川床道(歴史編)・自然観察会

コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2017年05月の天気図 |
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写真
詳細『回想の山旅』氏 「地獄谷の彷徨」
http://www1.megaegg.ne.jp/~yama1349/126-daisen-jigoku-tani-sounan/jigoku-tani-sounan.htm
詳細『回想の山旅』氏 「大山滝と大山古道」
http://www1.megaegg.ne.jp/~yama1349/3-daisen-daki-miti/daisen-daki-miti.htm
「大山 七十丁 笠杖 木地屋仁四良」
【木地師】
文徳天皇の皇子惟喬親王が、周辺の杣人に木工技術を伝授したところから始まり、日本各地に伝わったと言う伝説がある。
東から西へ流れていったと推察
佐治⇒三徳⇒山守⇒船上山⇒大山北側(明間・川床)⇒米澤
参考:因伯の木地屋 荻原直正著
この付近では一番大きい
烏ヶ山下方に周囲6mのブナ(近年倒壊)とミズナラがあります。中の原スキー場よこのブナも大きい。
中国語で「山毛欅」とは、本種ではなく中国ブナの一種を指す。「橅」は近年作られた日本文字で、一般に(日本)ブナの意味に使われている。「椈」も中国ではブナの意味は全く無く、檜の意味ならあるが、日本ではブナの意味に使われる事がある。別名が、シロブナ、ソバグリ。(ウィキペディア)
木地師の茶碗等の材料にされたそうだ。
一年でわずかに太くなる。
説明を聞いたが速効で忘却の彼方。
参考:『のぼったり。もぐったり』氏 コース図あり
http://nobomogu.blog81.fc2.com/blog-entry-232.html#comment-top
2013/03/22 10:29 撮影
ミズメ(Betula grossa)は、カバノキ科カバノキ属の落葉高木。ヨグソミネバリ(夜糞峰榛)、アズサ(梓)とも呼ばれる。樹皮や材観がサクラに似ていることから、ミズメザクラ(水目桜)とも呼ばれる。
古くは梓弓を作るときに使用されていた。皇太子徳仁親王のお印でもある。(ウィキペディア)
参加者の方がこれは殿下のお印と説明補填された。
感服至極。
登山道沿いにあるが見えにくい。
大休口からの登りで喘ぎながらのところで見つける余裕もない。
日下平六の建てた12体の一つと思われる。
風化が進んでいて目鼻だちも判然としなくなっている。
大休峠は昔 オオヤスメといわれていたようだ。
大休は大山寺の東方六キロの地にあり、海抜高度では博労座より高い峠集落で、因幡、船上山方面からの参道の峠にあたり祭りの時には二、三軒の茶屋が開かれていたが、のち博労宿をもかねるようになった。宿とはいえ草ぶきの掘立て小屋にすぐなかった。・・・
慶長年間(1600年頃)に寄進されたものといわれている
石畳道は麓の関金のどなたかが寄進したとか
佐摩近くの別所の方が寄進したとか
およそ6時間 9キロの山歩き
お疲れさまでした。
大水のたびにこの橋が流れる
沈下橋にするか 片方を固定(リンク)してもう一方を開放できるよう(流水の抵抗を軽減)にすればとの意見が以前あった。
付近に川床村の墓がある。(天保年間)
前村の分村とされる。
『以西郷土史』にはこの川床村から移転した方の記載あり。
大山寺集落に『川床屋』あり。
上級者向けの超ハードコース
自転車愛好者の方は挑戦してみてください
【思い出】
昭和50年ころ
次兄が横浜から自転車で帰省すると連絡あり
大晦日の夕方 電話あり
「雪と寒さに限界
迎え たのむ・・・
貧乏人家庭の小生には車がないため従兄に救出依頼する
トヨタカローラ 二人で迎えにいく
村岡トンネルの近くの工事現場事務所・プレハブにいるとのことだった
距離およそ200キロくらいか
車中で元旦
自転車はカタクラシルク
クロモリ仕様のセミオーダー輪行スタイル
これを譲り受け 休日になると大山や鍵掛峠
明智峠・谷田峠・その他
バイトで貯めた一万円と母親がそっと渡してくれた一万円
ツェルトタイプのテント一つで九州遠征にいった。
阿蘇の登りにバテてしまい国東でフェリーから広島まで帰還した。
これで一文なしになった。
この頃 大山にもよく登った。
タイムアタックするとおよそ一時間弱。
修行者の如く駆足。水のみ持参。
その当時の写真が天狗ヶ峰の項に記載したものです。
石柱に「行基菩薩の御霊験文殊利生水」と刻まれていた。
「行基菩薩」という高僧が大山にあがって、七日間参篭し文殊の方を修めようとしたが閼伽水がなく仏前に供えることができず、水輪の法を修せられ持っていた金剛杵で岩を砕いたところ、たちまち浄水が湧き出た。爾来この霊水は尽きることがなかった。
後世の人がこの水を文殊利生になぞらえて「利生水」と号された。
※閼伽(あか):仏教において仏前などに供養される水のことで六種供養のひとつ 功徳水(くどくすい)
牛の鼻輪で鋳造されたそうです。
日本三大牛馬市(にほんさんだいぎゅうばいち)は、古くは平安時代に始まった牛馬市の中でも全国に名の知れ渡った「備後の『杭の牛市』」、「豊後の『浜の牛馬市』」、「伯耆の『大仙(山)の牛馬市』」の牛馬市を指す。鳥取の伯耆では豊後ではなく「福島県の『白河の馬市』」と備後、伯耆が三大牛馬市という説もある。様々な市や地名に関して様々な呼び名、説があるが久井(広島)、大山(鳥取)、豊後(大分)、白河(福島)が牛馬市で栄えていたことが分かる。諸説ある原因としては「牛馬市」か「馬市」の区分の違いが大きく関連している可能性が高い。(ウィキペディア)
感想
27日 大山町公民館主催「大山学講座・川床道を歩く」
28日 大山自然歴史館「自然観察会」
【川床道】中国自然歩道 歴史の道百選 「川床の石畳道」「横手道」
大山町図書館で「川床道を歩く」の掲示があり、謎の石碑探索がてらと即刻申し込み。「町外につき空席あれば」とのこと。
準備情報が届く 各々 おこたりなくとのこと。
事前調査にいった公民館長さまが(館長さまは調査前夜の飲みすぎ? 変な骨の推測)、ゴールまぎわで足がとまったとのことで参加者をビビらせる。
当日
丁寧なガイドの方の解説に納得する。
経験豊富で博識の方であった。
歴史や石仏の説明に町文化財担当者の方の説明がよかった。
退休寺の玄翁和尚のくだりの件については即答された。
公民館長さまと話した。
30年くらい前 夏休みに6泊7日か10泊くらいか 県内の児童・生徒がテントでサバイバル生活をする。山田晋先生の発案だったと思う。(日本海新聞に掲載あり)
学生がサポートにつくも全て自己完結しなければならない。飯盒飯に芯があっても自己責任。一向ヶ平野営場で何泊かし歩いて船上山茶園原に移動する。
今は時代が変わってしまったのか。
気骨のある職員がいないのか。
たたらの話から「童子切安綱」について言及(当日 日本海新聞掲載)
国宝中の国宝である。
大山開山1300年にむけてこの名刀をぜひ展示してもらいたい。
公民館長並びに担当のK氏に厚くお礼申し上げます。
【自然観察会】
大山自然歴史館の自然観察会に参加 無料・当日参加可
HP:http://www.daisen.gr.jp/rekishikan/
3時間ほどの歩行
歴史・地質・花・昆虫etc 地元専門家の方の解説
参加者レベルはとわない 初参加歓迎とのこと
解説者の方は超一流ですので何でも質問してください
春・夏・秋 あります
以前BSNHKで大山について放映された。
「落石で火花散る」
散るのは桜
世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
【大山の達人】
一 金門の摩崖仏がみえること
二 豪円山下の含満ヶ池がみえること(雨天不可)
三 ブナの樹木の中の水音が聞こえること
【大山検定】
どこから見た大山か?
難問ですが もちろん当方は達人のラベル?
D−CLUB(大山町観光HP内)
これってどこから見た大山? 勝手に大山検定
http://www.daisen.gr.jp/
我こそわ とおもわん方は挑戦してみてください。
写真は柄木氏でしょうか?
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