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Yamareco

記録ID: 1360688
全員に公開
ハイキング
中国

岡山県備前市 茶臼山〜田井山〜富田松山 海が見える山城跡巡り

2018年01月14日(日) [日帰り]
 - 拍手
Machapuchare その他1人
体力度
2
日帰りが可能
GPS
04:38
距離
10.6km
登り
393m
下り
409m
歩くペース
ゆっくり
1.31.4
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
3:50
休憩
0:47
合計
4:37
距離 10.6km 登り 409m 下り 409m
8:39
1
茶臼山公園駐車場
8:40
8:50
19
茶臼山城跡
9:09
29
田井山頂上
9:38
13
伊部変電所
9:51
9:52
2
太閤門
9:54
10:03
15
妙圀寺
10:18
10:24
18
片上港
10:42
10:43
49
八幡宮
11:32
12
富田松山城犬走合流
11:44
11:57
6
富田松山頂上(本丸跡)
12:03
12:04
3
富田松山三角点(東出丸跡)
12:07
12:08
5
雨乞い跡地
12:13
15
下山道入口
12:28
12:30
22
牛神社
12:52
12:55
21
宇佐八幡宮
13:16
茶臼山公園駐車場
片上湾沿岸の城跡や史跡を巡るコース
歩行距離10.5km、歩行時間4時間、歩行数17,300歩、消費カロリー1,510Kcal
天候 晴れ
過去天気図(気象庁) 2018年01月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車 自家用車
 国道2号線と片上湾の間にある茶臼山公園の駐車場に自動車を停めました。十数台停めることができます。
 電車の場合はJR赤穂線「西片上(にしかたかみ)」駅で下車すれば、アプローチしやすいです。
コース状況/
危険箇所等
 茶臼山頂上<写真03>周辺は公園になっており自由に歩けます。茶臼山<写真03>から田井山頂上<写真07>を経て伊部変電所へ下山する道は、一部、土留めがなく崩れやすそうなところがあります。八幡宮本殿<写真26>から富田松山頂上<写真34>までは大半がシダのヤブコギです。富田松山頂上<写真34>から雨乞い跡地<写真41>を経て牛神社<写真43、44>までは整備された登山道ですが、一部、滑りやすいところや雨後は水が流れそうな溝状の道があります。これら以外はアスファルト道です。

 茶臼山<写真03>から田井山頂上<写真07>を経て伊部変電所へ下山する道は、一部、土留めがなく崩れやすそうなところがあります。
 生田玄利の墓<写真06>から少し上ると、青いビニールひもやピンク色のテープがある木の間の細道が田井山頂上<写真07>まで続きます。
 田井山頂上<写真07>からは道が少し広くなり、白、緑、紫などカラフルなビニールひもが大量に出てきます。標高100mと120m辺りの2か所に涸沢のような溝をまたぐところがあり、大雨後は水が流れそうです。夏場は足元にシダが茂って歩き難くなりそうなところもあります。途中からは鉄塔巡視路で土留めが多く、標高50m辺りのみ崩れやすいです。

 八幡宮本殿<写真26>から富田松山頂上<写真34>までは登山道ではありません。強烈なシダのヤブコギがあります。
 取り付きはかなり急で崩れてくるので、落ちていた木の枝を足元に突き刺してなんとか上りました。3mもすれば急ではあるものの木を掴んで歩けるようになり、標高85m辺りで南南西にトラバースする細道が現れました。
 しかし、途中から足元がシダで見えなくなってきました。頂上方向は背丈を超えるシダの壁でしたが、標高110m辺りでやっとまばらになり南東に進路を変えました。すぐにシダがかぶさってきましたが、かき分けるとなんとなく道の跡のように思えるところもありました。
 標高150m辺りからシダの勢いが弱まり少し歩きやすくなりました。標高180mで不意に道に出ました。富田松山城の犬走だったようで、そこから頂上まではきれいな道を歩きました。

 富田松山頂上<写真34>から雨乞い跡地<写真41>を経て牛神社<写真43、44>までは整備された登山道ですが、一部、滑りやすいところや雨後は水が流れそうな溝状の道があります。
 富田松山頂上<写真34>から雨乞い跡地<写真41>を過ぎるとシダの間の細道がしばらく続きます。標高170m辺りは滑りやすいザラついた土に石が埋まった道ですが、すぐに終わります。標高130m辺りで北上する下山道に入ると、石がゴロゴロした溝状の道が標高50m辺りまで続きます。水が流れそうなので雨天や雨後は避けた方がいいかもしれません。牛神社<写真43、44>を過ぎるとすぐアスファルト道に出ます。
その他周辺情報 片鉄ロマン街道
六十数年にわたって沿線の人々や柵原鉱山からの硫化鉄鉱を運び続けた片上鉄道は、平成3年6月に廃線となりましたが、平成15年11月に自転車道としてよみがえりました。旧備前片上駅を起点に柵原(やなはら)ふれあい公園まで33.8kmの歴史街道では、レトロなシーンがいくつも見られ、タイムスリップをしたような気分に浸ることができます。
http://www.town.wake.okayama.jp/famous/pdf/map.pdf
01茶臼山公園駐車場
桜の名所として春は賑わうそうですが、この日は我々が一番乗りでした。フェンスの取っ手を回して扉を開けて園内に入りました。
01茶臼山公園駐車場
桜の名所として春は賑わうそうですが、この日は我々が一番乗りでした。フェンスの取っ手を回して扉を開けて園内に入りました。
02茶臼山城跡847m⁉
茶臼山城跡の標柱の側面に「標高847m」と表記してありましたが、その10分の1の標高もないはず・・・たぶん標高75mぐらいです。
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02茶臼山城跡847m⁉
茶臼山城跡の標柱の側面に「標高847m」と表記してありましたが、その10分の1の標高もないはず・・・たぶん標高75mぐらいです。
03茶臼山城跡
室町末期、茶臼山の峠の坂(葛坂)で、伊部の城を攻めとった宇喜多氏の兵と富田(とだ)松山城の浦上氏とが戦ったそうです。茶臼山城は富田松山城<写真33>の出城ともいわれています。
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03茶臼山城跡
室町末期、茶臼山の峠の坂(葛坂)で、伊部の城を攻めとった宇喜多氏の兵と富田(とだ)松山城の浦上氏とが戦ったそうです。茶臼山城は富田松山城<写真33>の出城ともいわれています。
04茶臼山城跡より富田松山
茶臼山城跡から東方面を望むと、桜の枝越しに次の目的地である富田(とだ)松山<写真34>が見えました。
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04茶臼山城跡より富田松山
茶臼山城跡から東方面を望むと、桜の枝越しに次の目的地である富田(とだ)松山<写真34>が見えました。
05茶臼山城跡より笹尾山
茶臼山城跡から南方面を望むと、片上湾越しに笹尾山が見えました。
05茶臼山城跡より笹尾山
茶臼山城跡から南方面を望むと、片上湾越しに笹尾山が見えました。
06生田玄利の墓
茶臼山城碑より西側、公園のはずれに生田玄利の墓がありました。応仁の乱の頃の茶臼山城城主とされています。
06生田玄利の墓
茶臼山城碑より西側、公園のはずれに生田玄利の墓がありました。応仁の乱の頃の茶臼山城城主とされています。
07田井山頂上三角点
標高161.7mの頂上三角点です。山名は「田井山」ですが、三角点名は「茶臼山」です。
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07田井山頂上三角点
標高161.7mの頂上三角点です。山名は「田井山」ですが、三角点名は「茶臼山」です。
08田井山西尾根より
   龍王山&東大平山
田井山の南西の小ピーク辺りから鉄塔巡視路があります。鉄塔No12より南西方向を望むと、龍王山とその奥に東大平山が見えました。
08田井山西尾根より
   龍王山&東大平山
田井山の南西の小ピーク辺りから鉄塔巡視路があります。鉄塔No12より南西方向を望むと、龍王山とその奥に東大平山が見えました。
09田井山西登山口
    近くより医王山
田井山を標高70mまで下った地点から北西方面を望むと、熊山山系の医王山が見えました。手前には備前焼のメッカ伊部(いんべ)の町が広がっています。
09田井山西登山口
    近くより医王山
田井山を標高70mまで下った地点から北西方面を望むと、熊山山系の医王山が見えました。手前には備前焼のメッカ伊部(いんべ)の町が広がっています。
10太閤門
1582年、羽柴秀吉の備中高松城攻めの時、浦伊部の豪商来住法悦(きしゅほうえつ)が、秀吉を迎えるために屋敷に御殿と門を新造しましたが、本能寺の変のため、結局、秀吉は立ち寄らなかったようです。備前市指定史跡ですが、門の奥に民家があり、人が住んでいるようでした。
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10太閤門
1582年、羽柴秀吉の備中高松城攻めの時、浦伊部の豪商来住法悦(きしゅほうえつ)が、秀吉を迎えるために屋敷に御殿と門を新造しましたが、本能寺の変のため、結局、秀吉は立ち寄らなかったようです。備前市指定史跡ですが、門の奥に民家があり、人が住んでいるようでした。
11妙圀寺山門
妙圀寺は永長元年(1096年)の開基であり、当初は天台宗寺院だったものの、室町時代の初め頃に日蓮宗に転宗しました。
11妙圀寺山門
妙圀寺は永長元年(1096年)の開基であり、当初は天台宗寺院だったものの、室町時代の初め頃に日蓮宗に転宗しました。
12妙圀寺鐘楼越しに笹尾山
妙圀寺鐘楼越しに笹尾山が見えました。展望も効くお寺です。
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12妙圀寺鐘楼越しに笹尾山
妙圀寺鐘楼越しに笹尾山が見えました。展望も効くお寺です。
13妙圀寺本堂&三十番神堂
戦国時代には諸堂のほとんどが消失し、本堂は260年前に新設復興し、備前藩主池田光政から寺領を与えられました。
13妙圀寺本堂&三十番神堂
戦国時代には諸堂のほとんどが消失し、本堂は260年前に新設復興し、備前藩主池田光政から寺領を与えられました。
14妙圀寺拝殿&本殿?
手前が本堂のようです。神社の拝殿(手前)と本殿(奥)の関係にも見えますが・・・本堂の脇の小さな収蔵庫に国指定重要文化財の木造釈迦如来坐像があります。
14妙圀寺拝殿&本殿?
手前が本堂のようです。神社の拝殿(手前)と本殿(奥)の関係にも見えますが・・・本堂の脇の小さな収蔵庫に国指定重要文化財の木造釈迦如来坐像があります。
15妙圀寺境内より富田松山
妙圀寺境内より山門(東)方面を望むと、これから訪問する富田(とだ)松山<写真34>が見えました。
15妙圀寺境内より富田松山
妙圀寺境内より山門(東)方面を望むと、これから訪問する富田(とだ)松山<写真34>が見えました。
16片上湾越しに笹尾山
片上湾は昔から港町として栄えました。古代から内海航路の要港として美作(みまさか)国の貢納稲をこの港まで運搬して船送りしていた時代もあります。片上湾越しに南方面に笹尾山が見えました。動画も撮りました。
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16片上湾越しに笹尾山
片上湾は昔から港町として栄えました。古代から内海航路の要港として美作(みまさか)国の貢納稲をこの港まで運搬して船送りしていた時代もあります。片上湾越しに南方面に笹尾山が見えました。動画も撮りました。
17片上湾越しに
     田井山&茶臼山
片上湾越しに西方面に先に登ってきた田井山(左)<写真07>と茶臼山<写真03>が見えました。
17片上湾越しに
     田井山&茶臼山
片上湾越しに西方面に先に登ってきた田井山(左)<写真07>と茶臼山<写真03>が見えました。
18耐火レンガ&富田松山
人気テレビ番組「鉄腕DASH」で一躍有名になった備前の耐火レンガが片上湾沿岸に積まれていました。一部は「返却」と書かれていたり割れていたりします。その背後にお椀のような富田(とだ)松山<写真34>が見えました。なかなか見ごたえのあるコラボです。
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18耐火レンガ&富田松山
人気テレビ番組「鉄腕DASH」で一躍有名になった備前の耐火レンガが片上湾沿岸に積まれていました。一部は「返却」と書かれていたり割れていたりします。その背後にお椀のような富田(とだ)松山<写真34>が見えました。なかなか見ごたえのあるコラボです。
19オオバン
片上湾でオオバンが2羽遊泳していました。全身真っ黒ですが、クチバシと額は白いのが特徴的です。カモの仲間に見えますが、クイナ科です。潜水が得意でエサ取りが上手なので、カモからよくエサを奪われます。動画も撮りました。
19オオバン
片上湾でオオバンが2羽遊泳していました。全身真っ黒ですが、クチバシと額は白いのが特徴的です。カモの仲間に見えますが、クイナ科です。潜水が得意でエサ取りが上手なので、カモからよくエサを奪われます。動画も撮りました。
20片上湾越しに富田松山
漁師町なので、漁船がたくさん停泊しています。漁船越しに見る富田松山<写真34>は風情がありました。
20片上湾越しに富田松山
漁師町なので、漁船がたくさん停泊しています。漁船越しに見る富田松山<写真34>は風情がありました。
21イソヒヨドリ♂
メスはこげ茶色ですが、オスは青い背中と赤いお腹がカラフルです。こちらが気になるようで、少し飛んでは止まって振り返って見ていました。
21イソヒヨドリ♂
メスはこげ茶色ですが、オスは青い背中と赤いお腹がカラフルです。こちらが気になるようで、少し飛んでは止まって振り返って見ていました。
22富田松山麓集落
富田松山<写真34>の西の麓の家屋の一部が海にせり出していました。まるで水上家屋のようで、片上湾の風景にマッチし、風情がありました。
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22富田松山麓集落
富田松山<写真34>の西の麓の家屋の一部が海にせり出していました。まるで水上家屋のようで、片上湾の風景にマッチし、風情がありました。
23カルガモ&マガモ♂
富田松山の北側を巻くように流れている大渕川でカルガモが遊泳していました。一羽だけマガモのオスも混じっていました。
23カルガモ&マガモ♂
富田松山の北側を巻くように流れている大渕川でカルガモが遊泳していました。一羽だけマガモのオスも混じっていました。
24カルガモ飛翔
カルガモは我々が近づくのを感じると、次々と飛び立っていきました。しかし、程なく元の場所に近い所に戻ってきました。動画も撮りました。
24カルガモ飛翔
カルガモは我々が近づくのを感じると、次々と飛び立っていきました。しかし、程なく元の場所に近い所に戻ってきました。動画も撮りました。
25八幡宮鳥居
富田松山<写真34>の北西麓にある神社の鳥居です。足利尊氏が豊前の宇佐八幡宮を勧請しようと考え、京都へ戻る途中、とりあえず潟神村(現備前市片上)の富田(とだ)松山<写真34>の麓にお祀りすることにしたそうです。その後、何度か変遷し宇佐八幡宮は現在地<写真48、49>に鎮座しています。場所からすると、これは最初にお祀りしたものかもしれません。
25八幡宮鳥居
富田松山<写真34>の北西麓にある神社の鳥居です。足利尊氏が豊前の宇佐八幡宮を勧請しようと考え、京都へ戻る途中、とりあえず潟神村(現備前市片上)の富田(とだ)松山<写真34>の麓にお祀りすることにしたそうです。その後、何度か変遷し宇佐八幡宮は現在地<写真48、49>に鎮座しています。場所からすると、これは最初にお祀りしたものかもしれません。
26八幡宮本殿
急な石段を上っていくと、本殿がありました。小さいながら、立派な彫刻が施されています。昔はここから富田松山<写真34>に登ったのであろうと勝手に想像を膨らませ、そのまま登ることにしました。
26八幡宮本殿
急な石段を上っていくと、本殿がありました。小さいながら、立派な彫刻が施されています。昔はここから富田松山<写真34>に登ったのであろうと勝手に想像を膨らませ、そのまま登ることにしました。
27富田松山西尾根より
 茶臼山&田井山&熊山山系
富田松山の北西から西尾根をヤブコギしながら標高140m付近まで登ってきた際に、振り返ると急に景観が広がりました。左手前には出発点とした茶臼山<写真03>、その左奥に田井山<写真07>、そして中央奥の方に熊山山系が見えました。
27富田松山西尾根より
 茶臼山&田井山&熊山山系
富田松山の北西から西尾根をヤブコギしながら標高140m付近まで登ってきた際に、振り返ると急に景観が広がりました。左手前には出発点とした茶臼山<写真03>、その左奥に田井山<写真07>、そして中央奥の方に熊山山系が見えました。
28富田松山西尾根より
        茶臼山公園
茶臼山をズームすると、茶臼山公園がはっきりと見えました。
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28富田松山西尾根より
        茶臼山公園
茶臼山をズームすると、茶臼山公園がはっきりと見えました。
29富田松山城井戸
ヤブコギが終わりほっとしながら富田松山城の犬走を歩いていると、石積みの上に井戸の道標があり、少し進んだ先にくぼみがありました。すっかり埋まってしまったのか、深さは10cmもありませんでした。
29富田松山城井戸
ヤブコギが終わりほっとしながら富田松山城の犬走を歩いていると、石積みの上に井戸の道標があり、少し進んだ先にくぼみがありました。すっかり埋まってしまったのか、深さは10cmもありませんでした。
30富田松山南尾根より
 生崎から臍尾鼻&大平山
大手曲輪と本丸跡入口裏門との分岐です。南東に片上湾に突き出した半島などが見えました。
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30富田松山南尾根より
 生崎から臍尾鼻&大平山
大手曲輪と本丸跡入口裏門との分岐です。南東に片上湾に突き出した半島などが見えました。
31富田松山南尾根より
        片上大橋
さらに遠くに片上大橋が見えました。この少し西から歩きながら動画を撮りました。
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31富田松山南尾根より
        片上大橋
さらに遠くに片上大橋が見えました。この少し西から歩きながら動画を撮りました。
32富田松山城三の丸跡
富田松山城本丸跡<写真33>に向かって北上すると、開けた場所に出ました。三の丸跡にはトイレもあります。
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32富田松山城三の丸跡
富田松山城本丸跡<写真33>に向かって北上すると、開けた場所に出ました。三の丸跡にはトイレもあります。
33富田松山城本丸跡
富田松山城本丸跡は円形の広場でベンチがたくさんあります。メジロがよく鳴いていました。
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33富田松山城本丸跡
富田松山城本丸跡は円形の広場でベンチがたくさんあります。メジロがよく鳴いていました。
34富田松山頂上
頂上には富田松山城本丸がありました。天文2年(1533年)頃に浦上国秀により改築されましたが、天正5年(1577年)、浦上景行が城主のとき、宇喜多直家の手に落ちました。
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34富田松山頂上
頂上には富田松山城本丸がありました。天文2年(1533年)頃に浦上国秀により改築されましたが、天正5年(1577年)、浦上景行が城主のとき、宇喜多直家の手に落ちました。
35富田松山城大手筋&土塁跡
本丸跡を囲むように土塁がよく残っており、ピザの耳のように見えます。上を歩きながら動画を撮りました。
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35富田松山城大手筋&土塁跡
本丸跡を囲むように土塁がよく残っており、ピザの耳のように見えます。上を歩きながら動画を撮りました。
36富田松山城搦手筋
富田松山城の南東端辺りです。歩きやすい細道が続いています。
36富田松山城搦手筋
富田松山城の南東端辺りです。歩きやすい細道が続いています。
37富田松山城堀切
北に向かって東尾根を遮断するように堀切がありました。
37富田松山城堀切
北に向かって東尾根を遮断するように堀切がありました。
38富田松山城
   東出丸跡&三角点
標高196.1mの三角点(点名:沖浦)があります。東出丸跡にも土塁があったといわれていますが、はっきり残っていません。
38富田松山城
   東出丸跡&三角点
標高196.1mの三角点(点名:沖浦)があります。東出丸跡にも土塁があったといわれていますが、はっきり残っていません。
39富田松山城東出丸跡より
    生崎から片上大橋
東出丸跡も展望が効き、南東方面に片上湾が見えました。
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39富田松山城東出丸跡より
    生崎から片上大橋
東出丸跡も展望が効き、南東方面に片上湾が見えました。
40富田松山城東出丸跡より
   雨乞い跡地から前山
東前方にはこれから向かう雨乞い跡地のベンチや、その奥に好展望の岩場がある前山が見えました。
40富田松山城東出丸跡より
   雨乞い跡地から前山
東前方にはこれから向かう雨乞い跡地のベンチや、その奥に好展望の岩場がある前山が見えました。
41雨乞い跡地
側の岩盤には小さな祠があり、ここで雨乞いの儀式が行われたのでしょう。
41雨乞い跡地
側の岩盤には小さな祠があり、ここで雨乞いの儀式が行われたのでしょう。
42雨乞い跡地より
 笹尾山&富田松山城本丸跡
西方面を振り返ると左に笹尾山、右に富田松山城本丸跡<写真33>が見えました。
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42雨乞い跡地より
 笹尾山&富田松山城本丸跡
西方面を振り返ると左に笹尾山、右に富田松山城本丸跡<写真33>が見えました。
43牛神社本殿&狛犬
石がゴロゴロした下山道を標高30mまで下ってくると、小さな鳥居があり、その奥に牛神社の本殿と備前焼の狛犬がありました。
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43牛神社本殿&狛犬
石がゴロゴロした下山道を標高30mまで下ってくると、小さな鳥居があり、その奥に牛神社の本殿と備前焼の狛犬がありました。
44牛神社備前焼牛神様
五穀豊穣の神様として牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りしているのでしょう。多数の備前焼の牛の置物がありました。備前市吉永町の田倉牛神社 (たくらうしがみしゃ) にお供えするのと同じものかもしれません。
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44牛神社備前焼牛神様
五穀豊穣の神様として牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りしているのでしょう。多数の備前焼の牛の置物がありました。備前市吉永町の田倉牛神社 (たくらうしがみしゃ) にお供えするのと同じものかもしれません。
45浦上家墓所
富田松山城<写真33>の城主だった浦上家の墓所です。手前の五輪塔の台座には、「片上浦上甚左衛門次男 服部信慶」と彫られていました。
45浦上家墓所
富田松山城<写真33>の城主だった浦上家の墓所です。手前の五輪塔の台座には、「片上浦上甚左衛門次男 服部信慶」と彫られていました。
46備前市役所前オブジェ
       「仲間たち」
備前市役所前には、備前焼でできたオブジェ「仲間たち」がありました。さすが備前焼の街です。
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46備前市役所前オブジェ
       「仲間たち」
備前市役所前には、備前焼でできたオブジェ「仲間たち」がありました。さすが備前焼の街です。
47旧山陽道片上宿
旧山陽道を歩いていると、宇佐八幡宮前に片上宿の標識がありました。宿場町、また港町として栄えていた片上には、脇本陣の跡地や道標などたくさんのみどころがあります。鳥居前ではどんど焼きが行われており、そのためか、備前市の重要文化財である巨大な備前焼の狛犬が見当たりませんでした。一時的に安全な場所に移されたのかもしれません。
47旧山陽道片上宿
旧山陽道を歩いていると、宇佐八幡宮前に片上宿の標識がありました。宿場町、また港町として栄えていた片上には、脇本陣の跡地や道標などたくさんのみどころがあります。鳥居前ではどんど焼きが行われており、そのためか、備前市の重要文化財である巨大な備前焼の狛犬が見当たりませんでした。一時的に安全な場所に移されたのかもしれません。
48宇佐八幡宮拝殿&本殿
延元元年(1336年)の創建です。足利尊氏が豊前の宇佐八幡宮を勧請しようと考え、京都へ戻る途中、とりあえず潟神村(現備前市片上)の富田(とだ)松山<写真34>の麓にお祀りすることにしたそうです。正保3年(1646年)にここに遷座されました。
48宇佐八幡宮拝殿&本殿
延元元年(1336年)の創建です。足利尊氏が豊前の宇佐八幡宮を勧請しようと考え、京都へ戻る途中、とりあえず潟神村(現備前市片上)の富田(とだ)松山<写真34>の麓にお祀りすることにしたそうです。正保3年(1646年)にここに遷座されました。
49宇佐八幡宮備前焼の狛犬
この狛犬は重要文化財ではありませんが、やはり備前焼でできており、「藤原〇吉」の銘がありました。
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49宇佐八幡宮備前焼の狛犬
この狛犬は重要文化財ではありませんが、やはり備前焼でできており、「藤原〇吉」の銘がありました。

装備

個人装備
長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 防寒具 手袋(防水加工) 軍手 雨具 日よけ帽子とフード 雨用帽子 登山靴(防水加工) 靴ひも予備 サブザック ザックカバー 地形図 コンパス マップケース 筆記用具 携帯 時計(防水) タオル カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(山使用可能) eTrex30(GPSナビゲーター)

感想

 今回は備前市の東片上(ひがしかたかみ)エリアを訪問しました。茶臼山や富田(とだ)松山をはじめ、半径10km以内に山城跡が20余りあります。また、江戸時代は山陽道の宿場町として、陸・海の交通の要衝の地として栄えた町であったようです。そのため、たくさんの史跡があり、歴史マニア垂涎の地です。今回はそれらの一部しか訪問できませんでした。再度この地を訪れる際は、まだ訪れていない史跡をゆっくりと見てまわりたいものです。

 山城跡はその立地条件から展望が期待できます。今回は写真や動画でも紹介していますように、360度パノラマ展望を楽しむことができました。
 その一方でアプローチを間違えると、低山とはいえ、過酷な登りを強いられます。今回は事前情報には全くなかった八幡宮<写真25、26>から富田松山へのアプローチを試みました。しばらくは、傾斜はあるもののそれほどハードはヤブコギではなく、正規の登山道よりショートカットができたものと思っていました。ところが、途中からシダヤブがたくさん出てきたので、踏み跡らしき所をトラバースしながら、西尾根からのアプローチを試みました。地形図で想像はしていましたが、西斜面は山城特有の傾斜が厳しい斜面のため、手足をフルに使ってやっとのことで登頂できました。この山を北、西、南からアプローチすることは非常に困難であることを学習しました。さすが山城のあった山です。しかし、途中で絶景が見えたり、これはこれでアドベンチャーで刺激的な山行ができ楽しかったです。富田松山は2回目でしたが、前回とは違った楽しさがあり、また別のルートで行ってみたいと思いました。
 



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