in the Pliocene(3Ma)”)
(文献2) ウイキペディア英語版の、「レポンティン・ドーム」(Lepontine dome)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Lepontin_dome
(2025年7月 閲覧)
(文献3) ウイキペディア英語版の、「レポンティン・アルプス」(Lepontine alps)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Lepontine_Alps
(2025年7月 閲覧)
(文献4) ウイキペディア ドイツ語版の、「タウエルン・フェンスター」
(Tauernfenster)の項
https://de.wikipedia.org/wiki/Tauernfenster
(2025年7月 閲覧)
(文献5) ウイキペディア英語版の、「ジュラ山脈」(Jura mountains)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Jura_Mountains
(2025年7月 閲覧)
(文献6) ウイキペディア英語版の、「ペリ・アドリアティック断層系」
(Periadoriatic Seam)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Periadriatic_Seam
(2025年7月 閲覧)
(文献7) ウイキペディア英語版の、(Geology of the Alps)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Geology_of_the_Alps
(2025年7月 閲覧)
(文献8) ウイキペディア英語版の、「メッシニアン塩分危機」
(Messinian salinity crisis)の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Messinian_salinity_crisis
(2025年5月 閲覧)
(文献9) 地質団体研究会 編 「新編 地学事典」 平凡社 刊(1996)のうち
「モラッセ」、「フリッシュ」、「フェンスター」などの各項
【書記事項】
初版リリース;2025年7月28日
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