<7/13>
空港からバスに乗って10:10に紀伊田辺駅に着いた!バスを降りるとすぐに依頼していたボランティアの語り部さんがお出迎え!びっくり!&感激!ありがとうございます。すぐに歩き始めます。すでに暑い!
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7/13 10:12
<7/13>
空港からバスに乗って10:10に紀伊田辺駅に着いた!バスを降りるとすぐに依頼していたボランティアの語り部さんがお出迎え!びっくり!&感激!ありがとうございます。すぐに歩き始めます。すでに暑い!
田辺駅でこりゃナンだ?と思って撮った田辺花火大会の二尺玉。よく見たら貯金箱だった!笑
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7/13 10:15
田辺駅でこりゃナンだ?と思って撮った田辺花火大会の二尺玉。よく見たら貯金箱だった!笑
この交差点まで案内を戴きました。有難うございました。この標柱。紀三井寺、熊野と記されています。
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7/13 10:34
この交差点まで案内を戴きました。有難うございました。この標柱。紀三井寺、熊野と記されています。
須佐神社の前にある池。さりげない池だが須佐神社と関連があるのだろうか。地形図に名称の記載がない。ちなみに須佐神社は南方熊楠の「南方曼荼羅景勝の地」のひとつとなっている。
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7/13 10:49
須佐神社の前にある池。さりげない池だが須佐神社と関連があるのだろうか。地形図に名称の記載がない。ちなみに須佐神社は南方熊楠の「南方曼荼羅景勝の地」のひとつとなっている。
須佐神社の神事である獅子舞があるらしい。名付けて「万呂の獅子舞」という。こういうものは残っていったらいいと思う。
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7/13 10:50
須佐神社の神事である獅子舞があるらしい。名付けて「万呂の獅子舞」という。こういうものは残っていったらいいと思う。
須佐神社にもしっかりお詣りします。
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7/13 10:50
須佐神社にもしっかりお詣りします。
川の土手を歩きます。クルマが来ないのはいいけれおd、いやー、今日は暑い!暑い!
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7/13 10:59
川の土手を歩きます。クルマが来ないのはいいけれおd、いやー、今日は暑い!暑い!
ここで左折して橋をわたり、右岸ぞいを歩きます。
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7/13 11:12
ここで左折して橋をわたり、右岸ぞいを歩きます。
このあたりに万呂王子があったとのことだ。須佐神社に合祀されてなくなってしまったんだろうなー。
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7/13 11:15
このあたりに万呂王子があったとのことだ。須佐神社に合祀されてなくなってしまったんだろうなー。
せっかくだからと三栖廃寺塔跡に立ち寄りここで昼ごはんを食べました。だんだんと暑くなってきた。
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7/13 11:26
せっかくだからと三栖廃寺塔跡に立ち寄りここで昼ごはんを食べました。だんだんと暑くなってきた。
廃寺のそものは文字通り廃寺であり建物はなく基壇ともいうべきものが残されている。そばに建つ堂宇のところで一休みしました。
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7/13 11:27
廃寺のそものは文字通り廃寺であり建物はなく基壇ともいうべきものが残されている。そばに建つ堂宇のところで一休みしました。
南高梅の木だそうです。あたりにはたくさん植えられていますね。
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7/13 11:43
南高梅の木だそうです。あたりにはたくさん植えられていますね。
この「塩」。なつかしいですね。
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7/13 12:05
この「塩」。なつかしいですね。
こちらは色も褪せてしまった〒ポスト。
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7/13 12:14
こちらは色も褪せてしまった〒ポスト。
さすが南紀。梅の名所。梅を加工する工場が目につきます。
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7/13 12:27
さすが南紀。梅の名所。梅を加工する工場が目につきます。
これは千手観音でしょうか。
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7/13 12:42
これは千手観音でしょうか。
長尾口から語り部さんと一緒に歩き始めます!暑い中、ありがとうございます。風はそよとも吹かない。林の中は多少がいいが…。
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7/13 12:45
長尾口から語り部さんと一緒に歩き始めます!暑い中、ありがとうございます。風はそよとも吹かない。林の中は多少がいいが…。
一里塚跡。
本来の熊野古道・中辺路は川沿いの道でしたが、その後、距離の短い潮見峠越えのこの道がメインとなっていきました。
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7/13 12:55
一里塚跡。
本来の熊野古道・中辺路は川沿いの道でしたが、その後、距離の短い潮見峠越えのこの道がメインとなっていきました。
さすがに疲れて路傍で休んでいたら、おばあさんが現れ「これ飲みな」。キンキンに冷えていて甘くて力を回復することができましたこのあたり、「ご接待」の文化が溢れているんだなー。
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7/13 13:30
さすがに疲れて路傍で休んでいたら、おばあさんが現れ「これ飲みな」。キンキンに冷えていて甘くて力を回復することができましたこのあたり、「ご接待」の文化が溢れているんだなー。
「生き返った〜!」ということで写真!「写真なんていいからさー」とお婆ちゃん。那須与一に因んだ場所ということで語り部さんが「那須さんですか?」と聞いたら「え?あんたらナンでわしの苗字知ってるの?!」と大爆笑。
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7/13 13:31
「生き返った〜!」ということで写真!「写真なんていいからさー」とお婆ちゃん。那須与一に因んだ場所ということで語り部さんが「那須さんですか?」と聞いたら「え?あんたらナンでわしの苗字知ってるの?!」と大爆笑。
暑くて歩きたくないけれど先が長いと腰を上げました。お婆ちゃん、ありがとう!
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7/13 13:36
暑くて歩きたくないけれど先が長いと腰を上げました。お婆ちゃん、ありがとう!
関所跡。関所があって、熊野詣の庶民から何等かの金銭を取っていたのでしょうか。
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7/13 13:41
関所跡。関所があって、熊野詣の庶民から何等かの金銭を取っていたのでしょうか。
熊野古道…。熊とは隈。すなわち隅(すみ)。辺境の地という意味だそうです。だからこそそこに畏れが生まれ佛に帰依するものが修行で踏み入れたということらしい。
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7/13 13:57
熊野古道…。熊とは隈。すなわち隅(すみ)。辺境の地という意味だそうです。だからこそそこに畏れが生まれ佛に帰依するものが修行で踏み入れたということらしい。
7/13 13:55 捩木峠に行く途中で休憩。いやはや暑い!
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7/13 13:57
7/13 13:55 捩木峠に行く途中で休憩。いやはや暑い!
南紀の海が遠く望むことができました。いいところだなー。
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7/13 14:01
南紀の海が遠く望むことができました。いいところだなー。
きれいな花が咲いていました。ナニの花だろう?
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7/13 14:02
きれいな花が咲いていました。ナニの花だろう?
語り部さん2人と急な坂道を登ります。はーはー、暑いよ。
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7/13 14:10
語り部さん2人と急な坂道を登ります。はーはー、暑いよ。
いい感じの林間の道になって少し平坦になってきました。
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7/13 14:13
いい感じの林間の道になって少し平坦になってきました。
お滝さんだそうです。熊野古道はこのような親切な説明板が多い。さすが世界遺産といったところか。
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7/13 14:15
お滝さんだそうです。熊野古道はこのような親切な説明板が多い。さすが世界遺産といったところか。
7/13 14:20 語り部さんと林の中を歩く
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7/13 14:20
7/13 14:20 語り部さんと林の中を歩く
いかにも熊野の山の奥といった風情のお休みどころ。
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7/13 14:34
いかにも熊野の山の奥といった風情のお休みどころ。
潮見峠への道を登っていきます。結構荒れていて、これが名だたる熊野古道なの?という感じもいたしました。
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7/13 15:09
潮見峠への道を登っていきます。結構荒れていて、これが名だたる熊野古道なの?という感じもいたしました。
潮見峠。
ここからは下りだ〜! 昔はこのあたり鬱蒼とした木が生えていたらしいのですが地主の配慮で伐採。むかしが戻ったらしい。
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7/13 15:20
潮見峠。
ここからは下りだ〜! 昔はこのあたり鬱蒼とした木が生えていたらしいのですが地主の配慮で伐採。むかしが戻ったらしい。
ここには昭和初期までその名も「汐見屋」という木賃宿が経営していたらしい。富田川沿いの道からこの道に中辺路が変遷したのは古く南北朝時代だという。
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7/13 15:21
ここには昭和初期までその名も「汐見屋」という木賃宿が経営していたらしい。富田川沿いの道からこの道に中辺路が変遷したのは古く南北朝時代だという。
潮見峠からみた明日歩く道。熊野は山深い。目立つ山はないけれど、どこまでも山並みが続く。
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7/13 15:31
潮見峠からみた明日歩く道。熊野は山深い。目立つ山はないけれど、どこまでも山並みが続く。
ノリウツギが咲いていますよと語り部さん。キレイですね〜。とにかく急いで下ります。バスに間に合わなかったら1時間半も待つんだそう。そりゃイヤだな〜。
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7/13 15:42
ノリウツギが咲いていますよと語り部さん。キレイですね〜。とにかく急いで下ります。バスに間に合わなかったら1時間半も待つんだそう。そりゃイヤだな〜。
清姫のぞき橋。清姫が覗いた橋なんだそう。
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7/13 16:15
清姫のぞき橋。清姫が覗いた橋なんだそう。
ふぅ。鍛冶屋川口に16:15につきました。潮見峠からは高速で下ってきました。「これを逃すと1時間半はバスがないので・・・・」と語り部さん。間に合って良かった!
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7/13 16:21
ふぅ。鍛冶屋川口に16:15につきました。潮見峠からは高速で下ってきました。「これを逃すと1時間半はバスがないので・・・・」と語り部さん。間に合って良かった!
BSには水準点がありました。関係ないけど。
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7/13 16:25
BSには水準点がありました。関係ないけど。
草に埋もれていました。
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7/13 16:25
草に埋もれていました。
バスで鍛冶屋川口→紀伊田辺駅に戻ったあと、語り部さんの案内で”道分け石”に案内してもらいました。紀伊田辺の街は、中辺路のスタート地点。写真右から紀伊路をきて左、中辺路が始まる!
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7/13 17:34
バスで鍛冶屋川口→紀伊田辺駅に戻ったあと、語り部さんの案内で”道分け石”に案内してもらいました。紀伊田辺の街は、中辺路のスタート地点。写真右から紀伊路をきて左、中辺路が始まる!
「左 くまの道」の下に、すぐは大へち」とあって、直進すると大辺路であることを示しています。田辺市内にはいくつかこの道分石があって、古道ルートの時代の変遷を示しているんだそう。
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7/13 17:35
「左 くまの道」の下に、すぐは大へち」とあって、直進すると大辺路であることを示しています。田辺市内にはいくつかこの道分石があって、古道ルートの時代の変遷を示しているんだそう。
細い路地の門にはこんな表札も。
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7/13 17:40
細い路地の門にはこんな表札も。
田辺駅前の200軒ほど食べ物屋さんが軒を並べる味光路(あじこうじ)。細い路地がそそります。
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7/13 17:42
田辺駅前の200軒ほど食べ物屋さんが軒を並べる味光路(あじこうじ)。細い路地がそそります。
その界隈にあるGUEST HOUSE CUEさん。古民家を改造した宿屋さん。大工さんや左官屋さんなど5人が古民家を改造して、宿屋さんと呑み屋さんをやっているんだそう。
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7/13 18:48
その界隈にあるGUEST HOUSE CUEさん。古民家を改造した宿屋さん。大工さんや左官屋さんなど5人が古民家を改造して、宿屋さんと呑み屋さんをやっているんだそう。
<7/14>第2日目! 今日は田辺駅前の一番のバス(6:25発)で、鍛冶屋川口BSまで戻ってそこから歩き始めます。その前の闘鶏神社にお詣り。ここも由緒があるところです。
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7/14 6:05
<7/14>第2日目! 今日は田辺駅前の一番のバス(6:25発)で、鍛冶屋川口BSまで戻ってそこから歩き始めます。その前の闘鶏神社にお詣り。ここも由緒があるところです。
紀伊田辺市から海岸沿いに南下する道が、大辺路となります。また川沿いに山の中に入っていく道が中辺路。われわれがたどる道となるわけです。
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7/14 6:06
紀伊田辺市から海岸沿いに南下する道が、大辺路となります。また川沿いに山の中に入っていく道が中辺路。われわれがたどる道となるわけです。
闘鶏神社は熊野三山のまとめ役みたいな神社。ここにお詣りをすれば三山全部を回ったことになるらしい。
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7/14 6:06
闘鶏神社は熊野三山のまとめ役みたいな神社。ここにお詣りをすれば三山全部を回ったことになるらしい。
弁慶さんの像がありました。
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7/14 6:10
弁慶さんの像がありました。
熊野水軍は強かった。源義経の依頼を受けた弁慶はその父で水軍の統率者であった湛増を説得して、紅白のニワトリを闘わせて(それが闘鶏神社の名の起こり)源氏につくことを意思決定して壇ノ浦へとでかけました。
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7/14 6:10
熊野水軍は強かった。源義経の依頼を受けた弁慶はその父で水軍の統率者であった湛増を説得して、紅白のニワトリを闘わせて(それが闘鶏神社の名の起こり)源氏につくことを意思決定して壇ノ浦へとでかけました。
朝早いので闘鶏神社には誰もいません。とても静かでした。
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7/14 6:11
朝早いので闘鶏神社には誰もいません。とても静かでした。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
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7/14 6:21
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
つばめが巣を作っていました。カワイイ!
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7/14 6:23
つばめが巣を作っていました。カワイイ!
朝一番のバスに乗って、滝尻BSを通りすぎ昨日の終着点BSである鍛冶屋川口で下車。そこから川沿いに滝尻まで戻ります。
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7/14 7:16
朝一番のバスに乗って、滝尻BSを通りすぎ昨日の終着点BSである鍛冶屋川口で下車。そこから川沿いに滝尻まで戻ります。
今日も☀。あのあたりまで滝尻からあがって歩くのだろうか。結構上だなー。
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7/14 7:21
今日も☀。あのあたりまで滝尻からあがって歩くのだろうか。結構上だなー。
橋のむこうに滝尻があります。
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7/14 7:34
橋のむこうに滝尻があります。
梅干しを干している!、いや梅を干している。
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7/14 7:35
梅干しを干している!、いや梅を干している。
熊野古道にはこの菅笠が似合います。「あるがままに…」いい言葉です。
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7/14 7:37
熊野古道にはこの菅笠が似合います。「あるがままに…」いい言葉です。
世界遺産であることを示す石碑。
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7/14 7:38
世界遺産であることを示す石碑。
熊野古道は平安時代からお詣りが始まった。この滝尻はその聖域の始まりということになります。世界遺産に指定されたのは2004年のことでした。
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7/14 7:38
熊野古道は平安時代からお詣りが始まった。この滝尻はその聖域の始まりということになります。世界遺産に指定されたのは2004年のことでした。
この古道を歩きます。この地図にはまだ熊野本宮は出てきていません。
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7/14 7:43
この古道を歩きます。この地図にはまだ熊野本宮は出てきていません。
滝尻王子。このあとこのような王子がいっぱいあるのかと思ったけれどここが一番立派だったかな。
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7/14 7:43
滝尻王子。このあとこのような王子がいっぱいあるのかと思ったけれどここが一番立派だったかな。
王子の前に流れる富田川で水垢離(みずごり)をして禊をしたあと、この王子の前で舞を奉納したりした、なんてことが書いてあります。
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7/14 7:46
王子の前に流れる富田川で水垢離(みずごり)をして禊をしたあと、この王子の前で舞を奉納したりした、なんてことが書いてあります。
乳岩
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7/14 8:10
乳岩
不寝王子跡。このような石碑が立っているところが多いけれど、社はナニもありませんね。
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7/14 8:14
不寝王子跡。このような石碑が立っているところが多いけれど、社はナニもありませんね。
経塚跡。お経を納めていたらしいが明治期に盗掘された。最近も無住寺で仏像が盗まれることもあるなんてニュースを聞く。いつの時代も同じだ。
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7/14 8:38
経塚跡。お経を納めていたらしいが明治期に盗掘された。最近も無住寺で仏像が盗まれることもあるなんてニュースを聞く。いつの時代も同じだ。
こんな感じの山道が続く。平安時代の人が通ったと思うと、それをトレースする気持ちも悪くない。
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7/14 8:50
こんな感じの山道が続く。平安時代の人が通ったと思うと、それをトレースする気持ちも悪くない。
飯盛山頂上。このルートで唯一のピークらしいピーク。そこからの展望。熊野は深い! いつかは奥駆け道も歩いてみたい。
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7/14 8:58
飯盛山頂上。このルートで唯一のピークらしいピーク。そこからの展望。熊野は深い! いつかは奥駆け道も歩いてみたい。
飯盛山の頂上の三角点です。
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7/14 8:58
飯盛山の頂上の三角点です。
途中から撮った熊野の山々。むかしの人にとっては、熊すなわち隈、辺境の場所、魔物が棲む畏れのを感じる場所。そんなところから修験道の場所にもなり熊野本宮に発展していったのだろう。
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7/14 9:38
途中から撮った熊野の山々。むかしの人にとっては、熊すなわち隈、辺境の場所、魔物が棲む畏れのを感じる場所。そんなところから修験道の場所にもなり熊野本宮に発展していったのだろう。
果無山脈…とは良くなづけたものだ。
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7/14 9:38
果無山脈…とは良くなづけたものだ。
耕して天に至る…ではないけれど、好もしい天空の田園風景!
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7/14 10:08
耕して天に至る…ではないけれど、好もしい天空の田園風景!
石畳だぁ〜
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7/14 10:23
石畳だぁ〜
インバウンドの人が多いからか、やたらとあちらこちらにケルンともいえないケルンがある。
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7/14 10:40
インバウンドの人が多いからか、やたらとあちらこちらにケルンともいえないケルンがある。
バランス〜〜〜!
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7/14 10:41
バランス〜〜〜!
バランス〜〜〜!
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7/14 10:42
バランス〜〜〜!
十丈王子跡。なんだよー、全部”跡”なんだよなー。
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7/14 11:33
十丈王子跡。なんだよー、全部”跡”なんだよなー。
上多和茶屋跡です。
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7/14 12:24
上多和茶屋跡です。
いい感じの峠状を行きます。
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7/14 12:43
いい感じの峠状を行きます。
多くの人が行きかった逢坂峠。茶屋があった古く良き時代。
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7/14 12:44
多くの人が行きかった逢坂峠。茶屋があった古く良き時代。
大阪本王子。逢坂峠の元にあったからこういう名前が付いたのだろう。
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7/14 13:20
大阪本王子。逢坂峠の元にあったからこういう名前が付いたのだろう。
道の駅「熊野古道・中辺路」に着いた。久々の人工施設。久々のクルマがたくさん通る車道。それにしてもずいぶんざっくりした名前の道の駅。中辺路ってずいぶん広いぞーって感じ。
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7/14 13:57
道の駅「熊野古道・中辺路」に着いた。久々の人工施設。久々のクルマがたくさん通る車道。それにしてもずいぶんざっくりした名前の道の駅。中辺路ってずいぶん広いぞーって感じ。
小さな道の駅です。ここで涼を取りました。暑い〜。
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7/14 13:57
小さな道の駅です。ここで涼を取りました。暑い〜。
牛馬童子。熊野古道でこの石像が結構有名なけど、どうも明治時代に造られたものらしい。そういう意味では、ホントウの熊野古道の古いものではない。
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7/14 14:17
牛馬童子。熊野古道でこの石像が結構有名なけど、どうも明治時代に造られたものらしい。そういう意味では、ホントウの熊野古道の古いものではない。
牛馬童子と一緒に。右は「角行者(えんのぎょうじゃ)」とのこと。
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7/14 14:17
牛馬童子と一緒に。右は「角行者(えんのぎょうじゃ)」とのこと。
パチリ!
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7/14 14:18
パチリ!
牛馬童子はその微笑ましい姿から、中辺路のシンボル的な存在にもなっているようだが、モノの本によれば明治期に奉納されたもので、牛馬童子の名付け親も最近まで生きていたらしい。
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7/14 14:18
牛馬童子はその微笑ましい姿から、中辺路のシンボル的な存在にもなっているようだが、モノの本によれば明治期に奉納されたもので、牛馬童子の名付け親も最近まで生きていたらしい。
下るとやっと人臭い集落、近露集落へと下りたっていきます。
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7/14 14:38
下るとやっと人臭い集落、近露集落へと下りたっていきます。
渡る橋は北野橋。
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7/14 14:39
渡る橋は北野橋。
近露王子跡。ここも跡です。近露は集落となっており、いくつかの宿屋もあります。
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7/14 14:41
近露王子跡。ここも跡です。近露は集落となっており、いくつかの宿屋もあります。
近露王子の跡という石碑が残っていました。
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7/14 14:42
近露王子の跡という石碑が残っていました。
これによれば明治期に勃興した新興宗教、大本教の教祖が揮毫したものだという。大本教もまた、宗教弾圧の時代を経ていたのだということがこれで良くわかりました。
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7/14 14:42
これによれば明治期に勃興した新興宗教、大本教の教祖が揮毫したものだという。大本教もまた、宗教弾圧の時代を経ていたのだということがこれで良くわかりました。
「熊野詣は、浄土への道。熊野の神々にあこがれた人たちが、天皇から庶民までお参りした。名を高めたのは平安〜鎌倉に400年近く続いた熊野御幸であり20日〜1カ月かけて熊野三山を平均300人近くを引き連れてお参りした。上皇、法皇は白装束に杖という山伏の姿をしていたという」
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7/14 14:42
「熊野詣は、浄土への道。熊野の神々にあこがれた人たちが、天皇から庶民までお参りした。名を高めたのは平安〜鎌倉に400年近く続いた熊野御幸であり20日〜1カ月かけて熊野三山を平均300人近くを引き連れてお参りした。上皇、法皇は白装束に杖という山伏の姿をしていたという」
写真では分かりませんが、結構急な継桜への道。相方はここしばらく無口です。マグマが火口の下で胎動しています。やばい。
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7/14 15:46
写真では分かりませんが、結構急な継桜への道。相方はここしばらく無口です。マグマが火口の下で胎動しています。やばい。
真ん中に見える白くかすんだ山が「乙女の寝顔」という愛称のある半作嶺(はんさみね)という山だそうです。
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7/14 15:54
真ん中に見える白くかすんだ山が「乙女の寝顔」という愛称のある半作嶺(はんさみね)という山だそうです。
その説明です。
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7/14 15:54
その説明です。
狼乢山は、明治期までいたオオカミにちなんだものだという。最後に確認されたのが明治38年。それ以降は絶滅したとされている。
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7/14 15:54
狼乢山は、明治期までいたオオカミにちなんだものだという。最後に確認されたのが明治38年。それ以降は絶滅したとされている。
小広集落は昔、オオカミが叫ぶとかいた。オオカミは神々の使いだったのだ。
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7/14 15:54
小広集落は昔、オオカミが叫ぶとかいた。オオカミは神々の使いだったのだ。
随分と伐採で、ただれた山腹。
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7/14 15:54
随分と伐採で、ただれた山腹。
ようやっと、本日の民宿である「つぎざくら」さんに到着した。イヤー今日も暑かった。さー、風呂に入ってビールを飲もう!
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7/14 16:31
ようやっと、本日の民宿である「つぎざくら」さんに到着した。イヤー今日も暑かった。さー、風呂に入ってビールを飲もう!
民宿つぎざくらさんの入り口。
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7/14 16:32
民宿つぎざくらさんの入り口。
7/15 7:45「民宿つぎざくら」の前で出発前にアメリカ人夫妻と一緒にパチリ! 新婚さんです。
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7/15 7:44
7/15 7:45「民宿つぎざくら」の前で出発前にアメリカ人夫妻と一緒にパチリ! 新婚さんです。
<7/15>小広王子跡の石碑とその左に刻まれたヤタカラス。
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7/15 8:34
<7/15>小広王子跡の石碑とその左に刻まれたヤタカラス。
熊野らしい好もしい山道。
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7/15 9:01
熊野らしい好もしい山道。
峠をいくつか超える。ここは草鞋峠。
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7/15 9:06
峠をいくつか超える。ここは草鞋峠。
これも潮見峠周辺に咲いていたのと同じノリウツギだろうか。
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7/15 9:29
これも潮見峠周辺に咲いていたのと同じノリウツギだろうか。
迂回路へと入っていきます。ハナシによれば迂回しなくても通れるらしい。でも自己責任での通過となるし、事故があっては困るからお勧めしていないけれど地元の人はみなそちらを通っている。
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7/15 9:37
迂回路へと入っていきます。ハナシによれば迂回しなくても通れるらしい。でも自己責任での通過となるし、事故があっては困るからお勧めしていないけれど地元の人はみなそちらを通っている。
まさに熊野の山の中。どこまでも峰々が続きます。
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7/15 10:11
まさに熊野の山の中。どこまでも峰々が続きます。
欧米人らしい若者が川に下りて水浴びしていた! Heey! Wave your hands!と冗談で橋の上から叫んだら、快く手を振ってくれた!笑
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7/15 11:22
欧米人らしい若者が川に下りて水浴びしていた! Heey! Wave your hands!と冗談で橋の上から叫んだら、快く手を振ってくれた!笑
三越峠は舗装道路が通っており、また休憩舎もある。この関所をくぐっていったん沢まで下ります。外人さんも迷っていて、こちらでいいのか?と聞いてきましたね。
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7/15 12:05
三越峠は舗装道路が通っており、また休憩舎もある。この関所をくぐっていったん沢まで下ります。外人さんも迷っていて、こちらでいいのか?と聞いてきましたね。
昔は関所があり、茶店もあったようです。ここが口熊野と奥熊野の境目であり、この峠の向こうの水系はそのまま熊野神社のそばを流れる音無川へと繋がっていくのですね。
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7/15 12:05
昔は関所があり、茶店もあったようです。ここが口熊野と奥熊野の境目であり、この峠の向こうの水系はそのまま熊野神社のそばを流れる音無川へと繋がっていくのですね。
峠の風景。休憩舎があります。
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7/15 12:17
峠の風景。休憩舎があります。
足取りの重い同行者。しばしばその姿が重厚な林の中に消え入ります。銀座などの買い物では足取りはとても軽くてついていけないくらいなのですが・・・
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7/15 12:39
足取りの重い同行者。しばしばその姿が重厚な林の中に消え入ります。銀座などの買い物では足取りはとても軽くてついていけないくらいなのですが・・・
いい感じの沢沿いの道となります。
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7/15 13:13
いい感じの沢沿いの道となります。
音無川です。
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7/15 13:16
音無川です。
ここが赤木越の起点となります。
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7/15 13:21
ここが赤木越の起点となります。
苦しい100mの標高差をしのいで発心門王子へと着きました。ここからはバスに乗ろうと思えば乗る事が可能です。豊富な水が流れています。有り難い!
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7/15 14:13
苦しい100mの標高差をしのいで発心門王子へと着きました。ここからはバスに乗ろうと思えば乗る事が可能です。豊富な水が流れています。有り難い!
発心門を出発し、伏拝王子周辺です。それにしても彫刻の上手い人がいるもんですね!
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7/15 14:28
発心門を出発し、伏拝王子周辺です。それにしても彫刻の上手い人がいるもんですね!
いやー暑い暑い舗装道路が続く。基本的には下りなのですが、なかなか下らない。
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7/15 15:00
いやー暑い暑い舗装道路が続く。基本的には下りなのですが、なかなか下らない。
15:11 路傍の茶店のおばさんから「休んで行かれますか。あと一時間ですよ」の声に、ふらりと。冷たいものにやっとありつけて思わず笑顔が。
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7/15 15:11
15:11 路傍の茶店のおばさんから「休んで行かれますか。あと一時間ですよ」の声に、ふらりと。冷たいものにやっとありつけて思わず笑顔が。
ふだん食べないかき氷。とても美味しかったです。
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7/15 15:11
ふだん食べないかき氷。とても美味しかったです。
おー、途中立ち寄った展望台からは、大斎原(おおゆのはら)が遠く望めました。
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7/15 16:17
おー、途中立ち寄った展望台からは、大斎原(おおゆのはら)が遠く望めました。
このあたりはちょっと、ザ・熊野古道。。。。という感じがする。
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7/15 16:25
このあたりはちょっと、ザ・熊野古道。。。。という感じがする。
ようやく舗装道路へと下りてきました。あと本宮までは10分かからないところです。
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7/15 16:31
ようやく舗装道路へと下りてきました。あと本宮までは10分かからないところです。
うおー、創建2050年だそうです。すごい歴史ですね。1200年くらいかと思っていたけれど。
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7/15 16:32
うおー、創建2050年だそうです。すごい歴史ですね。1200年くらいかと思っていたけれど。
7/15 16:34 熊野本宮の裏手の鳥居に到着。もう歩かなくていい!
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7/15 16:34
7/15 16:34 熊野本宮の裏手の鳥居に到着。もう歩かなくていい!
いやー60kmを歩いてやっと熊野本宮に着きました! よみがえりの道。意外に簡素な感じがしたのはわたしだけでしょうか。だから良さがあるのかな。
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7/15 16:39
いやー60kmを歩いてやっと熊野本宮に着きました! よみがえりの道。意外に簡素な感じがしたのはわたしだけでしょうか。だから良さがあるのかな。
7/15 16:50ついに熊野本宮の鳥居の前にたどりついた!疲れた〜! さ、ビール呑むぞ!
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7/15 16:54
7/15 16:50ついに熊野本宮の鳥居の前にたどりついた!疲れた〜! さ、ビール呑むぞ!
<7/16>翌日河原湯温泉では温泉を呑める場所もありました。
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7/16 9:56
<7/16>翌日河原湯温泉では温泉を呑める場所もありました。
熊野古道は、ミシュランの★★★だそうです。
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7/16 10:47
熊野古道は、ミシュランの★★★だそうです。
サンチアゴ・コンポステーラとは古道という意味では姉妹の世界遺産となっているらしい。一度、そこにも行ってみたいと思う。
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7/16 10:49
サンチアゴ・コンポステーラとは古道という意味では姉妹の世界遺産となっているらしい。一度、そこにも行ってみたいと思う。
これがかつて「蟻の熊野詣」と呼ばれたものを模型にしたもの。富士山の吉田口ルートじゃあるまいし、こんなに続いていたわけでもないだろうけれど、一般的なルートだったのでしょうね。
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7/16 10:53
これがかつて「蟻の熊野詣」と呼ばれたものを模型にしたもの。富士山の吉田口ルートじゃあるまいし、こんなに続いていたわけでもないだろうけれど、一般的なルートだったのでしょうね。
もともとは「熊野」は辺境の地。そこには神々が宿るという世界観があった。また死者の霊が赴く場所という山中他界観があったという。平安時代の浄土信仰の広まりと神仏習合で熊野本宮も本地仏は「阿弥陀如来」とされていきました。
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7/16 10:56
もともとは「熊野」は辺境の地。そこには神々が宿るという世界観があった。また死者の霊が赴く場所という山中他界観があったという。平安時代の浄土信仰の広まりと神仏習合で熊野本宮も本地仏は「阿弥陀如来」とされていきました。
昔は河原にあったが、水害にあって今の場所に移ってきましたね。
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7/16 10:56
昔は河原にあったが、水害にあって今の場所に移ってきましたね。
八咫烏。ヤタガラス JAPAN!ヤタガラスは神様のお使い。それが今に伝わって、われわれを興奮させてくれる。素晴らしい伝統!
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7/16 10:57
八咫烏。ヤタガラス JAPAN!ヤタガラスは神様のお使い。それが今に伝わって、われわれを興奮させてくれる。素晴らしい伝統!
なるほど、三社が、ひとつになるという考えが広まったのだな。浄土思想で熊野が「浄土」となった一方、現世利益をもとめて人々が御参りするようになったあたりがよく分からない。浄土には現世のご利益があったのだろうか。
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7/16 11:02
なるほど、三社が、ひとつになるという考えが広まったのだな。浄土思想で熊野が「浄土」となった一方、現世利益をもとめて人々が御参りするようになったあたりがよく分からない。浄土には現世のご利益があったのだろうか。
人々にとって難行苦行の功徳を積むことが生死の苦界を脱して菩提に入れたのだ。まずは精進屋にこもり心身を浄化し、水辺では水垢離などの精進潔斎を行った。また奉幣・読経など新仏混交の儀式を行ったという。
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7/16 11:03
人々にとって難行苦行の功徳を積むことが生死の苦界を脱して菩提に入れたのだ。まずは精進屋にこもり心身を浄化し、水辺では水垢離などの精進潔斎を行った。また奉幣・読経など新仏混交の儀式を行ったという。
藤原の宗忠の「中右記」によれば、河原湯温泉で河原から冷たい水とお湯が涌くことがとても不思議で、神の仕業に違いないと述べている。
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7/16 11:04
藤原の宗忠の「中右記」によれば、河原湯温泉で河原から冷たい水とお湯が涌くことがとても不思議で、神の仕業に違いないと述べている。
熊野参詣の一部をになった山伏も、明治期の神仏分離令や修験道廃止礼などで廃れたが、現在はまた再興の兆しを見せているという。
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7/16 11:05
熊野参詣の一部をになった山伏も、明治期の神仏分離令や修験道廃止礼などで廃れたが、現在はまた再興の兆しを見せているという。
自然の中で修行をして験力を獲得して人々の要望に応えようとしたのが山伏という宗教者だった。熊野は山間の地であり、先達が必要だった。その役割を果たしたと言われている。道中の儀式をつかさどったとも言われている。
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7/16 11:06
自然の中で修行をして験力を獲得して人々の要望に応えようとしたのが山伏という宗教者だった。熊野は山間の地であり、先達が必要だった。その役割を果たしたと言われている。道中の儀式をつかさどったとも言われている。
時宗を主導した一遍上人も伊予から熊野に参詣し「南無阿弥陀仏
」と唱えれば往生がかなうと確信を得た。一遍に従って遊行する僧を「時衆」と言ったが、一遍の死後「時宗」となって宗教の拡散に勤めることとなった。
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7/16 11:07
時宗を主導した一遍上人も伊予から熊野に参詣し「南無阿弥陀仏
」と唱えれば往生がかなうと確信を得た。一遍に従って遊行する僧を「時衆」と言ったが、一遍の死後「時宗」となって宗教の拡散に勤めることとなった。
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7/16 11:07
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7/16 11:08
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7/16 11:10
日本一の大鳥居が…!
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7/16 11:15
日本一の大鳥居が…!
だんだんと・・・
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7/16 11:17
だんだんと・・・
見えて…
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7/16 11:18
見えて…
来た〜!
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7/16 11:18
来た〜!
鳥居の上の方にも三本足のヤタガラス。
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7/16 11:19
鳥居の上の方にも三本足のヤタガラス。
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7/16 11:20
こちらの幟にもヤタガラス。
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7/16 11:35
こちらの幟にもヤタガラス。
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7/16 11:36
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7/16 11:45
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