遭難 救助の御礼巡り
天候 | 9/22 (土)雨 のち 晴 9/23 (日)晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2018年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス 自家用車
9/22 (土)電車、バスで上高地へ 沢渡泊 9/23 (日)バイクで松本市内の各所を巡る |
その他周辺情報 | ●上高地 警備派出所 ●上高地 登山相談所 ●松本警察署 ●長野県警察航空隊 ●相澤病院 |
写真
感想
明神岳東稜のソロ行での滑落遭難・ヘリ救助から40日、ようやく戻って来れました。
心身のリハビリを兼ねた上高地〜明神の散策歩行訓練 および お世話になった各所への御礼巡りの記録です。
(事故レコは以下)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1560443.html
リハビリ診察と体調と天候のコンディションも考慮しつつ何とか行けるだろうと判断し、最終のあずさに乗り込み 23:55 松本着。
ビジネスホテルもカプセルも何処も空きが無くネカフェにでも行こうかと思いつつも、始発の松電は 4:45 で中途半端な時間だし不自由な身体での移動も面倒だし、何より駅寝の場所を確保し準備し始める登山客を見るとこちらも山屋意識が出て「やっぱり駅寝でしょ」と松葉杖担いで自分も片隅へ加わります。
まぁ前回の明神山行も上高地インフォーメーションセンターの軒下で仮眠だったし今回もコトに備えてエアマットと防寒着は持参してます。
かくして、始発の松電とバスを乗り継ぎ 6:25 に上高地着。
あいにく結構強い降りの雨だが昼には上がる予報なので、バスセンター2階の食堂にて暫し待機する。のんびり朝食を取り、持参したヤマケイ文庫「長野県警レスキュー最前線」を読みつつ雨足が弱まるまで2時間程ゆっくり過ごす。
小説は多くの救助隊員が経験や想いを語る内容ですが、、実際に救助された身で、更には明日御礼訪問に行く立場としてはどのエピソードも胸にグッとくるものばかりで目頭が熱くなり変な声が出そうになり困ります。
そんな折、オレンジの制服に身を包んだ遭隊協の方が慌ただしく食事を取りながら従業員の方と談笑しているのが目に入り、もう堪りません。よほど声を掛けようかと思ったものの、直ぐに任務に戻るような雰囲気のためここでは控えた次第でした。
多少雨も弱まった頃合に下へ降ります。
天気のためか3連休にしては控えめな賑わいだが、先ほど見かけた遭対協の方は登山届の確認や指導でお忙しい様子のため声を掛けるのは戻って来てからの夕方に回すこととして、隣の警備派出所の警察の方に挨拶。山岳救助のご担当ではなく、なんと応援で来ている刑事課のN氏でした、御苦労様です。自分が来た旨をわざわざ松本署にも連絡してくれました。
「良く無事に戻って来てくれましたね。」
暖かい言葉を掛けて頂く度に胸が詰まります。
雨具を着ての出発の前に、余分な荷物をバスセンター裏手の荷物預り所に預けに行きます。
初めての利用だがこれは便利ですね、日帰り散策の観光客だけでなく、大きなザックを数日預けている登山客も居ます。
自分は駅寝用のエアマットやら宿泊用の着替やらと共に、コスパならぬ見栄えP重視で選んだ結果w やたらとかさばってしまった菓子折なんぞも預ける。松葉杖とT字ストック1本のどちらを持って歩こうかと悩んだが、雨の遊歩道でのバランスを考慮して松葉杖を選択し、ストックの方を預けることに。
(松葉杖を預けていたらどんな顔されたか見てみたかった気もします)
かくして、明神へ向けリハビリ兼ねた歩行訓練のスタート。
河童橋は閑散としており梓川は水位一杯の泥色の濁流で風情は今ひとつで、ガスであいにく穂高や明神のピーク稜線は見えないものの、粛々とした雨の樹林帯はこれはこれで自然に囲まれたただ中に居る感じで心地良い。
何より、山の空気に包まれているのが嬉しい。
「やっと戻ってこれました。」
山行の度に何度も早足で通過して来た遊歩道を、時にはキジやお花に呼ばれ重装備で駆けたこの道を、「..やっぱり山はいいな。」そう何度も想い味わいながら、一歩づつゆっくり噛み締めるように進みます。
コースタイムの倍の時間を掛けて明神に到着。
この頃には雨は上がるものの、見上げた明神は未だガスの中だ。小屋前のベンチでしばし休憩する。膝の装具を外してマッサージなどしていたところ、向かいに座ったカップル登山者に声を掛けられます。
「装具付けてるのですね、自分もです。」
顔を上げると元気満面のお姉さんがごつい装具をドカっとテーブルに置く。武豊騎手が計量前に抱えているかようなフレームだらけのブツにたじろぐ。これと較べたら自分の装具なぞオモチャのようなモノかもしれない。
聞くと、スノボ(多分バックカントリーでしょうね)でやったとのことで内側と前十字の靭帯を断絶し3月と6月に手術したとのこと。
こんなに早く回復し復帰できるものなのでしょうか、明るさと気合と根性に驚くと共に、何だかとっても元気と勇気を貰いました。
なんと膝装具が二人でお揃い(!)のパートナーの男性と共に「では、行ってきます!」と颯爽と膝装具とテン泊重装備を身に付け蝶ヶ岳へ向かうのを見送ります。
いやぁ凄い。良いモノを見せて・魅せて頂きました。
ひと休みして装具を身に付け出発。
前回と同じく明神橋を渡って右折し、ひょうたん池ルートの入口を目指す。
今回の目的のひとつをまずは済ませに行きます。
信州大の施設の先の「←ひょうたん池」の看板も、ツルツル滑る木橋も、前回来た時と同じ風情でなんだか懐かしさを感じるが、、松葉杖でこのツルツル橋(雨のため前回以上に滑る)を渡るのは怖くてもう危険と判断し断念。
..こんなところでコケて救助を呼ぶ訳にはいかないし、ましてや明日訪問する旨を警察署にも伝えているため洒落にもならない。
今回は冷静に「進むべからず」の判断に至りました。
本当はもう少し先にて適当な場所探しをしたかったのですが、ここで目的のモノを設置することにします。
「明神岳東稜へ行かれる登山者の方へ」
遭難しヘリ救助された折にザックをラクダのコルに残置した旨を伝える掲示を木橋の左の立ち木に結び付けました。
残置ザックの回収は心身共に未だ具体検討出来るような状態ではないため暫く放置してしまうことになり、誠に申し訳無いのですが、、せめてこの掲示をすることで「遭難案件か?」と無用な心配や手間を取らせないようにとの想いからの行為です;今の自分にはこれがせいぜいなのでご理解ご容赦頂ければ。
目的の1つを済ませ、穂高神社奥宮と明神池にお参りし山の神様に御礼をします。
賽銭には銀色のも混ぜます。・・紙は無しかよ、とのツッコミもあるやもしれませんがw「銭」の言葉通り「金属製の貨幣」の範囲内にて精一杯の気持を込めました。
社務所には「学業成就」「商売繁盛」「無病息災」「良縁」・・・数十種のお守りが並んでいる中で、マルチパーパスな「諸行成就」を選び購入。何より「明神守」の文字と明神主峰の画像が付いているのが良い。早速ショルダーバックにくくり付けます。
明神に来たからには、と 嘉門次小屋で岩魚とそばも頂く。囲炉裏で並べ刺し焼く様は風情があるが、生簀から掬い取った岩魚を一尾ずつ腹を捌くナイフの柄で頭をタタタタンと5回叩いて気絶させる所作の連続に、背後の西洋人観光客のテーブルは一同皆「..OMG。」と絶句していました。これもクールジャパンですかね。
明神にてゆったりした時間を過ごした後、上高地へ戻ります。
帰路、明神橋からガスの切れ間に見え隠れする明神主峰を見上げ、滑落したバットレスの取付方面やザックを残置したラクダのコル、東稜の頭、陸からの捜索隊がビバークしたひょうたん池の辺りを、名残惜しい気持で眺めていました。
上高地への帰路は天気も快晴となり気持ち良い(というか戻るのが惜しい・悔しい)中で、再びゆっくり噛み締めるように歩を進めます。
午後から続々入山しすれ違う登山者の方々は皆「これから行く僕たち勝ち組だもん」とばかりに笑顔で意気揚々な様子なのだが、向かって来る松葉杖ひょこひょこな自分が目に入ると一瞬目を見開き会話を止め、見て良いモノか話し掛けて良いモノか逡巡している風であり何だか申し訳ない。
そんな中で、歩を止めてまで声を掛けてくれる方、怪我や来た理由経緯を聞き暖かい励ましの言葉を掛けて下さる方、上で怪我をして苦労しての下山の最中と勘違いしてか「もう少しだから頑張ってくださいっ!」と握りこぶしと共に目ヂカラを伝えてくれる方、「えっ、滑落!・・どこでですか!」との問いに右上方を指差して「あそこです」と答えると絶句する方、ひとつひとつの会話や触れ合いが嬉しくて「やっぱり山はいいな」と想いつつ、2時間余りの帰り道を楽しみます。
夕刻が迫り見事な景色を見せる穂高・明神の山並みを見上げつつ、小梨平のテン場の河べりで数日の停滞を決め込み登山を諦め宴会中の山屋風情の方々とも言葉を交わす。
「上を目指して急ぎ登るばかりが山では無いよね、こうして見上げてノンビリ過ごすのもイイよね」
治療療養中に自分の山やソロのバリエーションを見つめ直す時間を過ごす中で何度も考えたことを再び実感します。
登山を始めた頃は何もかもが新鮮で、初めての紅葉涸沢テン泊行の時はしょっちゅう立ち止まっては写真撮っていたことを想い出しました。
心身共に岩稜登山はまだまだ無理なのですが、それ以前にこれからの山との付き合い方は変えていくのかもしれません。
もっともボルダリングに復帰できたらソレ系の気持意欲も復活するか、もしくは滑落時の空中浮遊の走馬灯のようなあの瞬間がフラッシュバックしてしまいジムのマットに背から落ちることさえ耐えられずに背を向けてしまうか、いずれになるかは未だ解りません。
バスセンター裏の荷物預かり所に戻り、かさばり一式を受領。その際に窓口の方とも言葉を交わします。
涸沢ヒュッテに17年居た方なのだそうです。膝の装具をお見せしたところ、服を捲ってご自身の腰の装具を示して「自分は脚立(椅子?)から落ちました、お互い頑張りましょう」と言葉を掛けてくださいました。
登山届の窓口に寄ると、朝方見かけた遭対協の方が居られます。8月に遭難し救助されたことをお伝えし、遭対協夏山常駐隊の方にも救助活動に加わって頂いたことへの感謝を申し上げます。自分の案件だと恐らくは涸沢常駐のスタッフが下山して警察の山岳救助隊に合流してひょうたん池に向かったのではないか、と説明頂きました。誠に恐れ入ります。
「よく無事に生きて戻ってくれましたね。」
警察や救助の方々に同じ言葉を掛けて頂き、その度に胸にぐっと来て深く気持ちに染み入ります。また、ソロ登山のリスクを改めて諭されました。
登山届の脇に行方不明者の掲示が複数有るのが目に付きます。
私の遭難救助のまさに同日に、天候不良と集中する救助要請を理由に「捜索打ち切り」された北鎌のMさんの掲示から目が離せません。
救助された後日に、遭難した行方不明者の情報提供を求めるMさんの親族の方のSNSでの呼び掛けを目に留め、捜索やりとりの時系列や、捜索打ち切り決定により絶望されたであろう事実を知り、
「何故自分が(この程度の怪我で)1番最初に救助されたのだろうか」
「自分の救助の裏でもっと深刻な方々を後回し置き去りにして苦しめ、追い詰めてしまったのではないか」
そんな想いで心が潰れそうになり苦しかったです。親族の方には後日に連絡を差し上げました。
今でもこのことは事故の当事者として、生命を救って頂いた立場として、背を向けずに忘れず向き合って行かなくてはならないことです。
このことが事故レコを記録し公表することへの気持ちの上での理由・後押しにもなりました。
贖罪意識なのでしょうか。かといってそれで許される、自己満足し区切りが付くということでもないのだとは思います。
日没が迫る頃合いにバスで沢渡へ。
前回ヘリ代行となり使えなかった復路の半券は40日後でも有効でした。
足湯公園第2P向かいの、バイクを預かって頂いていた 温泉山小屋(兼ライダーハウス)ともしび へ向かいます。
長期に渡りお預けしご迷惑掛けたこと、松本の病院を退院し電車で川崎へ戻る際に宿の女将さんへは怪我をして暫く取りに行けない旨のTEL連絡をしていたのでしたが、要領を得た説明がどうも出来ていなかったようできちんと伝わらず、宿のご主人が戻らない客を心配して「死んでしまったのではないか」と警察を呼びバイクの所有者確認に至る手間を取らせてしまったこと、をお詫びしました。
ご主人は来たら叱り飛ばす気でいたそうですが、自分の顔と姿を見たらそんな気も失せたそうです。「良く来てくれた、元気な姿を見せてくれた」と手放しで喜んで頂き大変恐縮します。聞くと、以前お客様で遭難事故で亡くなり戻らなかった方が居たそうで、警察や駆け付けた親族の方への対応含め大変ご苦労・気苦労された経験がおありだとのこと。
ここ数年バイク駐車と日帰り温泉は利用させて頂いていましたが、宿泊や食事は今回初めてお世話になります。夕飯はこれでもか!の超大盛のすき焼きに加え、快気祝だと(未だリハビリ中ですが)馬刺しまで振舞って頂く。食事も豪勢だが(これで夕食代¥1,000とは格安)、何より80歳を過ぎても達者で快活で、しかも経歴がご立派でかつ多趣多才でもの凄いご主人の話が豪快で楽しくためになり刺激になり、大いに元気付けられ自分も頑張ろうとポジティブな気持ちにさせて頂きました、感謝します。毎年訪れたい常宿を得られた気分で嬉しい出会い触れ合いでした。相部屋の宿泊も24時間温泉込で¥1,000、布団代¥300、格安でお勧めです。
ガレージに停めていたボロバイクはエンジンが冬眠しないかと心配でしたが、苦労しつつも坂道押し掛けにトライすることも無く何とか始動に成功しひと安心。
バイクに跨ってみると、怪我した右膝でのポジションもニーグリップもリアブレーキ操作も何ら問題無さそう、これなら咄嗟のバランス崩しての右脚接地などをしない限りは走行は支障ないだろうと判断し、警察等への挨拶巡りはバイクで回ることにします。そのまま川崎へ運転して帰るかどうかは松本市内での運転をした上で判断することにします。
何より、来月になってしまうと路面凍結も心配になるのでとにかく今回のうちにせめて麓には下ろしておきたかったので安堵した次第でした。なお、今回ばかりはすり抜けは厳禁で安全第一で運転します。
翌朝、ゆっくり温泉に浸かり、快晴で登山日和の中混み合う駐車場やバスターミナルに向かう登山客を眺めながら、足湯公園でのんびり朝の時を過ごし、9時過ぎにいざ出発。
40日のブランクと脚の怪我はあれども、そこは登山歴の4倍長いバイク歴、跨いで走り出してしまえばもうこっちのモノです。
改めて「交通の流れに乗って進める」普通のことがこんなに嬉しくストレスフリーなことを実感し、ヘルメットの中で「ヒャッホー!」と喝采しウキウキする。松葉杖やステッキでの歩行で人々の流れに遅れ、人混みに揉まれ、背後ばかりを気にして周回遅れの後ろめたさのような気後れ感から解放されて嬉しいことこの上ありません。
更には、やっぱり自分はバイクも本当に好きなんだな、と実感しました。右脚がこの程度の怪我で本当に良かった。
今の自分から登山もボルダリングもバイクも取り上げられていたら、と思うと想像するだけで辛くなりそうですが、ボルダリングは先述のように懸念は有れどもともかく、今の自分のこの身体の具合に安堵し、改めて感謝した次第です。
最初に、松本警察署へ向かいます。
バイクを停め、松葉杖で例のかさばりを抱えて玄関へ向かうと、入ったとたんに窓口事務所の総員が腰を上げ、若手2名がすかさず走り寄り左右を塞ぎ「何者カ、来意ヲ述ベヨ」とばかりに行く手を阻ばれます。そりゃそうでしょう、金属パイプの棒を両脇に抱え大きな紙袋を提げた怪しげな人体の来襲じゃない来訪に対する俊敏かつ適確な対処ですね、松本署さすがです。
余りの雰囲気に押され言葉にも詰まりアタフタしつつも来意を述べさせて頂くと、2階から地域課救助係の方が駆け降りて来ました。
ヘリ搬送された病院に来て頂き調書の尋問をされたC氏その人です。あの時と同じ優しい笑顔で迎えてくれました。嬉しくて目頭が熱くなります。
2Fの事務室へ案内頂き、若いK氏(私の救助の折に陸からの捜索隊に参加頂いていたそうです)と課長のO氏(救助のベテランだそうです、私の救助の際も計画含め指揮統率されたのでしょうか)、にも御礼の挨拶をさせて頂きました。笑顔で良く来てくれたと言って頂き、感謝するばかりです。
救助要請からビバーク時の電話対応で大いに励まして頂いた、直接お逢いしたかったT氏は残念ながらご不在でしたが、沢渡の宿同様にまたここへ再訪に来る理由が出来たようでかえって嬉しくなりました。事前に連絡した際にシーズン中で出動し不在の可能性が高いであろうことは解っていたので、用意しておいたメッセージにコンビニでプリントした昨日の河童橋での写真を添えて託した次第です。
署の建物を後にしてひと息ついた折に頂いた名刺を見返してみて「あっ」と思い、持参している小説を開き確認したところ、課長のO氏は自ら一節の執筆を担当されており、他の方々の節においても幾箇所かで名前が出てくる方でした。帰宅した今でも小説を何度も読み返しつつ、救助の現場の厳しさやご苦労を想い、救助への想い入れに感じ入り、読む度に感謝の念を抱きます。
訪問の折に聞こうとしていた、警察からの捜索費用請求(民間の遭対協の方々の分)がいつ頃になるかの質問はついつい忘れてしまいました。これは後日レスキュー保険適用申請の実際と併せて改めて事後報告したいと思います。
<後日追記>
翌月10月に再訪し、救助要請からビバーク、ヘリ救助の際まで電話先で励まして頂いた松本署のTさんにもお会いし、御礼を伝えることが出来ました。
救助費用の請求、レスキュー保険の適用申請は以下の日記にて報告しています。
https://www.yamareco.com/modules/diary/34604-detail-174746
https://www.yamareco.com/modules/diary/34604-detail-174747
次に、長野県警察航空隊へ向かいます。
松本空港の建物に隣接する静かな環境へ松葉杖をくくり付けたバイクで乗り付けると「何者が来たのか」と2階から隊員の方々が注目して見ていたそうです。
但しこちらでは暖かい笑顔でお迎え頂きまして2階の応接へ通され恐縮します。しばし待つ間、飾られた救助ヘリの写真や模型に視線が釘付けとなります。
「この機体だ」
胸が熱くなり見つめているとコーヒーを淹れて(恐れ入ります)戻ってきた隊員の方が「やまびこ、ですね」と声を掛けます。
・・救助の際に機体の文字をしっかり目に焼き付けたつもりでしたが、事故レコで「はやぶさ1号」と記載していたように(⇒訂正しました)、何故だか「やまびこ」が「はやぶさ」に置き換わって記憶していました。「新幹線の名前と同じだな」と連想したためでしょうか。
ともあれ、私を救助して頂いたのは「やまびこ1号」です。
応接して頂いたのは見るからにアスリートな風情で精悍はつらつとした隊員M氏です。学生時代の山岳部を経て警察救助の道に入られたそうで登山も救助もプロ中のプロで、昼前の訪問でしたが既に午前中に1件救助要請で出動して来たとのこと。M氏も私の救助の折に陸からの捜索隊に参加頂いた方でした。生命を救って頂いたことを改めて感謝申し上げると、救助する側の立場として「助けた方からの手紙や、元気な姿を見せに来てくれることが何よりも嬉しく励みになる」との言葉を返して頂きました。
明神での滑落事故についても話し、松本署では聞けなかった「天候不順で救助要請や行方不明捜索の要請が多数集中する中で、何故自分が1番始めに救助されたのだろうか」との想いもぶつけてみたところ、もちろん救助計画の際の具体経緯などは伺えないものの、「明神は地味なようで毎年シビアな遭難事故が発生している」旨や「バットレス(の基部)から数十m落ちた」といった情報から、どうやら実際よりもより厳しい状況を想定されてのことであったのかと想像されました。また、救助の立場から「同じ場所、同じような状況でも救える場合とそうでない場合に分かれることは有り、我々でもその違いが何故かは解らないが、救助されたという結果は、つまりはその人の生き延びる力に拠るものだろう」との言葉を掛けて頂いた次第です。
救助の際のご苦労等も幾つか伺いました。大勢居る似たような登山者の中から直ぐに要救対象者を探し当てるのには苦労されるそうで、人物や人体の特定の際に「色」の情報はやはり重要なのだそうです。
そんなお話を伺う折、ヘリが帰着する音が聞こえます。
「やまびこ1号です。あの時の操縦士と搭乗員の2名が乗っています。」
時間が許せばお会いしたいところでしたが、ヘリの整備やM氏も次の出動に備えての準備や食事休憩も必要なのでしょうし、少し長居してしまったので失礼させて頂きました。
帰る際に2階の廊下から整備場や帰還したやまびこ1号を遠くに見ることができ嬉しかったです。
帰宅してから「やまびこ1号」の画像や動画をネットで検索したところ、救助の際に目に留めたアレコレが映り胸が熱くなります。
朝日に輝く機体や番号、出入りの際に手を掛けたドア上の黒い縁、安全環を掛けるロープ、搭乗員の防音イヤーマフ、黄色い環状のホイスト(牽引具)、、。
長野県警察公式がYoutubeに上げている数本の救助動画には「やまびこ1号」も、訪問時に対応頂いた隊員のM氏も登場されていました。
https://youtu.be/E7wCljvHGgY
https://youtu.be/TkuZS8bMRAA
https://youtu.be/NINctjuQf7M
https://youtu.be/C5_VL8D9oyA
頂いた名刺にはそれぞれやまびこの写真やイラストが描かれています。
救助頂いて以来、街で、家でヘリの音を聴くと無条件に反応しずっと見送るのが癖となっています。
滑落事故のこと、遭難のこと、救助頂いたこと 全て忘れず心に強く刻んでいるのですが、ヘリも忘れない重要な要素となっています。
(後日追記) ※追加写真参照
ビギナーの頃、八ヶ岳の赤岳天望荘にて初めて山岳ヘリ救助を間近で見て度肝を抜かれたのでしたが、その時の機体が「やまびこ1号」でした。6年後にまさか自分が救助されることになるとは。。
最後に松本市の相澤病院へ向かいます。
退院の際は駅までバスで中心街を通り数分でしたが、道を間違えて裏手の川沿いから行きました。閑静な住宅街に立地していたのですね。
屋上に有るであろうヘリポートを見上げながら、早朝にバリバリ音を立てて到着し搬送されたであろうことを思い浮かべます。
私が搬送された日だけでも3−4回のヘリ搬送が有ったのを憶えています。その都度「ヘリが到着する旨、爆音や爆風に注意する旨、ご迷惑掛ける旨」の屋内・近隣へのアナウンスが響いていました。自分を乗せたヘリの到着の際にも、洗濯物を慌てて取り込んだり、寝た子が起きてぐずるのをあやしたり、自宅警備員の睡眠を妨げたりしていたのかもしれません。
病院は休日のため正面玄関は開いてなく、救急の窓口に行きます。キリも良いので松葉杖もこの機に返却し、窓口の事務員の方に救急搬送時にお世話になった旨の感謝を伝えました。
お世話になった救急救命センターのS先生はあいにく休診でした。
バイクの運転もなんとかなりそうなため、ゆっくり途中休憩を入れながら松本を後にして川崎まで帰宅した次第です。
≪最後に≫
御礼巡りのこの2日間で出会った・再会した方々、会話したこと、掛けて頂いた暖かいお言葉、景色やヘリを見て抱いた感情や溢れた想い、これら全てを忘れたくない想いで記した次第です。・・が、結果的に事故レコ以上に冗長となってしまったようです、何だか申し訳ありません。
ここまでご覧頂き有難うございました。
事故レコも含め、私の拙い記録が少しでも登山の危険や安全や救助について、気に留め、考え、議論することに繋がれば幸いです。hatsu
お初コメです。
先ずは、全快を祈念いたします。
人は、歴史的にも様々な失敗を繰り返してきてます。
その度に学習して成功に導いていくものと思ってます。
私は幸いな事に過去に遭難しかかった事はあっても何とか無難に55年以上山登りをしてます。
今日びはリスクの大きな山登りは少ないです。
真っ黒な雨雲の中での雷と雨。光と音が同時、登山道は滝、、。死がよぎりました。
一歩間違えれば、、数知れずです。
御嶽山の噴火一年前に剣が峰からお鉢巡り、。地球の寿命の一年は人間の瞬時。
中央道トンネル天井板落下事故の一週間前に通過( ̄▽ ̄)
長い事生きていると様々な九死に一生的な場面に遭遇します。
バイク(350cc)であわやも数回。
過ぎた過去は戻りません、これからの事が大事です。
完全復活に向けて精進してください。
今回の遭難事故は本人が一番わかってると思うので次に活かせればよし。
私も川崎市に20年住んでました。
丹沢や富士山、八ヶ岳、奥武蔵etc.
バイクは最近ではスクーター(50cc)。
年も歳なので125ccあたりでゆっくり走りたいです(^。^)
自分の力を信じて是非山に登って下さい。
66才になっても山を登って、ギターを弾く、バイクにも乗って、こんな叔父さんが居ても良いじゃないですか。
有難うございます。
人生の先輩ですね、登山、バイク、ギターも。
今は川崎単身赴任(自宅は新潟)なのですが、育ったのは東京の調布のため私の世代だとR20方面のバリバリ系も含め刺激になるバイクムーブメントがございまして、若い頃から色々なバイクに憧れて覚えたりしてました。350ccだと2ストかっ飛び系のRD、RZ、マッハ 等を思い出します。
笹子トンネルは自分も南八ッの帰路に通過したのが事故の先月でした。
レコの駄文長文にお付き合い頂きまして恐れ入ります。
長いこと生きていればバイクや車の運転中然り、ヒヤリとする経験や痛みを伴う経験は幾つか有りますが、大抵は自分要因よりも他動的、不可抗力的、アンラッキーな面のウェイトの方が高めであったのですが、、今回の滑落遭難事故は完全に自分で制御回避出来たはずなのに平常心を失い気が急いて無理をして意識も行動もコントロールせず、出来ずに判断のミスと技術のミスを重ねた結果なので、結構凹みました。
一方で、深く自分を見つめ学ぶ機会となり、何事にも謙虚に感謝しないといけないという気持ちを抱くに至ったことは有難いと思います。
登山についても、上を目指し急ぐばかりではなく、ビギナーの頃と同様に低山や樹林帯でも見ることが皆新鮮で刺激的で足を止めてばかりいたような、ゆっくりノンビリ歩きながら楽しむスタイルも見直してやり直してみようかな、とも思っています。
再起への一歩を踏み出せたようで良かったです。
どんなスタイルの山行でも一生山と関われるなら素敵ですよ。
有難うございます。
事故レコやそちらの北鎌レコのコメにて「北鎌だけはいつかは再訪したい」と記したのでしたが、、下りの段差階段を杖や手摺に頼らないと降りれない状況ですので今は未だ到底描けない、遥かに遠い未来の可能性?です。
その前に残置ザックをどう回収するか、それに向けての心身のリカバリーが向き合うべき課題ですし。
上高地〜明神をゆっくり歩いてみて、時間軸も標高差も視野も異なる登山ならぬ山歩きも今の自分にはイイ & ちょうど良いかな、と感じまして、当座の目標を基本中の基本に戻っての「高尾山」にしようかと思っています。
京王線沿線(調布)で育ったので、小学校の遠足は春秋春秋もう全てが高尾山でしたのでw、多分私の同級生世代は今でも全ルート迷わず歩けるであろう位に身体に馴染んでます。
一つだけ苦言を。
お元気になられてもバイクの擦り抜けはおやめください。
巾2.5mの車に乗ってる者からすると、事故がおきないのが不思議なコト、です。
アドバイスのほど、恐れ入ります。
幅 2.5m となると車両規格上限ですかね、大型トラックのプロドライバーの方と推察します。
登山に限らず、バイクも車でも、長い人生たまたま運良く大事に至らずに済んでいただけで過信や驕りも有ったことかと思います。
今回、人生で初めて「死んでいたかもしれない」経験をしたおかげで心身共に凹んで弱気になっておりますが、だからこそ今の謙虚でビビりで慎重な心持ちを忘れずに、運転も生活も含め向き合う姿勢で臨みたいと思います。
有難うございました。
あの時死んでいたら、と言うことで一念発起して別人のようになって頑張られた方が知り合いにおります。これから良い事があるように願っております。
有難うございます。
この様な経験をして生命を救って頂いたからこそ、この経験を、抱いた様々な心情を、次のモノゴトが良い事になるように活かして行かなくてはバチが当たると思います。
hatsuさん こんにちは
コメントをいただき返信できなかったことをお詫び申し上げます。
コメントをいただいた当日、クライミング中に自分がピトンを打った岩が割れて抜け他人に怪我をさせてしまい…今日まで余裕が無かったことご容赦ください。
東稜での張り紙およびザックは確認しまてした。
モンベルのロゴがあったためツアー中の事故かと思ってたのですが、そうではなかったのですね。大事に至ってなくホッとしています。
ヤマレコにアップされた時系列の事故報告はとても参考になりました。
とはいえ活用することが無いようにしなければいけませんね(笑)
最近思うのですが、人の命は些細な運命の上に成り立っているように感じます。
自分もオートバイを乗るのですが…馬鹿みたいにぶっ飛ばしたりコーナー攻めたり、クライミングやったりスキーで谷に飛び込んだり…改めて考えると運命の上で生かされていたようにも思います。
hatsuさんが生き延びることができたのも運命なのかもしれませんね
良いことではないのですが貴重な体験をされたことを羨ましく感じます。
自分は現在、山岳遭難に関していろんなことを体験および学ばせていただいています。しかし、健全な身体であることに申し訳なく思う今日この頃です。
変なこと書いて申し訳ありません(笑)
これからもお互い山屋であり続けましょう!
yama さん
明神レコの前穂の救助ヘリの写真を拝見しまして、特徴有るテールローターの形から自分が救助された長野県警ヘリのやまびこ1号だな、と感慨深く思いました。ただ、この時の事故や救助の様子は他の方の明神レコにも有りましたが残念な結果だったようですね。。
他のたくさんのレコも拝見しました。アルパイン、沢登り、積雪期、山スキー、山岳会でのリハビリ登山支援、、ほぼ毎週のように山に入っておられるのですね、感服します。
「人の命は些細な運命の上に成り立っている」
との言葉、身に沁みるように感じ入ります。
滑落し救助され怪我をいた身として、「何故死なずに済んだのか、この程度の怪我で済んだのか、救助頂けたのか」とずっと考えてみるのですが、幸いで有りまた有難いことに、自分は今回は生かして頂ける立場だったのかな、との想いに至ります。同じ救助ヘリの機体でも前穂の件のように生きて帰れなかった方も居る訳ですし。
ですので、せっかく生き延びることをさせて頂けたのた、生命を拾って頂けた身なので、これからは山や登山に対しても、日々の暮らしにおいても、時間や機会をより大事にして、謙虚に、誠実に、感謝の念を抱いて、向き合って行きたいものです。hatsu
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