3.11鎮魂の丹沢〜表尾根を越え塔ノ岳で黙とう〜


- GPS
- --:--
- 距離
- 17.0km
- 登り
- 1,580m
- 下り
- 1,601m
コースタイム
天候 | 小雨〜雪(綾線上)〜晴れ(登山口) |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路:大倉バス停〜渋沢まで。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
蓑毛〜ヤビツ峠:歩きやすい道。途中、水場あり。 ヤビツ峠〜三ノ塔避難小屋:どか雪で道不明瞭も、トレースしっかりある。 三ノ塔避難小屋〜塔ノ岳:鎖場もあるので注意必要。特に雪山と化した表尾根は体力と精神力必要。しっかりしたトレースに感謝。 塔ノ岳〜大倉:標高1000メートルより下は泥んこ状態。 |
写真
感想
山に行くことが少し臆病になっていた。
2月にけがをした膝の痛みが未だ治らない。
普段、階段を上がるだけで痛いんだから、
登山なんてできないんじゃないか。
それでも、山のことを忘れる日はない。携帯でヤマレコを見ては、
指をしゃぶって眺める日々。
膝はよくなっている。行けるさ。でもな。の繰り返し。
次の休みは3月11日。あの日だ。忘れることのできない日。
家で特番を見ているなら、何かをしたい。
そうだ、塔ノ岳で黙とうをしたい。
なぜだか、そのことが頭に浮かんだ。表尾根から上がろう。
2年前に初めて丹沢に登ったコースだ。
秦野からヤビツ峠までは降雪のため通行止め。蓑毛からのスタートとなった。
登山道を、お地蔵様が迎えてくれる。
ヤビツ峠で大山に登る方と別れ、林道を20分ほど歩く。富士見山荘が見えると
表尾根へ続く登山道へ入る。
初っ端から雪、多!登山道はほぼ見えない。先行者のトレースがたよりだ。
本当に雪山は先行者の力で登らせてもらっているものだ。
自分の力なんて弱いもんだ。
でも、いつかはと、思いながらせっせと歩く。
ときどき、膝もズキンと痛むが知らないふりをする。
二ノ塔を超え、三ノ塔の避難小屋手前でなぜか、別の尾根(三ノ塔尾根)を下ってしまう。
気がついたときにはだいぶ下ってしまっていた。
どうして?と言われても知らない。
狸かキツネに騙されたとしか言いようがない。わからないのだ。
なぜ、そんなあり得ないミスをしたかなんて。
根性で登り返す。
だいぶ前にあいさつした2人組の女性の方達が降りてきた。
隠れようにも隠れるところがない。二度目のあいさつをし、赤面。
「いいトレーニングになりましたよ」さわやかな表情をとっさに作り答える。
3人の笑い声が山にこだまする。
恥は欠いても、目的は達成させる。三ノ塔避難小屋に着く。
ここを頂上として下山する方が多かった。
ここで単独の男性と出会い、行者岳まで行動を共にする。
他に登山者がいなかったので心強かった。
男性は1月に同じコースを7時間かけてラッセルしたそうだ。
丹沢につわものあり。
行者岳まで雪が多く、また、雪の重みで木々がところどころ垂れ下っている。
藪のようなところもあった。
ザックが木々に引っ掛かり、それがムチとなって襲いかかってくる。
山に限ってはMッ気があると思うが、そういった趣味はない。
鎖場をクライムダウンで抜け、途中、吹雪のような風もあり、もはや、
本気の丹沢である。
新大日に到着しても、その先も長く感じた。
体力もだいぶ奪われていたのだろう。
ここが塔ノ岳かと思っても何度か裏切られた。
ただ、その時間までに到着したいと思いが足を前に進ませた。
時計は少し前から見る余裕もなくなっていた。
白い闇の中から、大きな広場が見えた。その先に山小屋の屋根が見えた。
またニセ尊仏山荘か、と思い近づくとそこが山頂だった。
山頂で急いで一枚写真を撮る。そして時計を見た。
午後2時46分だった。
間に合ったのだ。
ストックを投げ捨て、北東へ静かに目を閉じ手を合わせる。一分間、冷たい雪の粒が顔をたたく。
風の音と、2人組の男性が登頂を喜び、すぐに下山しようと話す声が聞こえた。
目的は達成した。
ただの自己満足かもしれない。いやそれだけだ。何も価値のない行動だ。
だけれど、一分間、被災者のことを思った。
あれから一年間、何が変わっただろう。
急速な復興。本当だろうか。
被災者にとって、この一年間は、この黙とうの一分間よりも長かっただろうか、短かっただろうか。
尊仏山荘で暖をとらせてもらう。
ラジオで天皇陛下のお話を聞きながらコーヒーをいただく。
砂糖は丸ごと一本入れた。こういう日は甘いものが妙においしい。
ワインでいい感じになっておられる女性の方達に
クリームチーズとガーリックバターのディップを乗せたクラッカーをいただく。
おいしかった。
山荘の御主人は本当に気さくないい方だった。
そこに集う方もやはりそういう方だ。
御主人が
被災者の方で「東京でなくてよかった」
という話をされた方がいるということを聞いた。
どういう意味だ?と思った。
それはこういう意味だった。
もし、東京だったら日本は終わっていたかもしれない。
東北でよかった。
東京が大丈夫なら、日本はまだ、大丈夫だよ。
言葉が出なかった。
この震災で日本は変わるだろうか。人間は変わるだろうか?
少しはましになるんじゃないのか?
奥の階段で懸垂をしながら男性が言った。
変わらなければいけないのは何だろう?
山荘の外は吹雪がまだ続いていた。
下山後、膝は思ったほど痛みがなかった。むしろ、筋肉痛が久々に発症。
温泉に入りたいなあ。ビールも。
俺は何も変わっていない。それでいいのか?俺よ。
ということで山、復帰しました。
ricalojpです。
良いレコをありがとうございました。
関東大震災の震源は丹沢だったことに思い至り、考えさせられました。
尊仏山荘のいわれの尊仏岩はこの時倒壊。
何があっても営みは変わらないけれど、、、、。
makasioさん、鎮魂登山お疲れ様です!
熱い気持ちが良く分かる、素晴らしい内容でした
途中ニアピンし、私が追いかける展開だったみたいですね。
あの雪の中、膝の爆弾を抱えてだと勇気がいりますよね〜・・。
私ら世代が頑張らないと日本は変わらないと思っております。出来ることは僅かですが、お互い頑張りましょう
朝から、コメントありがとうございました。
本当に、思い出に残る登山ができました。
関東大震災、丹沢が震源だったんですね。
雪の表尾根、大変でしたが、良いです。景色も
きれいだし。晴れたら、素敵でしょうね。
あ、尊仏山荘で、
カップヌードルをおいしそうに召し上がっている方がいましたよ。
僕も、ボッカボランティアしてみたいな。
コメント、ありがとうございました。
山頂に着いたのが本当に2時46分だったんです。
何かに導かれたのかもしれません。
被災者の方達に直接何かすることができませんが、
間接的にでも援助できたらいいなと思います。
僕ら世代、がんばっていきましょうね。
レコを読んで、makasioさんの心象風景に触れらたような気がしました。
思い出に残る山行、そして、私にとっては思い出に残るレコです。
本当にありがとうございました。
できることしかできないけれど、続けていくことが大事だな、と感じる今日この頃。
無理せず、気負わず、でも頑張って。
たくさんの方が僕のレコを読んでくれて、
とてもうれしいです。
そして、少し驚いています。
その中でも、ricalojpさん、ricalonさんに
コメントまでいただいて、うれしいです。
皆さんにありがとうと言われることが
こんなにもうれしいなんて。
真夜中にほろ酔いで書いたレコなんですが・・・。
慰霊登山をしたい。
それが、山に復帰するモチベーションとなり、
勇気になりました。
これからも、お互い、楽しい山旅をやりましょうね。
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