記録ID: 1709196
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ハイキング
関東
唐沢山(露垂根神社起点で村檜神社まで往復)
2019年01月19日(土) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 07:54
- 距離
- 15.4km
- 登り
- 881m
- 下り
- 873m
コースタイム
天候 | はれ https://tenki.jp/past/2019/01/19/satellite/japan-near/ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
今回のコースは、私の主観的には、三つのパートから構成されます。 ●唐沢山南麓右回り周回 露垂根神社(つゆしねじんじゃ、主祭神は、市杵嶋姫命)起点で、以下のurlに表示された色分けコースのうち青色の左を登って、真ん中を下りるパート http://karasawayama.com/hiking 写真3、4、51の道標が要所に設置されてます。基本、落葉灌木の明るい登山路で、岩岩してません。登りに使った青色の左の道には、たしか三か所ほど、「山頂コース」こっち、「初心者コース」そっちと示す分岐道標が設置されてますが、「初心者コース」とは、要は、巻道です(笑)。巻き終えたら合流するので、すべて「初心者コース」を選択しても、唐沢山城に至ります。 なお、唐沢山という顕著な峰はなく、たぶん、ここらを一括りにした総称です。ここが山頂や、どやっ、という人工物は見当たりません(どこかに私製山頂標の一つくらいあるのでは) ●唐沢山城〜村檜神社を往復する関ふれ栃木県9「松風のみち」 http://www.pref.tochigi.lg.jp/d04/intro/shizen/kouen/documents/shizenhodou_no9_1.pdf を参照。とーぜん、疑似木階段が待ってますw たぶん赤松が多いがゆえの命名かと。山桜も目につきました。両崖山に似てますが、あれほど岩岩してません。尾根上の瘤はすべて巻くという暖かい心遣いで道が作られ、よく踏まれてます。わずかに倒木ありますが、通行の支障にはなりません。 村檜神社近く、道がやたらと分かれます。たぶん分岐は5つ以上あった記憶なので、少なくとも2の5乗で32とおりの歩き方が楽しめるwんでしょうが、概ね村檜神社に収斂するのでは。ただ、国土地理院地図だと、村檜神社を経由せずに神社のながーい階段下まで下りちゃう道も表記されてるので、神社を往復するつもりならば、一応、それまで歩いて来た方向をあんまり逸れないように分岐毎に小刻みに九十九に下りるのが無難です。なお、「慈覚太子堂」に直接下りる道との分岐には、明瞭な道標が設置されてました ●諏訪岳登山 私的には、稜線上の瘤として諏訪岳を往復するのは畏れ多いので、復路、村檜神社側から、山として登りました。これまた、10月8日山行記録感想末尾に記した「自分の問題」です(笑)ので、人には薦めません。ただ、山頂まで同じ道を往復するのでなく、登り下りで別の道を使うとすれば、村檜側から登って(これを激下るのは、登り以上につらそうです)、京路戸峠側に下り(こっちの方がとーぜん短い)、その途中の痩せ尾根上の展望地(座る気にはならんかもしれんけど、ザックを下ろせるベンチあります!)でがんばった自分へのご褒美として展望を楽しむ方を選ぶ人が多いのでは。 なお、尾根上の瘤は潔くすべて巻くのが「松風のみち」管理者の明快な方針ですので、気の毒に、諏訪岳も巻かれます。ですので、写真33の分岐後の登りに、関ふれ的階段はなく、マッチョな激登り(お助けロープ(ありがたや!)ありますが、それでも滑ります)が待ってます。 しばらく前から漠然と計画してたのですが、登りに使う想定の青色の左の道を歩く価値があるのか今一つわからんので先送りしてたところ、折よく、genchan123さん/yuri0522さんご一行様の12月29日山行記録がアップされて、青色左の様子が判明(ありがとうございます^^)、早速、実行した次第です |
その他周辺情報 | ラーメン太七:https://www.tashichi.com/ 県道141号沿いにあり、帰途、道の駅どまんなか田沼に向かう際、ちょとの寄り道で済みます。ねぎラーメンと餃子をいただきました(JPY1,060なり) 道の駅どまんなか田沼:http://domannaka.co.jp/ 430pm頃寄りましたが、満車で、徐行巡回して偶々空いた所に滑り込みました。人気あるんだな トマト、苺(そりゃ買うわな)、白菜、聖護院大根、生姜の味噌漬け、仙波生蕎麦+つゆを買って、かみさんへのみやげにしました^^ |
写真
さて、往路は、関東管領上杉政虎(のちの謙信公)から「佐野の内通者から得た唐沢山城の縄張り図が真か、一般ハイカーに扮してとくと確かめて来よ」と下知された小者になったものと妄想してw、唐沢山に登ります
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
ゲイター
靴
ザック
ザックカバー
行動食
コンパス
ヘッドランプ
GPS
筆記用具
日焼け止め
保険証
携帯
タオル
ストック
ナイフ
カメラ
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感想
さて、今般の山行記録で、写真28から29の間、一時間も写真が途絶えてるのは、どーせヤマレコに載せる「関ふれ」の地味な路面撮影するだけなんだから、復路に撮影すればいいや、という邪念wのせいでもあるんですが、その間のある区間、もしかしたらこの山域で有名なんだか「知る人ぞ知る」だかわかりませんが、ある御仁とつかず離れず親しく話しながら歩いたのが主たる理由です。
その御仁から聞いたことの中から、この山域のトリビアとして、いくつか以下に記します(なお、実際の会話は、もちっと丁寧な標準語ですw)
「唐沢山城に向かう最初の瘤に「イモリ山」って山頂標が掛かってたって?あぁ、そらな、飯盛山(いいもり山)やな、西から見ると、椀に持った飯に見えるんや」
「謙信な、たぶん高鳥屋に陣をしいてないで。この下によしみ岩ゆうんがあるから、そっちやな、そこなら唐沢山城が横からよう見えるんや」
「三床はな、隣の瘤が三村の境だったから、みところや、それがいつの間にか今の方を三床と呼ぶようになったんや」(この経緯って、奥秩父の三宝山と同じですね、もっとも、そこでは「隣の瘤」の方が名を上げちゃいましたが(笑))
「昭和59年までは尾根とおしの藪道しかなかったんや。それまでは、全部の瘤を藪漕ぎして縦走したんやで」
「この右をな、きょうろんどう沢言ったんや、お経を論ずるお堂があったんやな、だから経論堂やな、それから京路戸に変わったんやな、京都に通じてる路と違うでw」
おしまい^^
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