記録ID: 1280185
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ハイキング
京都・北摂
今日のお出かけ 講演[大政奉還150周年記念 大政奉還からから鳥羽伏見の戦いへ]+[京都洛南散策]
2017年10月07日(土) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 03:47
- 距離
- 11.4km
- 登り
- 21m
- 下り
- 18m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:47
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:47
距離 11.4km
登り 35m
下り 20m
12:50
227分
スタート地点
16:37
ゴール地点
過去天気図(気象庁) | 2017年10月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
【テキスト】
寺田屋(伏見区南浜町)
伏見区南浜町にあるもと船宿。
江戸時代は、ここから大坂八軒屋まで、淀川を上下する船旅の客で賑わった。文久二年(一八六二)、尊王撰夷派の有馬新七ら、寺田屋で会合していた薩摩藩士が、薩摩藩の島津久光が差し向けた藩士らと同士討ちという悲劇が起こった。また慶応二年(一八六六)には、投宿中の坂本龍馬が幕吏に襲撃され、のちに妻となるお龍の機転によって難を逃れたというエピソードがある。寺田屋横には、坂本龍馬や薩摩藩九烈十の碑などが立っている。
寺田屋(伏見区南浜町)
伏見区南浜町にあるもと船宿。
江戸時代は、ここから大坂八軒屋まで、淀川を上下する船旅の客で賑わった。文久二年(一八六二)、尊王撰夷派の有馬新七ら、寺田屋で会合していた薩摩藩士が、薩摩藩の島津久光が差し向けた藩士らと同士討ちという悲劇が起こった。また慶応二年(一八六六)には、投宿中の坂本龍馬が幕吏に襲撃され、のちに妻となるお龍の機転によって難を逃れたというエピソードがある。寺田屋横には、坂本龍馬や薩摩藩九烈十の碑などが立っている。
【テキスト】
京都電気鉄道会社
明治二十七年(一八九四)二月に設立された電気鉄道会社。それより先の同二十四年五月、琵琶湖疏水の付帯工事として建設された蹴上発電所供給の電力を利用し、市街地に電車を通す計画が立てられた。その発案者は、のちに初代社長となる高木文平であり、彼は同二十一年、田邊朔郎らとともに渡米した際に電気鉄道を実見したことが発端であった。開通は、同二十八年に岡崎で開催される第四回内国勧業博覧会を目標に敷設工事が実施され、まず同二十八年二月一日(電気鉄道記念日となる)、塩小路高倉・伏見下油掛町問の約六・五キロを狭軌道で仮開業、これがわが国最初の市街電車となった。一方同年四月には博覧会場である岡崎と結ぶため、二条で鴨川に木橋を架設して開通、その後も順次路線は拡張され、木屋町通、西洞院通から堀川通、さらに北野天満宮へと延びていった。同四十五年には市営電車の開業により激しい競争を演じたが、大正七年(一九一八)、京都市が買収。唯一残された北野線はチンチン電車として市民に親しまれ、昭和三十六年(一九六一)まで営業を続けた。現在、伏見区油掛町に、「電気鉄道事業発祥の地」と刻まれた石碑が建っている。
京都電気鉄道会社
明治二十七年(一八九四)二月に設立された電気鉄道会社。それより先の同二十四年五月、琵琶湖疏水の付帯工事として建設された蹴上発電所供給の電力を利用し、市街地に電車を通す計画が立てられた。その発案者は、のちに初代社長となる高木文平であり、彼は同二十一年、田邊朔郎らとともに渡米した際に電気鉄道を実見したことが発端であった。開通は、同二十八年に岡崎で開催される第四回内国勧業博覧会を目標に敷設工事が実施され、まず同二十八年二月一日(電気鉄道記念日となる)、塩小路高倉・伏見下油掛町問の約六・五キロを狭軌道で仮開業、これがわが国最初の市街電車となった。一方同年四月には博覧会場である岡崎と結ぶため、二条で鴨川に木橋を架設して開通、その後も順次路線は拡張され、木屋町通、西洞院通から堀川通、さらに北野天満宮へと延びていった。同四十五年には市営電車の開業により激しい競争を演じたが、大正七年(一九一八)、京都市が買収。唯一残された北野線はチンチン電車として市民に親しまれ、昭和三十六年(一九六一)まで営業を続けた。現在、伏見区油掛町に、「電気鉄道事業発祥の地」と刻まれた石碑が建っている。
【問題】
明治28(1895)年、日本初の路面電車として、京都電気鉄道の(?)が開業した。
【問題】
京都の市街電車の内、北野線は「チンチン電車」または(?)と呼ばれ人々に親しまれた。
【問題】
蹴上発電所の電力を利用した電気鉄道の敷設を発案し、京都商工会議所の初代会長にもなった人物は誰?
明治28(1895)年、日本初の路面電車として、京都電気鉄道の(?)が開業した。
【問題】
京都の市街電車の内、北野線は「チンチン電車」または(?)と呼ばれ人々に親しまれた。
【問題】
蹴上発電所の電力を利用した電気鉄道の敷設を発案し、京都商工会議所の初代会長にもなった人物は誰?
【テキスト】
御香宮神社(伏見区御香宮門前町)
祭神は神功皇后、仲哀天皇、応神天皇ほか。貞観四年(八六二)に当地に清泉が湧き出し、これを飲むとどんな病気も治るという奇跡が起こり、時の清和天皇より「御香宮」の名を賜わったという。または、筑前の香椎宮を勧請したとも、式内社の御諸神社とする説もある。豊臣秀吉が文禄年間(一五九二〜九六)に伏見城を築城する時に当社を大亀谷に移し、伏見城の鬼門の守護神としたが、慶長十年(一六〇五)には徳川家康が旧地である現在地に移した。現存する多くの社殿は、徳川家によって寄進されたものである。本殿は徳川家康の再建で、五間社流造。また、表門は伏見城の遺構ともされ、見事な彫刻が桃山時代の雰囲気を今に伝えている。ともに重要文化財
御香宮神社(伏見区御香宮門前町)
祭神は神功皇后、仲哀天皇、応神天皇ほか。貞観四年(八六二)に当地に清泉が湧き出し、これを飲むとどんな病気も治るという奇跡が起こり、時の清和天皇より「御香宮」の名を賜わったという。または、筑前の香椎宮を勧請したとも、式内社の御諸神社とする説もある。豊臣秀吉が文禄年間(一五九二〜九六)に伏見城を築城する時に当社を大亀谷に移し、伏見城の鬼門の守護神としたが、慶長十年(一六〇五)には徳川家康が旧地である現在地に移した。現存する多くの社殿は、徳川家によって寄進されたものである。本殿は徳川家康の再建で、五間社流造。また、表門は伏見城の遺構ともされ、見事な彫刻が桃山時代の雰囲気を今に伝えている。ともに重要文化財
たくさんの人で
史跡めぐりも困難を極める(^_^;)
【問題】
慶応4(1868)年正月の鳥羽・伏見の戦いで、伏見奉行所に陣取った新撰組など幕府軍に対し薩摩軍が本陣とし、現在「明治維新 伏見の戦跡」の石標が建つのは何処?
史跡めぐりも困難を極める(^_^;)
【問題】
慶応4(1868)年正月の鳥羽・伏見の戦いで、伏見奉行所に陣取った新撰組など幕府軍に対し薩摩軍が本陣とし、現在「明治維新 伏見の戦跡」の石標が建つのは何処?
【テキスト】
藤森神社(伏見区深草鳥居崎町)
祭神は本殿に神功皇后、素蓋鳴命ほか五神。東殿に天武天皇ほか一神。西殿に早良親王ほか二神。洛南の深草に平安遷都以前から祀られると伝える古社。古来朝廷より庶民まで崇敬が篤く、特に勝運と馬の神社として知られ、騎手をはじめ競馬関係者の参拝が多い。また毎年五月五日に行われる藤森祭(深草祭)は菖蒲の節句発祥の祭として知られ、節句に飾る武者人形には藤森の神が宿るとされる。近年は六月のアジサイも有名で、「アジサイの宮」とも呼ばれる。本殿は正徳二年(一七一二)中御門天皇より宮中賢所の建物を下賜されたもの。摂社の八幡社、大将軍社は重要文化財に指定されている。
藤森神社(伏見区深草鳥居崎町)
祭神は本殿に神功皇后、素蓋鳴命ほか五神。東殿に天武天皇ほか一神。西殿に早良親王ほか二神。洛南の深草に平安遷都以前から祀られると伝える古社。古来朝廷より庶民まで崇敬が篤く、特に勝運と馬の神社として知られ、騎手をはじめ競馬関係者の参拝が多い。また毎年五月五日に行われる藤森祭(深草祭)は菖蒲の節句発祥の祭として知られ、節句に飾る武者人形には藤森の神が宿るとされる。近年は六月のアジサイも有名で、「アジサイの宮」とも呼ばれる。本殿は正徳二年(一七一二)中御門天皇より宮中賢所の建物を下賜されたもの。摂社の八幡社、大将軍社は重要文化財に指定されている。
【テキスト】
陸軍第十六師団(伏見区深草)
明治政府は、日清・日露の戦争を経験するなか次第に軍備の拡張を図り、明治三十八年(一九〇五)陸軍の兵力を従来の十二個師団から十七個師団編成へと増強させた。そのうちの第十六師団が京都深草に駐屯したのは同四十一年十一月十六日のこと。それにともない京都の市街地と駐屯地を結ぶ道路の整備が行われた。現在も鴨川運河(琵琶湖疏水)の西側を南北にのびる道路を師団街道と通称している。この道路を挟んで東西に、歩兵・騎兵・砲兵・輜重兵・工兵の各連隊が配置されていた。一方師団司令部は奈良街道沿いの現聖母女学院本館として使用されている赤煉瓦造り、二階建て、銅板葺きの堂々たる建物で、明治四十年の竣工である。また師団街道から師団司令部の位置する東方に第一から第三の軍道が開かれた。この軍道が疏水をまたぐ橋の橋脚には、今も陸軍の星のマークが浮き彫りされている。第一軍道と記された道路標識とともに、現在に残る貴重な戦争史跡となっている。
陸軍第十六師団(伏見区深草)
明治政府は、日清・日露の戦争を経験するなか次第に軍備の拡張を図り、明治三十八年(一九〇五)陸軍の兵力を従来の十二個師団から十七個師団編成へと増強させた。そのうちの第十六師団が京都深草に駐屯したのは同四十一年十一月十六日のこと。それにともない京都の市街地と駐屯地を結ぶ道路の整備が行われた。現在も鴨川運河(琵琶湖疏水)の西側を南北にのびる道路を師団街道と通称している。この道路を挟んで東西に、歩兵・騎兵・砲兵・輜重兵・工兵の各連隊が配置されていた。一方師団司令部は奈良街道沿いの現聖母女学院本館として使用されている赤煉瓦造り、二階建て、銅板葺きの堂々たる建物で、明治四十年の竣工である。また師団街道から師団司令部の位置する東方に第一から第三の軍道が開かれた。この軍道が疏水をまたぐ橋の橋脚には、今も陸軍の星のマークが浮き彫りされている。第一軍道と記された道路標識とともに、現在に残る貴重な戦争史跡となっている。
【テキスト】
ランプ小屋
稲荷駅ランプ小屋(伏見区深草稲荷御前町)
JR奈良線の稲荷駅構内には、ランプ小屋と呼ばれる煉瓦造り平屋建ての建物がある。これは明治十二年(一八七九)稲荷駅本体の建物とともに建築された、信号灯および灯油の収納施設。現存する鉄道関係施設としては日本最古のものとして鉄道記念物に指定されている。ちなみに現在の奈良線は、当時京都・稲荷駅間が東海道線の一部として使用されていた。東海道線は、現在のように東山トンネルを抜けるルートではなく、南に大きく迂回していた。同線は稲荷駅から山越えで山科盆地に抜け、ふたたび北上し(ほぼ現名神高速道路のルート)、大津の大谷駅(当時)から逢坂山トンネルを経て大津市街地に通じていた。
ランプ小屋
稲荷駅ランプ小屋(伏見区深草稲荷御前町)
JR奈良線の稲荷駅構内には、ランプ小屋と呼ばれる煉瓦造り平屋建ての建物がある。これは明治十二年(一八七九)稲荷駅本体の建物とともに建築された、信号灯および灯油の収納施設。現存する鉄道関係施設としては日本最古のものとして鉄道記念物に指定されている。ちなみに現在の奈良線は、当時京都・稲荷駅間が東海道線の一部として使用されていた。東海道線は、現在のように東山トンネルを抜けるルートではなく、南に大きく迂回していた。同線は稲荷駅から山越えで山科盆地に抜け、ふたたび北上し(ほぼ現名神高速道路のルート)、大津の大谷駅(当時)から逢坂山トンネルを経て大津市街地に通じていた。
【問題】
現存する鉄道関係施設としては最古の物で、「ランプ小屋」と呼ばれる煉瓦造りの建物はJR奈良線のどの駅の構内にあるか?
【問題】
明治12(1879)年に建設された「ランプ小屋」が、現在、鉄道記念物として残るJR奈良線の駅はどこ?
【問題】
現存する鉄道関係施設として日本最古の「ランプ小屋」は、JR奈良線の(?)構内に残されている。
現存する鉄道関係施設としては最古の物で、「ランプ小屋」と呼ばれる煉瓦造りの建物はJR奈良線のどの駅の構内にあるか?
【問題】
明治12(1879)年に建設された「ランプ小屋」が、現在、鉄道記念物として残るJR奈良線の駅はどこ?
【問題】
現存する鉄道関係施設として日本最古の「ランプ小屋」は、JR奈良線の(?)構内に残されている。
【テキスト】
伏見稲荷夫社(伏見区深草薮之内町)
祭神は宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神。全国に約一二万ある稲荷神社の総本宮。和銅四年(七一一)に秦伊呂具が稲荷山の三ヵ峰に三柱を創祀したという。「山城国風土記」逸文には、伊呂具が餅を的にして矢を射ったところ、その餅が白鳥になって山の峰に飛んで行き、そこに稲が生えたので、イナリの社名になったと伝える。天長四年(八二七)に空海が東寺の鎮守神として稲荷神を祀り、歴代天皇の行幸とともに民間にも広く信仰され、平安京の五条以南が氏子圏となって、祇園社と京をニ分した。応仁の乱で焼亡した本殿は、明応八年(一四九九)に再興され、いく度かの修造をかさね現在は重要文化財に指定されている。他に御茶屋が重要文化財に指定されている。この御茶屋はニ部屋からなり、後水尾院から拝領したと伝える。書院造から数寄屋造へ移る遺構を残す建物で、茶趣味あふれる貴人好みの御茶屋の代表例として貴重である。
伏見稲荷夫社(伏見区深草薮之内町)
祭神は宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神。全国に約一二万ある稲荷神社の総本宮。和銅四年(七一一)に秦伊呂具が稲荷山の三ヵ峰に三柱を創祀したという。「山城国風土記」逸文には、伊呂具が餅を的にして矢を射ったところ、その餅が白鳥になって山の峰に飛んで行き、そこに稲が生えたので、イナリの社名になったと伝える。天長四年(八二七)に空海が東寺の鎮守神として稲荷神を祀り、歴代天皇の行幸とともに民間にも広く信仰され、平安京の五条以南が氏子圏となって、祇園社と京をニ分した。応仁の乱で焼亡した本殿は、明応八年(一四九九)に再興され、いく度かの修造をかさね現在は重要文化財に指定されている。他に御茶屋が重要文化財に指定されている。この御茶屋はニ部屋からなり、後水尾院から拝領したと伝える。書院造から数寄屋造へ移る遺構を残す建物で、茶趣味あふれる貴人好みの御茶屋の代表例として貴重である。
【問題】
おくどさんの荒神棚には、布袋さんを並べる風習があるが、この布袋さんは(?)にお参りしたときに買う。
【問題】
平安京の五条以南を氏子圏とし、現在は商売繁盛の神として親しまれている神社は?
【問題】
初午に伏見稲荷大社を参拝し、買い求める火難除けの伏見人形はどれ?
【問題】
2月の初午の日に、祭神が降臨したことにちなむ初午大祭が行われ、縁起物の「しるしの杉」が授与される神社はどこか。
おくどさんの荒神棚には、布袋さんを並べる風習があるが、この布袋さんは(?)にお参りしたときに買う。
【問題】
平安京の五条以南を氏子圏とし、現在は商売繁盛の神として親しまれている神社は?
【問題】
初午に伏見稲荷大社を参拝し、買い求める火難除けの伏見人形はどれ?
【問題】
2月の初午の日に、祭神が降臨したことにちなむ初午大祭が行われ、縁起物の「しるしの杉」が授与される神社はどこか。
感想
講演会を聞きに呉竹文化センターへ
まずまずの内容でした♫
講演会のあと雨が降っていましたが
せっかく来たので歩きます。
前回
2017年04月01日
鳥羽・竹田〜鳥羽伏見の戦い+を訪ねる
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1097010.html
の続きを・・・。
ブログは
http://blog.goo.ne.jp/corpus2247/e/6ab2c36fe3db02ac3d65d1d1b69e3639
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