江戸時代の高尾山コース(後期・幕末)


- GPS
- --:--
- 距離
- 6.5km
- 登り
- 448m
- 下り
- 31m
コースタイム
坊ヶ谷戸コース: 金比羅台古参道 - 古道を辿る(ぶなの木カフェ前) - 高尾山口駅(氷川神社前) - 高尾山登山口(清滝駅前広場 - 一ノ鳥居跡) - 1号路 - 金比羅台(七盤嶺) - 1号路 - 薬王院 - 高尾山山頂(紫陽関)
天候 | 晴時々曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2018年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自転車
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コース状況/ 危険箇所等 |
歴史散歩。幕末、高尾山登山のメインコース。 高尾駅北口から甲州道中を進み、古道を辿るという幕末高尾登山のメインコース。特にむずかしくない、初歩的な読図は必要。 主に住宅地を通過するため、このルートを訪れる際は、節度ある行動をお願いします。 小名路までの道順は甲州道中で紹介しています。甲州道中以前のさらに古いルートもあるのですが、やはり現在は住宅街のため割愛します。 落合口留番所跡は所在地の番地も判明していますが、これもやはり現在は住宅が立ち並び、すでに跡形もないため、あえて曖昧に説明します。 |
写真
装備
個人装備 |
パスハンター
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感想
高尾山に庶民が押し寄せるのは江戸中期以降。当時、神社仏閣での参拝もしくは登拝-遥拝が建前で、それがレジャーを兼ねている。江戸庶民には純粋なレジャー登山の概念はまだなかったそうです。
幕末、小名路追分側が高尾山入口であったことは文献からも確かですが、古一ノ鳥居に関しては、実在説と実際には建立されなかったという二つの史観が。坊ヶ谷戸不動院前の一ノ鳥居は遺跡が残ることからも実在したとされています。
「上椚田橋で小仏川を渡り路地を入る」-「右角に「高尾山荘」のあるT字路突き当たり」、この区間上に落合口留番所が置かれていたと考えて下さい。
この坊ヶ谷戸付近までのルートは相模方面に通じる津久井往還の名残です。現在の国道20号側は、そのさらに裏道であったと推察しています。
いずれにしても江戸期には甲州道中がメインロード、甲州道中側から高尾山に入るのが自然でしょう。国道20号は明治以後の新道であり、それにより追分の分岐ができたと考えるのが捉えやすいと思います。
簡単に、江戸庶民の高尾登山は黎明期、ある意味マイナーな山。甲州道中側高尾山入口を見落とし駒木野まで進む者が続出、または超裏道であった国道20号側で迷う者も。それで角屋の角におまけ画像にある石柱を建立、また国道20号側には現存する金比羅台の道標を建立。
国道20号開通後、戦前のメインコースの一つは、国道20号 - 現在の氷川神社の一ノ鳥居 - 氷川神社 - 清滝 - 1号路 - 金比羅台 - 1号路 - 薬王院 - 高尾山山頂。
ただ高尾は多摩御陵もあるので、旧浅川駅(現高尾駅)から多摩御陵を経て高尾山に登るのもポピュラーなコースだったようです。
ちなみに以前紹介した「机竜之助ルート」は、この落合近道で、お若と机竜之助は蛇滝に向かったものと思われます。
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