岡山県備前市 茶臼山〜田井山〜富田松山 海が見える山城跡巡り



- GPS
- 04:38
- 距離
- 10.6km
- 登り
- 393m
- 下り
- 409m
コースタイム
- 山行
- 3:50
- 休憩
- 0:47
- 合計
- 4:37
歩行距離10.5km、歩行時間4時間、歩行数17,300歩、消費カロリー1,510Kcal
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2018年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
電車の場合はJR赤穂線「西片上(にしかたかみ)」駅で下車すれば、アプローチしやすいです。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
茶臼山頂上<写真03>周辺は公園になっており自由に歩けます。茶臼山<写真03>から田井山頂上<写真07>を経て伊部変電所へ下山する道は、一部、土留めがなく崩れやすそうなところがあります。八幡宮本殿<写真26>から富田松山頂上<写真34>までは大半がシダのヤブコギです。富田松山頂上<写真34>から雨乞い跡地<写真41>を経て牛神社<写真43、44>までは整備された登山道ですが、一部、滑りやすいところや雨後は水が流れそうな溝状の道があります。これら以外はアスファルト道です。 茶臼山<写真03>から田井山頂上<写真07>を経て伊部変電所へ下山する道は、一部、土留めがなく崩れやすそうなところがあります。 生田玄利の墓<写真06>から少し上ると、青いビニールひもやピンク色のテープがある木の間の細道が田井山頂上<写真07>まで続きます。 田井山頂上<写真07>からは道が少し広くなり、白、緑、紫などカラフルなビニールひもが大量に出てきます。標高100mと120m辺りの2か所に涸沢のような溝をまたぐところがあり、大雨後は水が流れそうです。夏場は足元にシダが茂って歩き難くなりそうなところもあります。途中からは鉄塔巡視路で土留めが多く、標高50m辺りのみ崩れやすいです。 八幡宮本殿<写真26>から富田松山頂上<写真34>までは登山道ではありません。強烈なシダのヤブコギがあります。 取り付きはかなり急で崩れてくるので、落ちていた木の枝を足元に突き刺してなんとか上りました。3mもすれば急ではあるものの木を掴んで歩けるようになり、標高85m辺りで南南西にトラバースする細道が現れました。 しかし、途中から足元がシダで見えなくなってきました。頂上方向は背丈を超えるシダの壁でしたが、標高110m辺りでやっとまばらになり南東に進路を変えました。すぐにシダがかぶさってきましたが、かき分けるとなんとなく道の跡のように思えるところもありました。 標高150m辺りからシダの勢いが弱まり少し歩きやすくなりました。標高180mで不意に道に出ました。富田松山城の犬走だったようで、そこから頂上まではきれいな道を歩きました。 富田松山頂上<写真34>から雨乞い跡地<写真41>を経て牛神社<写真43、44>までは整備された登山道ですが、一部、滑りやすいところや雨後は水が流れそうな溝状の道があります。 富田松山頂上<写真34>から雨乞い跡地<写真41>を過ぎるとシダの間の細道がしばらく続きます。標高170m辺りは滑りやすいザラついた土に石が埋まった道ですが、すぐに終わります。標高130m辺りで北上する下山道に入ると、石がゴロゴロした溝状の道が標高50m辺りまで続きます。水が流れそうなので雨天や雨後は避けた方がいいかもしれません。牛神社<写真43、44>を過ぎるとすぐアスファルト道に出ます。 |
その他周辺情報 | 片鉄ロマン街道 六十数年にわたって沿線の人々や柵原鉱山からの硫化鉄鉱を運び続けた片上鉄道は、平成3年6月に廃線となりましたが、平成15年11月に自転車道としてよみがえりました。旧備前片上駅を起点に柵原(やなはら)ふれあい公園まで33.8kmの歴史街道では、レトロなシーンがいくつも見られ、タイムスリップをしたような気分に浸ることができます。 http://www.town.wake.okayama.jp/famous/pdf/map.pdf |
写真
1582年、羽柴秀吉の備中高松城攻めの時、浦伊部の豪商来住法悦(きしゅほうえつ)が、秀吉を迎えるために屋敷に御殿と門を新造しましたが、本能寺の変のため、結局、秀吉は立ち寄らなかったようです。備前市指定史跡ですが、門の奥に民家があり、人が住んでいるようでした。
片上湾は昔から港町として栄えました。古代から内海航路の要港として美作(みまさか)国の貢納稲をこの港まで運搬して船送りしていた時代もあります。片上湾越しに南方面に笹尾山が見えました。動画も撮りました。
人気テレビ番組「鉄腕DASH」で一躍有名になった備前の耐火レンガが片上湾沿岸に積まれていました。一部は「返却」と書かれていたり割れていたりします。その背後にお椀のような富田(とだ)松山<写真34>が見えました。なかなか見ごたえのあるコラボです。
片上湾でオオバンが2羽遊泳していました。全身真っ黒ですが、クチバシと額は白いのが特徴的です。カモの仲間に見えますが、クイナ科です。潜水が得意でエサ取りが上手なので、カモからよくエサを奪われます。動画も撮りました。
富田松山<写真34>の北西麓にある神社の鳥居です。足利尊氏が豊前の宇佐八幡宮を勧請しようと考え、京都へ戻る途中、とりあえず潟神村(現備前市片上)の富田(とだ)松山<写真34>の麓にお祀りすることにしたそうです。その後、何度か変遷し宇佐八幡宮は現在地<写真48、49>に鎮座しています。場所からすると、これは最初にお祀りしたものかもしれません。
急な石段を上っていくと、本殿がありました。小さいながら、立派な彫刻が施されています。昔はここから富田松山<写真34>に登ったのであろうと勝手に想像を膨らませ、そのまま登ることにしました。
茶臼山&田井山&熊山山系
富田松山の北西から西尾根をヤブコギしながら標高140m付近まで登ってきた際に、振り返ると急に景観が広がりました。左手前には出発点とした茶臼山<写真03>、その左奥に田井山<写真07>、そして中央奥の方に熊山山系が見えました。
ヤブコギが終わりほっとしながら富田松山城の犬走を歩いていると、石積みの上に井戸の道標があり、少し進んだ先にくぼみがありました。すっかり埋まってしまったのか、深さは10cmもありませんでした。
五穀豊穣の神様として牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りしているのでしょう。多数の備前焼の牛の置物がありました。備前市吉永町の田倉牛神社 (たくらうしがみしゃ) にお供えするのと同じものかもしれません。
旧山陽道を歩いていると、宇佐八幡宮前に片上宿の標識がありました。宿場町、また港町として栄えていた片上には、脇本陣の跡地や道標などたくさんのみどころがあります。鳥居前ではどんど焼きが行われており、そのためか、備前市の重要文化財である巨大な備前焼の狛犬が見当たりませんでした。一時的に安全な場所に移されたのかもしれません。
延元元年(1336年)の創建です。足利尊氏が豊前の宇佐八幡宮を勧請しようと考え、京都へ戻る途中、とりあえず潟神村(現備前市片上)の富田(とだ)松山<写真34>の麓にお祀りすることにしたそうです。正保3年(1646年)にここに遷座されました。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex30(GPSナビゲーター)
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感想
今回は備前市の東片上(ひがしかたかみ)エリアを訪問しました。茶臼山や富田(とだ)松山をはじめ、半径10km以内に山城跡が20余りあります。また、江戸時代は山陽道の宿場町として、陸・海の交通の要衝の地として栄えた町であったようです。そのため、たくさんの史跡があり、歴史マニア垂涎の地です。今回はそれらの一部しか訪問できませんでした。再度この地を訪れる際は、まだ訪れていない史跡をゆっくりと見てまわりたいものです。
山城跡はその立地条件から展望が期待できます。今回は写真や動画でも紹介していますように、360度パノラマ展望を楽しむことができました。
その一方でアプローチを間違えると、低山とはいえ、過酷な登りを強いられます。今回は事前情報には全くなかった八幡宮<写真25、26>から富田松山へのアプローチを試みました。しばらくは、傾斜はあるもののそれほどハードはヤブコギではなく、正規の登山道よりショートカットができたものと思っていました。ところが、途中からシダヤブがたくさん出てきたので、踏み跡らしき所をトラバースしながら、西尾根からのアプローチを試みました。地形図で想像はしていましたが、西斜面は山城特有の傾斜が厳しい斜面のため、手足をフルに使ってやっとのことで登頂できました。この山を北、西、南からアプローチすることは非常に困難であることを学習しました。さすが山城のあった山です。しかし、途中で絶景が見えたり、これはこれでアドベンチャーで刺激的な山行ができ楽しかったです。富田松山は2回目でしたが、前回とは違った楽しさがあり、また別のルートで行ってみたいと思いました。
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