01セグロセキレイ
福谷河川敷公園駐車場近くに2羽いました。ハクセキレイとは違い、顔が黒く目の上に白い眉斑があります。尾羽を上下に振りながら歩くのが特徴です。動画も撮りました。
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01セグロセキレイ
福谷河川敷公園駐車場近くに2羽いました。ハクセキレイとは違い、顔が黒く目の上に白い眉斑があります。尾羽を上下に振りながら歩くのが特徴です。動画も撮りました。
02モミジ
樹高1m未満の小さな木でしたが、きれいに紅葉していました。
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02モミジ
樹高1m未満の小さな木でしたが、きれいに紅葉していました。
03サザンカ
路側帯に低い生け垣があり、ちらほら咲いていました。おしべの一部が花びら化しているので、寒椿かもしれません。寒椿は区別がつきにくく、最近はサザンカの一種とされているようです。
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03サザンカ
路側帯に低い生け垣があり、ちらほら咲いていました。おしべの一部が花びら化しているので、寒椿かもしれません。寒椿は区別がつきにくく、最近はサザンカの一種とされているようです。
04鳴谷川遺跡
豊臣秀吉の備中高松城水攻めに関する遺跡で、岡山県の史跡に指定されています。長野川の水をせき止めて城へと流し込む作戦でしたが、工事半ばで開城となりました。目的は果たせたのでよかったと思うのですが、工事が間に合わなかった責任を取り奉行は切腹したといわれています。南に水奉行の墓があり、やはり岡山県指定史跡になっていますが、浄水場の敷地内のようなので立ち寄りませんでした。
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04鳴谷川遺跡
豊臣秀吉の備中高松城水攻めに関する遺跡で、岡山県の史跡に指定されています。長野川の水をせき止めて城へと流し込む作戦でしたが、工事半ばで開城となりました。目的は果たせたのでよかったと思うのですが、工事が間に合わなかった責任を取り奉行は切腹したといわれています。南に水奉行の墓があり、やはり岡山県指定史跡になっていますが、浄水場の敷地内のようなので立ち寄りませんでした。
05鳴谷川石垣
石伝いに歩いて川を渡りました。ところどころに転がっている大きな岩は、長野川のせき止め工事によるものでしょう。川幅は1mもなく、傾斜がほとんどないわりには、流れに勢いがありました。石垣は当時のものかどうかわかりません。
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05鳴谷川石垣
石伝いに歩いて川を渡りました。ところどころに転がっている大きな岩は、長野川のせき止め工事によるものでしょう。川幅は1mもなく、傾斜がほとんどないわりには、流れに勢いがありました。石垣は当時のものかどうかわかりません。
06エナガ
たくさんいましたが、すばしっこいので動画を撮るのも大変でした。これは動画から起こしたものです。
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06エナガ
たくさんいましたが、すばしっこいので動画を撮るのも大変でした。これは動画から起こしたものです。
07三色モミジ
さすがに落葉したモミジが多い中、この1本はまだ色づき半ばで緑から黄色、淡い赤とグラデーションがきれいでした。
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07三色モミジ
さすがに落葉したモミジが多い中、この1本はまだ色づき半ばで緑から黄色、淡い赤とグラデーションがきれいでした。
08最上稲荷奥之院参道入口
ここから最上稲荷奥之院一乗寺<写真10〜13>までずっと古い石段が続きました。
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08最上稲荷奥之院参道入口
ここから最上稲荷奥之院一乗寺<写真10〜13>までずっと古い石段が続きました。
09石仏群
5体の石仏はどれも同じように見えました。少し上には子安観音像がありました。
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09石仏群
5体の石仏はどれも同じように見えました。少し上には子安観音像がありました。
10最上稲荷奥之院一乗寺
題目石
石段を上り切りアスファルト道に出たところから歩きながら動画を撮り、いったん鳥居をくぐってライオンにしか見えない狛犬まで下ったところから引き返しました。最上稲荷の正式名称は「最上稲荷山妙教寺」といい、明治時代初頭に発布された神仏分離令においても、岡山県で唯一、神仏習合の形態が許されました。日蓮宗の寺なので、題目石が林立しています。
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10最上稲荷奥之院一乗寺
題目石
石段を上り切りアスファルト道に出たところから歩きながら動画を撮り、いったん鳥居をくぐってライオンにしか見えない狛犬まで下ったところから引き返しました。最上稲荷の正式名称は「最上稲荷山妙教寺」といい、明治時代初頭に発布された神仏分離令においても、岡山県で唯一、神仏習合の形態が許されました。日蓮宗の寺なので、題目石が林立しています。
11最上稲荷奥之院一乗寺岩屋
スルーしてしまった三角点<写真13>を見に行く途中で気づきました。ちゃんと小さな石段もあり、かわいらしい岩屋でした。
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11最上稲荷奥之院一乗寺岩屋
スルーしてしまった三角点<写真13>を見に行く途中で気づきました。ちゃんと小さな石段もあり、かわいらしい岩屋でした。
12最上稲荷奥之院一乗寺
岩屋内部お稲荷様
しゃがみこんで岩屋<写真11>の中をのぞくと、お稲荷様ファミリーが(^^♪
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12最上稲荷奥之院一乗寺
岩屋内部お稲荷様
しゃがみこんで岩屋<写真11>の中をのぞくと、お稲荷様ファミリーが(^^♪
13龍王山頂上三角点
点名:龍王山
標高286.8m頂上三角点(点名:龍王山)です。道の脇にあり、目立ちません。
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13龍王山頂上三角点
点名:龍王山
標高286.8m頂上三角点(点名:龍王山)です。道の脇にあり、目立ちません。
14備前焼のお稲荷様
南下する参道も題目石だらけです。たまにあるお稲荷様は備前焼でした。さすが岡山、備前焼なのは狛犬だけではありません。
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14備前焼のお稲荷様
南下する参道も題目石だらけです。たまにあるお稲荷様は備前焼でした。さすが岡山、備前焼なのは狛犬だけではありません。
15最上稲荷境内ラジオ塔
1939年にラジオの普及のため建てられたもので、現存するのは全国で20基程度といわれています。
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15最上稲荷境内ラジオ塔
1939年にラジオの普及のため建てられたもので、現存するのは全国で20基程度といわれています。
16中國稲荷山鋼索鉄道
奥ノ院駅跡
1929年に開通したケーブルカーの遺構です。当時は中国地方唯一のもので、最上稲荷旧本殿である霊応殿<写真31>とこことに駅がありました。1944年に廃線となりました。
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16中國稲荷山鋼索鉄道
奥ノ院駅跡
1929年に開通したケーブルカーの遺構です。当時は中国地方唯一のもので、最上稲荷旧本殿である霊応殿<写真31>とこことに駅がありました。1944年に廃線となりました。
17巌開明王
報恩大師がご修行の際に端座された岩(巌)の一つが割れ、清水がわき出したという伝承に由来します。飲み水には適さないそうで、2017年12月24日にあったひしゃくはなくなっていました。
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17巌開明王
報恩大師がご修行の際に端座された岩(巌)の一つが割れ、清水がわき出したという伝承に由来します。飲み水には適さないそうで、2017年12月24日にあったひしゃくはなくなっていました。
18ヤマツツジ
樹高30cm程の小さな木で、花はこの2つだけでした。寒くなった後、急に暖かくなったのでつぼみができたのでしょう。
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18ヤマツツジ
樹高30cm程の小さな木で、花はこの2つだけでした。寒くなった後、急に暖かくなったのでつぼみができたのでしょう。
19大阪徳文講祠
八畳岩<写真20〜24>に向かう道の少し奥まったところにあります。大阪の信者の方々の寄進によるものでしょう。鳥居にも「大阪」の文字が彫られたものがありました。
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19大阪徳文講祠
八畳岩<写真20〜24>に向かう道の少し奥まったところにあります。大阪の信者の方々の寄進によるものでしょう。鳥居にも「大阪」の文字が彫られたものがありました。
20八畳岩の岩窟
備前四十八カ寺を開基したという報恩大師のもとに孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、大師は八畳岩の岩窟にこもって祈願を行ったとされています。八畳岩とはこの天井部分のひさしのように突き出た平たい岩のことでしょう。祠のあるてっぺんの岩<写真23>が左端に少しだけ見えています。岩窟の中は人が一人入れるほどの大きさで、前回(2018年05月14日)と同様、空っぽでした。
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20八畳岩の岩窟
備前四十八カ寺を開基したという報恩大師のもとに孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、大師は八畳岩の岩窟にこもって祈願を行ったとされています。八畳岩とはこの天井部分のひさしのように突き出た平たい岩のことでしょう。祠のあるてっぺんの岩<写真23>が左端に少しだけ見えています。岩窟の中は人が一人入れるほどの大きさで、前回(2018年05月14日)と同様、空っぽでした。
21アキノキリンソウ
ここにだけ数株あり、まだきれいに咲いていました。今年は暖冬と言われ、気温が下がるのが例年よりも遅かったためでしょう。
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21アキノキリンソウ
ここにだけ数株あり、まだきれいに咲いていました。今年は暖冬と言われ、気温が下がるのが例年よりも遅かったためでしょう。
22八畳岩越しに展望
八畳岩の岩窟<写真20>から引き返し、少し上ると見晴らしのいい岩の上に出ます。南方面に秀吉勢に攻められた備中高松城跡や石井山本陣跡などが見えます。動画も撮りました。
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22八畳岩越しに展望
八畳岩の岩窟<写真20>から引き返し、少し上ると見晴らしのいい岩の上に出ます。南方面に秀吉勢に攻められた備中高松城跡や石井山本陣跡などが見えます。動画も撮りました。
23八畳岩正面
祠があり、やはり題目が彫られています。「最上尊ご降臨の聖地」ののぼりは前回(2018年05月14日)にはありませんでした。
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23八畳岩正面
祠があり、やはり題目が彫られています。「最上尊ご降臨の聖地」ののぼりは前回(2018年05月14日)にはありませんでした。
24八畳岩より最上稲荷大鳥居
昭和47年(1972年)に建立されたもので、高さ27.5m、柱の直径4.6m、総重量2800tの規模を誇ります。平成26年(2014年)に改修工事が行われました。
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24八畳岩より最上稲荷大鳥居
昭和47年(1972年)に建立されたもので、高さ27.5m、柱の直径4.6m、総重量2800tの規模を誇ります。平成26年(2014年)に改修工事が行われました。
25題目岩・鬼子母神
最上稲荷の元宮といわれているそうです。鳥居をくぐって石段を上り、突き当たりが題目岩<写真26>、すぐ手前(右隣)に鬼子母神(きしもじん)の磨崖仏<写真27>があります。動画も撮りました。
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25題目岩・鬼子母神
最上稲荷の元宮といわれているそうです。鳥居をくぐって石段を上り、突き当たりが題目岩<写真26>、すぐ手前(右隣)に鬼子母神(きしもじん)の磨崖仏<写真27>があります。動画も撮りました。
26題目岩
高さ約8mの岩に題目が彫られています。ここで行き止まりですが、後で下から見ると、さらに西に巨岩が並んでいました。
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26題目岩
高さ約8mの岩に題目が彫られています。ここで行き止まりですが、後で下から見ると、さらに西に巨岩が並んでいました。
27鬼子母神
鬼子母神(きしもじん)は法華経の守護神です。足元に「鬼子母神」の札がある岩ではなく、題目岩<写真26>の右(東)隣の岩の少し上の方にあります。題目とともに19世紀半ばに最上稲荷山妙教寺15世日方聖人により彫られたものです。手前の岩から動画を撮りました。
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27鬼子母神
鬼子母神(きしもじん)は法華経の守護神です。足元に「鬼子母神」の札がある岩ではなく、題目岩<写真26>の右(東)隣の岩の少し上の方にあります。題目とともに19世紀半ばに最上稲荷山妙教寺15世日方聖人により彫られたものです。手前の岩から動画を撮りました。
28白瀧天王&鬼子母神
白瀧天王の詳細は不明ですが、八大龍王<写真45>をお祀りしてあるところがあるので、水神様でしょう。上の方に鬼子母神(きしもじん)<写真27>が見えています。以前はこの辺りに最上稲荷の本殿があったのかもしれません。
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28白瀧天王&鬼子母神
白瀧天王の詳細は不明ですが、八大龍王<写真45>をお祀りしてあるところがあるので、水神様でしょう。上の方に鬼子母神(きしもじん)<写真27>が見えています。以前はこの辺りに最上稲荷の本殿があったのかもしれません。
29天然の石塔?
T字路の西方面(龍王池・龍泉寺方面)は通行止めでした。左折し東に進むと、小さな鳥居が並んでおり、石を4つ積み上げたような塔?がありました。右下の五重塔のミニチュアが気になります。
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29天然の石塔?
T字路の西方面(龍王池・龍泉寺方面)は通行止めでした。左折し東に進むと、小さな鳥居が並んでおり、石を4つ積み上げたような塔?がありました。右下の五重塔のミニチュアが気になります。
30本滝
八大龍王の本滝です。水垢離(みずごり)ができるようになっています。
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30本滝
八大龍王の本滝です。水垢離(みずごり)ができるようになっています。
31最上稲荷旧本殿(霊応殿)
寛保元年(1741)年に再建された建物で、新本殿建立の際に移築されました。最奥の小さな建物(神社でいうとこれだけが本殿)は岡山市の重要文化財に指定されています。
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31最上稲荷旧本殿(霊応殿)
寛保元年(1741)年に再建された建物で、新本殿建立の際に移築されました。最奥の小さな建物(神社でいうとこれだけが本殿)は岡山市の重要文化財に指定されています。
32ウリハダカエデ
西方向をズームしてみました。若木の樹皮は緑色の縦筋模様が入り、ウリの皮に似ているというのが名前の由来です。条件がよければ、葉はさらに赤くなります。よく似たホソエカエデのほうは兵庫県以東に分布しているそうです。
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32ウリハダカエデ
西方向をズームしてみました。若木の樹皮は緑色の縦筋模様が入り、ウリの皮に似ているというのが名前の由来です。条件がよければ、葉はさらに赤くなります。よく似たホソエカエデのほうは兵庫県以東に分布しているそうです。
33最上稲荷七十七末社
旧本殿(霊応殿)<写真31>の北東に最上稲荷のご本尊である最上位経王大菩薩(最上尊)に仕える七十七の諸天王が祀られています。
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33最上稲荷七十七末社
旧本殿(霊応殿)<写真31>の北東に最上稲荷のご本尊である最上位経王大菩薩(最上尊)に仕える七十七の諸天王が祀られています。
34油揚げ目当ての猫
旧本殿(霊応殿)<写真31>の軒下に集まっていました。お稲荷様にお供えする油揚げを食べていたそうです。
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34油揚げ目当ての猫
旧本殿(霊応殿)<写真31>の軒下に集まっていました。お稲荷様にお供えする油揚げを食べていたそうです。
35オオモミジ?
葉の直径は6〜7cmと大きめでした。おそらく、残っている葉は3割程でしょうが、まだ鮮やかでした。
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35オオモミジ?
葉の直径は6〜7cmと大きめでした。おそらく、残っている葉は3割程でしょうが、まだ鮮やかでした。
36親子お稲荷様
この辺りも鳥居や題目石、お稲荷様だらけでした。
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36親子お稲荷様
この辺りも鳥居や題目石、お稲荷様だらけでした。
37最上稲荷お火たき大祭
本殿(霊光殿)前では、ちょうどお火たき大祭が行われていました。一年間お祀りされたお札を感謝を込めておたきあげする、最上稲荷の三大祭典の一つで、12月第ニ日曜日とその前日に行われます。この炎に体や手をかざせば一年間無病息災で過ごせるそうです。動画も撮りました。
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37最上稲荷お火たき大祭
本殿(霊光殿)前では、ちょうどお火たき大祭が行われていました。一年間お祀りされたお札を感謝を込めておたきあげする、最上稲荷の三大祭典の一つで、12月第ニ日曜日とその前日に行われます。この炎に体や手をかざせば一年間無病息災で過ごせるそうです。動画も撮りました。
38最上稲荷仁王門
石段の上からズームしてみました。昭和33年(1958年)に完成したインドの殿堂様式の石造仁王門です。2009年に登録有形文化財に指定されました。左右にお稲荷様<写真40>が見えています。ちなみに、参道側には仁王像があり、某有名企業の名前がありました。
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38最上稲荷仁王門
石段の上からズームしてみました。昭和33年(1958年)に完成したインドの殿堂様式の石造仁王門です。2009年に登録有形文化財に指定されました。左右にお稲荷様<写真40>が見えています。ちなみに、参道側には仁王像があり、某有名企業の名前がありました。
39最上稲荷山門越しに
根本大堂
明治14年(1881年)に再建された建物で、日蓮聖人などをお祀りしています。
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39最上稲荷山門越しに
根本大堂
明治14年(1881年)に再建された建物で、日蓮聖人などをお祀りしています。
40仁王門裏照明付きお稲荷様
仁王門の境内側に左右一体ずつあります。照明スイッチがあり、押すとライトアップされます。なかなか現代的でした(*_*;仁王門の外に出て引き返し、「秀吉本陣」<写真43>方面に進みました。
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40仁王門裏照明付きお稲荷様
仁王門の境内側に左右一体ずつあります。照明スイッチがあり、押すとライトアップされます。なかなか現代的でした(*_*;仁王門の外に出て引き返し、「秀吉本陣」<写真43>方面に進みました。
41最上稲荷妙見堂
備中高松城の守護神として祀られていた北辰妙見大菩薩の尊像をお祀りしています。日蓮宗と妙見信仰との結びつきを考えると、納得できます。
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41最上稲荷妙見堂
備中高松城の守護神として祀られていた北辰妙見大菩薩の尊像をお祀りしています。日蓮宗と妙見信仰との結びつきを考えると、納得できます。
42日蓮聖人像
龍王山陣跡<写真43>にあります。高さ7.6mの鉄筋コンクリート造りで、1953年に除幕式が行われました。
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42日蓮聖人像
龍王山陣跡<写真43>にあります。高さ7.6mの鉄筋コンクリート造りで、1953年に除幕式が行われました。
43龍王山陣跡
(秀吉本陣一の丸)
備中高松城を攻めるにあたり、秀吉が最初に構えた陣跡です。ベンチもあり、少し開けているのでゆっくり休憩できます。土塁や堀切があるそうですが、周辺には祠や重機が入って立ち入り禁止の所があり、地形が変わってしまっている可能性があります。
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43龍王山陣跡
(秀吉本陣一の丸)
備中高松城を攻めるにあたり、秀吉が最初に構えた陣跡です。ベンチもあり、少し開けているのでゆっくり休憩できます。土塁や堀切があるそうですが、周辺には祠や重機が入って立ち入り禁止の所があり、地形が変わってしまっている可能性があります。
44永代橋
この橋を渡り、荒行堂(洗心閣)に向かいました。修行の場なので人気はありませんでした。
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44永代橋
この橋を渡り、荒行堂(洗心閣)に向かいました。修行の場なので人気はありませんでした。
45八大龍王像
荒行堂(洗心閣)の側の小さな池のほとりにありました。頭にしがみついている竜神様の顔が怖い(*_*;
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45八大龍王像
荒行堂(洗心閣)の側の小さな池のほとりにありました。頭にしがみついている竜神様の顔が怖い(*_*;
46十三重層塔
家運永昌祈願のもののようです。龍王山陣跡<写真43>から地形図の破線の道の入口が立ち入り禁止だったため、ここまで引き返してきたのですが、すぐに合流できそうだったので、ここから斜面に取り付きました。崩れやすい土でしたが、無事に道に入れました。
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46十三重層塔
家運永昌祈願のもののようです。龍王山陣跡<写真43>から地形図の破線の道の入口が立ち入り禁止だったため、ここまで引き返してきたのですが、すぐに合流できそうだったので、ここから斜面に取り付きました。崩れやすい土でしたが、無事に道に入れました。
47龍王山国民休養地の東屋
たまに崩れやすくなる斜面登りがありましたが、途中から古い遊歩道らしき細道になり、不意にここに出てきました。この東屋は二十人近く使えそうな広さで、周辺もベンチだらけでした。ここからはきれいな広い道になり、すぐに往路で通った所に合流しました。
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47龍王山国民休養地の東屋
たまに崩れやすくなる斜面登りがありましたが、途中から古い遊歩道らしき細道になり、不意にここに出てきました。この東屋は二十人近く使えそうな広さで、周辺もベンチだらけでした。ここからはきれいな広い道になり、すぐに往路で通った所に合流しました。
48サルノコシカケの仲間
の幼菌
県道241号線に向かう道の入口にはトタン板の囲いが見えていたので行き止まりかと思いましたが、脇に細道がありました。切られて転がった丸太に生えていた白いキノコのカサの直径は5cm程でした。おそらく、これからもっと大きくなるでしょう。
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48サルノコシカケの仲間
の幼菌
県道241号線に向かう道の入口にはトタン板の囲いが見えていたので行き止まりかと思いましたが、脇に細道がありました。切られて転がった丸太に生えていた白いキノコのカサの直径は5cm程でした。おそらく、これからもっと大きくなるでしょう。
49ナンキンハゼの実を
ついばむエナガ
ジュ、ジュと独特の鳴き声に見上げると、メジロと一緒にたくさん群れていました。すばしっこいので写真はあきらめ、動画に撮り後からカットして写真にしました。口が小さいので、つついて食べようとしていましたが、かたそうな茶色い外皮がなかなか取れません。イラッときて口いっぱいほおばったところです。
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49ナンキンハゼの実を
ついばむエナガ
ジュ、ジュと独特の鳴き声に見上げると、メジロと一緒にたくさん群れていました。すばしっこいので写真はあきらめ、動画に撮り後からカットして写真にしました。口が小さいので、つついて食べようとしていましたが、かたそうな茶色い外皮がなかなか取れません。イラッときて口いっぱいほおばったところです。
50ナンキンハゼの実を
食べたいエナガ
冬は大好物のアブラムシがなかなか見つからないので、こうした木の実も食べるようです。この個体は食べるのに必死で、こちらには目もくれませんでした。連れは、一番手前でご馳走そっちのけでこちらをのぞきこんでいる個体をずっと見ていたそうです。そろそろうちの庭にも来る頃です(^^♪
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50ナンキンハゼの実を
食べたいエナガ
冬は大好物のアブラムシがなかなか見つからないので、こうした木の実も食べるようです。この個体は食べるのに必死で、こちらには目もくれませんでした。連れは、一番手前でご馳走そっちのけでこちらをのぞきこんでいる個体をずっと見ていたそうです。そろそろうちの庭にも来る頃です(^^♪
51ボーイング767
岡山空港が近いので、かなり近くに見えました。楽しい空の旅をお祈りします(^^)
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51ボーイング767
岡山空港が近いので、かなり近くに見えました。楽しい空の旅をお祈りします(^^)
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