1/5【砺波山(石川・276.7m)】雨の日は里山へ、倶利伽羅駅から倶利伽羅不動尊を経て石動駅へ歴史国道をたどる
- GPS
- 03:28
- 距離
- 11.7km
- 登り
- 393m
- 下り
- 391m
コースタイム
- 山行
- 3:20
- 休憩
- 0:16
- 合計
- 3:36
天候 | 雨時々あられ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
一般用駐車場4〜5台可能、他の区画は月極め契約者用のため利用不可 トイレ、案内パンフレット、自販機あり あいの風とやま鉄道 石動駅〜倶利伽羅駅 運賃230円 ICカード利用可能 |
コース状況/ 危険箇所等 |
倶利伽羅峠は、1183(寿永2)年の源氏と平家が興亡の明暗を分けた倶利伽羅源平合戦の舞台となったところです。 中でも、『源平盛衰記(げんぺいせいすいき)』に記された木曽義仲(きそ・よしなか)による「火牛の計(かぎゅうのけい)」は有名で、石川県と富山県とを結ぶ歴史国道「旧北陸道」として遊歩道が整備されています。 そのため、危険箇所や迷うところはありません。 積雪は0、あっても2〜3センチ程度でした。 |
その他周辺情報 | 上矢田温泉「やたの湯」 〒929-0314 石川県河北郡津幡町字上矢田ハ22 076-289-7290 500円 http://yatanoyu.sakura.ne.jp/ 1183(寿永2)年の倶利伽羅源平合戦で、木曽義仲(きそ・よしなか)に敗れた平維盛(たいらのこれもり=清盛の孫)がこの湯を見つけ、傷を癒(いや)したのが始まりと伝えられています。 |
写真
感想
雨の日は里山へ。
冷たい雨が降りしきる中、さすがに登山する気にはなれず、ならば里山へと思い、ちょうど通り道にある「北陸道・倶利伽羅峠」を歩いてきました。
小矢部市の公式ホームページによれば、倶利伽羅峠は、平安時代末期の寿永2年(1183年)の源氏と平家が興亡の明暗を分けた砺波山合戦(倶利伽羅合戦)の舞台となったところで、木曾義仲の火牛の計」の作戦が「源平盛衰記」に記されています。
この源平砺波山合戦にまつわる史跡も多い倶利伽羅古戦場は、県定公園にも指定される景勝の地。春には、約6000本の八重桜が山を桜色に染めるそうです。
平成7年(1995年)には、建設省が進める「歴史国道」に全国12箇所の一つとして選定され、整備が図られたそうです。
歴史に詳しいわけではないけれど、この天気では景色は到底望めない分、何かと見どころがありそうなので、雨でも歩けるかなと思い、倶利伽羅駅へ向かいました。
クルマを停め、まずは歴史国道の遊歩道へ向かって桜並木の坂道を上がっていきます。
雨やあられが降ったりやんだり。
龍ヶ峰城址公園に立ち寄りちょっと一息を入れながら、倶利伽羅峠のある、倶利伽羅不動寺へ。
参拝を終えた後、ふと目に入ったのは、山頂境内の食堂。
倶利伽羅そばやおでんが並んでいて、あっさりと誘惑に負けて、食券を買って頂きました。
雨に打たれながら歩いてきた身に染み入るあったかさ。
蕎麦はコシが強く美味い。抹茶麺を使っているのか緑色の麺でした。
やはり「花より団子」、史跡よりも食べ物です。
おでんも追加で注文して、お腹いっぱい。
その後の五社権現への石段はキツカッタです(笑)
その後、石動駅へ向けて、歴史国道をひた歩きました。
あいの風とやま鉄道(IRいしかわ鉄道)を一区間乗って、倶利伽羅駅へ戻りました。
締めの温泉は、源平にゆかりのある「やたの湯」へ。
山あいの集落の中に同化するより佇んでいます。
看板がなければ、まず通り過ぎることでしょう。
中は小ぢんまりとして、冬季は露店風呂が閉鎖のため、内湯の一槽だけのシンプルな造り。
でも、混雑せず(貸し切り)、とても良いお湯でした。
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