由比に蒸気エンジン製糸場とかマジですか?? チャリレコ ★国道1号線旧道区間 (蒲原ー由比ー興津)
- GPS
- --:--
- 距離
- 76.5km
- 登り
- 335m
- 下り
- 385m
コースタイム
東海道の一部だが急峻な地形のため幹線道路や鉄道が一点に集まっている。。
例えば箱根越は裏街道(矢倉沢往還)も使えるので、東名高速・旧東海道・旧東海道本線(現・御殿場線)は箱根を避けている。
由比の交通の集中度は異常。
東海道・R1・東名高速・東海道本線・東海道新幹線がほぼ一点に集中。箱根のように迂回路はない。
ある意味”碓氷峠”や”親不知”の集中に近いかもしれない。
伊豆半島にはこのような地形と集中が多数あるが、由比は東西を結ぶ天下の東海道。格が違う。。
ここにR1の旧道はあるのか?
由比:”ゆい”は共同作業に基づく「結(ゆい)」に基づくと言われる。”ゆい”の地名は沿岸部に多く、地引き網を弾くような共同作業を指す
JR東海・東海道本線函南駅まで輪行
7:10函南駅(横山トンネル)ー8:10沼津(千本松原)ー9:10田子の浦(県396)ー11:20蒲原図書館12:30(県396・県76)ー13:00由比 入山諸木沢(製糸場探索)13:45(県76・県396・東海道)ー14:30さった峠(93m)ー15:00興津
JR東海・東海道本線興津駅から輪行
天候 | 晴れ・曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2019年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
帰り:JR東海・東海道本線興津駅から輪行 全線自転車を使用 |
写真
装備
個人装備 |
ロードレーサー+LOOKペダル(歩けない自転車靴)
|
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感想
今日の主役の由比(さった峠)を目指す訳ですが、いつものように直撃輪行はしません。箱根を越えたところの”函南”から気の向くまま寄り道をして由比を目指していきます。
■函南から沼津アルプスを突破する
やや標高のある函南から駿河湾方面に抜けるには、過去より沼津アルプスと狩野川が最悪の障害になっていることはすぐに理解できる。沼ア最北端の香貫山を北に迂回すれば簡単に突破できるが、現道1号線に触るなどの交通戦争に突入しなければならず実に趣がないのです。
自分が選んだ道は横山峠を横山トンネルで突破する経路で、クルマも少なく楽しめましたがトンネル自体はコンクリ巻きのつまらないものでした(;'∀')
■県道396=S57年迄の国道1号線 ※ここから先は未体験ゾーン
沼津から千本松原のCR(厳密にはCR指定ではない)に入ります。対岸に伊豆半島が広がっていく。ジョギングをしている人が多いですね。実に平坦ですw
田子の浦港先から県道396(旧国道1号)に入ります。
■ずらっと橋4つ?
県道396が新蒲原駅に差し掛かるあたりで、脇道に古そうな橋が姿を現した(写真22)。実はこのあたりかなり複雑な地点で、山側(北側)から旧東海道・旧R1・現R1・東海道本線と4つの橋が並んでおり、しかも橋が越えているのは日本軽金属蒲原工場の発電施設である。
■日本軽金属蒲原工場と太平洋戦争
ここで日軽金の過去に触れておこう。
■日軽金蒲原工場と西伊豆の明礬石
S5年から対岸の松崎(仁科鉱山)ではアルミニウムの原料の明礬石(ミョウバンセキ)を採掘していた。アルミの良質原料は一般に海外輸入のボーキサイトだったが、太平洋戦争も終末に近づくと日本は占領地を失い、また占領地からの流通網も崩壊した。
国は戦争末期のS20年・西伊豆の明礬石からのアルミ調達に力を入れたのだった。
現場での労働力は中国・朝鮮から強制連行で賄ったが、強制連行された中国人は200人であった。連行途中で22人が死亡、労働現場で82人が死亡、計104人が死亡している。(朝鮮人労働者の経緯は明らかにされていない)。死体は山の中に埋められた。
それらはS29年、村民たちによって発掘され、追悼された。「興亜建設隊」これが中国人につけられていた名称であった。
現在は廃鉱になっているが、石垣・坑道やトロッコ鉄道の跡が現存する。
■二つの戦争遺構、日本軽金属蒲原工場と戦線砿業仁科鉱山
日軽金蒲原工場への動員学徒の証言によれば、明礬石から作るアルミナの質は悪く、その純度は20%を割った。明礬石を使うと電解炉の脇にへばりつき、ひとつの電解炉を一日に二回三回と掃除しなければならなかった。
S20年7月には炉の半分が明礬石の使用のために動かなくなった。そこに米軍機が工場裏のダムを攻撃したので発電が止まり、工場は麻痺した(『豆州歴史通信』101号 H5年2月)。
(写真28)にあるS16年供用の諏訪橋から、日軽金蒲原工場と西伊豆・松崎の”点と点”とが繋がった訳で後味の悪い内容ではあるが、こういった話を伝えることを私は躊躇しない。
■東海道蒲原・大正時代の五十嵐歯科医院見学
(写真34)にある大正時代の歯科医院。内装の大正ちっくもさることながら、なまこ壁の蔵!!が併設されており、もしやこれも西伊豆松崎繋がりかもしれないと鳥肌が立った。建屋全てが松崎大沢の盟主・依田邸ちっくなのだ (ノ・ω・)ノ
■蒲原図書館にお宝ハケーン!!
→由比 入山諸木沢(いりやま しょっきざわ)集落
自分はインドアの人なので、探索の途中で図書館に立ち寄ることも又楽しい。
▼アウトドアって4WDでキャンプして管釣りバーベキューのことだろ?(;'∀') 自分には向いていないなぁ。。
さて”写真43・44”平成元年発行の由比町史からの引用である。
☆彡大正初期から昭和にかけて繭は蜜柑、桜海老と共に三大産物となり、入山を始め東山寺・阿曽・西山寺にかけて約350戸の農家が養蚕に従事した。
☆彡明治25年4月、庵原郡蚕糸業組合が組織されその年の六月入山諸木沢に蒸気動力による望月製糸場が設立されたとある
★彡大正10年頃にお蚕を祀る蚕神(かいこ)の祠が建立された!!
▼行がねば (´∀`)
入山諸木沢(いりやま・しょっきざわ)・望月製糸場
明治25年設立の製糸場が今はないことは、戸別詳細地図上で確認できないことがわかった。※日本の現役製糸場はH31現在に三工場しかないが、他の目的で製糸場建屋が利用されている場合もある。
▼探索ポイント1 入山諸木沢(いりやま・しょっきざわ)は県76沿いの由比と山梨を結んでいる塩が通った道で、山梨から養蚕家や石工が来た道でもあるから、大いに味わいたい。
▼探索ポイント2 蒸気動力の製糸場=川
繰糸機を蒸気(ボイラー)で廻すには多くの水と火力が必要。→河川(由比川)から離れるな
▼探索ポイント3 聞きまくる!!
最終的にはこれに尽きる。つかこの地域、望月さん・石切山さん大杉なんだが。。
■望月製糸場 探索不発!!
富岡製糸場が明治5年開場した20年後の明治25年・ようやく由比の望月製糸場が開場した。
しかしこの地に製糸場跡、また古老を訪ねても製糸場の情報すら得られないし、写真にある”蚕神(かいこ)の祠”も発見できなかった。
恐らく地図画像にある”浄水場”が立地的に元製糸場ではないかという己の仮説のみである。
製糸場の情報は得られなかったが”子供のころ養蚕を手伝った”という証言は幾人からも聞かれたのは救いだった。
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帰宅後検証
望月製糸場→ 明治25年入山二五八−二に設立 明治39年閉鎖
繭共同販売所→ 大正10年入山諸木沢 同年蚕神(かいこ)の祠設立
おいらは繭共同販売所(祠)と製糸場を混同していたようで、今回は”蚕神(かいこ)の祠”に的を絞ったのは良かったが、製糸場から辿るのは間違いだった。
繭共同販売所とは今でいうJAのような組織で、製糸場と違い”決して川沿いにあるとは限らない”
★明治以降の近代化遺産は建物単体のみでは理解できない。
製糸場の場合は蚕種家・養蚕農家・製糸場・生糸流通と集積・海外輸出・国内需要・為替・近代土木・交配遺伝子学・それぞれの教育機関etc.がそれぞれ繋がり絡んでいたりする。
★初めての土地の図書館からヒントを貰い繋がりの中に飛び込むこと
今日は製糸場と祠をゲットできなかったが、シルクは上記の繋がりが実に面白い。
★引き出しをフル活用すること!ここは荒地の斜面なので桑畑に適している(近くに養蚕農家がある可能性)!!から始まり、河や峠といった交通の要所を訪ねること、地元の人に聞き込みをすること 最高に面白い。
ロード乗りの人から”お聞きしたいのですが”
次に”この辺りはお蚕・されてましたか?”とくれば
地元の人:”??!!何言ってんだこいつ??”
(10秒後)ああ!お蚕ね!とくれば、その辺りは養蚕地区なのである(・∀・)!!
★東海道=シルクロード (・∀・) 認定!!
しかし同じ書であってもページによっては微妙に記述が異なるのも悩ましい。
なにしろ現場では心拍上昇しているのだから、冷静に分析するアタマを持たなければいけないです。
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■今日のメイン”さった峠”
蒲原の戦争工場と東海道由比の製糸場探索と、もはやお腹一杯だが
由比名物と踏んだ交通難所は想像通りの交通難所であった。
山が海に落ち込む地形の故、東名高速は海の上に橋を架け、狭い海岸に東海道線と現R1が走る。新幹線は背後の山をブチ抜くw
うう、伊豆・網代の上位互換ではないか (;'∀')
そしておいらは”さった峠”から高みの見物だw 富士は裾野のみの眺めながら広重の世界を味わった。
鉄道唱歌十九番
世に名も高き興津鯛 鐘の音ひびく清見寺
清水につづく江尻より ゆけば程なき久能山
ほの香編(由比)
由比の断崖迫りきて ところに狭しと桜海老
さった峠に挑むれば 広重ゆかりの富士の山
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戦時中の強制連行に思う
明礬のアルミの重さ鳥雲に ほの香
鯛焼をかざして由比の峠かな ほの香
(鯛焼=冬)
この辺り蚕影の村と野焼く人 ほの香
お蚕を駿河の里に探しけり ほの香
表札は望月ばかりつくづくし ほの香
由比の人・土地と平沢唯(けいおん)へ
由比一の桜蝦みん五里十里 ほの香
春雪に笠雲かぶせ富士日和 ほの香
パレットに撒かれる色や春の富士 ほの香
駿河路に汽笛たなびく日永かな ほの香
春の日が隠して裾の富士見かな ほの香
■関連リンク
静岡市ホームページ 国登録有形文化財 旧五十嵐邸
http://www.city.shizuoka.jp/000_002456.html
人権平和浜松ホームページ 西伊豆明礬石鉱山
http://www.pacohama.sakura.ne.jp/kyosei/nisiizu.html
■関連する記録
【自転車パスハン】★行くぜ戦争遺構´Д`)、そして伊豆の英ちゃんを発見!? 河津(荻ノ入林道ー諸坪峠ー白川林道)ー松崎(県道121・蛇石峠)ー下田 2018年05月20日(日)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1470369.html
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