【過去レコ】1996年 キリマンジャロ・マラングルート
- GPS
- --:--
- 距離
- 64.5km
- 登り
- 3,987m
- 下り
- 3,993m
コースタイム
8/8 マラングゲート1800m−マンダラハット2727m
8/10 マンダラハット2727m−ホロンボハット3720m
8/11 ホロンボハット3720m 順応日
8/12 ホロンボハット3720m−ギボハット4750m
8/12 ギボハット4750m−キリマンジャロ山頂5895m−ホロンボハット3720m
8/13 ホロンボハット3720m−マラングゲート1800m
天候 | 乾季もあってか、山もサファリツアーもずっと好天続きでした。 |
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アクセス |
利用交通機関:
バス
飛行機
8/5 ボンベイ=ナイロビ 8/6 ナイロビ=アンボセリ国立公園 8/7 アンボセリ=アルーシャ国立公園 8/8 アルーシャ=マラングゲート1800m−マンダラハット2727m 登山1日目 8/10 マンダラハット−ホロンボハット3720m 登山2日目 8/11 ホロンボハット 順応日 登山3日目 8/12 ホロンボハット−ギボハット4750m 登山4日目 8/12 ギボハット−キリマンジャロ山頂5895m−ホロンボハット3720m 登山5日目 8/13 ホロンボハット−マラングゲート=アルーシャ 登山6日目 8/14 アルーシャ=ンゴロンゴロ自然保護区 8/15 ンゴロンゴロ=ナイロビ 8/16 ナイロビ=(エアインディア) 8/17 =ボンベイ= 8/18 =成田 |
コース状況/ 危険箇所等 |
足回りはハイカットの軽登山靴でした。山頂直下は富士山の須走の様な感じなため、スパッツはあった方が良さそうです。 危険な所はありませんでしたが、山頂アタックの際の防寒と、高山病だけは注意です。参加したツアーは順応を意識してホロンボハットで2泊で、これも効いてか、自分は高度障害は殆ど出ませんでした。ホロンボハットから上の山小屋には、車輪が付いた担架が用意されており、高山病の症状が悪化した登山客が出た場合、これで降ろされる様です。 山頂アタックの日は、夜出発でとても寒いのでヤッケや手袋、またヘッドランプが必要です。 |
その他周辺情報 | 山以外の宿泊場所です。 エージェントに用意頂いた宿はいずれも快適で、特にロッジは大自然の中にあって素敵でした。キリマンジャロ登山の前後で、周辺の国立公園等でサファリツアーもできれば有意義になると感じます。 ・ナイロビ Hilton Nairobi https://www3.hilton.com/en/hotels/kenya/hilton-nairobi-NBOHITW/index.html ・アンボセリ Amboseli Serena Safari Lodge https://www.serenahotels.com/serenaamboseli/en/default.html ・アルーシャ Momella Wildlife Lodge http://momellawildlifelodge.com-arusha.com/en/ ・アルーシャ Novotel Mount Meru Hotel https://easternvacations-kenya.com/mount-meru-hotel-novotel-arusha-tanzania/ ・ンゴロンゴロ Ngorongoro Wildlife Lodge http://www.hotelsandlodges-tanzania.com/properties/en/ngorongoro_index.php |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
靴
サブザック
昼ご飯
行動食
飲料
地図(地形図)
コンパス
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
保険証
時計
サングラス
タオル
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感想
会社の夏休みが16連休で、これをフルに使いました。
個人旅行では効率良く移動できないし、そもそもそんな旅慣れて無いため、日本からのツアーを使いました。山だけならもう少し短い日程を組めたかと思いますが、サバンナのサファリツアーもしてみたかったので、ゆったり日程のツアーにしてみました。キリマンジャロに、アフリカの自然も楽しめたので良かったです。
キリマンジャロは、これと言って技術的に難しい部分は無く、ハイカットの軽登山靴で充分と感じました。ガイド、ポータ、コックのお陰もあり、個人装備も最小限で、山はサブザック一つで行動していました。
我々は登りのホロンボハットで2泊した為、自分は殆ど高度障害が出ませんでした。ギボハットの朝食(と言っても深夜)が食べれなかったものの、概ね調子は良かったです。
また乾季とあって、道中天候は一度も崩れる事もなく、これも良かった。
我々ツアー参加者は14名、エージェントのツアーガイドが1名
現地ガイドが5名、ポータ、コックは我々以上に居た様で、総勢50名ほどだったかと思います。
14名は、高山病で体調崩した1名が先に下山。しかし、その他はギルマンズポイントか、またはその直下まで登れました。ウフルピークは自分だけでした。
以下は、会社山岳部の会報に載せたものを加筆修正したものです。
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アフリカ最高峰のキリンマンジャロは東アフリカの赤道直下、ケニア、タンザニアのほぼ国境に位置する山である。キリマンジャロとはスワヒリ語で「白く輝く山」という意味で、山頂にはラッツェル氷河、レブマン氷河、ディケン氷河、ノーザンアイスフィールドと多くの氷河がある。標高こそ5895メートルであるが、高度順応に失敗しない限り技術も必要としない。キリマンジャロ登頂は日本から最短で11日で登頂可能であり、自分の夏休みでも、休み初日に出発する便(ナイロビへはカラチ経由パキスタン航空か、ボンベイ経由のエアーインディアが一般的)があれば往復できる。しかし、アフリカに行って山だけというのも、もったいない。サバンナを走るキリン、ライオン、象を一目見たいと思っていた。(キリマンジャロ空港へ直接アプローチをすればで11日間でキリマンジャロ登山とサファリの両方が可能との情報もあった)。幸い、ありがたい16日の夏休みがもらえたので、一般公募のツアー(アルパインツアー社)に参加した。
ツアー参加は初めてであった。日本全国から集まった楽しい仲間と、山と旅行とサファリを楽しみ、毎晩酒を飲み、楽しかった。
8月4日
2日に仕事が終わり。元山岳部のOさんと飲みに行く。餞別を頂いた。3日は寮で一日出発準備。4日早朝に歯を磨いていると同僚のY君に会った。「成田までドライブがてら送って行きましょうか?」と送ってもらえる事になった。一時間程のドライブで成田空港第二ターミナルビル着。彼に一緒に空港に入らないかと進めたが、短パンで恥ずかしいのでと言う。礼を言って別れると、とうとうアフリカだと気が引き締まった。空港内をぶらつくのにも飽きた頃、集合場所にツアーのバッチを付けた年輩の夫婦がザックを置いた。話を聞いてみると同じツアーに参加の人である。奥さんが見送りに来ており、3人で空港内で飲んだ。集合時間には他の3名とツアーリーダーの宮城氏が揃い全員集まった。挨拶もそこそこにチェックイン。皆一人参加であった。
昨年と同じエアーインディアにてデリー、ボンベイに向けフライト。ボンベイ着は夜8時、あの蒸し暑いインドに帰って来た。むっとする湿度、ターバンの男性、サリーを来た女性、黄色と黒のタクシー、待っていたのは昨年と何も変わらぬインド、思い出すのはストックカンリだ。
8月5日
朝泊まったセントゥールホテルのロビーで関西空港からのメンバーと合流し、朝食。このツアーは東京、大阪の便の人がいて、インドで顔合わせなのである。自己紹介はアフリカの夜という事で空港へ急ぐ。
ボンベイを朝10時の便で夕方4時ケニアのナイロビに着いた。ボンベイからの便は日本人が半数近くいて、びっくりする。ナイロビの入国審査で黒人の女性にイエローカードを渡した時、ついにアフリカに入ったと実感する。
ところが、早速トラブル。荷物が出るのをいくら待っても我々全員の荷物が出ない。最悪な事に我々全員の荷物がトランジットの際にボンベイに積み残された事が判明した。他にも別のツアーで来ていた日本人女性の荷物が出なかった様であった。山の装備も着替えも全てインドに残ってしまった。しかしツアーリーダーの宮城氏がエアーインディアと交渉した結果、3日後の次の便で送ってもらう話しがついた。また彼はその際、航空会社より一人2000シリングの着替え購入代を請求しており、抜け目が無い。ケニアの旅行社の車で市街地のホテルに向かうが、山に登れるのか不安であった。
色々あった初日も、夕食をして自己紹介となる。宮城氏(拓大山岳部OBマッキンレー登頂者)以外にツアー参加者は全部で14名。教職関係が5名、会社員が6名、主婦や定年後の人3名と様々である。
8月6日
サファリをする為、アンボセリ国立公園に向かう。アンボセリ着は夕方で、本日はひたすら車移動の日となった。1時間も走ると見渡す限りの草原(サバンナ)となり、ぽつぽつ動物達が見られた。途中立ち寄った土産屋。色々と木彫りが並んでいたが高そう。小さいバーでアフリカのぬるいビールで乾杯した。
ナマンガの国境の町の少し手前を幹線道路から左に外れた。どうらやアンボセリ入り口の様子ではあるが、道と呼べるものは無く、わだちが幾筋か残っておりそれを右に左にと進む。猛烈に乾燥しており、砂埃を上げて進む。車内にも小さな隙間から容赦なく砂埃が進入してきた。2台の車に別れて移動するが、途中で2台が離れてしまった。しかし遠くの方で立ち上る砂埃でもう1台の位置が分かった。キリンが親子が現れ感激。このあたりで気になる山が遠くに霞んでいた。だんだんよく見える様になると、頂上を白くした独立峰。キリマンジャロと分かり、興奮する。
車は乾季で干上がった湖(アンボセリ湖)を走る。全く平らで真っ直ぐに走る道の先が見えなかった。アンボセリ国立公園でサファリをしながらセレナロッジに到着。ここは国立公園のど真ん中にあり、バルコニーからでもシマウマや象が見えた。
サファリは夕方の方が動物が多いそうである。夕方日の入りまで公園内を回って戻った。夜、先ほどのバルコニーで宴会をした。照明のあたる百メートル位先を百頭ほどのシマウマの群れが歩いており、自然の演出とほろ酔いで会話も盛り上がった。
8月7日
今日は国境を越えてタンザニアに入る日。朝サファリを移動しながら楽しみ、途中アンボセリ国立公園内のマサイの村に入る。彼らは自分達の生活に誇りを持っており、彼らに許可無しにカメラを向けようものなら槍が飛んでくるそうである。しかし最近は観光客をマサイの集落に入れ現金収入を得ている様である。我々も一人15ドルを支払い中に入った。家畜の糞で作られた丁度人の背丈くらいの丸い家が20程円形に配置されその真ん中が広場となっている。集落の外側には枯れ木を積み囲み動物の進入を防いでいる様である。我々がその中庭に案内されるとマサイの女達が歓迎の歌を歌っていてくれた。顔に原色の彩色をした人、小さい子供を背負った人と彼女らが横一線となり歌ってくれている。ここでは写真を取ってもいいという許可がでたので夢中になる。マサイの民族衣装は赤いものが多く、チェックになっていて、サバンナの乾いた薄茶一色の世界でよくこの色が映えていた。家の裏側に行ってみると子供達が沢山いた。ワーという歓声が上がると取り囲まれてしまい、口々にスウィート、スウィートとキャンディーを要求される(子供達も片言の英語をしゃべる)。リーダー格の少年が僕の所に来てペンとノートをくれという。文明から遠ざかっている少年達も文字や絵を書いてみたいのだろう。今度来る事がもしあれば、キャンディとボールペンを沢山持ってきてあげようと思う。広場に戻ると、男達が木彫りの人形やペンダントを売り始めていた。交渉下手だと高い買い物になるので注意である。商売は彼らの方が上手の様であった。
ナマンガでいよいよ国境を越える。ケニヤの旅行社とはここで別れ、代わりにタンザニアの旅行社の車が待っていた。ここの国境はマサイの人も住んでいて、彼らはゲートの端の隙間を自由気ままに往来し、国境は関係ない様だ。入国審査を待つ間土産売りの若者に取り囲まれ中曽根、鈴木だの知っている限りの日本人の名前を呼び我々に木彫りの人形を差し出している。日本人はどこに行ってもカモなのかも知れない。しつこい物売りには目を合わさない、話しかけられれも答えないでいるのが一番である。
国境を越えても乾いたサバンナが続き、岩登りの出来そうな岩峰ロンギド山が迫る。アルーシャの町が近づくと目を引いたのがメルー山である。この山はキリマンジャロに近いが4566メートルの山であり一般ルートには山小屋が幾つかある。これだけの風格を持ちながらキリマンジャロの近くで不愚な山である。登ってみたいと思った。アルーシャ国立公園にあるモメラロッジに夕方到着。右にキリマンジャロ、左にメルー山、近くにはキリンの親子も居てすばらしい所であった。女の子の喜びそうな可愛いらしいロッジが今日の宿である。マラリア防止の蚊帳もあったが、高原で寒くて蚊も少ないのではと思った。
8月8日
昨夜、宮城氏が我々の荷物がやっとインドから届いたという事で国境まで取りにいってもらった。宮城氏との待ち合わせは幹線道路に出るT字路。待ち合わせ場所に着いてキリマンジャロコーヒーの畑を見ていると程なく宮城氏到着。彼はタンザニアのスタッフと夜通し車を飛ばし戻ってきた。車の中には我々全ての荷物が山積みされていた。山に登るツアーも特に辺境となるとツアーリーダーは大変である。本当は旅の苦労こそ楽しみと思うので、自力で旅してみたい気持ちもあるが、二週間で山とサファリの全ての日程をこなすには、自分のように旅慣れてない人では無謀であろう。間違えながらドキドキする旅と、全て出来上がった順調なパッケージツアーの楽しみは別だと思う。
荷物を受け取り入山に備えて道ばたで着替える。女性達は物陰で着替えた。荷物も届き後はいよいよキリマンジャロである。モシの町から更に車をとばし気がつくとマラングゲート着。荷物は下山後のホテルに向かい、我々は登山ガイドとの自己紹介の後、マンダラハットに向け出発。聞くと我々14人と宮城氏に、現地登山ガイド5人、コック3人、ポーター30人ととんでもない人数が揃ったらしい。登山者が増えればガイド、コックに相応な人数を必要とし、ガイド、コックの分を含め全ての食料と燃料を荷上げするポーターがとんでもない人数になるという図式である。
ここはまだ1550メートル。気の遠くなる3000メートルの登りが待っている。森林限界は遥か遠く森の緑とひっそりと咲く赤い花は日本にいる様な錯覚を受ける。時折食料とコックを乗せたジープが抜いて行く。実は途中登山道から離れホロンボハットまで車道が続いているらしい。ガイドと話しをしながら登り、楽しかった。
マラングゲート→マンダラハット(3時間50分)
8月9日
マンダラハットの一番端の大きめの小屋、我々の泊まった小屋。夕べは二段ベットの上で寝相の悪い僕としては柵の無いベットに寝るの少し怖かった。時折目を覚まし自分の位置を確認した。朝、下で寝ていた愛媛のYさんに「夜ガタガタうるさかったわよ」なんて冷やかされる。ここの標高は大した事が無いので皆元気である。
宮城氏がホロンボハットのベットを確保するため先に出発した。ガイドと我々はポレポレ(スワヒリ語でゆっくりという意味)で行く。マンダラから暫くは薄暗い森をいくが、2時間程で展望が開け、キリマンジャロのアイスキャップが見えた。天候もすばらしく、歓声が上がる。山頂が見えるあたりから、マウェンジ峰を左にトラバースする様になり、高度が全く上がらなくなる。下山してきたパーティがアイゼンとバイルをザックにつけており、おやと思った。どうやら氷河を越えて縦走してきたらしい。下山してくるパーティ、追い抜いて行くパーティ。世界中からこの山を目指して来ている。ガイドのラスタムと先を急いだら二人きりになってしまいった。マウェンジ峰のトラバースに嫌気がさす頃、小さい峠を越えたら煙の上がるホロンボハットが眼前に飛び出した。ホロンボハットのデッキで宮城氏と合流。ホロンボハットは3720メートルにあり、森林限界が近く腰位の植物に覆われている。ひときわ目を引いたのはセネシオスという植物。大きく長い葉を持っており、その葉が枯れても幹から落ちず枯れ葉が幾重にも重なり、遠巻きには太い幹に見える。丁度、カラオケマイクのお化けがニョキニョキ生えている様であった。ホロンボハットは食堂用の大きな棟と、宿泊用の小さな小屋(8人収容の2部屋でバンガローに近い)が10棟ほどあった。3角屋根には太陽電池、床下にはバッテリーがあり、入口のブレーカーを上げると小さい蛍光灯が二つついた。夜の食事が又楽しい。山に入るといつも歩く為のカロリーしか受付られなくなるのだが、ここの食事は口にあって助かった。山小屋の食事は、朝食はパン、サラダ、(黄味の白い)卵焼き、ベーコン又はウインナー、コーヒー。夕食は豚肉又は鳥肉、野菜炒め、ジャガイモ料理、焼きそば、米をつぶした様なスープ(日本から持っていった醤油を垂らしたら美味しかった)又はコンソメスープ、ライスと、これでもかといったくらい沢山出てくる。(昼食は毎朝コックが、サンドイッチ、フルーツ、チョコレート、ゆで卵などが入った行動色の袋を分配する)胃袋の弱い僕としては、アフリカ入りを前に整腸剤を沢山持ってきたが思わぬ誤算であった。チーフリーダーのピーターは食事の面倒まで見てくれて頭が下がる。
マンダラハット→ホロンボハット(6時間35分)
8月10日
今日はホロンボハット停滞日。宮城氏が話していたが、ここのホロンボハットは上のギボハットや、下のマンダラハットと違い、登っていくパーティと下山してくるパーティの両方が泊まりかなり混雑する。そこで連泊する事はかなりガイドに嫌がられるそうである。確かにベットにありつけずテントの人がいるのも事実。しかし、ここでの二泊は高度順応には大きく、登頂率がかなり上がるという。キリマンジャロの一般行程は初日マンダラハット、2日目ホロンボホット、3日目ギボハットで毎日千メートル登り、4日目山頂往復しホロンボハット、最終日マラングゲートへ下山する5日行程が一般である。六千弱の山を毎日千メートルづつ登るのできつい。現にガイドに抱えられ重度の高山病に犯され下山していく人を見ている。食堂の下にあった車輪つき担架は高山病者搬出用である。
この日はマウェンジ峰トレッキングで4千メートルまで往復する。ホロンボハットから右の道を行くと縦縞のゼブラロックがある。ここからだらだら登り、マウェンジ峰ルートとの分岐を分けると、キリマンジャロの良く見える高台に出た。長野のTさんが高山病で苦しそうであった。初めてキリマンジャロの全容が見えた。明日登るロアール―トが砂礫帯上に一本の線のように見えた。ギボハットや、外輪山に直登するルートまではっきり見える。マウェンジ峰の岩稜もすばらしい。ホロンボハットに下山すると高木さんが高山病でリタイヤし、ガイドと共に下山する事になった。
寝る前に又オキシメーターを測定。オキシメーターは血液中のヘモグロビンと酸素がどの位結合しているかをみる機械で、通常の平地でSpO2は98から100くらいが一般である。この時は85から90で、心拍数は95もあった。やはり少し慎重になる。夜はぐっすり眠れた。
ホロンボハット→マウェンジ峰直下(4時間)→ホロンボハット(1時間30分)
8月11日
今日はいよいよギボハット入りの日。今日も山小屋のベットを確保すべく宮城氏は一人先行する。ホロンボハットから左にトラバース気味にだらだら登りが続く。途中、小沢を二つ越えキリマンジャロの展望の効く丘に登り詰めれば、よく写真で見るサドルと呼ばれる真っ平らな台地に出る。ギボハットは尾根に隠れ見えないが、1キロ程、真っ直ぐのびる登山道に蟻の様に登山者が続いている。ガイドのエミリと共にのんびりと行く。緩い尾根を越え、左に回り込むとギボハットから外輪山に登る急登のルートの全容が見えた。富士山の砂走りの様である。僕と横浜のSさん、東海山岳会のAさんの三人のパーティとなる。ギボハットはルート左に、宿泊棟とガイド、コック用の大きな二つの建物があった。標高は4700メートルで丁度モンブラン山頂位ある。受付売店ではミネラルウオーターの他ビール(誰がこんな所で飲むだろうか?)まで売っている。厳しかった愛媛のYさん、愛知のA夫妻が相当遅れたが登ってきた。ホロンボで下山したTさん以外は全員集結できた。我々はポーターの大勢に世話になっていたが、我々の部屋に最後の荷物を運び込んだのは14、5の少年達であった。リーダー各のマックス少年は、荷物を置き愛くるしい笑顔を見せる。彼はマウェンジトレキングでも一緒に登っており、我が女性軍の一番人気であった。
だるい高山病の症状が出始めたのは夜。離れのトイレも一仕事である。それと夕食。食欲も落ち、食べれる物だけ食べる。SpO2は68から80で予想どうり、脈泊は110でさすがにきつい。
ホロンボハット→ギボハット(5時間10分)
8月12日
窓を打つ風の音も、暗黒の底に落ちていく夢の中で聞く。夜か昼か?どっちが上か?何をしているのだろうか?と変な夢の中にいる時、突然入り口のドアの音で目を覚ます。12時の起床時間である。重い体でガサガサとパッキングを始めた。SpO2は遂に65、脈は120で寝起きは、ものすごい状態になっている。アルパインの差し入れでミニカップメンが出たが、お湯を入れただけで、僕は一口もつけられなかった。昨夜打ち合わせをした様に、ウフル(キリマンジャロの最高峰5895メートル)を前提に行動する1班、ギルマンズポイント(直登するルートを登り詰めた外輪山のピーク、5690メートル)での調子次第でウフルをねらう2班、ギルマンズポイントのみを目標に行動する3班に分けられた。一班では私、Aさん、Sさんの3名であったが、Sさんはオキシメーター値が相当下がってしまい2班に変更した為、1班は二名だけになってしまった。ガードはチーフのピーターが付いてくれた。ギボハットの前に全員集合すると各班ごとに出発した。我々1班が先行する。既に先行パーティのヘッドランプがだいぶ上の方で一列に揺れている。あるもの全てを着込んでも、気温が相当下がっており、風も強く寒さはもの凄い。砂礫のつづら折りを何度も繰り返す内に睡魔に襲われる。頬を叩きながら進むが歩きながら半分寝ている状態が続きつらい登りであった。ハンスメイヤーズケープという岩穴で今日初めて休む。韓国の先行パーティもここで休んでおり、年輩の韓国人が飴の差し入れをしてくれた。まだ満点の星空でマウェンジ峰のシルエットさえ見えなかった。我々後続の班はポレポレで上がるとの事でヘッドランプの灯りも見えなくなってしまった。自分達が昨日見上げたルートのどの辺りにいるのか全くわからない。洞窟を後に出発。やっと睡魔からも解放され調子が上がる。美しいキリマンジャロの頂上直下を一歩一歩噛みしめながら登っているのだと思う。先頭のピーター、前にいるAさん、僕の順で、砂礫にザックザックと規則正しい音を立て順調に高度を稼ぐ。空の星の数が減り始めマウェンジ峰がくっきり見えてくる、夜明けが近い。
日の出の瞬間はギルマンズポイントの200メートル直下に居た。Aさんのペースが明らかに落ちた。山を何年もやっていれば一目見ただけで、その人の技量は大方分かる。一回りも年下の彼女は僕よりも強いと思っていた。ポレポレで登ってきたが6000弱の標高を一気に登り詰めるのはやはり厳しい。僕の方は昨年ここより高い高所に順応させたという違いがあるのかも知れない。ギルマンズポイント7時丁度到着。僕らは通過点と考えていたので、登頂したという感じは無かった。右手に写真で見覚えのある階段状氷河、左手にはウフルピークが見え、外輪山のお鉢の中にも氷河が見えた。2人好調ならウフルに向けピストンにすぐ向かいたいが、調子を崩したAさんを残しピーターと二人で出発する訳にいかず、後続の我々の班を待つしかなかった。ウフルピークへのピストンはギルマンズポイントを8時迄に出発する事と9時半を過ぎたらギルマンズポイント手前でも下山するという二つの申し送りをしていた。従って8時迄に決断しなくてはならず、僕はウフルピークはもうこだわらないと決めてしまった。後続の2班と宮城さんが登ってきた。但し3班はだいぶ下にいる様子であった。思い思いにキリマンジャロ登頂を味わった。1,2班全員でギルマンズポイントでの写真を取る。宮城氏にウフルピークを進められ、2班にいた兵庫のMさんも行きたいとの事で、急遽、ピーター、自分、Mさんの3名で出発した。Aさんに山頂の写真を頼まれ約束する。ところが十分程登るとMさんが「もうだめだ、下山する」と言い残しギルマンズポイントに戻ってしまい、結局ピーターと2人だけになってしまった。ラッツェル氷河、レブマン氷河を左に見ながら高度を上げると、メルー山が見えてきた。ほとんど山頂と同じ高さに来たかと思ったが、小ピークにだまされがっかりする。次第に疲労して来る。今度こそと小ピークに立つと、もうちょっと高いピークが又先にあって、肩を落とす。ピーターが笑って肩を叩く。もう時間も厳しいので引き返したいと話すと、もう少しだからがんばろうと励まされた。何人かが座っていた所に着くと、アフリカ最高所のカンバンを見つけ、力無く座り込んだ。やっと着いたという感じでだった。ピーターと握手をした。
早く下山しないと今日中にホロンボハット迄下りられなくなるので、写真を写し下山する。もう少し頂上を楽しんでいたいが時間が無い。だれも居ないギルマンズポイントに戻り、更に先を急ぐ。
ギルマンズポイントから電光形に切られた登山道を無視して真っ直ぐ走り下りる。富士の砂走りの様に高度を一気に落とせる。ギボハットから6時間かかった登りをピーターと2人、1時間で走り下りた。ピーターは強くて思いやりのある人であった。走るように下りていると、ある時止まれと言う。見ると足元には一畳程の岩盤がむき出しになっており、砂利に覆われていた。このまま勢いを付けて岩盤を走り下ったら転倒していたかも知れない。ギボハットでは、仲間の半分が下山の準備をしており、やっと追いついたという感じであった。デポした荷物をまとめると長い下りが待っていた。同じ会社の宇都宮事業所の人が入れかわり登ってきていた。12時間を超える長い行動時間のすえ、クタクタになりホロンボハットに戻った。
ギボハット→ギルマンズポイント(6時間分)→ギボハット(1時間5分)→ホロンボハット(3時間)
ギルマンズポイントからギボハット往復は2時間25分
8月13日
それぞれのキリマンジャロは終わり、下山の朝となった。我々とガイドと全員で写真を撮り、下山する。山頂の見える最後の草原があったが、キリマンジャロとの別れを名残惜しみ、出発したくない気分であった。
マンダラハットから5日ぶりのマラングゲートに戻る。ここでははガイドとの別れが待っていた。登頂証明書譲与式が終わると、公園事務所敷地の隅の方に呼ばれた。行くと、ガイド、ポーター達が全員揃っており、キリマンジャロの歌を歌ってくれるという。キリマンジャロ、キリマンジャロと陽気な歌であるのだが、僕はポロポロ涙が止まらなかった。歌の後、タンザニアの旅行社の車が駐車場に横付けされ別れの時間となった。旅行社の人がチーフガイド、ガイド、ポーターのチップを読み上げた。昨日宮城さんがかき集めていた米ドルチップである。後に来る人には申し訳無いが沢山上げたい気持ちであった。実際、宮城さんが渡したのはチーフガイドでもせいぜい50ドル位であった。
たった5日間であるが、一緒に山に登ったガイドやポーター達。言葉も宗教も皮膚の色も違うが、お互いに片言の英語でも気持ちは充分通じたと思っている。精一杯のお礼を言い車に乗り込むとはち切れそうな思いであった。車はアルーシャのホテル・ノボテルマウンントメルーに着いた。熱いシャワーで久しぶりにさっぱりできた。
ホロンボハット→マンダラハット(3時間50分)→マラングゲート(2時間)
8月14日
本日はンゴロンゴロ自然保護区に向け出発。アルーシャの舗装道路から乾燥したサバンナに入り、ひたすら車を飛ばす。半日の移動で憧れたンゴロンゴロに到着。ンゴロンゴロは南北16キロ、東西19キロ、深さ600メートルの世界有数の火口原を持つクレーターである。丁度巨大な自然動物園となっていて、ここに住む動物は一生をここで過ごすと言われている。我々の泊まったワイルドライフロッジはクレーター内を一望するガケに立っており、近代的建物は一流ホテル級で食事も美味しかった。ここがアフリカであることさえ忘れてしまいそうであった。
クレーター内にジープで下りる。ここもマサイが自然と共生しているが、ドライバー兼説明員によるとクレーターの外に住むマサイが、家畜の放牧でクレーターに下りてきているとの事である。動物は非常に多く、ヌーとシマウマの群れ。クレーター内にある海水の湖にはフラミンゴの群れ、小さい池にひしめき合うカバ、悠々と歩く象、かわいらしいトムソンガゼル、グランドガゼル、ジャッカル、ウオーターバック、大きいバッファローの群れと、ここでは弱肉強食の厳しい世界は感じられなかった。しかしヌーの群れから更に車を走らせるとライオンの親子、ブチハイエナが見られた。狩りをする場面に出会えるのはまれとの事で、ライオンやハイエナに車を寄せても地べたに横になったまま昼寝から起きない。我々は彼らの昼寝をじゃまするうるさい珍客でしか無いようであった。
8月15日
早朝、眠い目をこすり再びクレーター内を走りサファリをした後、ケニアに向けて出発となった。長い長い移動の後ナマンガで再び国境を越えケニアに戻る。ナイロビのホテルに向け又長い移動となる。ナイロビのヒルトンホテル着は既に夕方であった。
8月16日
ナイロビの焼き肉レストランでキリンやワニの料理でアフリカ最後の夜を満喫し乾杯した。ナイロビ空港から、インドのボンベイへ。
8月17日
ボンベイに朝着。時差ボケなのでセントゥールホテルのベットで横になる。フライトは夜。ボンベイでは関西、四国、九州のメンバーとお別れとなった。又全員で会いたいと思った。
8月18日
朝、成田着。明日からの仕事に備え、今日一日は社会復帰のリハビリである。
すばらしい自然が残るアフリカ、そこで陽気なガイドと山に登り充実した夏休みであった。いつか登りたいのは南米アコンカグア、しかし16連休でも厳しいので、これはちょっと無理そうである。アフリカなら今回見てきたタンザニア・メルー山、モロッコ・ツブカル山、ウガンダ・ルエンゾリ山あたりが登れそうで、いつかまたチャンスがあればと願う。
キリマンジャロの歌のYouTube 動画があったのでリンクしておく。
https://www.youtube.com/watch?v=ugg01Me-2R4
この動画には歌詞がついています
https://www.youtube.com/watch?v=2FZc3aYCV0s
ホロンボハットで録画されたもの
https://www.youtube.com/watch?v=UpJKoQLJnUI
マラングゲートのようです(我々と同じ、下山祝いの歌のようです)
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