繖山〜冬の自然観察・湖東平野の自然と歴史に学ぼう〜



- GPS
- 03:52
- 距離
- 3.9km
- 登り
- 354m
- 下り
- 329m
コースタイム
天候 | 曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
http://azuchi-museum.or.jp/ 敷地内に、トイレ有 |
コース状況/ 危険箇所等 |
尾根筋の登山道は、階段状に整備されていました。 (蛇谷ヶ峰の無限階段を思い出します。こちらの方がよりきつかったように思うのは、お正月太りのせいかなぁ。) 本日は、上の方で、雪が残っていました。(数cmぐらい) 長靴で歩きました。 |
写真
感想
いきものふれあい室の観察会に参加しました。
〜冬の自然観察・湖東平野の自然と歴史に学ぼう〜
雪のない山で自然観察を行おうとういうことで繖山を選ばれたのですが、大寒波の影響で繖山も雪化粧。登山道も上の方では白かったです。
前回の観察会で、参加者は数名かもしれないとお聞きしていたのですが、直前になって参加申し込みが多数あり、総勢30名と大所帯になりました。
パーティーとしてはよくまとまっています。常連さんも多数参加されていたのと、みなさん青木先生のお話しをたのしみにされているので、先生の指示はよく通ります。スタッフを一名増員しての観察会となりました。
beさんは、元気なお子たちのお姉さん役でしたね。
まず、「繖山」の名前の由来は、
一説には、山の形が貴人にさしかざす衣蓋(きぬがさ)に似ているから「繖山」と名付けられたそうです。
>>歴史に学ぶ<<
安土城は、誰が立てたでしょう?→織田信長
小学校高学年の参加児童が、すらすらと答えます。
観音寺城は、誰が立てたでしょう?→佐々木六角
このあたり、ちょっとかじったので、余裕です。
瓶割山には、柴田勝家が陣を作っています。
勝家が佐々木六角と戦った際に、城中の水瓶を打ち割って城兵を奮い立たせ、戦いに勝利したことにちなんで、瓶割山と呼ばれています。
対岸の大溝城は、津田信澄(織田信長の甥)、坂本城は、明智光秀。
他にも、小谷城には、浅井長政。長浜城は、豊臣秀吉、
八幡山には、豊臣秀頼の八幡山城、
と、このころの近江はまさに戦国の舞台。
安土城考古博物館では、
連続講座2「信長と城 その関係を探る」<全7回>が開講中です。
次回は、「信長家臣たちの城」
講師:中井均氏(滋賀県立大学教授)
1月28日(土)13:30〜15:00(受付は13:00より)
於 セミナールーム 定員140名(当日先着順) 資料代200円
事前申し込み不要です。(以上、安土城考古博物館HPより)
http://azuchi-museum.or.jp/event/4668.html
みなさん、座学もいかがですか?
明治期の地形図をみると、内湖が安土山の北側まで広がっていたことがわかります。戦後、1964(昭和39)年に干拓されました。
>>自然を学ぶ<<
駐車場から北腰越に向かう歩道横に真竹の竹藪があります。
特徴は、節のところが二本の線が入っているように見えます。
北腰越から少し登ったところにある竹藪は、孟宗竹です。
節のところの筋は、一本に見えるます。
観音寺城の城山だったので、矢竹の植生も見られました。
繖山の竹やぶは、獣害に合っていませんでした。
手入れが行き届かず、竹藪ジャングルになってしまうことはよく聞きますが、朽木では、竹やぶが消えて行っているそうです。
まず、イノシシが掘りかえして、タケノコを食べてしまう。
少し芽が出ると、猿も掘って、タケノコを食べてしまう。
少し高く伸びたところで、シカがタケノコの先をかじってしまいます。
これが毎年繰り返されると、竹やぶも消えてしまいます。
獣害で竹やぶの植生も変わるのですね。
常緑樹のどんぐりと落葉樹のどんぐりのちがいは?
しましま帽子(殻斗)をかぶっているどんぐりは、常緑樹。
つぶつぶ帽子(殻斗)をかぶっているどんぐりは、落葉樹。
常緑樹どんぐりのサンプルとしてアラカシ、
落葉樹どんぐりのサンプルとしてコナラをいただきました。
青木先生の宝物、オキナワウラジロカシのどんぐりはとっても大きい実でした。
個人的には、崩壊地や間伐されたところの植生の変化に興味を持ちました。日本の山は、大変緑豊かなのですが、若くて元気なのかというと、そうではないようです。森林も高齢化しているのです。元気な森にするために、管理を必要とする森も多いのです。
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