1泊2日・紅葉と秘湯の下の廊下
コースタイム
day2 0700 小屋発-下の廊下-1700 黒部ダム
天候 | 晴れときどき曇り、一時雨 |
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過去天気図(気象庁) | 2009年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
【復路】1751 扇沢→1846 信濃大町(松本電鉄バス)→ 1924 白馬(JR大糸線) |
コース状況/ 危険箇所等 |
下の廊下は1年に1ヶ月ほどしか歩ける時期がなく、また残雪の量による為、年によって変動します。最新情報は阿曽原温泉小屋のホームページで確認できます。高度感とスリルはあるけれど、きちんと整備されていて危なっかしいところはありませんでした。 |
写真
感想
day0 夜行列車『能登号』の旅
ガタンゴトーン。
23時33分上野発の急行能登号になんとか間に合ったー。
少しでも夜行で眠れるように適度にカラダを動かしておこうと、夜8時からホットヨガ&ピラティスのレッスンに出てシャワーを浴びてから上野に向かったら、途中山手線の浜松町で人身事故が起きて品川付近で足止めをくらったのだ。
それでも15分ほどで動き出し、東京駅で混み混みの京浜東北線に飛び乗ってギリギリセーフ。いやー変な汗が出た。
能登号は噂に聞いていた通りのレトロぶりで、この日もやはりマニアがすんごいカメラでなめるように撮影してるかと思えば、スーツ姿のサラリーマンがビールに乾きものでお一人様宴会をしていたり、ラウンジのソファにどっかりと陣取ったつけまつげの姉ちゃんが快適マイブース作りに励んでいたり、ほぼパジャマに近い格好で寝る体制万全のおばさんがいたり、空いてるのをいい事にそれぞれ自分のスタイルで自由に利用しそれなりに愛されている様子が微笑ましい。乗車率はせいぜい1割ぐらいだろうけど、今後も年季の入った車両が動かなくなるまで毎日頑張って欲しいぞ。まわってきた車掌さんに急行券を見せた後、携帯のアラームをセットし4人席で海老のように丸くなって寝た。
day1 欅平〜水平道〜祖母谷温泉〜阿曽原温泉
5時20分、車内は消灯で暗く静まり返っている。車内アナウンスもなくひっそりと北陸線の魚津駅に停車、私はここで降りる。外はまだ夜明け前できいんと冷たい。私の他にリュックを背負ったおじさんが2人降りた。「どこまで?」と聞かれて、とりあえず欅平と答える。どうやらオジさんたちも同じらしい。富山地方電鉄の宇奈月温泉行きの始発まで40分あるので、オジさんたちの好奇の目が私を質問攻めにしたそうだったけど、まだテンションが上がっていないのでかんべんして。トイレで登山の服装に着替えてからホームでちょっと伸びをし、待合室で本を読みながら持って来たおにぎりをかじる。寒くはないけどこの湿った空気、予報通りどうやら雨は免れないようだな。。。
始発の地鉄は案の定ガラガラだったので、ボックス席に足を投げ出し本を読みつつウトウト。明るくなるにつれ途中駅でポツポツ人が乗ってくる。地元のおばちゃんたちが方言丸出しで楽しそうにおしゃべりしているのを聞いていると、ああ知らない土地に来たんだなあと思う。どこの言語で何言ってるかわからなかったとしても、こういうシチュエーションでのおしゃべり声って独特のリズムがあって耳に心地いい。思い出すのは客待ちしてる沖縄の水牛乗りのおじい達だったり、モンテネグロのホテルの暇そうなカフェの給仕達だったり、ぎゅうぎゅう詰めでマタツに乗ってるケニアの尻のでかいおばちゃん達だったり、タイの空港で大荷物抱えてロビーにどっかり座って話し込んでるアラブ人のおじさんだったり。。。
1時間弱で宇奈月温泉に着いた時には大降りになっていた。歩き始めの最初から雨具を着るのはうんざりだな。待ち時間にせめて温かいものが飲みたいけど、まだ7時前でどこも閉まってる。駅員さんにコンビニを聞いて歩き出すも、「そこまっすぐいくとすぐ」がかなり遠いらしく断念。黒部峡谷鉄道の駅の自動販売機のお茶でがまんするか。始発のトロッコ列車をネットで座席予約しておいたのだけど、こんな朝っぱらから乗る観光客はいないみたいで、改札で並んでいたのはもっぱら関西電力の工事関係者ばかりだった。うーん、このつなぎにヘルメットの人たちがトロッコに乗ると妙にリアルだな。
さすがに雨の中1時間も吹きさらしのトロッコに揺られるのは寒かろうと奮発してガラス窓&3列シートのリラックス車両に乗って正解だった。室井滋のアナウンスで黒部渓谷の名所案内を聞きながらまたウトウト。下の方でもかなり紅葉がはじまっていてターコイズ色の水や赤い橋とのコントラストに同じ車両に乗り合わせたギャル2人組は歓声をあげつつバシバシ写真を撮っていた。途中1度スイッチバックしたところで箱根登山鉄道を思い出す。沿線の景色の素晴らしさでは黒部の圧勝だけど、乗り物としての楽しさでは箱根も負けてないな。というか関西方面のヒトにとってみれば我々の箱根に相当するのが黒部観光なのかもしれない。そうして朝8時48分、定刻通り欅平駅に到着。悪くない鉄道旅だったな。
あいにくの雨に降られて、午前9時。
どうしよう?
水平道を歩いて山小屋までは5時間余りで着いてしまう。前の日予約の電話を入れた時の主のハナシでは、この日は平日なのに予約が集中していてふとん一つを2人で分け合う混雑だという。そんなに道を急いだところで、早めに着いても居場所がないというわけ。
だったら多少寄り道するでしょ。ピークを踏む山旅ではないんだし。
ということで、欅平の駅から唐松岳方面に向かって水平道とは直角に歩いていく登山道沿いにある秘境温泉を2つはしごして立ち寄り入浴させてもらいにいく。温泉なら雨が降っててもどうせ濡れるんだし一緒でしょ?
15分くらい歩くと「日本秘境の宿の会」の看板がかかった名剣温泉の一軒宿が見えた。薄曇りの中、ランプに灯がともってなかなかいい雰囲気。ここまでは日帰りの観光客も来るらしい。だけど営業時間までまだ時間があるので、私はその先へ歩く。
と、行く手を通行止めの看板が。何やらヘルメットがたくさんおいてある。ここから先は落石が多いので一般通行止めだが、登山者と温泉入浴者に限っては、自己責任でヘルメットを被って行ってねということらしい。冒険心をくすぐるいい仕掛けだ。かぶり物が嫌いな私には無用だけど。
川沿いを20分ぐらい歩きトンネルを超えたところで、向こう岸に祖母谷温泉の看板と掘建て小屋、そしてテントが2張り。湯気がもうもうと上がっている。河原の野天風呂に行く前に小屋に荷物を置かせてもらおうと掃除中のおじさんに声をかけると、まだ営業時間の前だけど露天風呂使っていいよ、と言ってくれた。500円の入浴料にはオヤジサンダル&ビニール傘の使用料が含まれていると勝手に理解し、その貴重なファシリティを借りてまずは露天へ。聞いていたとおり、コンクリートの四角い浴槽はプールのようだ。それでも硫黄泉のお湯はとても気持ちがいい。
温まった後で、今度は河原の源泉めざしオヤジサンダルで下って行く。ところどころ黒く焼けただれた石が源泉のわいている場所だ。湯気だけでももの凄く熱くて、タマゴを持ってくればあっという間に大涌谷の黒タマゴと同じヤツができちゃいそうだ。次来る時はジャガイモやタマゴを持参する事にしよう。
ターコイズブルーの冷たい川が白い石の上を流れているところと黒々した石の間から沸き出すお湯がぶつかるところはまるで陰&陽のまが玉マークのようだ。湯の花もフサフサと苔のようにゆれている。黒と白がせめぎあってるところにそっとつま先を入れてみると、ひゃ〜熱い!
もっと適温の場所はないかと見渡すと、すでに先人達が色々工夫して水たまりを作ったあとがたくさんある。それぞれ足を入れさせてもらうが、ぬるいかと思えば急にぼこっと熱い湯が吹き出て来たり、ノンビリ浸かるわけにはいかない。うーん、河原の温泉て難しいな。。。だけどあたりはブナが紅葉して金色だよ。誰もいないよ。なんとゼイタクな。湯温さえよければ余裕でハダカになれる環境なのに。晴れてれば上空に唐松岳が見えるらしい。そしてその向こう側は両親の住む白馬かと思うとフシギだ。
ひとしきり遊んだ後、もう一度プールの露天に戻る。いやあ、温度調節がしてあるって素晴らしい事だな。ありがたいありがたい。
1時間ほど遊んでから来た道を戻った。ワイルドな祖母谷を堪能したあとでは名剣温泉のランプの湯に入る気がなくなってしまった。日本秘湯の会より奥の湯に行って来たんだもんな。ナゼ奥にある祖母谷は会に入ってないんだろうと考えたが、秘湯の会の宿はちゃんとした温泉宿で祖母谷は山小屋カテゴリーだからなんじゃないかなと思った。世の中はそういうふうにできているんだな。
欅平へ戻ると11時をちょうどまわったところで、トロッコ列車の終着駅は団体旅行客でごったがえしていた。主にじっちゃんばっちゃん。あいにくの雨だけど、ここで降りてどうするのかなあ・・・?(大きなお世話)
ちょっと早いけど、私はここでお昼ゴハンとする。駅の2階にある70年代から時が止まったような食堂でカツ丼を注文しテキトウに窓際の席に落ち着き、セルフでお茶をくみにいくと、「おいねーちゃんここ」ってなジェスチャーで、おっさんが私を手招きしてテーブルを片付けて欲しそうにする。ニッと微笑み返して無視。どうみても客だっつーの。
食事を終えていよいよ登山口へ。小雨に濡れてちょっと肌寒かったけれど高カロリーのランチで一気にカラダが燃える燃える。ここから温泉小屋までの13キロは水平道という名の通りほぼ平坦らしいけれど、最初の小一時間だけ一気に標高を上げるきつい登りになっている。息が上がらない程度にゆっくり歩いていると、少し見晴らしのいい鉄塔の所でヘルメットを装着した若い男の子2人が休んでいる。聞けば、私と同じ行程だ。その割に重装備なので、クライマーかと思ったら、テント泊で荷物が多いのとヘルメットは昨日祖母谷温泉に行く前に置いてあったものを失敬してきちゃったのだという。「阿曽原温泉に置いて行こうかなあと思って」って、ナルホド、逆路の誰かが持って帰ってくれるという寸法か。要領がいいな。私も失敬してきたビニール傘をおいてこっと。
重装備の男の子達に「ひとりっすか?凄いですね」と言われちょっと心細くなるも、荷の軽い私は先へ進む事に。その後、登山ツアーらしき団体さんや山岳部顧問風の強面のオジさんなどとすれ違う。そのうちの1人に「小屋の方ですか?」と聞かれた。へ?意味が分からずぽかんとしていると、「小屋で働いている方のように見えたので・・・」だって。ど、どのへんがですか?(汗)せっかくスカートはいてるのに。。。
急坂を登りきると、いよいよ空中散歩のはじまりだー。秋の渓谷歩きは楽しい。奥多摩の鳩の巣渓谷だって楽しいんだから、天下の黒部はその何倍も長く歩けるというだけで小躍りしたくなるぐらい。
紅葉で彩られた山肌に、定規をあてながら彫刻刀で斬りつけたみたいにまっすぐ水平な道がずーっと続いている。あそこを歩くんだ。わくわくわくわく。岩盤を無理くりコの字型に切り開いた道や絶壁に板を数枚渡しただけのところや小さな滝を渡るところ、大きな一枚岩にトンネルが掘ってあってヘッドランプを灯しながら真っ暗闇を手探りで進むところなど、もう冒険心をくすぐられまくり。その昔、この道は黒部ダム建設の資材を延々と山深い奥地まで運ぶために作られたのだという。それにしては道幅80センチぐらいで片側がすっぱりと数百メートル切れ落ちていて、どんだけの荷を運んだか知らないけれど命がけだったんだろうなあ。。。先人達の苦労のあとがあるからこそ、今わたしがこうしてスリルを楽しめる。ありがたきシアワセ。
それに先月の大キレットに比べると、標高が1000m前後と低いので、植生が豊かで目にも楽しい。しかもほとんどが広葉樹の原生林というゼイタク。ところどころ顔を出す絶壁。こんな見事な錦秋なのに、誰にも会わない。自然の中にひとり。なのに山が全力で話しかけて来るので、ちっとも寂しくないんです。ホント、夏山だったら、雨が降れば緑のグラデーションで墨絵のような静かな世界になるだろうに、秋はカラフルすぎて墨絵にならない。これは新しい発見だ。
そのうち雨も止んで、薄日が射して来た。これも予報通り。沢は増水していたようだけど、特に危険箇所もなく渡れた。いつもの山登りは稜線を歩いているので、沢に出くわすのは1日に1度か2度だけど、今回はアコーデオンの凹凸の上を歩くような道で、凹んだところはもれなく沢。滝を何度渡ったことか。これが全て下の黒部渓谷に注いでるんだから、そりゃあもの凄い水量だ。このあたりは国内、いや世界でも有数の天気の悪いエリアだとロンリープラネットか何かで読んだことがある。来る前に調べたら、それでも10月は年間で一番降水量が少ない月だった。明日晴れたら御の字だなー。
今、自分の働く店の家具が湿気にやられて一部ダメージを受けている。世界250拠点で同じ製品を販売しているけれど、この問題が出ているのは日本だけ。原産国はスウェーデン。品質管理の人に、「アユコさん、日本て他の国に比べてそんなに湿度が高いと思います?数値的にはそれほど有意な差が出て来ないんですが」と聞かれた。オフィスの空調のきいた室内でずっと事務仕事をしていると感覚が狂うのかしら?メチャクチャ高いと思いますけどね。。。ま、少なくとも今まで私が住んだことのある半砂漠の国々に比べれば間違いなく、ですけど。
そんなことを考えつつ歩いていると道は急に谷へ向かって下り坂。いよいよ温泉が近づいて来たかな?確か4時から5時が女性の入浴時間だったぞ。間に合うべく岩がゴロンゴロンしているところを急いで超えると川縁から上がる湯気と小屋の青い屋根が見えた。キャンパー達のテントも見える。コースタイム通り欅平からきっちり4時間半、阿曽原温泉小屋に到着!やったー。
クマのような主人と挨拶て受付をすると、「おーいスカートがきたぞぅー」とクマが厨房で忙しくしているスタッフに声をかけた。「こないだ山の雑誌でイラスト描いてるスカートの子も来たんだよね、あのスズキミキとかいう子」そうすか。巷では流行ってるんで別に珍しいことでもないんすけどね。この山域ではさすがに少ないのかな。おかげで50人の定員に倍以上の登山客が泊まっているというのにスタッフにはいつも名前で呼ばれてしまった。これにはさすがにびっくりした。
温泉は宿から5分ほど下った所にあった。男女の切り替え時間きっかりに行くと、わーい誰も先客なし。ここもコンクリの浴槽だけど、目障りなついたてなど何もない分木々に囲まれ開放感にあふれてる。その先の洞窟が脱衣所になってて湯気がもうもうと立ちこめ温かい。遠慮なく汚れた登山服を脱ぎ捨て硫黄の匂いのお湯にひとたび浸かれば、思わず出るのは「ああアアァァァァァ・・・」という溜息だけ。。。いーーーい湯だなーーーー。なんというか、成分密度が濃い気がするんだよねー。じーんわり温まる。
浴槽には対角に2本のホースで冷水と温水が注がれている。なので位置によって温かさが微妙に違い、それを上手く利用すると長いこと浸かっていられる。よく出来てるな。今まで野天風呂なんてたいして管理もせずぼったくりもいいところだと思っていたけど、ちゃんと絶妙な湯加減を維持するということがどんなに大事か、河原の湯でよくわかった。ロマンはロマン、快適さは快適さということでありがたくいただく。
しかし温泉はともかく、小屋はあと1週間もすれば解体するという期間限定のプレハブ作り。日本有数の豪雪地帯で雪崩に押しつぶされるからだというが、まあ海の家に泊まることを想像してもらいたい。ベニヤ板のようなペラペラな壁でかろうじて仕切ってあるだけ。食堂もゴザを敷いて長テーブルが3本並べてあるだけ。まるで難民キャンプ。1泊2食で9000円も払ってるんですけど。それなのに電気が来ていてテレビがついてる、このアンバランスさが不思議だ。そういえば、今日歩いて来た道もずっと電線が通っていて、風景を撮影するのに邪魔だなーと思っていた。まあここが関西の電力供給基地なんだから当たり前っちゃ当たり前なんだけど、秘境に来た感じがしなくて困る。
「カレーはおかわり自由だから!こないだパパイヤ鈴木が来た時は8合食べて行ったからね」と主人。へ〜、パパイヤって登山するんだ。意外だな。
食事が終るとすぐ食堂を追い出される。今日は3回転するのだという。他に談話室などなく仕方なく相部屋へ。12枚のふとんが隙間なくビッシリ敷かれておりきっちり24人が割り当てられていると言う。半分ぐらいはすでに人が入っていた。私は誰もいなそうな布団にとりあえず座って雑誌を読んでいると、そこは全部埋まってるよと周囲のヒトが教えてくれる。どこが空いてるのですか?と聞くと、「あそこの北海道からのツアーガイドさんの隣」だって。指差す方向を見ると、ニカッと笑っている男がひとり。。。ぎえー。おせっかいそうなオバさん達が心配して、「誰もいない布団に先に大の字描いて寝ちゃえば?先に寝たもん勝ちよ。男のヒトがそこに割り込んで行くには相当な勇気がいるわよ」「そちらのご夫婦に協力してもらって、奥さんと一緒に寝させてもらえば?」「北海道のツアー団体にはもうひとり女性のガイドさんがいたわよね?そのガイドさんと入れ替わってもらったら?」など色々案が出されるが、ご夫婦の旦那さんは拒絶するようにふとんにくるまってしまうし、女性ガイドさんも息を殺している。。。外は今年最大の流星群が来ていて流れ星がいくつも降りているというのに、私は布団戦争勃発のまっただ中にいる。。。ようやく女性のガイドさんが替わってくれることになり、私は北海道のおばちゃんの布団に入る。入ったら出れない。こうして「山小屋で流れ星」のロマンは消え去りました。(泣)
我々の部屋は全員が布団にくるまり、消灯を今か今かと待っているというのに、隣の部屋ではどんちゃん騒ぎが繰り広げられていた。さっきの北海道のツアーガイドがおばちゃんたちに、「宿の主人に文句言って来い」と指示されている。ガイドがもう少し様子を見ましょう、となだめていると、タイムリーなことにスタッフが「ここは消灯時間が特にありませんので適宜電気を消してください」と言いに来た。オバさんすかさず「隣に、時間をわきまえてもう少し静かにしろって言ってちょうだい」とぴしゃり。わきまえてって、まだ7時過ぎなんですけど。。。そんなこんなで、にぎにぎしく夜は更けて行ったのでした。
day2 阿曽原温泉〜下の廊下〜黒部ダム
午前4時。
周囲がわさわさ騒がしくなって目が覚める。というか、一晩あまり良く眠れてないのだけど。
ここにいる100人余りの登山客のうち、9割5分が今日は欅平方面に下って行くのだ。私と同じく黒部ダムに上がって行くのは千葉からの3人のおじさんたちだけ。そういえばテント泊の2人組は会ってないけどどうなったのかしら?
同室の北海道からのツアーは今日中に富山空港から飛ぶから急ぐのかな?それともトロッコ列車の熾烈な席取り競争に打ち勝つべく早立ち?
昨日少しガイドさんに話を聞いた所によると、北海道の山々は厳し過ぎて初心者、中級者に手頃な山がないからわざわざ北アルプスまで来るのだと言う。行きは松本空港から来たのかと思ったら、乗り継ぎが悪過ぎて不便だから羽田から来たらしい。松本空港が就航している路線は福岡と伊丹と札幌だけなのに、北海道の人にまで不便と言われたらそりゃあ存在意義はないわな。JALの撤退もやむなし。
私は今日のコースタイムを8時間半と見積もっていたので、朝もう一度温泉にゆっくり浸かって8時に出ても最終の扇沢行きトロリーバスに充分間に合うと計算していた。だけど、昨日の夕食のとき色々な人に聞いたら、5時間で歩けたという人から10時間以上かかったという人まで様々。しかもゆるいとはいえ登りだからな。。。千葉の3人は朝5時に出ると言ってたっけ。6時の朝食を終えて身支度を整えると、小屋には居場所がなかったし温泉は男女入れ替えが決まってないようだったので、さっさと出発することにした。温泉は18キロの長い道のりを歩き終わってから大町で入ればいいし。
それにしても見事に晴れた。朝の光が木々の間から差し込み、金色の落ち葉から湯気がたっている。昨日の雨のせいで、何もかも洗われたようにしっとり光っている。気持ちのいい青空がのぞいて素晴らしい一日を約束してくれている。
小屋を出て1時間ほど登り返すと、この美しい山道にそぐわない無機質な古いコンクリのビルが出現した。これが関西電力の社員寮か。『孤高の人』の中で、加藤文太郎が1週間吹雪にあった後で泊めてもらったというやつだ。部屋の様子はわからないが外から見た限りでは監獄のよう。。。温泉付きだけどね。
そしていよいよ仙人ダムに到着。目の前に立ちはだかる厚い檻のような鉄扉が。
「登山者の皆様へ
仙人池・劔岳方面へはこの扉を通り抜けてお進みください。なお、この扉で熊の侵入防止を図っておりますので、必ず閂をかけていただきますようご協力お願いいたします」
と注意書きが添えてある。何故クマさんはこの薄暗いトンネルに出入りしたがるのだろう?と思いつつ中に入る。硫黄のニオイと湯気が充満してトンネル内はとてもあたたかい。温泉をひいてるパイプからシュワシュワと湯煙が出ている。ははん、クマさん、さては冷え性ですな?
トンネルの中はまるで鉱山の坑道。いくつもの分岐を「日電歩道」の矢印をたよりにキョロキョロしながら進んでいると、朝の出勤らしき作業服の人たちが颯爽と通り過ぎて行く。途中「電車に注意」という看板がありレールが横切っている。ほほぅ、欅平から、現役の業務用トロッコが通ってくるんですね。滅多にないチャンスと写真を撮ったけど、全部レンズが湯気で曇ってしまって上手く撮れなかった。残念。
トンネルを出ると、天然の岩場に豪快に水が噴き出す迫力の仙人ダムが待っていた。ココから先は旧日電歩道、別名・下の廊下の始まり。戦前、解体前の日本電力が切り開いた道で現在は関西電力が引き継いで整備しているらしい。
この仙人谷ダムの建設に伴って行なわれたトンネル工事は、地底で150度を越える高熱の岩盤を掘り進むという過酷なものだったそうです。劣悪な労働環境、地熱によるダイナマイトの自然発火事故、物資輸送中の峡谷での転落事故、泡雪崩による宿舎の全壊事故などの被害が重なり、全工区で朝鮮人労働者を含む300人以上が犠牲となったのです(ちなみに黒部ダム建設の殉職者は171人)。昭和14年8月、困難を極めた高熱地帯のトンネルが貫通、15年11月仙人谷ダムは完成しました。小説「高熱隧道」(吉村昭)の舞台でもあり、映画「黒部の太陽」の伏線ともなっている場所なのだそうです。なむ〜。
それから半世紀を経た今日も、作業服にヘルメット、ヘッドランプをビシッと身に付けた人たちが断崖にへばりついて電線の整備作業をすすめておられました。歩道の整備担当なのか、私と同じ方面に向かって歩いて行く人々も。見事な紅葉と息を飲むほどのすさまじい水流をたたえたダムが職場なんて、羨ましい限りですね。と声をかけると、「住んでみると地獄ですよ。。。」と苦笑い。そうかしら。
剣岳方面に通じる雲切新道を右に分けてさらに進むと、その先にとても端正な形の吊り橋があった。1度に1人だけと注意書きがしてあり、作業員の人々もきっちり守っているので、私もカメラを後のヒトに渡して記念撮影をお願いしつつ1人で渡らせてもらった。確かにかなりユラユラして高度感タップリでお尻がゾワゾワしたよー。
昨日の水平道は、左側が切れ落ちてるといっても木が生えていたから川も見えなかったしそんなに怖くはなかったけれど、さすがに下の廊下は岩場だらけで足もと遥か下方に谷が切れ落ちているだけに、緊迫感が違う。それでも山側に細いワイアーがずっと通してあるのでいざという時に掴めるものがあるというだけで安心感がある。その後は半月渓谷、S字峡、十字渓、白竜渓、とスリル満天の見せ場の連続で、夢中になって写真ばかりとっているとクレヨンしんちゃんの作者の2の舞いだ。。。コースタイムも気にはなる。。。それでも足を早める気にはなれない。だってこの景色を存分に楽しむためにはるばる来たのだから!
確かに激しく落ちる滝が白い竜に見える白竜渓のあたりから、前方にギザギザとニワトリのトサカのような山が見える。あれはもしや後立山の八峰キレットかしら?前から来たソロの登山者に聞いてみると、わからないが地図を見る限り位置的にはキレットはもっとずっと先で、おそらくあれは大タデガビンじゃないか、と言われた。なんじゃその名前は。私の持ってる地図にはそんな山ないぞなもし。
白竜渓のあたりでは3つのパーティとすれ違った。皆、一歩一歩確実にあるいている。道を譲るため、少し道幅の広いところでよけていると、60をとっくに過ぎてるだろうと思われる銀髪の上品なおばさまが「素晴らしい景色ですわねえ。だけれどすごい所に来てしまったようですわね」と話しかけて来た。本当に、日当りのいい窓辺で猫を膝に抱いて編み物をしている方がずっと似合ってそうなのに、妙な所に連れて来られちゃったって感じですよね。。。でも一生忘れられない思い出になりますよ、きっと。
先へ進んで、別山沢出合と呼ばれるところまで来た。ここは雪渓が遅くまで残っていて、雪でできた橋の上を渡る沢の合流地点なのだけど、残念ながらスノーブリッジは崩れてしまって歩ける状態ではなく、通行止めのロープが張ってあって谷に降りたりハシゴで高巻きする道が作られていた。私はここでランチ休憩を取ることにした。通行止めのロープをくぐって見晴らしの良い場所を選んで斜面を背に谷を正面に腰を下ろす。ここなら通行の邪魔にならないでしょ。見上げると、青い空に向かってそそり立つ絶壁から、まるで滝が流れ落ちるように金色や赤やオレンジの木々が数百メートル下方にまで続いている。ああ、至福のひとときだなあ。
休憩の後は絶壁慣れしてしまった身には割と単調な山道になった。アップダウンがこれでもかと続き、さすがに飽きたかな、と思い始めた頃、また沢の合流地点に出た。どうやらついに内臓助谷出合まで来たらしい。前方に、河原で休憩を取っている3人組が見えた。あ、千葉からの人たちだな。大きく手を振ると、向こうも両手で振り返して歓迎してくれた。
冷たい川の水で持って来たりんごを冷やしていると、「朝何時に出たんですか?」と話しかけられた。「6時半頃です」「えーーーーー?!僕たち5時に出たんですよ。もう追いつかれちゃったかー。。。学生時代山岳部だったんですか?」「いえ、4ヶ月前に靴を買ったばかりの初心者です」「体力あるねー」といっても、ここまではほぼコースタイム通りなので特別私が早い訳でもないはず。「いえ、ひとりだと休憩しても飽きちゃって長く座ってられないんで、つい先に進んじゃうんですよ」
その後は、黒部ダムまで小一時間、ひと登りだった。登りきって終わりなんて、なんてラクチンなことか。山登りの何がしんどいって、ピークを踏んでからの下山だったりする。疲れが倍増している足に岩場の下りはこたえるのだ。登りはいいから下りはロープウェーなりリフトが使えたらどんなにいいか、といつも思っていた。今回はほぼその夢が叶って、雪をかぶった立山にバイバイしたらトロリーバスに15分揺られておしまい。下の廊下、もしこれから行ってみようという人がいたら、欅平から始めた方がずっと楽ですよ、と教えてあげよう。
路線バスにさくっと乗り継げて大町まで3時半には着いてしまったのはいいけれど、白馬に向かう大糸線の下り方面が1時間以上来ない。これなら、バスを途中下車して薬師の湯に浸かってくるべきだったか。。。駅前の観光案内所でお風呂入れるところありませんか?と尋ねたら、七倉荘という旅館を案内してくれた。小さな旅館で、家族風呂をちょっと大きくしたような浴場だったけれど、他に人もいないので、おかみさんが気を利かせてより明るくて広々した男湯を独占させてくれた。さすが大町、登山者に優しい。
大糸線では山側の窓際に座って、夕日に照らされる仁科三湖と後立山の峰を眺めていた。時折ススキの揺れる原っぱだったり、すっかり稲が刈り取られた田んぼから飛び立つ雁の群れだったり、トラクターで畑を耕すおじいさんだったりに目が惹かれる。
昨年、遠見尾根から五竜岳を登ったとき、自分史上最高の紅葉を見たと思った。葉色の鮮やかさといい、空の色といい、雲の白さといい、人気のなさといい、これを凌ぐのは難しいぞ、と。しかし嬉しいことに今年もその記録が塗り替えられた。日本には何世紀も前から変わらず、誰も見に来ない絶景がまだまだあるんだろうなー。
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