(はじめに)
前の12−1章、12−2章では、九州地方の「地形」の概要について説明しました。
この12−3章と、続く12−4章では、九州地方の「地質」の概要を説明します。
さて九州地方は、「西南日本弧」に属し、また「琉球弧」との会合部でもあるという、少しややこしい場所です。
そのためかどうかは分かりませんが、東隣りの「中国地方」、「四国地方」では割とはっきりとしていた何本もの帯状の「地帯(地体)」が、九州地方では明確でない場所が多くあります。
その要因として、一つには、第四紀火山が多数あることで、より古い時代の地質体がそれらの火山噴出物で覆われていることが考えられます。
もう一つの要因としては、第四紀火山の火山活動とは関係なく、元々、「中国・四国地方」とは地史が異なる可能性が考えられます(この段落は私見です)。
上記の通り九州地方の地質構造はわりとややこしいので、この12−3章と、続く12−4章に分けて説明します。
この12−3章ではまず、九州地方の地質構造の大区分を説明したのち、「北部九州地質区」の地質の概要説明を行います。
続く12−4章では、残る「中部九州地質区」、「南部九州地質区」の地質の概要説明を行います。
この12−3章と、続く12−4章では、九州地方の「地質」の概要を説明します。
さて九州地方は、「西南日本弧」に属し、また「琉球弧」との会合部でもあるという、少しややこしい場所です。
そのためかどうかは分かりませんが、東隣りの「中国地方」、「四国地方」では割とはっきりとしていた何本もの帯状の「地帯(地体)」が、九州地方では明確でない場所が多くあります。
その要因として、一つには、第四紀火山が多数あることで、より古い時代の地質体がそれらの火山噴出物で覆われていることが考えられます。
もう一つの要因としては、第四紀火山の火山活動とは関係なく、元々、「中国・四国地方」とは地史が異なる可能性が考えられます(この段落は私見です)。
上記の通り九州地方の地質構造はわりとややこしいので、この12−3章と、続く12−4章に分けて説明します。
この12−3章ではまず、九州地方の地質構造の大区分を説明したのち、「北部九州地質区」の地質の概要説明を行います。
続く12−4章では、残る「中部九州地質区」、「南部九州地質区」の地質の概要説明を行います。
1)九州地方の地質学的な区分について
さて、九州地方に隣接する中国・四国地方では、「○○帯」という古生代〜中生代の古い地質体(付加体型の地帯や、変成岩型の地帯」)が帯状にいくつも分布しています。例えば地域ごとの地質学の専門書である(文献2)や(文献3)でも、地質の説明はまず「○○帯」毎に説明され、それに続いて、浅海堆積層、深成岩、火山(岩)が説明されています。
また九州から中国・四国地方、近畿地方、さらに中部地方の糸静線までは、日本列島の大地質区分のうち「西南日本」に属し、さらにその真ん中付近を縦貫する地質境界線である「中央構造線」にて、それより太平洋側を「西南日本外帯」、日本海側を「西南日本内帯」と区分して説明されます。
しかしながら九州地方では、ある場所が「○○帯」に属するのか?はっきりしてない地域が広く、(文献1)でも、九州地方の地質説明で「○○帯」毎の説明はされておらず、この「日本地方地質誌」各巻の中でも、「中部地方」と並んで、やや異質な説明様式になっています。
さらには、「西南日本内帯」と「西南日本外帯」を区分する「中央構造線」自体も、九州地方では大分県の東部だけ明瞭ですが、それより西側ではどこを通っているのか?、そもそも存在しているのか?すら不明確であり、「内帯」、「外帯」という大区分で説明するのも難しい面があります。
(文献1)でも九州地方での「中央構造線」に関しての明確な説明はありません。
そういう背景があるので、この連載(この第12部)では、九州地方の地質説明に関し、独自に設定した地質区分(地質区)に分けて説明します。
(※ なお以下の地質区の区分は、説明の都合を考えて筆者が独自に設定、区分したものであり、オーソライズされたものではありません)。
まず、ここでの九州地方の地質区分として、まず「北部九州地質区」、「中部九州地質区」、「南部九州地質区」の3つの地質区(大区分)にわけます。注1)
上記の3つの大区分としての地質区の内部もかなり細かく地質構造が別れているので、それを「△△ゾーン」という小区分名称で地質区を細分化して説明します。
注1)九州地方の地形に関して説明した12―1章,12−2章では、『地形』区分として
「○○地域」という名称を用いました。
この12−3章と次の章では『地質』区分を定義して、説明に使用しますが、
『地形』区分とこんがらならいように、『地質』区分は、「○○地質区」という
名称を用います。
なおその下位区分は「○○地質区・△△ゾーン」という名称を使用します。
なお、これらの用語は、説明の都合上、この第12部だけで使用する、
筆者が勝手につくった区分名称で、オーソライズされたものではありません。
さて、3つの地質学的区分の境界は、図1にも示すように、12−1章、12−2章で説明した「地形区分域」とほぼ同じです。(図1もご参照ください)
まず「中部九州地質区」は、九州中部で、第四紀火山及びその噴出物で覆われた領域を主体とする地質区と定義します。
地理的には大分県の北中部、熊本県の北中部を主とし、長崎県、佐賀県、福岡県の一部を含む地域です。
なおこの地区には天草諸島や熊本県本土の一部、大分県の佐賀関半島など、一部に非火山性地質分布域を含みます。
(図1もご参照ください。)
「北部九州地質区」は、九州の北部で、かつ第四紀火山が無い地質区として定義します。
地理的には福岡県、佐賀県、長崎県の大部分(本土部と平戸島)を含みます。
「中部九州地質区」との境目は明確な断層線、構造線はないので、やや不明瞭です。
(図1もご参照ください。)
「南部九州地質区」は、「臼杵―八代構造線」より南側の領域と定義します。
地理的には、鹿児島県(本土)のほぼ全て及び屋久島、種子島、宮崎県のほぼ全て、それに加え熊本県の中南部、大分県の南部が含まれます。
(図1もご参照ください)
この地域はほぼ「西南日本外帯」に相当し、四国の延長部として「秩父帯(おもにジュラ紀付加体)」と「四万十帯(主に白亜紀付加体)」が分布しています。
なお12−2章で説明したように、この地区には第四紀火山とその噴出物も広範囲に広がっています。
また九州から中国・四国地方、近畿地方、さらに中部地方の糸静線までは、日本列島の大地質区分のうち「西南日本」に属し、さらにその真ん中付近を縦貫する地質境界線である「中央構造線」にて、それより太平洋側を「西南日本外帯」、日本海側を「西南日本内帯」と区分して説明されます。
しかしながら九州地方では、ある場所が「○○帯」に属するのか?はっきりしてない地域が広く、(文献1)でも、九州地方の地質説明で「○○帯」毎の説明はされておらず、この「日本地方地質誌」各巻の中でも、「中部地方」と並んで、やや異質な説明様式になっています。
さらには、「西南日本内帯」と「西南日本外帯」を区分する「中央構造線」自体も、九州地方では大分県の東部だけ明瞭ですが、それより西側ではどこを通っているのか?、そもそも存在しているのか?すら不明確であり、「内帯」、「外帯」という大区分で説明するのも難しい面があります。
(文献1)でも九州地方での「中央構造線」に関しての明確な説明はありません。
そういう背景があるので、この連載(この第12部)では、九州地方の地質説明に関し、独自に設定した地質区分(地質区)に分けて説明します。
(※ なお以下の地質区の区分は、説明の都合を考えて筆者が独自に設定、区分したものであり、オーソライズされたものではありません)。
まず、ここでの九州地方の地質区分として、まず「北部九州地質区」、「中部九州地質区」、「南部九州地質区」の3つの地質区(大区分)にわけます。注1)
上記の3つの大区分としての地質区の内部もかなり細かく地質構造が別れているので、それを「△△ゾーン」という小区分名称で地質区を細分化して説明します。
注1)九州地方の地形に関して説明した12―1章,12−2章では、『地形』区分として
「○○地域」という名称を用いました。
この12−3章と次の章では『地質』区分を定義して、説明に使用しますが、
『地形』区分とこんがらならいように、『地質』区分は、「○○地質区」という
名称を用います。
なおその下位区分は「○○地質区・△△ゾーン」という名称を使用します。
なお、これらの用語は、説明の都合上、この第12部だけで使用する、
筆者が勝手につくった区分名称で、オーソライズされたものではありません。
さて、3つの地質学的区分の境界は、図1にも示すように、12−1章、12−2章で説明した「地形区分域」とほぼ同じです。(図1もご参照ください)
まず「中部九州地質区」は、九州中部で、第四紀火山及びその噴出物で覆われた領域を主体とする地質区と定義します。
地理的には大分県の北中部、熊本県の北中部を主とし、長崎県、佐賀県、福岡県の一部を含む地域です。
なおこの地区には天草諸島や熊本県本土の一部、大分県の佐賀関半島など、一部に非火山性地質分布域を含みます。
(図1もご参照ください。)
「北部九州地質区」は、九州の北部で、かつ第四紀火山が無い地質区として定義します。
地理的には福岡県、佐賀県、長崎県の大部分(本土部と平戸島)を含みます。
「中部九州地質区」との境目は明確な断層線、構造線はないので、やや不明瞭です。
(図1もご参照ください。)
「南部九州地質区」は、「臼杵―八代構造線」より南側の領域と定義します。
地理的には、鹿児島県(本土)のほぼ全て及び屋久島、種子島、宮崎県のほぼ全て、それに加え熊本県の中南部、大分県の南部が含まれます。
(図1もご参照ください)
この地域はほぼ「西南日本外帯」に相当し、四国の延長部として「秩父帯(おもにジュラ紀付加体)」と「四万十帯(主に白亜紀付加体)」が分布しています。
なお12−2章で説明したように、この地区には第四紀火山とその噴出物も広範囲に広がっています。
2)「北部九州地質区」の地質構造概要
ここで筆者が定めた地質学的な区分としての「北部九州地質区」は、地理的にいうと、福岡県の大部分(英彦山付近は除く)、佐賀県の大部分(多良岳は除く)、長崎県の本土部分の大部分(多良岳、雲仙岳(=島原半島)は除く)です。
この「北部九州地質区」は、地質学的には便宜的に区分した大区分であり、実は地質的(及び「地史的」)な一体性はありません。地質学的には、さらに3つのゾーンに細分化すると解りやすいので、更に以下の3ゾーン(小地質区)に分けます 注2)
(注2;これも説明を解りやすくするための、この第12部だけで使用する、筆者独自の区分であり、名称も含め、オーソライズされたものではありません)。
・「北部九州地質区・東部ゾーン」
・「北部九州地質区・有田ゾーン」
・「北部九州地質区・長崎ゾーン」
(図2もご参照ください。)
以下は、そのように分けた3つのゾーン(小地質区)の地質概要を説明します。
この「北部九州地質区」は、地質学的には便宜的に区分した大区分であり、実は地質的(及び「地史的」)な一体性はありません。地質学的には、さらに3つのゾーンに細分化すると解りやすいので、更に以下の3ゾーン(小地質区)に分けます 注2)
(注2;これも説明を解りやすくするための、この第12部だけで使用する、筆者独自の区分であり、名称も含め、オーソライズされたものではありません)。
・「北部九州地質区・東部ゾーン」
・「北部九州地質区・有田ゾーン」
・「北部九州地質区・長崎ゾーン」
(図2もご参照ください。)
以下は、そのように分けた3つのゾーン(小地質区)の地質概要を説明します。
2−1)「北部九州地質区・東部ゾーン」
この「九州北部地質区・東部ゾーン」(以下「東部ゾーン」と略すことがあります)とは、地理的には英彦山付近を除く福岡県の大部分と、佐賀県の東半分を含む地質区です。
それより西側のゾーン(「有田ゾーン」)とは、佐賀県内を北西から南東方向に走る「畑島―有明海断層」が区切りとなります。(図2もご参照ください。)
この「東部ゾーン」は、地質区としては中国地方の延長という性格をもっています。
この「東部ゾーン」に分布する「地帯(地体)構造区分」上の「地帯」としては、以下の3つが分布しています。(図3もご参照ください。)
(1)「三郡―蓮華帯(さんぐんーれんげたい)」
この「地帯」は、古生代後期(約3.3〜2.8億年前)に変成作用を受けた高圧型変成岩帯です(文献1−a)、(文献2−a)。
(※ なお、この「地帯(地体)」は「蓮華帯」、「飛騨外縁帯」など、文献、専門書でも名称がマチマチで一定していません。この連載では「三郡―蓮華帯」という名称に統一しています。(文献1−a)内でも、「いわゆる三郡変成帯」とか、「“三郡変成岩”」とか、「三郡蓮華変成岩」とか、名称が不統一です。)
この「地帯」は、以前は「三郡帯」と呼ばれていた高圧型変成岩帯の一部です。
地理的には、福岡県の三郡山地の一部(笹栗町〜宮若市付近)、および背振山地の一部に分布しています(注1)。(図3もご参照ください。)
中国地方では、「三郡―蓮華帯」の変成岩が地表に露出している場所が、山口県と鳥取県のわずか2か所で、かつそれぞれ長辺10km未満のフラグメント状ですが、この「北部九州地質区・東部ゾーン」のうち、三郡山地北部には、わりと大きな分布域があります。
(2)「周防帯(すおうたい)」;
この「地帯」は、トリアス紀〜ジュラ紀(約2.3−1.6億年前)の高圧型変成帯です。
この「地帯」も以前は「三郡帯」と呼ばれていた「地帯」ですが、1990年代に三郡帯の変成年代の研究が進展し(文献2−a)、(文献4)、その結果、3億年前後に高圧型変成作用を受けた変成岩分布域を「三郡―蓮華帯」(あるいは「蓮華帯」)、2億年前後に高圧型変成作用を受けた変成岩分布域を「周防帯」と、2つに分帯されました(文献2−a)、(文献4)。
この「東部ゾーン」での「周防帯」に属する変成岩の分布域は比較的広く、福岡県では北九州市付近、筑豊地方南部、古処山地(こしょさんち)、耳納山地(みのうさんち)、および福岡県と熊本県の県境にある筑肥山地(ちくひさんち)に分布しています。(図3もご参照ください。)
(3)「秋吉帯」;
この地帯は海山由来の大きな石灰岩体が多いことを特徴とするペルム紀(約3−2.5億年前)の付加体です。
隣の山口県には秋吉帯で最大の石灰岩体としての秋吉台がありますが、福岡県の北九州市近傍には、類似した石灰岩体性の付加体である「平尾台」があります。また平尾台周辺や筑豊地方の一部には、泥岩を主体としたペルム紀の付加体が分布しており、「秋吉帯」の一部として捉えらています。(図3もご参照ください。)
この「北部九州地質区・東部ゾーン」にはそれ以外に、白亜紀の花崗岩があちこちに分布しており、特に三郡山地と背振山地は花崗岩の多い山地です(文献1−b)。
また山地部にはほとんど分布していませんが、盆地、平野部のあちこちに、古第三紀の堆積岩層が分布しています。その一部には石炭層が含まれているため、古くから「筑豊炭田」などとして石炭の採掘がおこなわれてきました(文献1−c)。
この「東部ゾーン」に含まれる主な山としては、福智(ふくち)山地の福智山(901m)、皿倉山(さらくらやま;622m)、三郡山地の三郡山(936m)、宝満山(ほうまんざん;829m)、若杉山(681m)、古処山地の古処山(こしょさん;859m)、耳納山地、背振山地の背振山(せふりさん;1055m)、雷山(らいざん;955m)、天山(てんざん;1046m)など、1000m内外の低山が多数あります。
福岡市、北九州市、久留米市、佐賀市などの都市部から近いところにあるため、登山者やハイカーが多く訪れる山々です。
注2)背振山地の変成岩について;
背振山地の一部、雷山(らいざん)、井原山(いはらやま)や天山(てんざん)の稜線部、および福岡市の西に隣接している糸島市の糸島半島の一部には、ルーフペンダント状に分布している高圧型変成岩(主体は結晶片岩類で、一部に蛇紋岩を伴う)があります。また背振山地の南麓、佐賀平野との境目にも細長く高圧型変成岩(結晶片岩類)が分布しています。
これらの変成岩は、白亜紀(約1億年前)に貫入した花崗岩(の元となったマグマ)の熱の影響で再変成作用を受けており、(文献1−a)では、その再変成作用によって、元々の変成年代の正確な測定ができなくなっている、と説明されています。
この章では、地理的な分布状況から見て、すぐ東隣りの三郡山地に「三郡―蓮華帯」の変成岩が分布していることから、「背振山地の一部の変成岩は「三郡―蓮華帯」の延長部であろう」、という、筆者の私的見解に基づいて記載しています。
また産総研「シームレス地質図v2」でも、そこでの地質説明ではこれら背振山地の変成岩は古生代のデボン紀〜ペルム紀の変成岩とされています。これは「三郡―蓮華帯」に属するとされている福岡県篠栗町、若宮市に分布する高圧型変成岩(結晶片岩類)と同じ変成時代(デボン紀〜ペルム紀と記載されている)になります。産総研「シームレス地質図v2」では、どの地質体がどの「地帯(地体)」に属するかはあえて明記はされていませんが、「三郡―蓮華帯」に属するという考え方のようです。
一方で、福岡県南部(久留米市や大牟田市の東側の山地)に分布する「周防帯」の延長部の変成岩という考え方もあります(文献1−a)。更には「中部九州地質区」のなかの「肥後帯」と呼ばれる変成岩帯に属するという考え方も出されています(文献1―d)。
いずれにしろ背振山地の変成岩について、帰属は良く解っていません。
それより西側のゾーン(「有田ゾーン」)とは、佐賀県内を北西から南東方向に走る「畑島―有明海断層」が区切りとなります。(図2もご参照ください。)
この「東部ゾーン」は、地質区としては中国地方の延長という性格をもっています。
この「東部ゾーン」に分布する「地帯(地体)構造区分」上の「地帯」としては、以下の3つが分布しています。(図3もご参照ください。)
(1)「三郡―蓮華帯(さんぐんーれんげたい)」
この「地帯」は、古生代後期(約3.3〜2.8億年前)に変成作用を受けた高圧型変成岩帯です(文献1−a)、(文献2−a)。
(※ なお、この「地帯(地体)」は「蓮華帯」、「飛騨外縁帯」など、文献、専門書でも名称がマチマチで一定していません。この連載では「三郡―蓮華帯」という名称に統一しています。(文献1−a)内でも、「いわゆる三郡変成帯」とか、「“三郡変成岩”」とか、「三郡蓮華変成岩」とか、名称が不統一です。)
この「地帯」は、以前は「三郡帯」と呼ばれていた高圧型変成岩帯の一部です。
地理的には、福岡県の三郡山地の一部(笹栗町〜宮若市付近)、および背振山地の一部に分布しています(注1)。(図3もご参照ください。)
中国地方では、「三郡―蓮華帯」の変成岩が地表に露出している場所が、山口県と鳥取県のわずか2か所で、かつそれぞれ長辺10km未満のフラグメント状ですが、この「北部九州地質区・東部ゾーン」のうち、三郡山地北部には、わりと大きな分布域があります。
(2)「周防帯(すおうたい)」;
この「地帯」は、トリアス紀〜ジュラ紀(約2.3−1.6億年前)の高圧型変成帯です。
この「地帯」も以前は「三郡帯」と呼ばれていた「地帯」ですが、1990年代に三郡帯の変成年代の研究が進展し(文献2−a)、(文献4)、その結果、3億年前後に高圧型変成作用を受けた変成岩分布域を「三郡―蓮華帯」(あるいは「蓮華帯」)、2億年前後に高圧型変成作用を受けた変成岩分布域を「周防帯」と、2つに分帯されました(文献2−a)、(文献4)。
この「東部ゾーン」での「周防帯」に属する変成岩の分布域は比較的広く、福岡県では北九州市付近、筑豊地方南部、古処山地(こしょさんち)、耳納山地(みのうさんち)、および福岡県と熊本県の県境にある筑肥山地(ちくひさんち)に分布しています。(図3もご参照ください。)
(3)「秋吉帯」;
この地帯は海山由来の大きな石灰岩体が多いことを特徴とするペルム紀(約3−2.5億年前)の付加体です。
隣の山口県には秋吉帯で最大の石灰岩体としての秋吉台がありますが、福岡県の北九州市近傍には、類似した石灰岩体性の付加体である「平尾台」があります。また平尾台周辺や筑豊地方の一部には、泥岩を主体としたペルム紀の付加体が分布しており、「秋吉帯」の一部として捉えらています。(図3もご参照ください。)
この「北部九州地質区・東部ゾーン」にはそれ以外に、白亜紀の花崗岩があちこちに分布しており、特に三郡山地と背振山地は花崗岩の多い山地です(文献1−b)。
また山地部にはほとんど分布していませんが、盆地、平野部のあちこちに、古第三紀の堆積岩層が分布しています。その一部には石炭層が含まれているため、古くから「筑豊炭田」などとして石炭の採掘がおこなわれてきました(文献1−c)。
この「東部ゾーン」に含まれる主な山としては、福智(ふくち)山地の福智山(901m)、皿倉山(さらくらやま;622m)、三郡山地の三郡山(936m)、宝満山(ほうまんざん;829m)、若杉山(681m)、古処山地の古処山(こしょさん;859m)、耳納山地、背振山地の背振山(せふりさん;1055m)、雷山(らいざん;955m)、天山(てんざん;1046m)など、1000m内外の低山が多数あります。
福岡市、北九州市、久留米市、佐賀市などの都市部から近いところにあるため、登山者やハイカーが多く訪れる山々です。
注2)背振山地の変成岩について;
背振山地の一部、雷山(らいざん)、井原山(いはらやま)や天山(てんざん)の稜線部、および福岡市の西に隣接している糸島市の糸島半島の一部には、ルーフペンダント状に分布している高圧型変成岩(主体は結晶片岩類で、一部に蛇紋岩を伴う)があります。また背振山地の南麓、佐賀平野との境目にも細長く高圧型変成岩(結晶片岩類)が分布しています。
これらの変成岩は、白亜紀(約1億年前)に貫入した花崗岩(の元となったマグマ)の熱の影響で再変成作用を受けており、(文献1−a)では、その再変成作用によって、元々の変成年代の正確な測定ができなくなっている、と説明されています。
この章では、地理的な分布状況から見て、すぐ東隣りの三郡山地に「三郡―蓮華帯」の変成岩が分布していることから、「背振山地の一部の変成岩は「三郡―蓮華帯」の延長部であろう」、という、筆者の私的見解に基づいて記載しています。
また産総研「シームレス地質図v2」でも、そこでの地質説明ではこれら背振山地の変成岩は古生代のデボン紀〜ペルム紀の変成岩とされています。これは「三郡―蓮華帯」に属するとされている福岡県篠栗町、若宮市に分布する高圧型変成岩(結晶片岩類)と同じ変成時代(デボン紀〜ペルム紀と記載されている)になります。産総研「シームレス地質図v2」では、どの地質体がどの「地帯(地体)」に属するかはあえて明記はされていませんが、「三郡―蓮華帯」に属するという考え方のようです。
一方で、福岡県南部(久留米市や大牟田市の東側の山地)に分布する「周防帯」の延長部の変成岩という考え方もあります(文献1−a)。更には「中部九州地質区」のなかの「肥後帯」と呼ばれる変成岩帯に属するという考え方も出されています(文献1―d)。
いずれにしろ背振山地の変成岩について、帰属は良く解っていません。
2−2)「北部九州地質区・有田ゾーン」
「北部九州地質区」のうち、前述の「畑島―有明海断層」は大きな地質境界線でもあり、構造線とも言えるような、北部九州では重要な地質境界線と思われます(この段落は私見を含みます)。
このラインより西側、具体的には佐賀県の西部(伊万里市、有田市付近)と、長崎県本土のうち北部(佐世保市、松浦市付近)は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、古第三紀 始新世(ししんせい)〜漸新世(ぜんしんせい)(約48〜28Ma)の堆積岩(砂岩、もしくは砂泥互層)と、その構造的上位に分布する、主に新第三紀 中新世〜鮮新世(約16―2.6Ma)に噴出した玄武岩(厳密にいうと、「アルカリ玄武岩」と呼ばれる日本列島では珍しいタイプの玄武岩)、さらにその一部には第四紀初期(ジュラシアン期;2.6−1.8Ma)に噴出した安山岩や玄武岩が分布しています。
この地質区は「有田帯」(文献1−e)、(文献1−f)とも呼ばれますが、日本の地質構造区分で使用される「地帯」の定義とは少し意味合いが違うので、この部では「北部九州地質区・有田ゾーン」と呼ぶことにします(以下「有田ゾーン」と略す場合あり)。
(図2もご参照ください。)
この「有田ゾーン」には、前述の「東部ゾーン」にあった中国地方の延長部としての古い「地帯」は地表には分布しておらず、地質区としては明らかに「東部ゾーン」とは異なります。
この「有田ゾーン」は更に西側にある「大村湾−天草断層」(文献1−f)によって東西を断層に挟まれており、幅が約50kmの陥没地域(地溝帯)と考えられています(文献1―e)。
ただし陥没ゾーンとして扱うにしても、ここの地表に現れている地質の下部にどのような地質体が伏在しているのかは明らかではありません。
この「有田ゾーン」にはそれほど高い山はありませんが、佐賀県の黒髪山(くろかみやま;516m)山群や、佐賀/長崎県境の国見山(776m)、虚空蔵山(こくぞうやま;609m)といった、玄武岩質や安山岩質の溶岩が浸食されてできた山が点在しています。いずれも岩っぽい山で、低いながら楽しめる山々です。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
このラインより西側、具体的には佐賀県の西部(伊万里市、有田市付近)と、長崎県本土のうち北部(佐世保市、松浦市付近)は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、古第三紀 始新世(ししんせい)〜漸新世(ぜんしんせい)(約48〜28Ma)の堆積岩(砂岩、もしくは砂泥互層)と、その構造的上位に分布する、主に新第三紀 中新世〜鮮新世(約16―2.6Ma)に噴出した玄武岩(厳密にいうと、「アルカリ玄武岩」と呼ばれる日本列島では珍しいタイプの玄武岩)、さらにその一部には第四紀初期(ジュラシアン期;2.6−1.8Ma)に噴出した安山岩や玄武岩が分布しています。
この地質区は「有田帯」(文献1−e)、(文献1−f)とも呼ばれますが、日本の地質構造区分で使用される「地帯」の定義とは少し意味合いが違うので、この部では「北部九州地質区・有田ゾーン」と呼ぶことにします(以下「有田ゾーン」と略す場合あり)。
(図2もご参照ください。)
この「有田ゾーン」には、前述の「東部ゾーン」にあった中国地方の延長部としての古い「地帯」は地表には分布しておらず、地質区としては明らかに「東部ゾーン」とは異なります。
この「有田ゾーン」は更に西側にある「大村湾−天草断層」(文献1−f)によって東西を断層に挟まれており、幅が約50kmの陥没地域(地溝帯)と考えられています(文献1―e)。
ただし陥没ゾーンとして扱うにしても、ここの地表に現れている地質の下部にどのような地質体が伏在しているのかは明らかではありません。
この「有田ゾーン」にはそれほど高い山はありませんが、佐賀県の黒髪山(くろかみやま;516m)山群や、佐賀/長崎県境の国見山(776m)、虚空蔵山(こくぞうやま;609m)といった、玄武岩質や安山岩質の溶岩が浸食されてできた山が点在しています。いずれも岩っぽい山で、低いながら楽しめる山々です。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
2−3)「北部九州地質区・長崎ゾーン」
「北部九州地質区」の最西部、前述の「大村湾―天草断層」より西側は、「有田ゾーン」とも全く違う地質構造を持っています。
具体的には一括して「長崎変成岩(類)」と呼ばれる、主に高圧型の変成岩類が分布する一帯です(文献1−f)。
この地質区は地質構造区分上、「長崎帯」や「西彼杵帯(にしそのぎたい)」と呼ばれることもありますが、文献、専門書によって名称や扱いが違う場合があるので、この第12部では、「北部九州地質区・長崎ゾーン」と呼ぶことにします。(以下、「長崎ゾーン」と略す場合あり)。(図2もご参照ください)
地理的には、長崎県の西彼杵(にしそのぎ)半島のほぼ全域と、長崎市を付け根として南西に延びる長崎半島(「野母(のも)半島」とも言う)が含まれます。(図2もご参照ください)
なお、その南方に位置し、海を隔てた天草諸島のうち、一番西側の天草下島の西部にも類似の変成岩が多少分布しており、そこの変成岩も、「長崎変成岩類」として扱われています(文献1−f)。
この「長崎変成岩類」は多くが約90−60Ma(白亜紀後期)の変成年代を示す結晶片岩類(高圧型変成岩)で構成されていますが、長崎半島の一部には、さらに古い、トリアス紀〜白亜紀(約250−150Ma)の変成岩や、古生代前期の年代を示す斑レイ岩体(480〜460Ma)が分布しており、非常に複雑な構成となっています。(文献1−f)では、「長崎変成岩類」を更に細分化して4つのブロックに分けていますが、そもそもこれらの変成岩類の関連性が良く解っていません。
さらにこの「長崎変成岩類」の分布形状は、巨視的にも微視的にも南北方向であり、西南日本に、ほぼ列島の主軸方向(東西方向)に分布している広域変成岩帯(例えば、「三郡ー蓮華帯」、「周防帯」、「三波川帯」)とは不調和な並び方です。またそれらの広域型変成岩帯との関係は不明です。
「長崎変成岩類」に関し色々な仮説は提案されていますが、定説はなく、謎の多い地質区です。
なおこの「長崎ゾーン」には登山対象となるような著名な山はありません。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
具体的には一括して「長崎変成岩(類)」と呼ばれる、主に高圧型の変成岩類が分布する一帯です(文献1−f)。
この地質区は地質構造区分上、「長崎帯」や「西彼杵帯(にしそのぎたい)」と呼ばれることもありますが、文献、専門書によって名称や扱いが違う場合があるので、この第12部では、「北部九州地質区・長崎ゾーン」と呼ぶことにします。(以下、「長崎ゾーン」と略す場合あり)。(図2もご参照ください)
地理的には、長崎県の西彼杵(にしそのぎ)半島のほぼ全域と、長崎市を付け根として南西に延びる長崎半島(「野母(のも)半島」とも言う)が含まれます。(図2もご参照ください)
なお、その南方に位置し、海を隔てた天草諸島のうち、一番西側の天草下島の西部にも類似の変成岩が多少分布しており、そこの変成岩も、「長崎変成岩類」として扱われています(文献1−f)。
この「長崎変成岩類」は多くが約90−60Ma(白亜紀後期)の変成年代を示す結晶片岩類(高圧型変成岩)で構成されていますが、長崎半島の一部には、さらに古い、トリアス紀〜白亜紀(約250−150Ma)の変成岩や、古生代前期の年代を示す斑レイ岩体(480〜460Ma)が分布しており、非常に複雑な構成となっています。(文献1−f)では、「長崎変成岩類」を更に細分化して4つのブロックに分けていますが、そもそもこれらの変成岩類の関連性が良く解っていません。
さらにこの「長崎変成岩類」の分布形状は、巨視的にも微視的にも南北方向であり、西南日本に、ほぼ列島の主軸方向(東西方向)に分布している広域変成岩帯(例えば、「三郡ー蓮華帯」、「周防帯」、「三波川帯」)とは不調和な並び方です。またそれらの広域型変成岩帯との関係は不明です。
「長崎変成岩類」に関し色々な仮説は提案されていますが、定説はなく、謎の多い地質区です。
なおこの「長崎ゾーン」には登山対象となるような著名な山はありません。
※ “Ma”は百万年前を意味する単位
(参考文献)
文献1)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第8巻 九州・沖縄地方」 朝倉書店 刊 (2010)
文献1−a) 文献1)のうち、
第7部「(九州地方の)変成岩」の部の、
7−2−1―a)項 「九州のいわゆる“三郡変成岩”」の項、及び
図7.2.1「北部九州におけるいわゆる“三郡変成岩”の分布図」
文献1−b) 文献1)のうち、
第6部「(九州地方の)深成岩」の、
6−3−1節 「中生代北部地域」の項、
及び 図6.3.2 「北部九州バソリス状花崗岩類の岩体分布図」
文献1−c) 文献1)のうち、
第3部「(九州地方の)新生界」の、
3−2−1節 「炭田第三系」の項
文献1−d) 文献1)のうち、
第7部「(九州地方の)変成岩」の部の、
7−2−1―b)項 「九州の“三郡変成岩”に関する最近の研究」の項
文献1−e) 文献1)のうち、
第7部「(九州地方の)変成岩」の部の、
7−2−1−c)項 「長崎変成帯との関係」の項
文献1−f) 文献1)のうち、
第7部「(九州地方の)変成岩」の部の、
7−2―3節 「長崎変成岩」の各項、及び
図7.2.6「長崎変成岩の地帯構造区分図と各岩体の代表的放射年代値」
文献2) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第6巻 中国地方」 朝倉書店 刊 (2009)
文献2−a) 文献2)のうち、
4−1−1節「西南日本の広域変成帯」の項
文献3) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第7巻 四国地方」 朝倉書店 刊 (2016)
文献4)Nishimura.Y
“ Geotectonic subdivision and areal extent of the Sangun belt, Inner Zone of
Southwest Japan”
“ Journal of Metamorphic Geology “ (2004)
(※ 有料サイトなので、アブストラクトのみ確認)
(※※ 本論文は、1998年にリリースされてるようですが、ネット上で
見つからなかったので、ネット検索ででてきだ、同論文名の2004年版
を記載しています)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1525-1314.1998.00059.x
「日本地方地質誌 第8巻 九州・沖縄地方」 朝倉書店 刊 (2010)
文献1−a) 文献1)のうち、
第7部「(九州地方の)変成岩」の部の、
7−2−1―a)項 「九州のいわゆる“三郡変成岩”」の項、及び
図7.2.1「北部九州におけるいわゆる“三郡変成岩”の分布図」
文献1−b) 文献1)のうち、
第6部「(九州地方の)深成岩」の、
6−3−1節 「中生代北部地域」の項、
及び 図6.3.2 「北部九州バソリス状花崗岩類の岩体分布図」
文献1−c) 文献1)のうち、
第3部「(九州地方の)新生界」の、
3−2−1節 「炭田第三系」の項
文献1−d) 文献1)のうち、
第7部「(九州地方の)変成岩」の部の、
7−2−1―b)項 「九州の“三郡変成岩”に関する最近の研究」の項
文献1−e) 文献1)のうち、
第7部「(九州地方の)変成岩」の部の、
7−2−1−c)項 「長崎変成帯との関係」の項
文献1−f) 文献1)のうち、
第7部「(九州地方の)変成岩」の部の、
7−2―3節 「長崎変成岩」の各項、及び
図7.2.6「長崎変成岩の地帯構造区分図と各岩体の代表的放射年代値」
文献2) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第6巻 中国地方」 朝倉書店 刊 (2009)
文献2−a) 文献2)のうち、
4−1−1節「西南日本の広域変成帯」の項
文献3) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第7巻 四国地方」 朝倉書店 刊 (2016)
文献4)Nishimura.Y
“ Geotectonic subdivision and areal extent of the Sangun belt, Inner Zone of
Southwest Japan”
“ Journal of Metamorphic Geology “ (2004)
(※ 有料サイトなので、アブストラクトのみ確認)
(※※ 本論文は、1998年にリリースされてるようですが、ネット上で
見つからなかったので、ネット検索ででてきだ、同論文名の2004年版
を記載しています)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1525-1314.1998.00059.x
このリンク先の、12−1章の文末には、第12部「九州地方の山々の地質」の各章へのリンク、及び、「序章―1」へのリンク(序章―1には、本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第12部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
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【書記事項】
初版リリース;2022年4月6日
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