筑波山筑波古道


- GPS
- 05:50
- 距離
- 11.0km
- 登り
- 929m
- 下り
- 756m
コースタイム
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
ここから歩いて筑波山口に移動して旧筑波町庁舎に移動。つくバス北部シャトルは本数も多いし便利 |
コース状況/ 危険箇所等 |
梅園コースはあくまで自己責任で。分岐らしきものが多いので迷いやすい。こんな低山と思って油断することがないように。 |
写真
感想
昨日は万葉コースなんですが、今日は昨日残しておいた筑波古道を歩いてみました。
こちらは江戸時代に徳川幕府の庇護の元に大隆盛する筑波山のお寺への参道として発達したものです。一気に1000年近くのタイムスリップ(笑)
万葉コースはかなり脳内妄想爆発で自分が高橋虫麻呂だったらこう考えるとかなんですが、江戸時代となるとかなり近代で、江戸から参詣した町人がどういう気持で歩いてどう思ったんだろうとかの空想レベルに抑えてみました。
諸般の事情でがま公園入口の駐車場に車を止めて行動開始。コースに入ってませんが足の力で筑波山口まで降りて「つくバス」を使って旧筑波町庁舎まで行ってみました。筑波道の入口で江戸の町人は西から来たというのはけっこう意外です。
しばらく進むとご同類がいたので声をかけると、なんと埼玉からずっと歩いて筑波山に登るとのこと…。歩き始めて3日目とのこと。現代の江戸町人そのものじゃないですか…すでに負けているし…orz
昨日の蚕影神社の分岐を確認したり、途中の菓子屋を覗いては江戸時代は団子屋だったんかなぁとか…空想世界はけっこう楽しいです。
江戸時代のメンタリティとしては、筑波道に入ってからは可能な限り直線で筑波山神社(当時は筑波山知足院中禅寺)に向かっていたようです。古代の万葉集の時代では生産性のある田や畑は尊重されていたようなグニャグニャした道ですが、江戸時代は権力と灌漑技術をベースに目標に可能な限り真っ直ぐ、ただしコンクリートのトンネルは掘れないので山は適当に妥協って感じがします。
筑波山神社の門前町はそれなりの勾配ですが、神社の前の階段も使ってできるだけ直線に進みます。ついでに直線に行くと筑波山神社(拝殿)を避けて厳島神社なんですね。江戸時代は大伽藍の寺院があったので今とは全く違う風景だったらしいのですが、このあたりに中禅寺の本堂があったのでしょうか。現在の神社の背後にたくさんの道と遺構があったと思われる平地が沢山あります。
江戸時代はすでに男体山に登っていただろうと勝手に決めて、男体山から富士見石に降りました。こちらも他のご同類がいらして、筑波山談義に花が咲いて寒風吹きすさぶ中で…やはりHな話は万葉でしょうか…
起点に戻る最短コースとして(人目を避けながら)梅林コースを降りたのですが、途中で気になる分岐があったので行ってみると、無事砂防ダムのところに降りました。この話はいずれ…
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