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ヤマレコ

記録ID: 1768290 全員に公開 ハイキング中国

岡山市北区 臥龍山〜三角点「城山」マダニを連れて金川城跡巡り

日程 2019年03月24日(日) [日帰り]
メンバー
 Machapuchare(記録)
, その他メンバー1人
天候晴れ
アクセス
利用交通機関
車・バイク
 御津ふれあいプラザ(館内に御津郷土歴史資料館あり)の駐車場に開館前から自動車を停めました。7,8台駐車可能ですが、下山後11時半頃には枠外にも車が停まっており、一時的によけていただいて出られました。ご迷惑をおかけしました。
 近くにJR金川駅もあるので、電車でのアプローチも可能です。
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地図/標高グラフ


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コースタイム [注]

日帰り
山行
2時間55分
休憩
31分
合計
3時間26分
S御津ふれあいプラザ駐車場08:0508:10玉松城跡案内図08:11慈思堂08:1308:27道林寺丸跡08:3008:39本丸跡&北の丸跡分岐08:42本丸跡(臥龍山頂上)08:4608:49天守の井戸08:5008:53本丸跡&北の丸跡分岐(2回目)08:58白水の井戸&北の丸跡分岐09:02白水の井戸09:06白水の井戸&北の丸跡分岐(2回目)09:15堀切2本目09:50標高276.9m三角点「城山」10:15堀切2本目(2回目)10:21北の丸跡(城山頂上)10:2610:28白水の井戸&北の丸跡分岐(3回目)10:35本丸跡(臥龍山頂上)(2回目)10:4210:46杉の木の井戸10:48二の丸跡10:5010:57出丸跡10:5811:10七曲神社&区役所支所登山口分岐11:16七曲神社11:2211:31御津ふれあいプラザ駐車場G
コースタイムの見方:
歩行時間
到着時刻通過点の地名出発時刻
城跡などの史跡、旬の花などを楽しむコース
歩行距離6km、歩行時間3時間、歩行数11,400歩、消費カロリー1,720Kcal
コース状況/
危険箇所等
 一部、雨上がりで崩れやすい斜面がありましたが、全体的にはよく整備され歩きやすいです。道標もあります。

 御津ふれあいプラザ(館内に御津郷土歴史資料館あり)の駐車場から金川城(玉松城)本丸跡(臥龍山頂上)<写真08,09>を経て周回するルートは、半分以上が丸太と土の階段状で歩きやすく、運動靴でも歩けます。
 二の丸跡南西端<写真22,23>から二の丸跡石積<写真24>辺りまでは道からそれて見学しながら適当に歩きました。また、白水の井戸<写真11>への道はわかりにくくなっており、雨上がりで崩れる斜面を木につかまりながら下りました。

 本丸跡(臥龍山頂上)<写真08,09>から堀切2本目<写真13>までは、地形図の破線の道よりもその西側の道(現地道標は「空堀へ」)のほうが道がわかりやすく平坦で歩きやすいです。地形図の破線の道のほうは一部、急で雨上がりは崩れやすい斜面になっています。

 堀切1本目<写真12>から標高276.9m三角点「城山」<写真15>までは、木の間の歩きやすい一本道が続いています。ここで行き止まりで、これ以外に道はなさそうでした。
 なお、標高230m近くで西に少し進んで引き返したようになっていますが、これはGPSの電池を交換した際の誤作動によるもので、実際は動いていません。
その他周辺情報 今回の山行のすぐ南側、宇甘川沿いに金川桜並木があります。150本の桜が植えられており、今年は4月7日(日)11〜16時に観波橋河川公園で金川桜まつりが開催されます。

装備

個人装備 長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 防寒具 手袋(防水加工) 軍手 雨具 日よけ帽子とフード 雨用帽子 登山靴(防水加工) 靴ひも予備 サブザック ザックカバー 地形図 コンパス マップケース 筆記用具 携帯 時計(防水) タオル カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(山使用可能) eTrex30(GPSナビゲーター)

写真

01ハナモモ
モモは葉が花と同時に出ます。真っ白な花がきれいでした。おそらく、花を観賞するハナモモでしょう。
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01ハナモモ
モモは葉が花と同時に出ます。真っ白な花がきれいでした。おそらく、花を観賞するハナモモでしょう。
02難波抱節宅跡長屋門
難波抱節は幕末の漢方医で、思誠堂塾をひらき門弟は千数百人にのぼりました。岡山市北区足守の緒方洪庵から痘苗を譲ってもらい種痘を始めたり、産科の書物『胎座新書』を著したりと幅広く活躍しました。宅跡は妙覚寺となり、この長屋門だけが残っています。
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02難波抱節宅跡長屋門
難波抱節は幕末の漢方医で、思誠堂塾をひらき門弟は千数百人にのぼりました。岡山市北区足守の緒方洪庵から痘苗を譲ってもらい種痘を始めたり、産科の書物『胎座新書』を著したりと幅広く活躍しました。宅跡は妙覚寺となり、この長屋門だけが残っています。
03玉松城跡案内図
金川城は玉松城とも呼ばれ、岡山市の史跡に指定されています。ここには案内パンフレットがあり、表は遊歩道案内図、裏は縄張り図詳細が印刷されています。一部いただいて見ながら歩きました。
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03玉松城跡案内図
金川城は玉松城とも呼ばれ、岡山市の史跡に指定されています。ここには案内パンフレットがあり、表は遊歩道案内図、裏は縄張り図詳細が印刷されています。一部いただいて見ながら歩きました。
04アセビ
慈思堂の前に2本あり、ちょうど満開でした。動画を撮っていると、ウグイスやメジロの鳴き声がいいBGMになりました。
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04アセビ
慈思堂の前に2本あり、ちょうど満開でした。動画を撮っていると、ウグイスやメジロの鳴き声がいいBGMになりました。
1
05道林寺丸跡
道の上から見下ろしてみました。三の丸跡には、松田氏が日蓮宗に凝り過ぎたため、滅亡のもとになった道林寺跡があります。
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05道林寺丸跡
道の上から見下ろしてみました。三の丸跡には、松田氏が日蓮宗に凝り過ぎたため、滅亡のもとになった道林寺跡があります。
06道林寺丸跡より
    北北西方面展望
北北西方面には、これから向かう286m峰(右端)と標高276.9m三角点「城山」(中央)<写真15>が見えました。雨上がりで濃霧注意報が出ており、いい感じに雲がかかっていました。
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06道林寺丸跡より
    北北西方面展望
北北西方面には、これから向かう286m峰(右端)と標高276.9m三角点「城山」(中央)<写真15>が見えました。雨上がりで濃霧注意報が出ており、いい感じに雲がかかっていました。
07道林寺丸跡北東展望地より
       宇甘川&山空
ここだけ少し開けており、北西方面に宇甘川越しに標高347.8m頂上三角点<点名:中泉>のある山空が見えました。雲がかかってきれいです。動画も撮りました。
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07道林寺丸跡北東展望地より
       宇甘川&山空
ここだけ少し開けており、北西方面に宇甘川越しに標高347.8m頂上三角点<点名:中泉>のある山空が見えました。雲がかかってきれいです。動画も撮りました。
2
08本丸跡松田主従一族供養塔
本丸跡(臥龍山頂上)は約33aの平坦地で、かつての城主であった松田家の供養塔がありました。展望は効きませんが、360度回って動画を撮ってみました。
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08本丸跡松田主従一族供養塔
本丸跡(臥龍山頂上)は約33aの平坦地で、かつての城主であった松田家の供養塔がありました。展望は効きませんが、360度回って動画を撮ってみました。
09本丸跡玉松城碑
裏面には松田姓の名前が並んでいます。1568年、宇喜多直家に攻められた松田氏の一族郎党がこの地で戦い死に果てました。
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09本丸跡玉松城碑
裏面には松田姓の名前が並んでいます。1568年、宇喜多直家に攻められた松田氏の一族郎党がこの地で戦い死に果てました。
10天守の井戸
本丸跡<写真08,09>の北にあり、直径約8m、深さ約10.5mと日本最大規模の井戸です。しゃくしを投げ込んだら数日後に旭川に浮かんだため、旭川に通じているという伝説があります。写真ではいまいち伝わりませんが、吸い込まれそうでした(*_*;
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10天守の井戸
本丸跡<写真08,09>の北にあり、直径約8m、深さ約10.5mと日本最大規模の井戸です。しゃくしを投げ込んだら数日後に旭川に浮かんだため、旭川に通じているという伝説があります。写真ではいまいち伝わりませんが、吸い込まれそうでした(*_*;
11白水の井戸
道標はあるものの道から少し逸れた所にあるので、ややわかりにくいです。天守の井戸<写真10>の半分ぐらいの規模です。石積みがきれいに残っています。
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11白水の井戸
道標はあるものの道から少し逸れた所にあるので、ややわかりにくいです。天守の井戸<写真10>の半分ぐらいの規模です。石積みがきれいに残っています。
1
12堀切1本目
北の丸跡<写真18,19>のすぐ北にあります。幅9m、深さ2mと大きな堀切です。動画も撮りました。
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12堀切1本目
北の丸跡<写真18,19>のすぐ北にあります。幅9m、深さ2mと大きな堀切です。動画も撮りました。
13堀切2本目
幅6.5m、深さ1.8mです。二重の堀切なので、敵はかなり攻めにくかったでしょう。こちらも動画を撮りました。
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13堀切2本目
幅6.5m、深さ1.8mです。二重の堀切なので、敵はかなり攻めにくかったでしょう。こちらも動画を撮りました。
14サワフタギタケ
カサの直径は5cm程、裏は少しひだがあるようにも見えました。その名の通り、サワフタギの仲間に特異的に発生すると考えられています。ちなみに、このすぐ近くの286m峰は、少し開けていますが展望は効きませんでした。
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14サワフタギタケ
カサの直径は5cm程、裏は少しひだがあるようにも見えました。その名の通り、サワフタギの仲間に特異的に発生すると考えられています。ちなみに、このすぐ近くの286m峰は、少し開けていますが展望は効きませんでした。
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15標高276.9m三角点
      <点名:城山>
倒木をくぐるとすぐに見えました。周辺は木々に囲まれ展望は効きません。金川城(玉松城)北の丸跡<写真18,19>があるのが地形図上は城山、ここは点名が城山、本日1つ目の城山です。ここで行き止まりだったので引き返しました。
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15標高276.9m三角点
      <点名:城山>
倒木をくぐるとすぐに見えました。周辺は木々に囲まれ展望は効きません。金川城(玉松城)北の丸跡<写真18,19>があるのが地形図上は城山、ここは点名が城山、本日1つ目の城山です。ここで行き止まりだったので引き返しました。
16ヒサカキ雄花
梅の花のような香りですぐにその存在に気がつきます。雄花は雌花に比べると少し大きく5mm程です。
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16ヒサカキ雄花
梅の花のような香りですぐにその存在に気がつきます。雄花は雌花に比べると少し大きく5mm程です。
2
17ウスバタケの仲間
カサの直径は3〜4cm、表側には少し毛があり、裏には長いひだがありました。厚さは1mm程しかなく、びっしりくっつくように生えていました。
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17ウスバタケの仲間
カサの直径は3〜4cm、表側には少し毛があり、裏には長いひだがありました。厚さは1mm程しかなく、びっしりくっつくように生えていました。
18北の丸跡石積
地形図ではここが城山、本日2つめです。本丸跡<写真08,09>も含め、明確な石垣跡は見られませんでしたが、このように崩れた石積みが一部で見られます。
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18北の丸跡石積
地形図ではここが城山、本日2つめです。本丸跡<写真08,09>も含め、明確な石垣跡は見られませんでしたが、このように崩れた石積みが一部で見られます。
19北の丸跡土塁
北の丸跡の端のほうです。土塁の多くは崩れていますが、このようにはっきりと残っているものもありました。
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19北の丸跡土塁
北の丸跡の端のほうです。土塁の多くは崩れていますが、このようにはっきりと残っているものもありました。
20枡形
虎口(お城の出入り口)の前面に方形の空間を設け、そこに門や口を2重に構えることで、攻撃側は枡形内部に侵入しても2番目の門に城内への侵入を阻まれ、枡形内部で守備側からの攻撃を全面に浴びることとなります。これは振り返って見たものです。
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20枡形
虎口(お城の出入り口)の前面に方形の空間を設け、そこに門や口を2重に構えることで、攻撃側は枡形内部に侵入しても2番目の門に城内への侵入を阻まれ、枡形内部で守備側からの攻撃を全面に浴びることとなります。これは振り返って見たものです。
21杉の木の井戸
二の丸跡にありました。かなり埋まってしまっています。天守の井戸<写真10>や白水の井戸<写真11>に比べると小規模なので、思わずちっちゃっ!と言ってしまいましたが、これが普通サイズでしょう。
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21杉の木の井戸
二の丸跡にありました。かなり埋まってしまっています。天守の井戸<写真10>や白水の井戸<写真11>に比べると小規模なので、思わずちっちゃっ!と言ってしまいましたが、これが普通サイズでしょう。
22二の丸跡
本丸<写真08、09>より一段低い二の丸は、東側や西側に帯曲輪(おびぐるわ)を配するほか、旭川に向かって下る三方の尾根筋にも曲輪(くるわ)を設けています。
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22二の丸跡
本丸<写真08、09>より一段低い二の丸は、東側や西側に帯曲輪(おびぐるわ)を配するほか、旭川に向かって下る三方の尾根筋にも曲輪(くるわ)を設けています。
23二の丸跡より金山
南南西方面には、電波塔などがあり岡山市の最高峰である金山が見えました。
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23二の丸跡より金山
南南西方面には、電波塔などがあり岡山市の最高峰である金山が見えました。
1
24二の丸跡石積
二の丸跡の北東端にもいくかの石積が残されていたので、少し道からそれて見学しました。
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24二の丸跡石積
二の丸跡の北東端にもいくかの石積が残されていたので、少し道からそれて見学しました。
25出丸跡より
   二の丸跡石積方面
二の丸を一段下りた所に出丸が設けられています。上段にある二の丸跡<写真22〜24>を振り返ってみました。
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25出丸跡より
   二の丸跡石積方面
二の丸を一段下りた所に出丸が設けられています。上段にある二の丸跡<写真22〜24>を振り返ってみました。
26七曲神社随身門
七曲神社は松田氏の氏神として、1457年ごろ神奈川県七曲山から金川に勧請されたと伝えられています。
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26七曲神社随身門
七曲神社は松田氏の氏神として、1457年ごろ神奈川県七曲山から金川に勧請されたと伝えられています。
27七曲神社本殿&備前焼狛犬
ご祭神は金山城主松田氏の祖神である天津児屋根命、春日大神、天照大神、八幡大神です。本殿の前に狛犬があるのは珍しいと思います。しかも、備前焼でした。
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27七曲神社本殿&備前焼狛犬
ご祭神は金山城主松田氏の祖神である天津児屋根命、春日大神、天照大神、八幡大神です。本殿の前に狛犬があるのは珍しいと思います。しかも、備前焼でした。
28ハクモクレン
妙覚寺の塀からのぞいていました。ちょうど咲き始めでした。雨上がりなので白い花は特にきれいに見えます。ちなみに、妙覚寺は京都妙覚寺を復興した日蓮宗不受不施派の祖山で、信徒以外立ち入り禁止です。
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28ハクモクレン
妙覚寺の塀からのぞいていました。ちょうど咲き始めでした。雨上がりなので白い花は特にきれいに見えます。ちなみに、妙覚寺は京都妙覚寺を復興した日蓮宗不受不施派の祖山で、信徒以外立ち入り禁止です。
29七曲神社鳥居越しに
      本殿&臥龍山
鳥居越しに本殿<写真27>と今まで登ってきた金川城(玉松城)本丸跡<写真08,09>のある臥龍山がよく見えます。
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29七曲神社鳥居越しに
      本殿&臥龍山
鳥居越しに本殿<写真27>と今まで登ってきた金川城(玉松城)本丸跡<写真08,09>のある臥龍山がよく見えます。
30岩井山12号墳
   土師質亀甲形陶棺
御津郷土歴史資料館内にありました。土師(はじ)質亀甲形陶棺は大和と岡山県北部の美作(みまさか)地域、南部の備前で多く出土しています。陶棺は土師質亀甲形と須恵質家形の2種類があり、関東から九州まで約700出土していますが、そのうちの75%が岡山県です。さらに美作地域からは県下の70%が出土しています。
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30岩井山12号墳
   土師質亀甲形陶棺
御津郷土歴史資料館内にありました。土師(はじ)質亀甲形陶棺は大和と岡山県北部の美作(みまさか)地域、南部の備前で多く出土しています。陶棺は土師質亀甲形と須恵質家形の2種類があり、関東から九州まで約700出土していますが、そのうちの75%が岡山県です。さらに美作地域からは県下の70%が出土しています。
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31岩井山13号墳
    須恵質家形陶棺
1962(昭和37)年に、旧御津町伊田の岩井山13号墳から出土しました。長さ110cm、幅55cm、高さ80cmで18本の円筒状の足がつき、寄棟屋根状の蓋が乗っています。一緒に出土した須恵器の形から7世紀初め頃に造られたと推測されます。この陶棺は当時の金川高校歴史研究部員の手によって復元されたそうです。 
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31岩井山13号墳
    須恵質家形陶棺
1962(昭和37)年に、旧御津町伊田の岩井山13号墳から出土しました。長さ110cm、幅55cm、高さ80cmで18本の円筒状の足がつき、寄棟屋根状の蓋が乗っています。一緒に出土した須恵器の形から7世紀初め頃に造られたと推測されます。この陶棺は当時の金川高校歴史研究部員の手によって復元されたそうです。 
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32七曲神社神輿
10月中旬に七曲神社<写真27>の秋祭りが行われます。神輿(みこし)は1台と子供神輿、獅子舞がは氏子の町へ巡行します。少し塗料がはがれたところなどがあり、まだ使われているのかもしれません。
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32七曲神社神輿
10月中旬に七曲神社<写真27>の秋祭りが行われます。神輿(みこし)は1台と子供神輿、獅子舞がは氏子の町へ巡行します。少し塗料がはがれたところなどがあり、まだ使われているのかもしれません。
1
33足の指裏に
 タカサゴキララマダニ幼虫
頭は皮膚にめり込んで見えません。食いつかれてから1週間後くらいでした。毎晩入浴時にお湯に浸かり窒息死したものと思いきや、翌日、病院でアルコール消毒の際に這い出てきました。1週間片時も離れずにいた割には、情が移ることもウイルスをうつされることもなく、あっさりお別れできました。詳細は感想にて。
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33足の指裏に
 タカサゴキララマダニ幼虫
頭は皮膚にめり込んで見えません。食いつかれてから1週間後くらいでした。毎晩入浴時にお湯に浸かり窒息死したものと思いきや、翌日、病院でアルコール消毒の際に這い出てきました。1週間片時も離れずにいた割には、情が移ることもウイルスをうつされることもなく、あっさりお別れできました。詳細は感想にて。
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感想/記録

“山城王国御津!”
 岡山市北区御津(みつ)には山城跡が28ヶ所もあります。
 今回訪問したのは、地形図上では城山(通常、臥龍山と呼ばれている)と記載されており、文字通り、金川(かながわ)城あるいは玉松城と呼ばれた山城跡がある山です。さらには、城山(山城跡)北西に標高276.9mの三角点が設置されており、ここにも城山と名称(点名)がつけられています。
 今回、この2つの城山を訪問することにしました。近くにJR金川駅もあるので、電車でのアプローチも可能です。

 金川城(玉松城)は岡山県内の山城のなかでも最大級の規模をもちます。主な見どころは登山口にある「遊歩道案内図箱」にある地図で確認できます。道が整備され、道標やプレートも設置されているので、読図もあまり必要なく、楽に歩けます。
 玉松城の最初の城主は松田元成です。彼は備後の管領山名政豊と結び、赤松・浦上連合軍と戦って福岡城(瀬戸内市長船町)を攻め落し、翌年浦上則国を破りますが、吉井川の天王原(長船)で大敗し、敗死しました。
 その後、元成の子元勝が跡を継ぎますが、1568年、4代後の元賢が宇喜多直家に攻められて滅亡しました。その後、宇喜多直家の弟春家、さらにその後に岡山藩家老日置氏が入城しましたが、元和の一国一城令により、居城以外のすべての城が破却され、幕を閉じました。
 そんなディープな歴史に思いをはせながら、貴重な史跡巡りをしました。

“1週間寝食を共にしたダニを連れ登山(*_*;”
 この日、いつも通り入浴すると、少し足にかゆみを感じたので、左足の薬指の周りを軽く掻いていると、指の裏でイボか何かに引っかかったような感触がありました。連れに見てもらうと、あろうことか、タカサゴキララマダニの幼虫が頭をこちらの足裏の皮膚の中に突っ込んでいる衝撃シーン<写真33>が見られました。
 連れによれば、入浴直後はお湯で膨張し体長7mm程になっていましたが、撮影時には4mm程だったそうです。背中を少し指で押すと足が広がりましたが、息を吹きかけても無反応だったので、死んでいるだろうとのことでした。
 また、この2日前には洗面台で体長5mmのメスの成虫1匹を見つけ、爪で潰して退治し、洗面所の掃除とバスマットの洗濯・交換をしたといいました。
 2015年07月12日に広戸仙・甲山・ 佛山(ひじりやま)を訪問した際に、オスの成虫を連れて帰ってしまい、玄関たたきの上で箒の柄で叩き潰したこともあったので、連れはこれで幼虫、成虫のオス、メスすべて見たと妙にうれしそうでした(-_-;)
 思い起こせば、1週間前に富田松山・前山・向山を訪問した際に、一瞬、足の裏に少し痛みを感じたことがありました。その時は、小さな石ころが靴の中に入って、足の裏までまわったのだろうと考え、特に気に留めることもなく、そのまま放置していました。
 それ以降、何か症状が現れることはなかったのですが、毎日、風呂に入った時は、不思議と足にかゆみを感じることが多くなりました。そして、この日にやっと、1週間ずっとマダニと寝食を共にしていたことに気が付きました。
 毎日最低10分は湯船に浸かり、平均10,000歩近く歩いているので、足の裏に棲みつくことはマダニにとって苦痛のはずです。もう死んでいるものと思っていました。
 とりあえず、翌朝一番で総合病院に行き、状況を伝えて、マダニ摘出手術をしてもらうことになりました。
 よほど珍しいのか、看護師さんが4・5人マダニを見に来られました(T_T) 外科医の方が消毒用アルコールを患部に塗ると、苦しくなったのか、なんと、マダニが頭を抜いて、全容を現しました。
 その瞬間、この状態で1週間生き続けていたことを知り、背筋が凍る思いがしました(*_*;
 このマダニは幼虫のようでしたが、成虫になるまで人の血から栄養分を吸収し続けるつもりだったのでしょう。ダニがしつこいことの例えに使われることを身をもって体験しました。まさに魔ダニでした(T_T)
 シカやイノシシなどの動物がいる山では、春から秋にかけてダニに咬着される機会が増えます。もし、そうなったら、無理して抜くと、体がちぎれ口器等の体の一部が皮下に残って化膿したりするので、アルコール漬けにするか、病院で除去してもらうのが無難です。中途半端に嫌がらせをして逃げられると、家族にまで被害が拡大する恐れがあります。
 今回はこのマダニが毎晩お湯でふやかされても嫌がらず、自分に首ったけだったので、我が身を犠牲にして家族を守ってくれたと感謝されました(^^;ゞ
 幸い、まだ発熱などの症状もなく、マダニの頭が抜けた跡の4mm程の皮膚の裂け目が見えるのみで、化膿止めを飲んで様子を見ています。
 これでマダニ騒動も一件落着\(^o^)/




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